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【note創作大賞2026応募作品】木漏れ日を知らない子どもたち

    あらすじ
    2040年、灼熱のその街で人々は環境さえ管理された社会で暮らしていた。13歳の少年イツキは環境を学ぶ学生だが植木職人の見習いだ。仕事の指導者である祖父から聞いた「木漏れ日」を見るため友人レネと共に祖父の勤務先で特別保護区の『域』を訪れる。そこで自分には植物の声を聴く力があることを知った。木漏れ日に感動した2人だったが、同じ力を持つレネから新たな施設の建設情報を得る。それにはイツキの幼少期の出来事が関係していた。これ以上管理された緑が必要なのか疑問に思ったイツキは、今残っている巨樹の緑を残すことが未来につながると考えた。植物の声を聴く人を増やし、人々に木漏れ日が必要なことを理解してもらおうとイツキはある計画を練った。



    プロローグ

    「木漏れ日」
    読み方:こもれび
    意味:樹木の枝や葉のすき間から太陽光が差し込む様子。
    太陽の動きや風によってさまざまに形を変える。



    1. 太陽直線


    うるさいほどにアラートシステムが呼びかける。
    「水分補給をしっかりとしてください」
    「不要の外出は控えてください」

    2040年、その住宅エリアにはよく似た長方形の建物が作る四角い影がいくつもできている。しかし見渡しても、高い樹木が作り出す影は一つもない。

    「イツキ、もっと思い切ってはみ出した部分を刈り込むんだ」
    5月のとある日の朝8時。13歳の少年イツキは等間隔に植えられたレッドロビンの生け垣に電動のハサミを入れていた。 赤い新芽が生け垣の表面を覆う姿が美しいこの木は、成長が早く葉が密に茂り内側の枝葉が枯れやすいから、風や光が通るようにしてやらなければならない。

    「2.5メートルになるように上のほうの枝を落とせ」
    移動用ロボットの高さを上げ、ゴーグルをかけ直して距離計をかざす。 硬い葉の根元めがけて再びハサミを大胆に動かすと、薄緑の枝葉がバサッと落ちる。今のところカビによる斑点病はどこにも出ていないようだ。

    カステラを縦や横にしたみたいなよく似た建物が、昨日たまった熱が冷めるよりも早い速度で今日の熱を吸い込み始める。ゴーグルのおかげで紫外線から目は守られているが、これからの時期は冷却装置を背負っての作業になることを思うと、憂鬱だ。

    太陽が本気を出して鋼鉄のような熱線を突き刺す時間帯が近い。

    「そろそろ終わりにしよう」
    ヘッドセットでエリア内の職人に呼びかける祖父の声で、、職人たちは腕を伸ばしたり腰をそらしたりしてから、死んだ枝葉たちをかき集めて一斉に粉砕機にかけた。これらはウッドチップとして再度根元にまかれることになる。

    4月から11月は屋外での作業は朝4時から9時まで。

    これは日中37℃を超える時間帯に屋外で作業をする労働者を守ろうと主に建設業界が広めた風潮のおかげだ。

    「台風の進路が変わったな」
    タブレットを見ながら祖父は腕組みをした。

    「えーでも雨は降るよねえ。排水システムの検査ってなんで僕たちがやらなきゃいけないの?それにさあ、レッドロビンといいセダムと言い、面白みがない植物じゃないか」

    「まあな。確かに面白くはないよ。とにかく暑さと災害に強くが建物を作る側の人間の考えだ。ただ、植物の変化を理解しようとしないと絶対に上手くいかない。排水システムにまで首をつっこんでいるのは、それを任せたくないからなんだよ」

    屋上では、剪定の必要がないセダムという苔を拡大したような姿の多肉植物が、ヒートアイランドをいくらか和らげている。本当のところ芝のほうが熱を下げる効果は高いが、長時間の豪雨が珍しくなくなった今は、定期的に刈らなければならない手間と水はけを考えて選ばれた。

    1年のサイクルを4月から11月までは暑期(しょき)、12月から3月までを寒期(かんき)とする。

    体感を表す表現に変えると正式に定められたのは、イツキの生まれる少し前からだった。四季はとっくになくなっていたのだ。

    2人が移動用ロボットを横から前後に切り替えると、太陽が半分だけ雲に隠れ少し暑さが和らいだ。

    『域』では濃い緑の作る大きな影が揺れていた。


    2. 木漏れ日の記憶


    「5月の剪定は、昔は気持ちの良い作業だったんだ」

    今年最初の台風が発生しました、とニュースが告げるたび祖父は言う。祖父サカキは屋上緑化と樹木管理を主に政府から請け負っている会社の植木職人だ。今は息子が会社を継ぎ自分は一社員として現場に立ち続けている。

    「木漏れ日といってな。高くいっぱいに茂った葉っぱを持つ木の下に立って見上げると、葉っぱが透けてちらちら光が見えて、風が吹くたび形を変えるんだよ。寝っ転がってそれを見るのが最高なんだ。とにかく気持ちがいい」

    祖父の通う『域』には巨樹と呼ばれる20メートルを超える太い木があって、その木の下では「木漏れ日」が見られるのだという。

    コモレビ=火が漏れる。

    イツキは口答えこそしなかったが、耳で聞く限りこの言葉をこうとらえる。「モレ」という言葉は教科書で読んだ原子炉からの放射能漏れ事故の話を連想させ、あまり良いイメージが持てない。

    シャワーを浴びてから、スープを作るためにタマネギ、ニンジン、セロリ、キャベツを粗く刻み、ひよこ豆に冷凍スープストックとショートパスタを加えてスープメーカーに投げ込む。

    スープの材料となる野菜は、すべて人工の光で制御された野菜工場で作られたものだ。レタスから始まってようやく豆を生産できるところまで進歩した。コメや小麦を作るにはまだコストに見合わないので、そちらはとにかく暑さと病害虫に強い品種への改良が地道に行われていた。

    「木漏れ日」については学校でもまだ聞いたことがないが『木々の間を通り抜ける太陽の光』という、詩的で繊細な表現らしい。しかし光合成ができない人間にとっては、エネルギーの他に太陽の光から得られるものはないはずだ。

    イツキは昇る太陽の光が周りの色を紫色から徐々にオレンジ色に変える「ご来光」と呼ばれるものを映像で見たことがある。それは確かに美しかったけれど、祈るように手を合わせている理由がわからない。

    もし優しい光や姿を変える光というものがあるのなら、それを見てみたいと思う。

    ユリコからのチャットが入った。

    「イツキ、おはよう。仕事は終わったの?ごはんは食べた?サカキさんは?」

    「おはよう、お母さん。終わったよ。おじいちゃんは『域』に出かけた。今、野菜スープ作ってるよ」

    「あ、スープメーカー使ってくれてるんだ。誕生日に生活家電なんて夢がないかなって思っていたけど良かった。学校はどんな感じ?」

    「まあまあ。植物が好きって人だけじゃないみたいだけどね。植木のことは前からおじいちゃんに教わっているし、来週には『域』に連れて行ってくれるって」

    「えっ?『域』に行くの?」一瞬、ユリコの顔が緊張したように見えた。

    「どうしたの?」

    「ううん、それよりイツキ、最近体調はどう?」
    カカオのオブジェをなでながらユリコは話題を変えた。

    「特に変わりないよ。何いきなり」

    「台風が来るって言ってるでしょ。気圧の変化がね」

    「それ心配なのはそっちのほうでしょ。カカオは大丈夫なの?」

    「準備してる。初めて作ったチョコレートはなかなかよ。来月には帰るからイツキに一番に食べて欲しいわ。『域』は素晴らしい所よ。よく見ておきなさい。じゃあね、また」

    「じゃあね」

    あたりに良い香りが漂い始めた。スープが出来上がったようだ。


    3. スマートツリー


    間もなくオンライン授業が始まる。

    イツキはモニタースクリーンのスイッチを入れた。先月入学したランドスケープデザインの専門学校は、90年前に深刻な大気汚染の対策で緑化の重要性を学んだ政府が設立したものだ。専門性と共に人間教育の一端も担い、初等教育を終えれば13歳から入学を許されている。

