
ちょっとした親切と言葉の作用
「プレーゴ!」と 止まるバイクの運転手
ほんの親切 和む瞬間
出先でバスに乗ろうかと思ったら、電光掲示板には十一分待ちの表示で、待っている時間がもったいなくて、歩くことに決めた。
信号のない横断歩道で車の通行が引くのを待っていたら、スクーターのシニョーレ(男性)が止まり、わたしに向かって「プレーゴ(どうぞ)!」と言った。わたしは「グラッツェ(ありがとう)」とお礼を言い、横断歩道を渡った。
ただそれだけのことだったけれど、バスに乗らずに歩いて、そういった場面があったことは、ほんの少しだけ、日常をキラリと輝かせた。

その次の移動で、やはりバスに乗ろうと思ったものの、そこには電光掲示板はないので、携帯電話に入っているバス会社のアプリでそのバス停にバスが来る時間を確認したが、今度は十八分待ちの表示。約束の時間にギリギリか遅れる可能性もあるので、やはり地下鉄の駅まで歩くことにする。
途中で車が止まって、わたしが通るのを待っていてくれたので、軽く手を上げてお礼の仕草をしたけれど、状況的にそこに会話は生まれなかった。それに伴い、前述の「キラリ」という輝きも生まれなかったので、ああ、あれはただ親切を受けただけではなくて、そこに簡単でも言葉のやり取りがあったからなのだなぁ、と気が付いた。