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【自己紹介】プロフィールをご覧いただきありがとうございます♡私がnoteと出会うまで

皆さんこんにちは、こんばんは、おはようございます!悶 もん子です。
この記事をご覧いただけているということは、私の記事を見て、プロフィールに飛んでいただいたということでしょうか…?!
いつもご覧いただきありがとうございますㅠ ̫ㅠ

今回はそんな私の自己紹介と過去の経験やnoteを始めた経緯など「私」について書いてみました。どん底の恋愛依存や適応障害を乗り越えて見つけた、自分らしく生きるためのヒントを詰め込みました。
ご興味ある方はご覧いただけますと嬉しいです♡


1.悶 もん子のプロフィール

悶 もん子/23歳 (2026年時点)
女性/O型/ENFP-A

高校卒業後グラフィックデザイナー兼編集者として就職し、その後転職を繰り返した今現在もデザインや編集のお仕事をちょくちょく請け負っています。社会人5年目。人生始まったばかりのまだまだ何も知らない若造です。


2.noteに出会ったきっかけ

私がこのnoteに出会ったのは、2025年春。
当時高卒で初めて就職した印刷会社を適応障害で退職し、自分に自信もなく、恋愛中毒になり病んでいく一方だった頃に、悶々とした気持ちを和らげたく延々とネットサーフィンしていた夜中に出会いました。
色々な方の体験談やそこから乗り越えた術など参考になることが多く、そこから1年間は一読者として利用させていただいておりました。
このnoteとの出会いは、間違いなく私の人生を前向きにしてくれました。


3.私の人生経験

私の記事は恋愛多めですが、恋愛以外の問題にも一通りぶち当たってきた人生です。

【恋愛】恋愛比重と依存脱却

中学で色恋沙汰ひとつなかった私が高校で初めて "女として好かれる喜び" を知り、恋愛に目覚めます。色んな同級生、先輩、後輩、バイト先の方など一通り片思いし、なかなか実らず、やっとできた大好きな彼氏1号機に依存的になりました。
その彼とは根本的に合わない性格や価値観が山ほどあり何度もぶつかりましたが、好き過ぎて自分から別れることはできず「一緒に居られて楽しいし嬉しいはずなのに疲弊する恋愛」をしていました。そんな彼に高校卒業と同時に振られ、世に放たれた "恋愛モンスター 悶 もん子"。覚醒します。

職場の先輩を好きになったり、ナンパしてきたイケメンに振り回されたり、マッチングアプリで色んな男の人と会ったり。止まらない恋愛欲、男欲、性欲。まさに化け物でした。
そんな時にアプリでできた大好きな彼氏2号機。お互い好き過ぎて依存してたのか、依存してたから好きだったのか。もう訳も分からないくらい猛烈に絡み合っていました。そんな彼からは理不尽なことで束縛されても嫌とは言えず従ってしまうし、不純な異性絡みを発見しても許してしまうし。「まさに」な関係を続けていました。
「この人といると私がおかしくなる気がする」
そう思った私は思い切って彼に別れを告げましたが、3日後には復縁をせがんで断られたり、断られたはずなのに向こうからの接触は来る。自分で自分が嫌になっていた時期でした。

そう苦しんでいる時に、同じような境遇で苦しんでいた小学校からの友達と急激に仲良くなります。今の大親友です。恋愛依存を抜け出せたのは確実にその親友がきっかけでした。ありがとう。
同時に少し疎遠だった母親とも仲良くなりました。定期的に一緒にお出かけしたりLINEするようになったのは、この頃だったと思います。
また、職場の上司や先輩との交流が増えました。一緒に飲みに行ったり、皆で旅行に行ったり。
そうやって、恋愛への比重を友達と家族、職場と分けていくことで、私の猛烈な恋愛依存は終わりました。
今でも恋愛自体は大大大好き!ですが、依存的になるほど重要視していないのは、過去にこういった経験があるからです。


【友達】元親友と友達グループとの絶縁

19歳当時、高校の同級生で卒業後急激に仲良くなった親友がいました。
ノリやテンション、面白いと思う話題や遊びたいと思う頻度までパズルのように合致して、約1年間、平均週3〜4日は会っていました。すごい時は週7日会ってるなんて時も。若いですね…。
初めてお酒を飲んだのもその子でしたし、初めての "これが親友というのか!"という感覚でした。しかし当時は私以外の友達と仲良くしているところを見ると嫉妬したり悲しい気持ちになったりと、依存的になっていた部分もありました。