    今日は生徒の中でも成績優秀な者が、校長の藤田律子が同席してフリーディスカッションをする日だった。参加者はイツキを入れて6名だ。

    「おはようございます」藤田が皆に声をかける。

    「今日は『街路樹のありかたについて』です。 2020年頃から街路樹をめぐる事故が増えたのは知っているでしょう?」

    画面が切り変わり、過去のニュースの切り抜きが次々に映し出される。


    『全国にある700万余の街路樹は倒木や枝の落下による事故が多発』
    『老木化により菌が幹に入り込み空洞ができたことが主な原因』
    『昔は大気汚染の抑制にもなった街路樹が今悲鳴を上げている』


    「街路樹の高さは3メートルまでって決まってますよね。古くなった木はスマートツリーに替わっていると思いますけど」

    リョウタが口火を切った。建築家の父から入学を勧められた彼の言うスマートツリーは、暑さと病気に強く枝が広がらない性質でほぼ均等な高さに育つ、バイオ技術で作られた木の総称だ。老木となった街路樹はそれにとって代わりつつあった。

    「倒木の心配は確かに減ったよね」
    サトルも同意する。彼は人気政治家の叔父の姿を見て育ったせいか、まず相手の言い分を認める議論のやり方を心得ている。

    「まだ全部は置き換わっていないじゃない。伐採するだけで放っておかれている木も多いのよ」
    やんわりと反論するのは、家のそばのプラタナスが根元近くから切られたまま長いこと放置されているのに心を痛めているレネ。

    「でもレネ、プラタナスの葉はでかいし散った時掃除も大変じゃないか。僕、赤ちゃんの時あれが顔の目の前に降ってきてさ。お母さんが危ないからなくなって良かったって言ってたよ」

    「そうよ、うちは桜が散った後の掃除当番が憂鬱だってお母さんが毎年言ってるわ。雨が降ると地面にぴったりくっついてなかなか取れないんだって」

    『さくら通り』の『さくら保育園』に通っていた幼なじみ同士のソウマとシノブは、似たような体験を持っていることから仲が良かった。

    レネは言わなかったが、祖母がドライフラワー作りで集めている材料から丸い鈴のような実を1つもらって大切に持っていた。

    「木の特徴をよく知らない人が街路樹を植えたってことだよね」
    イツキはとりなすように発言する。

    別名モミジバスズカケノキという落葉樹は、モミジバがもみじのような葉、スズカケはひもを垂らした先についた鈴のような形の実が特徴だ。

    「大きい葉は直射日光をさえぎるよ。それにプラタナスは世界四大街路樹のひとつだし」

    藤田がここで割って入った。

    「ええ。他にも大気汚染対策にもなると知られているの。それに大木が整然と並ぶ姿は美しいでしょう?でも車や人が増えると、今度は密集した枝や葉が交通の邪魔になることもあった。散った落ち葉に雨が降ると、滑ってケガをする人も出てきた。街路樹を植えた頃とはいろいろなことが変わってしまったの。ソウマ君やシノブさんのご家族のように、実際に街路樹から被害を受けたと思っている人たちの声が大きくなってきたといえるわね」

    議論に飽きたリョウタがそろそろ終わらせたくて場を締めようとした。

    「だから、街路樹ってもう大して役に立っていないんだよ。今、昼間は暑くて歩いている人なんかいないから日除けの必要もないしさ。排気ガスだってほとんど出ていないじゃないか。サトル、叔父さんに早くスマートツリーに植え替えるよう言ってよ」

    サトルは切り返す。

    「そんな、一人の力で簡単に変えられるわけではないの知っているだろ。それより、建築家のお父さんに意見してもらったほうが早いんじゃないの?有名人の発言力のほうが政治家より人を動かすもんだよ」

    「うわ、イヤな言い方。そういうのたたかれるよ」

    「トガるのやめなさいよ。やってもらっている身としては、待つしかないってことでしょ」

    シノブが2人をたしなめるが、レネには現状に不満を抱いているだけでしょと自分が言われているような気がしてうつむいた。

    「イチョウみたいに水分の多い木が火事を食い止めたって話もあるよ。スマートツリーに全部変えるのは違うと思うんだけど」

    「でもイツキ、それ大昔の話だろ。S地区で雑居ビルっていうの?飲み屋なんかがごちゃごちゃ固まってるとこで火事が出て、家が密集してたから消火が遅れたこと何回もあったよ。商業エリアと住宅エリアを分けてからはそういうことがなくなったじゃないか」

    「そうよ。大きい木は管理する人が大変なだけでしょ。商業エリアにあればそれでいいじゃない」

    「イツキのお父さんの会社だって、樹木管理は楽なほうがいいだろ?」
    ソウマとシノブもそれに同調する。

    サトルも、「切るな切るなって言っている人ほど何もしないんだよなあ」と悲観的だ。

    藤田から再び声がかかった。

    「街路樹だけじゃなくて、残せ、なくせ、と極端に対立することは危険よ。皆さんには自然と共に生きることを学んで欲しくてこの学校に来てもらっているのです。話し合う、考えることを忘れないで欲しいわ。今日はこれで終わりにしましょう。お疲れ様」

    4. 『域』での事件


    『域』という名の広大な特別保護区の一角、資料室にサカキは来ている。

    数千種もあるここの動植物は、過去に発見され記録していたものはデータ化してあるが、それだけでは足りない。天気と気温の変化と共に、固有種の保護と生態系の乱れを監視し日々記録する必要がある。

    モーツァルトを小さく流しながら窓を開け森に目をやると、揺れる枝葉がお互いに話をしているように感じる。その内容まではわからない。

    サカキは樹々の声を聴きとれていた子ども時代を思い返す。
    (イツキもあの頃と自分と同じ年か)

    「サカキ、またここにいたのか」 全身スキャンを終えたばかりの、サカキより4歳年下のイアン・コナーが声をかけてきた。『域』に出入りする者はすべて、外部から植物の種や虫の卵などを持ち込まれないよう、事前検査が義務付けられている。

    イアンは昆虫、特にチョウの専門家だ。

    「ああ、イアン。久しぶりだな。報告書を書きに来たの?」
    「ゼフィルスを見に行ってたんだよ」
    サカキと同様、日焼けで深くなった目尻のシワと白髪交じりの頭。学者といっても生物系の学者は屋外にいる時間のほうが長いのだ。

    「ミドリシジミかい」
    「さすがだね。虫のことまで詳しいじゃないか」
    「お互い様だろう」

    シジミ、とついているだけあって形も大きさも貝のシジミを思わせる小さなチョウは『域』にも何種か生息しているが、ミドリシジミはいないとされている。光沢のある青緑のチョウで、ゲームみたいなゼフィルスという名前は細かく種類が分かれているその仲間の総称だ。手塚治虫の漫画にも出てくる。森の中の落葉樹の高い所にいるためその数は少ない。イアンは町ぐるみで保護活動をしている団体の招きで視察に行ってきたのだ。

