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今ここで起きる何か

    今ここで起きる何か
    ――A Place Where Painting Comes Into Being(絵画が立ち現れる場所)

    いわば「永遠の時間を一瞬におさめ、一瞬が永遠の時間を包んでいる」ような、不思議な場所が出来上がっています。

    中沢新一『対称性人類学』186p.

    Prologue ― Here, Now

    私は、画面を見る。
    感じるままに、手が動く。
    紙片を貼り、絵具を塗る。
    画面が応答する。
    意味を追わず、ただ画面の変化に、私も応答する。
    時間の感覚は遠のき、
    私の行動と画面の反応を何度か往復するうちに、
    ふと、画面から完了の気配が告げられる瞬間がある。

    それは、何かが作られたというより、
    何かが生まれたという感覚。
    私が何かを作ったのではなく、
    画面の奥から、こちらへ何かが立ち現れたような感覚。

    あらためて画面を見る。
    新たなイメージが生まれている。

    その瞬間は、
    意識と無意識のあいだに浮かんでいる。
    私の制作において、最も確かな現実である。
    新たなイメージが、不意に生まれる場所である。

    1. Erase

      雑誌の1ページ、商品パッケージ。
      日常のなかで見過ごされていく、無数の情報。
      私は、それらの前で立ち止まり、もう一度「見る」ことを始める。

    情報を剥ぎ取り、意味を曖昧にする。
    雑誌の1ページに、切り取った紙片を貼る。
    線は即興で走り出す。

    構想はなく、衝動で動き始める。
    計画もなく、即興で動き続ける。
    見ること、触れることから、すべてが始まる。

    意味を曖昧にし、別のイメージへと即興的に変容させる。
    新しい世界が現れ始める気配を感じながら。

    制作は、理解を超える。再現をもすり抜ける。
    制作は、「今ここで起きる何か」に応答することである。

    画面を線が走り出す。
    画面に置かれた絵具は、筆の動きとともに、色が混じり合い、かすれていく。

    辞書をめくり、偶然の文に出会い、それをタイトルとする。
    意味を操作するのではなく、意味の外に耳を澄ませる。

    絵画とは何か。
    日常とは何か。
    その問いは、言葉ではなく、制作のただなかで立ち現れてくる何か。
    既に存在する意味を剥ぎ取り、画面との応答を繰り返す。
    見る、ずらす、選ぶ。
    そのなかで不意に起こる出来事が絵画となって立ち現れる。

    2. Unseen

      見たことのないものを見てみたい。
      制作の発端は、いつもそれだ。

    頭で考えたことを、そのままアウトプットしてみても、
    私自身はあまりおもしろいと思えない。
    頭の中の計画は、たいてい予想どおりに終わる。

    即興がおもしろいと思えるのは、完成を思い描かず進み、
    何ができるかわからないからだ。
    ぱっと出来上がった瞬間に、見たことのないものを見ることができる。

    下書きを何度も重ねじっくり描くことで、画面の奥から深いものが伝わってくることもある。
    即興的な制作において、スピード感が引き出す「ほとばしり」には、言葉にしきれない別の強さがある。
    それは説明ではなく、ただ起きてしまった現象として残る。

    3. Cut / Paste / Paint

      切る。貼る。塗る。
      雑誌をパラパラとめくりながら。

    私の作品に『1PAGE』というシリーズがある。
    雑誌の1ページを、ビリッと破り取る。
    そこに、アルファベットの文字や、その時の気分で選ばれた色面など、
    雑誌から切り取った断片を貼り付ける。
    その上にアクリル絵具を乗せていく。筆で塗りつける。

    画面に貼る、画面が変化する、雑誌をぱらぱらする。
    選ぶ、切る、貼る、変化する、見る、ぱらぱらする。
    選ぶ、切る、貼る、変化する、見る、ぱらぱらする。