当時その親友と私を含む高校のグループがありました。ある時、私がその中の1人が嫌な気持ちになるようなことをしてしまいました。当時はなんの考え無しにした行動で、人生で初めての人に「傷付いた」と言わせてしまうような経験でした。その話を私に伝えてきてくれたのが、その元親友でした。
「〇〇ちゃんが傷付いてたよ。謝りな。」
傷付けてしまった友達も直接私に言う勇気がなく、その親友に仲介役を頼んだという流れでした。すごく申し訳ない気持ちにもなり、自分の行いを改めて見直すきっかけになりました。直接謝りに行き、傷付いたはずなのに許してくれた友達にも今思えば感謝しかありません。また当時仲介役を買って出てくれた元親友にも感謝しています。

しかしその数ヶ月後、その元親友は特に頼まれてもいないことで「〇〇が〜って言ってすごく怒ってたよ」と、今でいうフレネミー的なことをしてくるようになりました。私の行いにも確かに非はありましたが、別の友達との表面化していない問題にまで口を挟んでくるようになったのです。
私はその元親友にも周りにいる友達全員にも「裏で陰口言われてるかもしれない」という恐怖心を抱くようになりました。

そんな状況の中その元親友の誕生日がきて、私は仕事が忙しかったり関わるのが少し怖かったりで特に会う約束も立てていませんでしたので、個人的にLINEでお祝いしました。
しかしその日の夜、その親友と私が含まれていたはずの高校グループの子達が集まって皆でご飯に行っている投稿が、SNSに一斉に投稿されました。私は、呼ばれてもいませんでした。悲しい、絶望的な気持ちにもなりました。
もちろんその元親友の誕生日ですし、その子が呼びたい人を集める場なのは当然ですから、そこに選ばれなかっただけの話です。みんなが満場一致で私のことを呼ばない、省こうという意思を持っていたわけではないのは重々分かっています。
ですが元々抱いていた恐怖心とショックから心が持たず、その子達のSNSのフォローを外したり非表示にしたりと、心が離れていくきっかけとなりました。

結果として、今現在その元親友とは約2年近く連絡を取っていません。そのグループも今はもうありません。感謝もありますが傷も残りました。でも後悔はありませんし、人生において大きな学びになる出来事でした。


【仕事】適応障害による退職と短期離職

第1項で前述した通り、高校卒業後デザイナー兼編集者として3年勤めた印刷会社を適応障害で退職しました。人員不足から入社2年目にはチームで2番手の働きアリとなり、酷い時は朝まで行う残業や業務内容へのプレッシャーに耐えられず身体を壊し、そのまま心まで壊してしまい退職に至りました。
「やらなきゃ、頑張らなきゃ」と、当時21歳の私のキャパシティにはあまりに比重が重すぎた状況だったと思います。よく頑張った。
当時は会社へ行くこと、会社の人と話すことすら恐怖に思えて、発作のように動悸が止まらなくなって手の震えが止まらなくなったり、吐き気や頭痛に襲われたり。夜は眠れないしかと言って昼も眠れない。二度とあんな思いはしたくないと思うほど絶望的な経験でした。

「やばい!お金がない!」
当時一人暮らしをしていた私は退職後、生活を続けるために就職に、というより "お金" に焦っていました。
数ヶ月休んだ後、別のIT会社に正社員として再就職をしました。未経験でも頑張れそうな会社だったため入社しましたが3ヶ月と持たず退職します。原因は自分のやりたいことやできることをよく考えずに就職への焦りだけで決めてしまったことと、会社側の教育体制の問題でした。
内的、外的要因が悪い形で合致してしまい、人生初めての短期離職を経験します。

「また短期離職してしまったらどうしよう。」
正社員として働くことに恐怖心を覚え始めた私は、元々得意だった接客系のアルバイトを3つ掛け持ちすることで生計を立てることにしました。
「比重を分散すれば病んだりしない」「フリーターでも稼げれば一緒!」
「正社員をすぐ辞めるのは会社にも迷惑になるから、もうしたくない」
そういった気持ちで約半年間、週7掛け持ちアルバイターとして過ごしていました。幸い、どのバイト先も良い時給で良い職場環境だったため、精神的に病むことなく続けることができました。運がいい。
しかし、週7日間色々な職場に足を運び違う仕事をするのは気持ちも疲れますし、なによりかなりの体力勝負でした。国民健康保険も高いと感じ始めたりと「もっと効率のいい働き方があるのではないか」と考え始めます。
そこで、給料のいい派遣の仕事を見つけ転職をします。社会保険にも加入できる職場でした。八木仁平さんの "「やりたいこと」の見つけ方" という本を参考に実際にワークとして取り組みながら見つけた、やってみたいアパレル系の仕事でした。