    「特定の木しか食べない奴は大変だよ。チョウの保護専用の森を作るくらいじゃないときびしいな」レポートを書きながらイアンが嘆く。

    「森を作るには何十年もかかるのわかってるだろ。今は植物が人のためだけに存在しているようなもんだからな」

    「おいおい、その仕事を請け負っているのにそれはないだろ」

    と、そこで「ぶふぉっ!?何だ?」 手元のボトル飲料を飲みかけたイアンがむせそうになる。サカキは監視ドローン映像に切り替えた。

    「今のは、何かを撃ったという警報だな」
    「撃ち落とした!?そんな、兵器みたいなもの使ったなんて聞いたことないぞ」

    「落ち着けよ。麻酔銃で撃ったというメッセージだよ」

    サカキにはおおよその見当がついているのか、動揺していない。

    もし動物だった場合、攻撃をしてくる可能性や病原菌を持ち込まれる可能性がある。スクリーンの映像を拡大したところ『域』の防御柵のわずかに外でカラスが横たわっていた。遠くでもう一羽のカラスが旋回している。普通のサイズより二回りくらい小さいように見えるから子ガラスかもしれない。

    「なんだ、カラスか。脅かすなよもう」

    「いや、今は子育てが終わってヒナが親離れする季節だからな。近くに親がいるから油断できないよ。よくあるんだ。人の侵入は監視できても生き物の侵入を完全に防ぐのは難しいからね。ここには天敵がいるから近寄らないと思っていたんだけど」

    都会のカラスはその対策が徹底したので激減した。『域』は都会の真ん中にありながらオオタカやフクロウなど猛禽類が住んでいる理由で、カラスはいないとされている。

    かわいそうだが、一度地面に落ちた野生のカラスをここで飼うわけにはいかない。

    「イアン、ケージと抗菌剤と念のためウイルス剤を用意してくれ」
    サカキはゴーグルと手袋を出した。

    「ええー俺たちが行くの?鳥の専門家がいるじゃないか」
    イアンは不満そうだ。

    「連絡してからじゃ遅くなるよ。鳥谷先生は今日は大学の授業で出てこない。一応保護だけはしとかないと。引き渡した後のことはしてもらうから。頼むよ」

    「サカキは人の厄介ごとを引き受けすぎだよ。じゃ、行こうか」

    「ありがとう。君がいてくれて助かったよ」

    変、というほどのことじゃない。2人は小走り気味で現場に向かった。

    5. 予兆


    イツキはこの頃、朝目覚めると頭痛がする。

    試験明けで疲れているし、母が言っていたように気圧のせいか。まあ頭痛や肩こりなんてもはや子どもにとっても珍しくはない。AI相談に尋ねても、自律神経がどうのこうのという答えがせいぜいだろう。

    (リカバリーウェアがそろそろ寿命なのかもね)
    そう判断して薬を飲み、着替えてストレッチを念入りに行う。

    今日は仕事も学校も休みだ。イル・フェ・ドゥにでも行こう。少し歩かなくちゃ。イツキはいつもの高機能パーカのセットアップに着替えた。

    (あ、忘れるとこだったよ)
    部屋にある大型テラリウムの中に雨を降らせた後、風を起こし排水させて留守用のシステムに切り替える。1メートル四方のこの立体空間は光と水と空気がコントロールされている。

    「じゃ、行ってきまーす」
    ・・・イツキ。
    「え?」
    低い声で名前を呼ばれた気がした。(中心に植えてあるクヌギの辺りか?)

    植物同士がコミュニケーションしている説は子どもでも知っているが、人に呼びかけた話は知らない。自分に集中していただけだろう。イツキはサングラスをかけ直した。

    住居エリアから少し離れたところにある、フランス語で Il fait doux.「穏やかな天気ですね」からつけたこの名前の複合商業エリアはいくつか存在する。

    ショッピングゾーン・シアター・スポーツプレイランド・カフェなどがまとまっていて紫外線除けの特殊ガラスに囲まれている。外気の変化に応じた換気も行われているため、息苦しい感じはしない。

    さらに病院と葬祭施設も目立たぬように配置されている。それらはモビリティカーや歩行用自動通路でつながっていて高齢者や子ども連れへの配慮も万全だ。

    このような商業エリアは入場料はかかるが、入場時に渡されるリストバンドによってマナーが良しと認められると、最大60%キャッシュバックされるのがポイントだ。循環プログラム講習への参加ももちろん対象となる。

    細かなルールへの反発と、くつろぐのにカネを取るのかという意見もあるが、そういう人は来なければいいだけの話だ。

    くつろげるところと言えば研究棟のある自然科学園、神社やお寺、元大名庭園、といずれも歴史は長いが維持が難しくなりつつあるところばかりで、公開はしていない。

    自分の体験を他人に見せびらかす道具にされた者達の悲しみと怒りは、心ある人さえもひっくるめて締め出す強硬手段に出た。

    「商業エリアに緑があればそれだけでよくない?」
    イツキはカフェで大豆ミートバーガーをかじりながらシノブの言葉を思い出す。

    ここには人があって当たり前だと思っていた『水と緑の空間』が確かに広がっている。

    イツキの父の会社が手掛けたこのスペースには、観葉植物が巨大になったような存在感のある葉を持つ植物、人工池の周りにはバラやアジサイなど愛され続ける植物、アクセントになるツル植物などがバランスよく人工培養土に植えられている。さらに1時間ごとに人工の霧がかかり雨も降る。

    夜間にはライトアップされ、ジャスミンやクチナシなどがふくよかな香りを放つ様子は「癒される」と評判だ。さらにここの植物はすべて売り物で、客は気に入れば購入することもできる。快適の集合体といったところか。

    公園。かつて地域に法令で義務付けられていた、ブランコや砂場、ベンチ、何本かの木がある公園は姿を消していた。管理面で規則だらけとなり自由に遊べない空間を一度リセットしようというのが理由だった。

    しかし本当のところ、24時間誰でも無料で入れることを利用した悪質な犯罪が多発したことで、警戒しなければ屋外にいられないデメリットが強調された結果だ。

    それもこれも、少なくなってしまった人口をキープするために、次世代にかける負担を減らすことこそ我々の世代の責務、と政府が根気よく有権者を制御した賜物だった。

    一方では子どもにたくましく豊かな感性を育んで欲しい、という願いを込めてポプラ幼稚園、ケヤキ保育園のような植物の名前が古くなから各地に残っていた。

    実際にそれがシンボルとして園内に植えられていたケースも多い。ソウマとシノブのように、地域に植えられていた桜を名前にしたさくら保育園もそれに似ている。幼児はそれを植物で最初に知った名前として覚えていた。

    イツキが通っていたのはクヌギ保育園。クヌギは通称ドングリと呼ばれている仲間の樹木で、カブトムシやクワガタが樹液を吸いに集まることでも知られているブナ科の木だ。2センチほどの丸いドングリはモジャモジャしたお椀の帽子をかぶっている。

    イツキは園の一角にぽつんと飾ってあったその実を見たことがあった。しかし肝心のクヌギの木といえば、中心となる幹の途中で切断されて枝という枝も落とされ、切り口をさらした痛々しい姿をしていた。

    節々からわずかに若い枝が数本伸びかけているのが死んではいない唯一の証明かもしれない。

    母ユリコは園長に尋ねたものだ。
    「あれはクヌギの木ですよね?どうしてあんなに強い剪定をして切り詰めているんですか?」

    園長は申し訳なさそうに声を落とす。
    「実は、木から落ちる事故がありまして。いえ、子どもには大したケガもなかったんです。保護者の方が危ないから切ってくれと・・・園のシンボルですから切りたくはなかったのですが、いろいろご意見もあって切りました」と話してくれた。

    ユリコは夫に愚痴をこぼした。
    「クヌギが実をつけるには最低でも6年はかかるわ。丸坊主なんだから木の下で遊ぶこともできないしカブトムシだって見られないのよ」

    「仕方ないよ。木から落ちたのは建築家の高岡翔也の息子なんだ。樹木管理をちゃんとしてくれって、奥さんから抗議があった。きつい言い方でないだけにかえって断りにくかったんだよ。けど来年にはもうちょっと伸びて格好がつくから、うまいこと整えるよ」

    『緑はあるほうがいいけれど、それよりも優先すべきものがある』

    こうして危険だと判断された木はますます短くされ、予算のない地域はそれを長年の『課題』として、適度な剪定を先延ばしにした。

    (木漏れ日がピンと来ないのはそのせいかもしれないな)

    ライムソーダを飲み終えると、プラタナスの実を持っているレネのことが頭をよぎった。

    レネは、木漏れ日を知っているだろうか?

