
【エッセイ】目的地なき原付旅で、従兄弟の呪いが悪化した話
読者の皆様は「呪い」という言葉を聞いて、何を想像するでしょうか?
古びた藁人形でしょうか?平将門の怨念でしょうか?あるいは現代で人気のある呪術の物語でしょうか?
様々な呪いを各々想像されることでしょう。
あいにく、私の知る最も恐ろしく残酷な呪いは、もう少し身近で、もう少し物理的なものでした。それは関東ののどかな田舎道で、一人の青年の足を真っ青に染め上げたのです。
その呪いの引き金が引かれたのは、私の大学入学を控えた、三月のことでした。
受験という名の長い監獄から解き放たれた私は、永久とも呼べる空白の時間を過ごしていました。要するに、果てしなく暇だったのです。停滞する無限を思う存分に味わっていたのです。
そんな時、私より1つ年齢が上のシュウくん(従兄弟)から、原付き旅をしないかと誘いがありました。
原付き旅をしようと言われても、そもそも免許がありません……弁護士資格も持っていないのに、最高裁判所の法廷に立たされるようなものです。
それに原付きなど持っていません……海パンも持っていないのに、ドーバー海峡横断レースにエントリーしろと言われているようなものです。
普段の私なら、こんな無茶な誘い、行かないと断るところでしたが、この時の私には膨大な時間がありました。それゆえ、私はカリスマホストのようなかっこいいキメ顔で「いいね…その旅、伝説にしてみせようか」と返事をしてみせたのです。
ということで、一夜漬けで猛勉強をし、原付き免許を取得しました。そして、中古のバイクを購入して、シュウくんと二人であてのない旅に出たのです。
目的地などありません。決めないのが、青春真っ只中の私たちが精一杯振り絞った自由の定義だったのです。
この旅の記憶は、今でも色鮮やかに脳裏に焼き付いています。
視界の端から端まで広がる青い海と、春の空。その境界線を平行に、私たちはただ、海岸沿いを走り続けました。私は「サイコー!」と声高らかに叫びました。シュウくんは「海のほぼ100%が海水でできている」と極めて当たり前のことを、あたかも明日使えるムダ知識を授ける某番組のように呟きました。
そんなシュウくんの背後に広がる大きな海から、ブクブクと泡が吹き出しながら黒い物体がこちらをギョロリと覗いてるような気配がしましたが、私は気のせいだと自分に言い聞かせて、バイクのスピードを少し上げました。
道中、広大な田んぼの脇で太陽を浴びながら休憩していると、いつの間にかシュウくんが、地元の高齢女性と談笑しているのです。彼の、誰の懐にもスッと入り込んでしまう人徳には、いつも驚かされます。
お婆さんは、私たちのバイクのナンバープレートをまじまじと見つめ、「○○市から来たのかい。そりゃあ、えらく遠いところから頑張ったねぇ」と、遥々異国の地から訪れた冒険者でも見るような目で感心されていました。
シュウくんもその空気に乗せられたのか、神妙な面持ちで、お婆さんに問いかけました。
「お婆さんは、どちらから来られたのでしょうか?」
ヒマラヤの麓か、あるいは地の果てか。そんな壮大な答えを期待させるような丁寧な聞き方でした。
「あたしは、あそこの家からだよ」
お婆さんは、数メートル先にある平屋の玄関を指差して、平然とした口調で言いました。
「あ、そうだったんですね…」
シュウくんは恥ずかしそうに後頭部に手を当てながら謝った後、話を変えるため「素敵な田んぼをお持ちですね」と話しかけました。
「これはウチの田んぼじゃないよ」とお婆さんは答えました。
(…なんだ、この会話は…)
私は不思議なやり取りを繰り返す二人の横で、春の風に心地よく当てられていました。
その後、お婆さんが自宅から大量の菓子パンを持ってきてくれたのでいただき、笑顔で手を振って出発しました。