    ここにこの色の絵具を塗る、変化する。
    見る。ここはこの色、塗る。変化する。
    見る。ここは……。

    このやりとりを繰り返す。
    意図していない「何か」を目撃しながら。

    4. Kate Moss

      雑誌の1ページに、ファッションモデルのケイト・モスがいた。
      私はまず、その顔に切り取ったアルファベットを貼る。

    顔に貼る、というのはとてもセンセーショナルで、ドキドキする。
    貼ってしまうと、誰であるのかがわからなくなる。
    その状態にして、上から絵具を塗る。

    破り取った雑誌の1ページの上に、即興による絵画ができてくる。
    出来上がってから言えば、そういうことなのだが、
    制作中は、何ができるのかはわからない。
    道先もわからないまま進むスリルがある。
    緊張感と落書きのような遊び心を同時に感じながら。

    画像
    『Kate Moss』
    The rocket frew huGh up into the sky. Did you get to see him? ThAt's Mere FaBle.
    (辞書の例文より)
    acrylic, collage on magazine paper
    29.5×23.0cm

    5. Brush & Gaze 

      画面に筆で絵具を置いた後、
      私の目線は「描いた線」を見ているのではない。

    視線はすでに、次に筆が置かれるであろう場所へと進んでいる。
    ここはとても微妙なところだ。

    視線は、まだ何も描かれていない空白の部分にある。
    筆はまだそこには行っていない。
    筆がそこに行く瞬間と同時に、視線はさらにその次、また別の空白を見ている。
    筆を見ずに、空いている余白を見ながら手が動く。
    これは私にとって発見だった。

    描いた線の跡を見ながら進むと、計算が入る。
    「この続きをどこへ進めようか」という考えが割り込む。
    すると急に、つまらなくなる。
    描いた線の跡を見ずに、次に描くところだけを見続けている。
    つながりは、想像のなかにもない。常にその先だけを見る。
    未来しか見えていない。

    6. Party

      何年も前に制作した『party』という作品がある。
      私の『1PAGE』シリーズの始まりとなった作品だ。

    ファッション雑誌『VOGUE』の「Talking Fashion」という華やかな1ページ。
    パーティに集うセレブリティのスナップショットが三段にずらりと並ぶ。
    ドレスも表情もポーズもさまざまだ。

    三十人ほどの顔を見ていて、ここにコラージュしたら面白いと思った。
    雑誌から好きなアルファベットを切り抜き、とりあえず顔に貼った。

    顔に貼る理由は単純だ。
    顔には表情があり、視線も感情も、そちらに引き寄せられてしまう。
    綺麗、楽しそう、この人知ってる――そういう内面の物語が立ち上がる。
    顔に何かを貼ることで、人物を「イメージ」に変容させる。

    ドレスや髪型にも、物語が残っている。
    ドレスも髪も、全員同じ色に塗った。

    『party』は、ドレスのデザインも表情も消え、人物は華やかさをまとったまま、
    物語を失った見知らぬ世界となった。
    見たことのないものが、そこにあった。
    そこには「何か」が立ち現れていた。

    画像
    『party』
    THe buS wAs JaMmED with pASsENgeRs.
    バスは満員だった。
    (辞書の例文より)
    acrylic, collage on magazine paper
    27.5×20.5cm

    7. Gesso / 1 sec

      ケイト・モスのいる空間、
      周りの余白、背景を、ジェッソ(下地剤)で塗る。

    白いジェッソのボトルから、直接筆にたらりと乗せる。
    垂れないように画面にサッと置いて、
    ケイト・モスの周りを、ザクザクザクザクと塗っていく。
    筆は、画面のどこかを、
    視線は常に、塗られていない部分に素早く移動し続ける。

    その瞬間。
    「わーー」
    こんなものができた。できてしまった。

    その驚きは、一生忘れない。
    私にとって、その驚きが制作のすべてみたいなところがある。
    見たことのないものができてしまった、という胸のすくような思い。

    きれいな景色を見たときの感覚にも似ている。
    登山で断崖から見下ろしたとき、
    風が吹いて、雲がさぁーと切れ、谷底が突然あらわになる瞬間。
    崇高という言葉。私の身体がここにあるという実感。
    生きているという不思議な感覚。
    その「わーー」は、同じである。

    8. Tension

      その感覚は、たとえば中井正一の『美学入門』が問う
      「美しさとは何か」に接続する。

    生きていることと、それを取り巻く世界が別ではなく、同じになる。
    私も同じ物質でできていて、通じてしまう。
    その「一瞬」は、本当に何にも代えがたい経験だ。
    持続しないところも含めて、感動してしまう。