    6. 目覚め


    イツキの家にあるテラリウムは、母のユリコが作ったものだ。

    暑さに順応し始めた人々はかつてのガーデニングブームを思い出したように室内園芸に取り組み、人工栽培技術の進歩がそれを後押しした。その源となったのは、ブームを起こしたアート的なBONSAI人気かもしれない。

    しかしユリコが作ったのはクヌギ、同じドングリ仲間のコナラ、繊細な葉を持ち紅葉も美しいイロハカエデ、山野草と石に苔などをあしらった素朴といえる風景だ。

    クヌギの本当の姿をイツキに見せたい思いで、盆栽の第一人者でもある義父にアドバイスを求めたユリコの努力の賜物だと言えるだろう。

    そのユリコがカカオ栽培の仕事が一段落して帰ってきため、イツキは彼女のために家族の夕食を準備する。

    「お父さん、鶏肉の掃除しておいてくれる?」
    「掃除?」
    「うん、ここ、ぶよぶよの脂肪は臭みが出るんだ。硬い筋も取ってね。僕マリネ作っておくから」

    父の大介が、イツキの助手となって働いていた。

    30分余りで出来上がった料理はコーンスープ、鶏肉のハーブ焼、パプリカのマリネ、ツナと新たまねぎの和風パスタ。家で育てたスプラウトやリーフも使っている。

    全員、赤シソシロップの炭酸割で乾杯をした。

    「ねえイツキ、これも作ったの?美味しいじゃない」
    「学校のハーブ実習で作ったんだよ」
    「シソジュースは私も田舎で飲んだことがあるよ。何十年ぶりだろう。身体がシャキッとするな。ん、皮がパリパリだ。美味いなあ」
    「大介さんが頑張ってくれたおかげね。やっぱり本物の素材っていいわね」
    「ああ、イツキは教えるのが上手いよ。けっこう面白いな料理も」
    「でしょ。お父さんも、行き詰まったら料理やってみるといいよ」

    街路樹の植え替えの件で苦労をしていることをイツキに指摘されたかのように思えて、大介は苦笑した。

    「ほら見て、これが農園のチョコレートよ」
    ユリコが明るく言った。セピア色の紙に包まれた1枚のタブレットを分け合い、ゆっくりと口の中で溶かしてゆく。
    「うん、美味しい」
    「花みたいな香りがするね」
    「イツキ、あと半分は食べちゃっていいのよ」
    「もうちょっと取っておくよ。お母さんの記念だし。それよりテラリウム見てよ。上手く育ってるでしょ?」

    中にはうっすらと霧が出ている。雫のついた植物はいっそう生き生きとして見えた。

    ユリコが見た時より一回りは大きくなっているようだ。

    「あのさ・・・」イツキがテラリウムをのぞきこみながら、大したことじゃないんだけどという風に髪をかきあげて話し始めた。

    「どうしたの?」

    「この前、ここで声が聴こえたんだよ。名前を呼ばれたっていうか」
    こういう時、ユリコは「気のせいでしょ」と言わず真顔で聞き返す。

    「それはいつ頃?どんな時だった?」

    「お母さんが体調のこと聞いてた次の日だったかなあ。朝、頭痛がしてさ。でもすぐ治ったよそれは」

    サカキと大介も「あ」という風に顔を見合わせた。
    「そうか・・・そうだよな。イツキ、『域』に行くんだったな?話しておかないといけないかな」

    イツキを除く全員が、こんな時が来ると予見していたかのようだ。

    「おじいちゃんとお母さんは、森の中で植物の声を聴く人だったんだ。君もそうなんだと思う」

    「植物の声?『秘密の花園』に出てくるディコンみたいな?」

    バーネットの『秘密の花園』は両親を失ったメアリーが裕福だが妻を失った叔父に引き取られ、叔父が封鎖した花園を見つける。そして召使の弟ディコンと出会い、園芸に詳しい彼の助けで花園をよみがえらせる物語だ。孤独でわがままな娘、虚弱な従弟、息子を顧みない叔父。いずれも大切な人を失ったゆえに病を抱える者が、友情と植物の持つ力で再生してゆく話でもある。

    「そう、ディコンは動物の心もつかんでいたね。動物ももちろんコミュニケーションしている。でも動物も植物がないと生きられないのは知っているだろ。人間にも、その植物同士のコミュニケーションに参加できる者がいるんだ」

    「だった、ってことは2人共今は聴こえてないの?それに僕まだ森には行っていないし、すごく小さい声だったよ。それにお父さんは?」

    イツキはさすがにちょっと興奮気味だ。


    7. 秘密


    ー私だけ木の声が聴こえなかったんだー

    大介のわずかな表情の曇りをサカキは見逃さなかった。

    「私は13歳の時からいくつぐらいまでだったかな・・・働き始めるまでだったかもしれない。昔は、そういうことを人前で話すだけで変な人だと思われていたんだ。同じような力を持った人がどれくらいいたかはわからない。霊能力とか超能力とかに人は惹かれるけど、理解できないものはやっぱり怖いからね。珍しがられても最後はたたきのめされる。大介はその能力を持っていないのがむしろ良かったんだよ」

    「ああ。だからとにかく勉強したよ。『サボテンがしゃべった』っていう古い本も読んでね。植物が信号を出しているっていう研究に興味があった。自分も植物と人との共存をはかりたいと思ったんだ。街路樹のことだけど、私は管理の面で苦労しないようスマートツリーを作ったが、すべてをそれに変えるべきじゃないと思ってる。歴史的な価値のあるものや学校の生徒が守っているものもあるんだ。ただスマートツリーの便利さに慣れてしまった人の古い木が危ない、邪魔だ、切ってくれという要望に応えることも仕事なんでね」

    大介は、悩みを口に出したことで少し楽になったと感じる。

    ユリコがそこに言葉を添えた。

    「私が自分は聴こえるみたいだなと思ったのは、イツキがお腹にいる時だったわ。神社にお参りに行った時、ものすごく大きなクスノキのご神木があったの。神様が姿を変えたようなものね。今は人が入れないようにしたって聞いてるけど、私が行った時には幹に触ることができた。そこでイツキ、イツキって声が聴こえたの。絶対間違いないわ」

    「お父さんは、その話は妊娠中で敏感になっていただけだと思っていたけどそれを信じて君に樹木の樹、イツキって名をつけた。でもおじいさんとユリコは血がつながっていないから能力が遺伝したってこととも違うしね。でもユリコは、お母さんは私が切った保育園のクヌギからも声を聴いたんだって」