お婆さんは去り際に、ブツブツと念仏のような言葉を私達に放ったように感じましたが、私は聞き間違えだと思うことにして、なるべく楽しいことだけを考えるようにしました。
数日間、私達は文字通り風の向くままに旅を続けました。このままいつまでも二人でバイクを走らせる人生もいいんじゃないかと思えさえしました。
ところが、そんな私達の青春のような旅は、突然世にも恐ろしい呪いによって終わりを迎えるのでした……
国道沿いで信号待ちをしていると、シュウくんが泣きそうな顔で「ちょっともうヤバいかも…足の感覚がない…」と私に訴えかけてくるのです。
シュウくんの顔を見ると、ブルーベリーのように真っ青となり、ブルブルとマナーモードのように震えています。
これはただ事ではありません。
私の脳裏に、彼が中学生の頃に授かった恐ろしくも残酷な呪いが浮かびあがります。
かつてシュウくんが尊敬していた筋骨隆々な柔道部の先輩が、卒業間際に彼に言い残した一言。
「シュウ。俺が卒業した後、この学校で最も野性的な男でいろ」
それからシュウくんは中学時代、ずっと悩みぬきました。野性的とはなんなのだ…野性的な男とは一体どんな男なのだ…どうすれば野性的な男になれるのか…
結果その抽象的な教えを、シュウくんは極めて愚直に、そして物理的に解釈したのです。
野性的な男とは、文明の利器である長ズボンを脱ぎ捨てること。以来数年間、彼は今日の今日まで、氷点下の朝も、吹き荒ぶ嵐の日も、頑なに半ズボン生活をを貫き通してきました。
それはもはや信念を通り越し、自らに課した解けない呪いそのものとなっているのです。
季節は春と言っても、三月の風は、バイク乗りにとっては刃に近いです。防寒フル装備の私でさえ、走行風に体温を削り取られていきました。
その中で、私の隣を走るシュウくんは、出発の瞬間から、あろうことかずっと半ズボンだったのです。
海岸沿いを走り抜けていた時も、お婆さんと談笑していた時も、ずっと半ズボンだったのです。
シュウくんの太ももは、本物の鳥も驚くレベルで鳥肌だらけとなっていました。
私はリュックから、予備の長ズボンを取り出し「これ、穿きなよ」と手渡しました。
しかし、差し出された布切れは、彼にとっての敗北を意味していたのです。数年間守り続けた野性のプライドが、たかが三月の寒風に屈すること。彼は震える手でそれを拒もうとしたが、全身を襲うのは、もはや精神論では越えられない恐ろしくも残酷な極寒でした。
結局、シュウくんは半ズボンのまま小銭を握りしめ、近くの銭湯へと逃げ込みました。
人は往々にして、誰かにかけられた(あるいは自分で自分にかけた)「言葉の呪い」に縛られて生きています。
「こうあるべきだ」という理想が、時に自分を凍えさせ、一歩も動けなくさせるのです。
本当の恐怖は、怪奇現象でもなんでもありません。
20歳手前の男が、中学生の時に言われた野性という言葉を律儀に守り続け、三月の寒風に生足を晒して自爆する。その、あまりにも純粋すぎるアホらしさこそが、何よりも残酷で解けない呪いだったのです。
風呂から上がってきたシュウくんは、さっきまでの真っ青な顔が嘘のように、ゆでダコみたいに真っ赤になって笑っていました。
「やっぱり、風呂のほぼ100%はお湯でできてるな!」
彼はまた、当たり前のことをドヤ顔で呟きました。
私たちはその後、お婆さんからもらった菓子パンを貪り食い、ただただ「温かいって最高だな」と噛み締めながら、無事に家へと辿り着きました。
いかがでしたでしょうか?
皆様も、誰かに言われた言葉を「呪い」にして自分を縛り付けてはいませんか?
もし当てはまる方がいれば、変なプライドを捨てて、さっさと長ズボンを穿くことを強くお勧めします。
ちなみに、ところどころあった不気味な伏線のようなものは、全て何も関係ありません。本当に私の気のせいです。