    作品の価値や評価とは関係なく、
    その「一瞬」の経験を、見る人がどこかで重ねてくれるかもしれない。
    その想像が、私には大きな力になる。

    9. Through the Body

      見たことのないものを見たい。絶対見てみたい。
      新しいものと出会いたい。

    それを作り出せた、ということが本当に感動だ。
    出来上がった作品は存在している。
    私にとって凄まじく大事なのは、
    その「一瞬」のきらめき、そのはかない「一瞬」である。

    その「一瞬」を感じるために、自分ができること。
    それに近いものを、常に感じたいという気持ち。

    身体を使って何かをするときの感覚は、頭で考えるだけでは得られない。
    バレエなら、身体を引き上げて、立てたときの気持ちよさ。ピアノなら、繰り返して練習したあとに、指が動き、音が紡ぎ出される感覚。スキーなら、疾走感。

    制作も同じだ。
    画面に対して、手が反応してしまう。
    反応の速さは、画面のなかにスピード感をもたらす。
    画面から何かがふっと立ち現れる瞬間は、
    この身体の感覚と、どこかでつながっている。

    10. Judgment

      制作において訪れる、完了の気配。
      あらためて画面を見た時の「わーー」という驚き。

    私が手を止めるのは、画面が「これで完了」と告げてくるときだ。
    そこでは意味や物語は消えている。
    絵具の混じりやかすれ、線の勢い、配置の間が残る。
    ふと、何かが立ち現れる。

    何のためでもないのに、成立してしまう。
    その気配は、カントの「目的なき合目的性」に近い。
    目的がないのに、ここにしかない必然がある。
    「これ以上は触れない」という必然だけが、静かに立っている。

    判断とは、意味を確定することではなく、
    起きてしまった出来事を、出来事として受け取ることだ。

    11. The Title

     「1PAGE」シリーズにおける作品タイトルは、
      辞書の例文から直感的に選び取る方法によって決められている。

    タイトルは、作品に“名前を付ける”作業ではない。
    辞書の例文をタイトルとして選ぶ、その行為そのものが制作である。

    私は一冊の辞書を前にして、画面のなかのアルファベットや単語を手がかりに探し始める。
    あるいは辞書を閉じた状態から無作為に開き、そこに載っている例文を読み始める。
    その時に聴いている音楽のタイトルからインスピレーションを感じることもある。
    方法は毎回ちがう。ここでも私は、即興である。

    探しているのは説明ではなく、画面に寄り添いながらも支配しない「ずれ」だ。
    音やリズム、切れ目、息継ぎ。
    言葉の気配が、画面の気配とぶつかるか、すれ違うか、
    固定されず揺れている状態――その瞬間を待つ。

    作品とは無関係に見える一文が、作品と並べられたとき、意味がほどけていく。
    見る人の中に、別のイメージが立ち上がってくる。
    雑誌から切り抜かれた断片と同じように
    タイトルも一つの断片であり、コラージュとして存在する。

    「選ぶ」という行為は、20世紀初頭にマルセル・デュシャンが示した芸術観とも響き合う。
    デュシャンはレディメイドによって、技術や美的判断の外側に、作品の価値を置いた。
    何を選び、どんな文脈で見せるかである。

    私が辞書の例文をタイトルとして選ぶのも、同じ方向である。
    偶然に出会った例文を、選び取るのだ。
    余計な考えを外し、「これが来てしまった」という感覚として受け取る。

    辞書の例文は、画面にあらたな空気を持ち込む。
    ときに物語があるかのように見せかけ、ときに画面と決定的にずれて、見る人の視線を揺らす。
    タイトルもまた、「今ここで起きる何か」を起こすための、もう一つの装置である。