    「会話ができるってほどじゃないのよ。メッセージみたいなものね。子どもが無理して登ろうとして落ちたのを止められなかった、って泣いてた。切られたことは仕方がないって受け止めていたわ。私、苦しくてね、お父さんに相談してそのクヌギのクローンを作ってもらって、盆栽を作ったの。ここまで立派に育ったのは、イツキがよく世話をしてくれたからだと思う。今は声は聴こえないけど、イツキに心を許したんじゃないかしら」

    イツキはここで初めて口を開いた。

    驚いたけれど、強い衝撃を受けたというほどでもない。母は時々不思議なことを言うなあとなんとなく感じていたからかもしれない。

    「このクヌギは、あの保育園の木だったんだ・・・じゃあ、僕に何か言いたいのかな」

    「来週、『域』に行けばわかるかもしれないな」
    サカキの言葉に全員がうなずいた。

    クヌギの木が葉を揺らした。

    8. 予期せぬパートナー


    イツキとサカキはいつものように仕事を終えて『域』の前に来ていた。

    学校には放置林の調査ということで許可をもらっている。ただイツキの能力については触れていない。

    前日、クラスメイトには特別調査に参加すると連絡したら次々に返信が来た。
    <何かおもしろいことがあったら教えてよ>

    サトルは好奇心を示した。
    <それどこでやるの?僕も参加できないかな?課題がまだ終わってなくて>

    「ごめん、今回は剪定作業についていることが条件らしいんだ。帰ったらミーティングルームで会おう」少し後ろめたさがあったがそう答えた。

    レネからは返信がなかった。

    連絡が来なかった理由はすぐにわかった。イツキ達から少し離れたところにネイビーのパーカにベージュのパンツ、ミントグリーンのハットというアウトドアスタイルのレネが立っていたからだ。

    「レネ!」イツキは声をかけた。おずおずとレネが近づいてくる。

    「どうしてここへ?」

    「友達かい?」

    「うん、学校の友達です」

    「大槻玲音といいます。初めまして」レネは丁寧に頭を下げた。

    「学校はどうしたの?今日は授業がある日でしょう」

    「校長先生に、どうしても行かなくちゃいけないからって許してもらったの。お願いです。私も『域』に入れてくれませんか?」

    切羽詰まった様子と『大槻』という苗字から、サカキは何かを察したらしい。

    「わかった。許可証をもらってくるからここで待っていなさい」

    「ねえレネ、『域』のこと前から知ってたの?」
    学校では、『域』についてまだ習っていないはずだ。

    「ええ。イツキって『聴こえる人』でしょ?私もそうなの」

    「ええっ!?ホントなの?」

    レネは宝物のプラタナスの実をイツキに見せた。

    「おや、それはスズカケノキの実だね」
    パスケースを手に戻ってきたサカキが声をかける。

    「レネさん、初めまして。イツキの祖父の宮沢賢木です。サカキと呼んでくれていいですよ。それじゃ行こうか」

    ネットにつながる個人端末はロッカーに入れた。揃って全身スキャンと顔認証を受けて許可証を身につける。

    イツキは『域』の第一印象を述べるより前にサカキに尋ねた。

    「ねえおじいちゃん。ここは外から種を持ち込んじゃいけないんでしょ。プラタナスの実は、まずいんじゃないの?」
    サカキは、よく気がつくねという風に微笑んだ。

    「いいんだ。それは元はここにあったものなんだから」

    「?」

    「ここにあるプラタナスの木の実なんだよ。コレクターもいろんな手段を使うけどこの頃手に入れるのが難しいはずなんだ。レネさん、それは誰かにもらったもの?」

    「はい、おばあちゃんからもらいました」

    「そうか。もしかして君のおばあさんは、まどかさんという名前じゃないかい?」

    「え、あの、おばあちゃんをご存じなんですか?」

    「昔からの知り合いだ。その話は後でゆっくり。回るのに時間がかかるから、興味を持ったものを見つけたら遠慮なく言ってくれ」

    目立たない造りの門を抜けると、入口横にはサカキが常駐している資料室と歴史館が木立の間に建っている。

    ドウダンツツジ、アベリア、ムラサキシキブなどが植えられていて、立ち姿までも涼やかなラベンダーが香っているのが訪問者を迎えていた頃の面影を残していた。

    9. クヌギのメッセージ


    四方八方緑だらけだ。

    こんなにたくさんの樹木がある風景を見るのは初めてだったイツキは、本や動画で見た木が目の前に次々と現れるのに圧倒されていた。まるで樹木図鑑が立体化されて現れたようで、どれもこれもが目新しい。

    しばらくはコナラ、ミズナラなどのドングリの木が目立つ。

    その間から「チュピッチュピッ」「ギィーッ」「ツツツ」など様々な鳥の声が響く。「ツツピー、ツツピー」とひときわ高い澄んだ声でさえずる鳥に向かって「あ、シジュウカラね。こんにちは」とレネが立ち止まった。

    目をこらすと、黒いネクタイのような模様のスズメに似たふっくらした鳥が首をかしげ、一瞬こちらを見てからさっと飛び去った。

    「知ってる?シジュウカラは単語を使い分けているのよ。それを研究している人の本を読んだの」歩きながらレネは楽しそうだ。

    「鳥谷先生が喜ぶだろうね。鳥は優れた能力を持っているって日頃からおっしゃっているから」サカキもレネの勉強熱心な様子を興味深く見ている。

    打ち解けた2人をイツキは不思議な気分で眺めながら、気になるのはやはりサカキがなぜすんなりレネの行動を受け入れたのかだった。

    それに、自分にはまだ植物の声は聴こえていない。もう一度深呼吸をしよう。

    「イツキ、聴こえない?」さらに前をゆくレネが振り向いた。

    「え、また鳥の声?」

    「ううん、もっと低い声よ」

    レネは、箱からプラタナスの実を出してイツキにそっと手渡した。
    すると、雑音と共に途切れ途切れに聴こえるのは、テラリウムから聴こえたのと同じ声だ。

    ・・・会えた・・・分身に・・・君は・・・

    「これかもしれない」
    サカキがIK-785とナンバリングされた、2階建てのビルほどのクヌギの木を見て『域』の植物データベースにアクセスすると、ここで実から育てたものがクヌギ保育園の設立時に寄付されたことがわかった。

    つまりクヌギはこの木から保育園の木を経て、イツキの家のクローンに引き継がれたということになる。

    どうやら植物のネットワークは、森の中でだけ伝わるものだというわけでもなさそうだ。

    木の声が聴こえなくても、大介は妻とクヌギの思いを受け取ってクローンを作り、それがまた自分の意識のようなものをイツキに伝えようとした。

    「あなたはうちにいるクヌギのおじいさんかおばあさんなんですね」

    イツキはレネに実を返し、ごつごつしたその幹を静かになでながら言った。クヌギの謎は解けた。今度はレネとおじいちゃんの関係が気になる。

    来た時は灰色だった空の切れ間から太陽が顔を出し始めていた。


    10. これが木漏れ日


    「少し休んでいい?」
    イツキは藤棚の下のあずまやを見つけてベンチに腰掛けた。

    少しふわふわした気分だ。喉が渇く。

    「そうだな。イツキはレネさんのことが気になるんだろう?」
    レネも、祖母のことを知っているサカキから話を聞きたそうだ。

    ベンチに腰掛け、レネはリュックから冷たいミネラルウォーターを出して2人に勧めると自分も飲み始めた。

    「まどかさんは、私がガーデニング留学の時知り合いになった友人だ。私より10歳くらい年上だけどね。彼女はフラワーアーティストで、お互いの知ってることを教えあったものだよ。ここにも一度来たことがあるんだ。世界中の色んな木の実を集めていた。森にある、邪魔もののツルなんかを使った籠づくりもうまかったよ。それに、鳥や虫にも友達みたいに接していた。レネさん、まどかさんは今、お元気かい?」

    「はい、今は放っておかれている竹を生かす仕事をやっています」

    「さすがだねえ。全然変わっていない。彼女は今も『聴こえる人』だということかな」

    「はい、そうみたいですけど、今は竹のことでいっぱいだから、聴かないようにしているそうです。ただ善良な破壊者に気をつけてって言ってました。意味が解らないって言ったら『域』にいるサカキさんを訪ねてみなさいって」

    事の次第がようやくわかってきたイツキだが、展開の早さについていくのは大変だ。

    (レネは冷静すぎるよ。僕は観察されていたってことか?善良な破壊者って何?)