しかし実際に働いてみると、仕事内容に精神的な疲れを感じたり、職場の空気に耐えられなかったりと違和感を感じ始め、3ヶ月と持たず退職します。

「また短期離職してしまった…」
自分で見つけて自分で決めたはずの仕事もできない。そんな自分に自信がなくなり、約2ヶ月間細々フリーター生活を送ります。週4日ほど最初の職場のときからダブルワークで勤めてきたスナックとショーパブを掛け持ちで出勤し、夜職の仕事で少し稼いでいました。
この時、夜の世界の "掛け持ちはNG" というルールを初めて知ります。約2年勤めたスナックのママさんに指摘され、自分が稼げればいいという甘い気持ちで入っていた夜の世界の厳しさを痛感します。
スナックかショーパブか、どちらかを取る選択をしなければいけない状況で、気持ちは絶対に2年勤めたスナックを選ぶ気でいました。
でもふとした瞬間に降りてきた疑問。
「私は、夜職をやりたくてやっているのか…?」
元々スナックは友人に誘われた流れで始めた仕事で、ショーパブもお金に困って始めた仕事。もちろんすごく楽しい時間を過ごせたし、たくさんの素敵な出会いも時間もあったし、特にスナックのママさんには2年間、感謝してもし切れないほどとても良くしていただいていました。すごく好きな場所だったけど、これから先ずっと続けるつもりはなかった私は、そこで夜の世界からあがることを決断します。

ほぼ同時期に、次の昼の仕事が決まります。接客もあるし、掲示物を作る業務もある事務仕事で、今現在の仕事です。
最初の仕事を3年勤められたのは、やはり自分がデザインや編集というクリエイティブな仕事が好きだからという認識をし、程よく接客もある仕事内容に魅力を感じ応募したのがきっかけです。
この仕事自体は派遣の仕事なので、時給制ですしなにより満期があります。これに対して私は、仕事内容だけでなく「正社員への恐怖心」と「続けなければならないという圧迫感」が解消された "今の自分にできる、合っている仕事" だという認識をすることができ、気持ちを後押しする条件でした。
幸い職場の人も皆いい人で、やっとひとまず続けられそうだと感じる職場に出会いました。「短期離職への不安が解消された」ということです。
また同時に、3年勤めた印刷会社から編集のお仕事を月2~4本いただく交渉も成立し、業務委託の仕事も行っています。好きなこととできることが重なるとやりたい仕事になる、八木さんも本の中で言ってたなあ、と感動しております。【仕事選びで悩んでる人はぜひ読んでみてください!】

この夏、心機一転仕事を始められた私は "自分の本当にやりたい仕事をできている" という自信とすがすがしい気持ちになっています。友達や恋愛で紛らわし逃げていた「仕事への悩み」が一気に解消された、そんな感覚です。


【家族】人生初の大型反抗期

私は思い返せば幼少期から高校卒業まで反抗期というものを経験したことがありませんでした。親と強く対立した経験も、兄弟喧嘩の経験もありません。「教育が良かったのかな」なんて思いますが、正確には対立しそうになった時のお互いの回避の仕方が似ていたのではないかと思います。

そんな悶 もん子の両親は、私が13歳のときに離婚しています。私と兄は母のもとで育てられました。父はすぐ近所に住んでいたため頻繁に会っていましたが、中学以降「"両親の手で" 育てられた」という感覚はあまりありません。高校卒業後も実家(母と兄の三人暮らし)で暮らしていましたが、お酒を覚えたあたりから母の目や対応を気にするようになりました。
元々両親の離婚の原因は性格の不一致ですが、主な原因は「父の "酒好き" にある」と思っています。母も昔はお酒を嗜んでいたようですが、今は酔っ払いが大嫌いでその原因を作ったのも父です。
しかしどこまでいっても親子ですから、お酒を飲んだ後の酔っぱらって帰ってくる私にどこか元旦那を重ねていたのでしょう。本人はそのつもりは一切ないと思いますし完全に無意識だとは思いますが、私にはすごく "冷たい目" のように感じたのです。

そんな時一人暮らしを始めます。20歳の時です。
ただただやってみたい!という好奇心と「酔っぱらって帰ってもだれにも迷惑かけない」そんな考えからひと夏のボーナスを全部はたいて始め、約2年間一人で暮らしていました。夢ややりたいことができたり、特別出なければいけないという理由がない限り地元を出る気がなかった私にとって、ただただ経験としてやっておきたかっただけの動機でした。
今考えても、一定の家事力を手にしたし、一人という孤独を楽しみ感じる貴重な経験だったと思っています。

