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Photo bysirasagijyousyu

【悲運の戦国大名🌺筒井氏の深い謎②】死後に広まった不名誉な噂

    私は家系図を手に入れてから、筒井順慶に関する本を何冊か読みました。父・順昭が28歳で病死したあと、順慶はわずか2歳で家督を継ぎ、4歳で元服します。その後どうなったのか、ごく簡単にまとめてみます。

    ▼幼いときから苦労の連続💦


    ●10歳:河内の有力者(遊佐氏)の娘に婿入りしました。ずいぶん若いですが、いわゆる政略結婚ですね。

    ●11歳:松永久秀に筒井城を攻め落とされ、それ以降、久秀とは10年以上勝ち負けを繰り返すライバル関係に。

    『麒麟がくる』では、吉田鋼太郎さんが型破りな松永久秀を魅力たっぷりに演じていました😃

    ●17歳:順慶は、久秀から筒井城を奪い返し、興福寺で出家します。筒井氏は代々、興福寺の官符衆徒かんぷしゅと、つまり僧兵のトップを務めていたので、お坊さんにならないといけなかったんですね。

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    順慶って、子どもの頃からすごく苦労していたんですね……。

    ▼織田信長・明智光秀との出会い


    ●22歳:順慶は、佐久間信盛と明智光秀の仲介により久秀と和睦し、その後、織田信長に臣従します。

    ●23歳:足利義昭の養女が順慶に嫁ぎました(ドラマでは、遠藤賢一さんが義昭を演じていましたね!)。

    ●25歳:光秀の四男を養子にしたと言われています(史実かどうかは不明)。

    ●27歳:織田信長の養女を妻に迎えました(3人目の奥さんです!)。これで、順慶は織田一族としての扱いを受けるようになりました。

    こうして、順慶は織田信長・明智光秀と、公私共に親密な関係を築いていきました。


    ●29歳:順慶は信長の命令で久秀を攻め、後日、久秀が自害しました(その後、順慶は、久秀の遺骸を手厚く葬ったそうです)。

    ●32歳:順慶は、信長から正式に大和一国を任され、筒井城から郡山城に引っ越しました。


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    宿敵・松永久秀の死で、ようやく順慶に平和な日々が訪れました♪♪

    ▼本能寺の変により、明智光秀と決別


    しかし、明智光秀が織田信長を裏切ったことで、光秀と親しかった順慶は苦しい立場に立たされることになります。

    ●34歳:本能寺の変が発生。順慶は悩んだすえ、「山崎の戦い」で光秀の味方になることを拒否し、光秀は敗死します。

    ●36歳:順慶は、秀吉の命を受けて小牧・長久手の戦いに出陣します。しかし、かねてより患っていた胃痛が悪化し、帰還後まもなく病死しました。

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    胃痛が悪化して亡くなるなんて、ストレスの多い人生だったからかもしれませんね。

    ▼死後に広まった不名誉なことわざ


    1582年6月2日におきた本能寺の変の直後、順慶は光秀から味方になるように迫られ、深く悩みました。

    光秀とは仲が良く、恩もありましたが、ここで選択を間違うと筒井一族はもちろん、大和の寺社や民衆にも危難が降りかかるかもしれません。順慶は郡山城にこもり、家臣と何日もかけて話し合いました。

    6月10日、光秀は、京都の山崎にある洞ヶ峠ほらがとうげに布陣します。そして、順慶のもとに家臣・藤田伝五を派遣して、味方になるように説得しますが、順慶は拒否しました。

    11日、順慶は、秀吉に味方する旨を約束した誓紙を秀吉に差し出します。

    13日、光秀は山崎の戦いで秀吉に敗れ、逃走中に百姓に殺害されました。

    このように、順慶は悩みに悩み、結局、光秀ではなく秀吉を選んだわけですが、そのときの態度が後年、人々から「日和見ひよりみ」と批判されることになりました。

    それだけではなく、なぜか「洞ヶ峠にいたのは順慶」という誤った噂が広まり、後年、「洞が峠をきめ込む」ということわざにまでなってしまいました(なんと父親の順昭だけでなく、息子の順慶までことわざの主になってしまうとは……💦)。

    このことわざ、たぶん若い人は知らないと思いますが、ぜひ一度、皆様のご両親や祖父母に尋ねてみてください。その際は、これが誤解だということも伝えていただけると嬉しいです。後で書くつもりですが、実はこの誤解が、筒井氏の子孫を長年悩ませるタネになってきたからです。

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    順慶は洞が峠に行っていないのに、ひどいですね……!

    ★まとめ★
    ・筒井順慶の人生の大半は、宿敵・松永久秀との戦い。
    ・織田信長や明智光秀と親密な関係だった。
    ・洞が峠で待ちぼうけをしたのは光秀なのに、順慶が待ちぼうけしたという誤った内容のことわざが生まれた。

    次回は、順慶の子どもが悲運にみまわれ、徳川家康に自害させられるまでを紹介して、ひとまず歴史の話は終わりにする予定です。ぜひまた読みに来てくださいね!✨🌺

    <<<次回の話はこちら③です。

    >>前回の話はこちら①です。

    >>>自己紹介です。

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    「応仁の乱が大事や」という亡き父の言葉と、家系図をもとにルーツ探しの旅に出たら、戦国時代の先祖が見つかり、実家の謎まで解明される意外な展開に。ワクワクすることが好きな方や、本当の自分を知りたい方、先祖探しのヒントが欲しい方はぜひフォローを!(note大学🐤)

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