    「善良な破壊者か・・・」
    サカキは眉をひそめた。

    「レネさん、まさかとは思うけどまどかさんはカラスがここに侵入しそうになったことも知っていたりする?」

    「カラス、ですか?いえ、特に何も聞いていません」

    「カラスが来たの?ここに?」

    しまった。あのカラスを引き渡した後のことは鳥谷先生から教えてもらっていない。『域』での出来事は皆で共有するはずだったが、記録ファイルには入っていなかったことを思い出した。

    「ああ、若いカラスが上空を飛んでいて偶然保護したんだ。鳥のことは基本、私は管轄外なのでね。一応確認してみるよ。そろそろ次に行こう。トイレに行ってきていいよ」

    レネは飲み終わったドリンクボトルを集めペコッとつぶしてから持ち帰り用の袋に詰めリュックに入れた。

    「この先に私の気に入っている場所がある。この空模様なら・・・」
    さすがはまどかさんのお孫さんだ。サカキはエネルギッシュなまどかを思い出していた。

    ヤマユリが咲く草地を抜けると、開けた感じの芝生の広場に立つ巨大なクスノキが見えてきた。

    少し離れたところには、丁寧に作られた箒を逆さまにしたような形のケヤキの大木も数本がその存在感を放っているが、これはあちこちに目いっぱい伸ばした枝といい、くねった龍のように土から顔を出した根元といい、圧倒的な迫力だ。

    常緑樹のクスノキは全体的に葉の緑色が深いため、あたりを暗くするほどの影ができる。

    「わあ・・・!大きいとしか言いようがないね」

    「『神々の森』ってドキュメンタリーで見たオオクスと似ているけど、神々しいって言葉がぴったりね。威厳があるっていうか」

    自然と息を大きく吸うと、新緑から濃い緑に変わったばかりの葉からはすっとした爽やかな香りも感じられる。それは周りの空気を浄化しているかのようだ。

    「この香りは防虫剤にも使われているんだよね?」イツキは振り返ってサカキに確認した。

    「ああ、抽出したエキスはいろいろに使われている。科学的に合成できても天然の香りには勝てないね。さ、今日は勉強はいいから木に触ってみなさい」

    イツキとレネは、根を邪魔しないように足元に気をつけて、幹を抱くように腕を回した。木のぬくもりを感じるが2人では半分も囲めない。

    その時隠れていた太陽がゆっくりと顔を出し、徐々にその光は強くなった。

    クスノキの艶のある葉っぱに光が反射して、それが今度は不規則な太さの光となって、葉の間から途切れ途切れに地面に降りてくる。

    イツキは首をめいっぱい上に向け目を細めて言った。

    「おじいちゃん、木漏れ日って、このキラキラしたのがそう?ああでも首が疲れるぅ」

    「ああ。これが『木漏れ日』だよ。離れて、ここに寝てみるといい」

    風がクローバーの青っぽい匂いを運び、芝生の上には大きな木陰が作られている。

    3人が芝生に寝っ転がると、細かなフラッシュライトのように光が複雑に動きを変えてみせた。

    「あーーーーーーっ!」イツキは大きく伸びをしながらレネに尋ねてみた。

    「これが木漏れ日かあ。レネは、木漏れ日を前から知ってたの?」

    「ええ。私の通ってた保育園は『こもれび保育園』ていう名前だもん。大きなプラタナスの木があったの。でも、葉っぱが大きいでしょ、こんなに密集していないから全体がもっと明るい、遊べるような感じの光だったな」

    レネは夢見るように手をクスノキへ伸ばしている。

    「えーそうなんだ。ここでもかあ。おばあさんといい、レネってエリートだね」

    レネは吹き出した。

    「ええっ!?やだ、イツキだってサカキさんの孫じゃない。『域』に簡単に入れるんだから」

    「僕はやっと植物の声が聴こえるようになっただけだよ。全然大したことないよ」

    「でも多分ねえ、子どもは聴こえる人多いと思うよ。よく言うじゃない、成長するとなくなる能力があるって。大人になるとこういう感覚はなくなるんだと思う。っていうか他のいろんなことで脳を使うから、それはしまいこまれるってことじゃないかしら」

    「そっか。まあ、なくても生きてゆくのに困らないもんな」

    「多分、こういう会話もみんなしないんじゃないかな。スピリチュアルってくくられると悪く利用もされるしね」

    11. 善良な破壊者


    サカキは、頭を手の後ろに組んで2人の会話を聞いていた。

    「私も聴こえていた頃のことを思い出すよ。でも今、『ええっ、そこ切るんですかあ?』みたいな声が聞こえたら仕事がやりにくくなるな」

    レネはくすくす笑ったが、すぐに起き上がり本題に入りましょうか、という顔になった。

    くっついた芝を払い、全員近くの切り株に腰を掛ける。アリが忙しく何かを運んでいた。

    「サカキさん、『善良な破壊者』って何のことでしょうか?さっき、カラスの話もありましたけど」

    「鳥谷先生から暗号メッセージが来ていた。あのカラスには見たものを精密に記録するような能力があったそうだ。元々カラスは 人間には見えない紫外線まで認識できるし人の表情も記憶するからね。でも人工的に作られた個体じゃなく自然に変化したハイブリッドタイプのカラスだろうということになったそうだ。『域』に仲間を探しに来たんだな」

    「サカキさん、実は新しくフローラル・グリーン・エンタテインメントっていうのを作る計画が持ち上がってるんですって。これからプロジェクトを組むそうで、おばあちゃんにも声がかかったそうなんです。断ったって言ってましたけど」

    「そうなの!?イル・フェ・ドゥみたいなやつ?」

    「それをもっと大きくしたもの。好きな動物を集めて畑や森を作るって、昔そんなゲームがあったじゃない?あれをもっと精巧に実現しようとしてるらしいわ」

    サカキが検索した新規プロジェクト案件リストには、その計画を表すメインとなるキャッチコピーが記されていた。

    『バーチャルとリアルで味わうビッグファイブ体験!決めるのは、アースヒューマン(Earth Human)!』

    「うわ、ダサッ」イツキがのぞきこんで顔をしかめる。

    「ビッグファイブって何かしら?」

    サカキは明らかな嫌悪感を顔に出した。

    「ビッグファイブは、地球の40億年の歴史の中で起きた何億年単位で起きた大量絶滅のことだ。うーん、それをゲーム化しようというわけか。都市作りのゲームも大昔流行ったが。これは確かに膨大な資料がいるな・・・」

    不規則と規則が入り混じっている自然を再現するためには、AIだけではリアリティに欠けるという考えが今は主流だ。最後は人が手を加えることによってニセモノは単なるニセモノではなくなるという。