母との関係もある程度距離を置くことで良好になりました。定期的に一緒に都内探索をしたりお買い物をしたり。私もすごく楽しいしいい息抜きになりました。これは最近の話ですが、普段あまり話さない、寡黙とまではいきませんが静かな母から、
「あなたと東京に遊びに行くの、実は母さんすごく楽しみなのよ」と。
借りたお金を早く返すねと伝えると、
「まずは安定収入と安定メンタルが第一優先よ」。そうLINEが届きました。
泣きました。今これ打ってるだけなのに泣いてます。
思えば彼氏に依存的になって苦しかった時も、仕事を辞めて転職を繰り返し精神的に参ってしまった時も、1番傍で静かに見守っていてくれたのは母でしたし、今でも1番に応援してくれているのは母だと実感しています。
一人暮らしという半ば強引な形で距離を取り、今思えば人生初めての「大型反抗期」だったと思います。そんな反抗期中も、反抗期後の今現在も1番の味方でいてくれる母という存在は、私にとってかけがえのない存在です。ありがとう。

今現在の私は父の家で実家暮らしをしています。
初めての短期離職後、金銭的な余裕のなさから実家に戻ろうと決めた際に選んだのが父の家でした。元々13歳まで暮らしていた一軒家に住んでいた父の家なら、広いし、金銭的な援助も受けられるし、住んでる地域も変えなくていいし。そんな気持ちで始めました。
父とは「酒」という趣味が合うので、一緒に暮らしてからというものよく飲みに行くようになりました。私の飲み友達と3人で宅飲みすることもありますし、父の友達の飲みに参加することもあるくらいです。そして父にも多額の借金をしています…。(お恥ずかしい)
アパレルを辞めてからの細々フリーター生活のとき、自分のお金を一銭も残さず、決められた月定額の返済をしようとしていたとき、父から
「別にむしり取ろうとしてるわけじゃないからな」
と言われました。何が何でも払わなければならない。早く返さなければならない。そう感じて焦りに焦っていた私にはすごく有難く、心に響いた一言でした。泣けてきた。(涙腺よわ)
定職に就けるまで返済を待ってほしい、そう素直に頼むことができるようになったのも、たった一言から「子への愛」を感じたからです。
普段はおちゃらけてるしたまにイラっとすることもある父ですが、私への愛は紛れもなくあって、真面目に考えてくれていると思うと、すごく心の支えになります。母がよく「父親は娘に嫌われたら終わりだからね」ってよく言ってきていましたが、父親からの娘への愛ってかなり大きなものだと捉えていいんだなと改めて実感したエピソードです。
まあ、だからといって胡坐をかいていてはいけないのでせっせと働いて返して、恩も返せるよう頑張ります。

兄も兄で、イラストレーター?として活躍していて、よくコミックマーケットや物販イベントに出店しています。その手伝いによく駆り出されるのですが、その時くれるお小遣いの額はフリーターの兄から出てくる額としては異常ですし「妹だから」という無償の理由でいただけているとしか思えません。優しすぎる兄、ありがとう。兄の手伝いをするようになったのも昨年22歳の時に兄が退職しフリーランスとして活動し始めてからで、そこから今までよりも頻繁に交流を持つようになりました。

家族との繋がりは、紛れもなく私にとっての支えになっています。
来年、母方の祖父母の結婚60周年記念で親戚5世帯で旅行に行くのですが、そもそも祖父母の母への教育、また父への教育が良かったからこそ今の私につながっていると思います。
「離婚は親の勝手な問題だから、子供にはなんの関係もない。」
そういう両親の当たり前のように感じる有難い考えが、私が「親が離婚しても "両親からの愛をしっかりと受けている"」と胸を張って言える自信につながっているのだと感じます。この家系に、そして家族のもとに生まれてきて本当に良かったと、心からそう思っています。


【趣味】趣味とは"得意"と"楽しい"が混じった「夢中」のこと

私はこれといった趣味がなく23年間過ごしてきました。恋愛に依存的になっているとき「趣味や友達との時間を大切にすること」とよく耳にしましたが、人生においての「趣味探し」って本当に難しいもの。趣味は "続けなければならないもの" ではなく、"自然と続けられるもの" ですよね。
お酒は趣味と言いたいところですが、実際のところ私は「酒」が好きなのではなく「人と深く話せる場」が好きなのであって手段でしかありません。
でも「人と会うことが趣味」としてしまうと、それはそれで自分の中では完結することができないあまりに受動的な趣味になってしまうので趣味とは言えない。
本を読んでみたり、映画やアニメを見てみたり、絵を描いてみたりお習字をしてみたり。「趣味に夢中になろう!」頭で思っているうちは、色々なことをしてみてもすべて短期的な趣味に終わり夢中になることができませんでした。