    Epilogue ― With Your Own Eyes

     「美しい」という判断は、
      役に立つかどうか、正しいかどうかとは別の場所で起こる。

    それが何であるか、何を意味するかを説明する前に、
    私たちはただ「美しい」と感じてしまう。

    ただ、そう見えてしまう何かを受け取り、
    その何かが身体を通して響きわたることを感じる。

    私の制作で起きる完了の気配も、同じ質のものだ。
    画面が何かのためであることをやめ、
    線や色の「出来事」として、緊張感とともに立ち現れる。
    画面から告げられる完了という気配。
    そのとき私は、作る人というより、見つける人になる。
    起きた出来事を、目撃する。

    作品は、その出来事の痕跡をとどめている。
    見る人のなかで、その出来事がもう一度起きると信じている。
    「今ここで起きる何か」は、作品のなかで起き続けている。

    Appendix ― Titles from the Dictionary

      例文として切り取られた世界は、それぞれが独立している。
      それらが並ぶとき、どこにも書かれていないひとつの物語の気配が残る。
      以下、私がタイトルとして選んだ辞書の例文を並べる。

    The witch will change him into a pig.
    魔女は彼を豚に変えるだろう。

    There are many gradations between good and bad.
    善と悪の間には多くの段階がある。

    She bundled everything into her bag.
    彼女は何もかもカバンに押し込んだ。

    It’s madness to swim across this river.
    この川を泳いで渡ろうなんて狂気の沙汰だ。

    words empty of meaning
    意味のない言葉

    He lurched along.
    彼はちどり足で歩いた。

    He was in a maze.
    彼は途方にくれていた。

    Perhaps I am not rightly informed.
    私の聞いている情報は正確でないのかもしれない。

    Cats arch their back.
    ネコは背を弓なりに曲げる。

    The bus was jammed with passengers.
    バスは満員だった。

    clouds flying across the sky
    空を横切って飛ぶ雲

    I am in the pink.
    私はとても好調です。

    That makes her all the more attractive.
    そのために彼女はますます魅力を増す。

    dance in a graceful style
    優雅な身のこなしで踊る。

    Still waters run deep.
    静かな流れは深い。

    The sunbeams came through the branches.
    日光が枝をくぐり抜けて差していた。

    That is true, I think.
    それはほんとうだと私は思う。

    The sun shone brightly.
    太陽が照り輝いた。

    Launch a spaceship.
    宇宙船を発進させる。

    “Here’s a letter for you.” “Who from?”
    「ほら, 君あてに手紙が来てるよ」「だれから?」

    She takes a great interest in philosophy.
    彼女は哲学にひどく熱心だ。

    the murmur of the waves along the shore
    岸に打ち寄せるさざ波の音

    He was enamored of her.
    彼は彼女に夢中になって恋をしていた。

    His words charmed my fears away.
    彼のことばで不思議に私の不安は去った。

    I happened to see him there.
    私はそこで偶然彼に会った。

    I wrote a long letter to him.
    私は彼に長い手紙を書いた。

    Can you see that light over there?
    あそこの明かりが見えるかい?

    The wind is blowing.
    風が吹く。

    I strolled along the street.
    私は通りをぶらついた。

    She was dressed in red.
    彼女は赤い服を着ていた。

    We’re having jolly weather.
    素敵な天気に恵まれている。

    The clock boomed the hour.
    とけいの音が大きく時刻を報じた。

    He recalled her face.
    彼は彼女の顔を思い出した。

    She scratched a few lines.
    彼女は2,3行走り書きした。

    He still loved her.
    彼はまだ彼女を愛していた。

    Many were days I spent in search of it.
    それを捜すのに何日も何日も費やした。

    That is my understanding.
    私はそんなふうに理解している。

    We could see nothing but fog.
    霧以外に何も見えなかった。

    I will be with you in a minute.
    すぐ君の今いる所へ行きます。

    The earth goes around the sun.
    地球は太陽の周囲を回る。


    参考文献
    中沢新一『対称性人類学 カイエ・ソバージュⅤ』、講談社、2004年。
    中井正一『美学入門』、朝日新聞社、1975年。
    イマヌエル・カント『判断力批判』、篠田英雄訳、岩波文庫、1964年。
    C.グリーンバーグ『グリーンバーグ批評選集』藤枝晃雄編訳、勁草書房、2005年。
    佐々木健一『美学辞典』、東京大学出版会、1995年。
    柴田徹士編『アンカー英和辞典』、学習研究社、1972年。


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