    「ここにはたくさんの資料がある。ここの動植物を見本に何か作ってやろうという話もあるかもしれないな。カラスの生態が変化しているというのも気になる。生物の知らなかった能力を発見すると利用したくなるのが人間だからな」

    「これ・・・リョウタのお父さんじゃないか?」

    委員会の結成案の名簿リストに、建築家高岡翔也の名前を見つけサカキは動揺した。

    思い出のクヌギの木から落ちたのが今のイツキ達のクラスメイトで、木を切らせたのがその両親だったとは。

    ただ今は、木を切った事情をレネとイツキに話すと高岡が悪く思われかねない。とりあえず現段階の情報を集めなくては。

    政府関係者の名前がいくつかあったが、大介の会社の名前はそこにはなかった。


    12. 「取りつくろう」ということ


    イツキは、サトルにどう反応しようか迷っていた。

    『域』に行った次の日、ガーデン設計の授業の後サトルはミーティングルームでイツキを待っていた。

    「調査体験はどうだった?ナラ枯れの木にクワガタがいっぱい出るようになってるって?」立て続けに聞いてくる。

    彼はナラ科の木つまりドングリの枯葉の下に住む幼虫から、やがて生きた木の樹液を吸う成虫に変化する、カブトムシやクワガタが好きだ。昆虫好きな叔父さんの影響で、珍しいゼフィルスを探しにミズナラの森に行ったこともあるという。

    (サトルは聴こえる人とか木漏れ日に興味がないタイプかな・・・うかつに話せないか、レネのこともあるし。あ、確かゼフィルスってイアンさんが言ってたあれか)イツキはひらめいた。

    「うん、放置して朽ちた木に卵が守られて増えたらしい。(よかった、放置林のこともイアンさんに聞いておいて)予想してなかったってさ。そうだ、チョウの専門家の人に話を聞くことができたよ。ゼフィルスの保護活動に参加したって」

    「えっ本当?いいなあ。叔父さんにも話したいよ。叔父さんもチョウの森を作りたいんだってさ」これで聴こえる人の話につなげられるか。

    「ところでサトル、新しい緑の施設ができるって話、知ってる?」

    「えっ?ああ・・・」今度はサトルが言いよどんだ。

    「叔父さん、からんでたりする?」

    「まあね・・・詳しくは知らないんだけどさ。叔父さんが言っているのを聞いたことがあるんだ。『地球の歴史をいつでも学べる空間を作るのは、次の世代につなげるためなんだ』って誰かと話してたよ」

    「どう思う?」

    「もう十分だと思うけどね」サトルは面倒くさそうに強い言葉を吐く。

    「何かというと、偉い人は『次の世代につなげる』って言うだろ?大きなお世話だよ。そんなものより、古い映画で見た、子どもが豪速球を投げて大人を打ち負かすやつみたいなさ、思いっきりボールを投げたり走ったりするような空間が今、欲しいよなあ。あれ絶対気持ちいいと思うよ。バーチャル空間でやってることなんてもう古いんだよ」

    「まあ、リアル空間は危険が多いしね。ありがたいけど、一方ではのびのび育てよって矛盾してるのには気づいてないね」

    「危ないからやめろ、だよいつも」

    イツキは自分の家族に感謝しながらも、植物の声がサトルには聴こえるのかどうか今ここでは判断できないと思った。

    (危ないからやめろ?)偶然通りかかったリョウタが足を止めた。

    自分がクヌギの木から落ちたことはイツキ達に話していない。落ちたことの恥ずかしさと痛み、伐採という乱暴な手段に発展させたこと、何も言えなかったことを今でも思い出すのだ。

    クヌギの苦しみをリョウタは知っていた。リョウタも『聴こえる人』だったからこそ、より高い場所の枝を目指して落ちてしまったのだ。

    スマートツリーからは植物の声は聴こえないので、今はそっちを支持しているほうが楽だった。

    「あれ、リョウタ?」サトルが目ざとく彼を見つけて呼ぶ。

    リョウタは、「ああ、ひさしぶり。ちょっと急ぐんだ。ごめんね。イツキ、今度話聞かせて」と手元の時計を見ながら立ち去った。

    それを見送ってサトルは「あのさ・・・」と切り出した。
    (こういう時のサトルはしゃべらないではいられなくなるんだよなあ。悪いけど、これじゃ失言しちゃう政治家だよ)

    サトルの言ったことは、イツキが仕入れた情報とほぼ同じだ。リョウタの父がフローラル・グリーン・エンタテインメント建築の総合指揮を任されそうなのは本当だった。イツキはサトルと別れとにかく家に戻った。


    13. つかみどころのない敵


    「善意なのはわかっているんだけどなあ」
    ・・・イツキ。
    「あれ?もしかして呼んだ?何?」今度ははっきりとクヌギに尋ねる。
    ・・・木漏れ日を見せてと・・・仲間に伝えて・・・

    すべての植物がイツキにそう伝えていた。自然と共に生きる。イツキは父と藤田校長が同じ表現をしていたことを思い出した。彼らの意見を聞こう。

    イツキはレネと父と祖父、そして藤田校長に連絡した。

    「相談したいことがあります。週末うちに来てもらえませんか」
    4人からすぐにOKの返事が来た。

    「まず、校長先生にお詫びします」残しておいた半分のチョコレートと紅茶をみんなに勧めてからイツキが頭を下げた。

    「すみません。嘘をついて授業を休みました。祖父の働く『域』に行っていたんです」

    「私もです。すみません」レネも頭を下げる。

    「2人は『聴こえる人』だということですね?」藤田が静かに口を開いた。

    「先生、ご存じなんですか?」2人が驚いて同時に言った。

    「イツキさんが『域』に行ったことはサカキさんから報告をいただきました。木漏れ日を見たそうですね?」

    サカキも大介も黙って耳を傾け紅茶を飲んでいる。

    「木漏れ日は昔、卒業生の共有するキーワードでした。それが共通体験ではなくなった今、どうやって伝えるか悩んでいました。『域』はうってつけな場所ですが、気軽に入れるところではありませんから」

    「僕は『域』で木漏れ日を見てから、聴こえることを自覚しました」

    「そうですか・・・やはり木漏れ日は見せなければいけないものですね。レネさんもですか?」

    「私は小さい時から聴こえていました。だから街路樹のディスカッションであれ以上話せなくて」

    「あの時は気づけなくて本当にすみませんでした。あなたのおばあさんのことは前の校長から聞いていました。聴こえる人の中でも特別だと」

    「はい。でも、本物の木漏れ日を味わったのは初めてです」

    「先生は、フローラル・グリーン・エンタテインメントのことをご存じですよね。うちには声がかかっていませんが」

    「ええ。高岡さんから相談は受けていますが、正直困っています。新しく木を植えるから緑は増えますという勢力にはもう加担したくないんです」

    大介も、街路樹を無理に植え替えなくてもいいのではという意見は、結局採算面の話でうやむやにされてしまっている。スマートツリーを生み出した者の責任でもあると。

    「苗木が育つ年月を計算に入れるのは大変です。街路樹の植え替えも支えが取れて木らしくなるまでの労力と時間が見合わずに進まない。地下はインフラの設備が通っているしそれが寿命を迎えてても、事故が起きたところだけ大急ぎで直すのが精一杯なんでしょう。木にかまっていられませんよ」と、つい苦々し気な言い方になってしまう。