そんな時出会ったのが、このnoteでした。
最初は読者として使っていたと第2項で前述しましたが、実をいうと書いては消して書いては消して…と繰り返していました。
どこか「完璧主義」的な思考を持っている私は "自分の中でまだ不完全なものを世に出すこと"への抵抗がかなりありました。
今こう言語化して気が付いたのですが、Instagramへの投稿をすぐに消してしまう癖やXへの投稿を控えているのも「誰かに否定される、評価されることへの恐怖」というよりも「自分が納得していない状態で人から評価を受けることへの恐怖」があるからなのかなと、ふと思いました。

ではなぜ、このnoteを著者として利用しようと動くことができたのか。
それは私が恋愛、友達、仕事という「人間関係や人生の問題」を通して真剣に向き合ってきた結果、やっと「自分自身という問題」に本当の意味で向き合うことができ始めたからなのではないかと思います。そして、そんな経験の中で見つけた自分の "得意" なこと。それが「感情に向き合い、言語化すること」でした。
元々自分の気持ちを人に話したり言葉としてそれを表現するのは好きでしたが、起こった出来事に対しての "生身の感情" を頭で悶々と考えることも好きでした。それに悩まされ、いらない心配事やネガティブを生み出してしまうこともありましたが、「それも私の個性」だと心から言えるようになった今、胸張って "得意だ" と言えることに出会えた気がします。
不思議と得意なことしていると "楽しい" と感じますし、楽しくてやっていることだから飽きる気がしません。
兄が四六時中イラストを描いていて、その大きな趣味を仕事にできているのが羨ましいと感じていた時期もありましたが「趣味ってこういう感覚だったのか!」と初めての感覚になりました。

「努力は夢中に勝てない」という言葉を、女優の石原さとみさんが激レアさんという番組で話していました。
私が初めて書いた記事を友人何人かに読んでいただいたときの反応が、一貫して「すごい」だったのは、それを大きな努力のように感じたからだと思います。でも私は努力してこの記事を書いているのではなく、夢中になって書いている。適応障害になる前、「仕事が趣味だ」と思えて実際に昇進出来ていた頃の私は、たしかに努力していたのではなく本当に夢中になって楽しんでいた。だから成果が出ていたんだなと。その夢中が半永久的な趣味となり、それを仕事にできていれば長く続くんだろうなと。そう改めて感じました。

夢中という字の通り、私自身今すごく夢の中にいるような感覚です。
夢中になる趣味がある人のことをすごく羨ましく思っていましたが、今はすごく自分の人生と世界が広く感じられるようになりました。自分の得意不得意に向き合ってきた甲斐があったなと今では思います。
実をいうと今現在、好きな人からの返信が来ていません…が!
そんなことこの記事を書いているときはさほど気にならないのです、不思議と。本当に不思議。これがあるからいいという感覚。気付けばあっという間に時間が経っている、そんな感覚。
生まれて初めて「本当の趣味」に出会ったように感じます。ありがとうnote、愛してるぜ。製作者の方々も、本当にありがとうございます。


4.巡り巡って誰かのためになれば

まあつらつら長々と、私の経験談とこのnoteというツールに出会い、ハマった経緯をお話ししましたが、わざわざ発信することにももちろん意味を持っています。

私は友人など、人から相談を受けたり悩みを打ち明けられたとき、不思議と「なんとか力になりたい」と感じます。誰かの悩みを他人事だと思えないのです。それは私自身が「感情」から得られる楽しさや苦しさ、もどかしさをたくさん経験してきたし、今でも感じるし、人間の「感情」は一生悩みを生み続けると自負しているから。
そう自負している私の考え方が "巡り巡って誰かのためになればいいな" 、そう感じているわけです。私の記事を見て参考にしていただけたり、前向きな気持ちになってくれる人が1人でもいてくれたら嬉しい。そんな気持ちで今日も記事を書いています。

恋愛や人間関係に悩むすべての皆さんへ
悶 もん子と一緒に、
人生の悶々とした悩みを一緒に解決し、
悶々とした未来への不安を解消してみませんか!

様々な記事からの私のメッセージは、
この一言にすべて詰まっています。


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