    藤田も言う。
    「緑がヒートアイランド現象を食い止める話は広まりました。危機感を持っている人はたくさんいるのですが、そんな人たちが連帯しないように巧妙に働きかけてくるのが商業主義です」

    「抗議行動をしたり社会活動を行う人に対しては反発も大きいですしね」

    「はっきりしない敵、みたいなものですか」

    「あの・・・開発はただ儲けようとしてやっていることなんでしょうか?」
    レネの率直な物言いに、一瞬会話が止まった。

    「始まりは善意、本当ですね。耳が痛いとはこのことです」大介が言う。

    「ネガティブなループにはまってしまっていますね・・・」
    藤田もバツが悪そうに同意した。

    「木漏れ日を見てもらうことはできませんか?植物の声が聴こえなかったとしても、何か感じると思うんですけど。聴こえていた頃を思い出してもらうっていうか」
    イツキが提案しサカキのほうを見た。

    「一人に見せると歯止めが効かなくなるのが怖いんだ。私個人としても、『域』を荒らされたくはない」
    サカキはきっぱりと言った。

    イツキには仕事をいずれ継いでくれればという思いで許可をもらったが、知らない人にうかつに聖域を見せるのは、公平と不公平という分断が残るだけだろう。審査を受けるような形になることも懸念される。

    「あ。木漏れ日を見られるところは『域』以外にもありますね。非公開になっている元・庭園とか」

    大介は、見る人がいなくなって最低限の整備しかしていない大名屋敷庭園をいくつか思い出す。どこか協力しているところがあるかもしれない。

    「心当たりがあります。相談してみましょう」


    14. 大きな木、大きな意思


    独り占めされていた大名屋敷から元・大名屋敷の公園として開放し、それを乱し傷つけ、もう一度閉ざしたのはいずれも人間だ。それを再び開放する作業。それも人間がやらなければ。

    今度は間違えずに。

    そんな思いで大介はとある大名屋敷の持ち主である武家の子孫の家の門をたたいた。

    その人は「昔先祖が作ったこの景色とここにある巨樹を、この先も永く愛されて欲しい気持ちは確かにあります。でもまた写真を撮るためだけに桜の枝を折ったり自分の名を書いたりするような、野蛮な人に荒らされたくはないんですよ」と初めは渋っていたが、大介の会社への信頼で、条件付きで巨樹の公開を許してくれた。

    1.限られた人数で抽選制にすること。

    2.すべての入場者のIDを確認記録すること。

    3.制限時間を設けること。

    4.食べ物・飲み物・携帯端末を一切持ち込まないこと。

    過去に園を訪れた者、その美しさを称賛する海外のサイトを見た者、樹木が本当に暑さをやわらげるのか確かめたい者、ただ木漏れ日を見たい者が抽選に参加したが、当選者の中に高岡翔也とその息子涼太が入っていた。

    保護者と子どもは2人で1枠とする抽選権を持つ。リョウタが応募していたのだ。

    リョウタは授業で習うよりも早く、『樹冠率』を研究していた。

    『樹冠率』は緑の占める割合のことだが、背の低い低木や草地、農地などはそれに含まれない。公には緑の面積を測って長いこと緑化政策が進められてきたが、樹木の枝や葉が茂っている部分(樹冠)が地表を覆っている面積の割合については重要視されてこなかった。

    樹冠率を上げることが温暖化の被害を避けるためだという説が有力になって久しい。

    「当たり前だ。国土の大部分は森林ですって言われてきたんだからな」
    高岡は、入場門をくぐりながらつぶやいた。
    「今更、木漏れ日って言われてもな」

    紫外線除けを徹底しているが今日は蒸し暑く、エアコンの効いた部屋に入りたかった。ただ、選ばれた全員は文句も言わずセキュリティチェックを受けIDの確認をされてゆく。

    「お父さん、少し静かにしようよ」と息子にたしなめられた高岡翔也は「まあ、確かにここは他所より少しましだな」と歩みを進める。

    ほどなくしてリョウタたち20組は、サカキの案内でエノキの大木の下に立った。ビル何階分だろうか。かなりの巨樹だ。裏は薄緑、葉脈が浮き上がって3本に分かれている卵型の葉は柔らかい日陰を作っている。

    「これがエノキです。エノキは「木」へんに「夏」と書いて「榎」という漢字が作られたそうです。横方向にも太い枝を伸ばすため夏に大きな日陰を作ることで、昔は旅人の休憩所と目印としても植えられました。みなさん、靴を脱いでこのマットの上に寝てみてください。涼しいと思いますよ」

    サカキが用意したヨガマットのようなものを敷いて、みんな座ったり寝たりの恰好で木を見上げる。

    イヤフォンから音楽を聴いたり動画を見たりしたいとばかり手持無沙汰な様子の若者もいた。それでも吹き抜ける風に、ちらちらと顔に当たる光、葉を透かして見る光に次第に皆が心地よくなってきたらしく、待たされてぐずりかけていた幼児がぼうっとしている。ヨガの死人のポーズでゆっくり深呼吸をする姿も見受けられる。

    リョウタは、うとうとしている間に何かの声を聴いた。

    ・・・あやまらなくていい・・・君のせいじゃないよ・・・
    (あやまる?)

    「どうした?」隣の父があくび交じりだが心配して息子に声をかけた。

    「う・・・ん、上を見ていたらまぶしくて。目が痛いみたいだ」

    かつての伐採されたクヌギ保育園のクヌギは、あれからおよそ10年が経っていた。その短くなった幹と中途半端な枝を隠せるほどに、青々とした葉を茂らせているクヌギのイメージがリョウタの中に流れ込んでくる。

    自分が涙を流していることに気が付いたリョウタは、聴こうとしないために聴けなかったクヌギからのメッセージを受け取り、ようやく解放された気持ちになった。

    「お父さん、僕、声を聴いた」

    「何の?」

    リョウタは答えなかったが2人して木漏れ日を浴びながら、幸福だった。


    15. 戦わずして


    木漏れ日を見ませんか。

    目立たず素っ気ない呼びかけに人が集まった理由はなんだったんだろうか。

    『木漏れ日体験』は海外も含めかなりの反響だった。植物の静かな主張と警告が、『聴こえる者』を通じ危機感を人々に伝播させたというのは考えすぎだろうか。今後は計画を立ててルールを厳重にして徐々に公開をしてゆく予定だ。

    ご神木と崇めらていたほどの数々の大木は『善意の破壊者』によってじんわりとその数を減らされた。

    その代替品として広々とした開放的な芝生を与えられたものの、都市の温度を下げるのに木陰ほどの効果がないことが証明されてしまい、人々は数十年迷いの中にいる。

    高岡翔也はフローラル・グリーン・エンタテインメントのプロジェクト責任者から静かに身を引いた。発表前だったことで何の支障もなかった。

    ソウマの叔父である政治家も引退を表明し、チョウの保護活動に精を出し始めるという。

    動物は思った通り以上の能力を人間に見せつけるように変化しつつある。
    毒のあるアジサイを食べられるようになったシカのように。
    新しい能力を身に着けた、あの『域』で見かけたカラスのように。
    人間も、そんな動物に向かい武器を持って戦う。

    それに対して植物は控えめだ。けれど熱帯原産の観葉植物が雪の降る冬を屋外で越せるように、実をつけないスマートツリーが実をつけ、それを食べる者が現れるような変化をとげるかもしれない。

    しかしあまりにゆるやかな変化ゆえに見過ごされやすい。気が付かず、無視されてまた新たな開発が行われることだろう。人のために。良かれと思って。

    だから植物に復讐の機会を伺われている可能性に気づく人は、多いほどいい。声を聴くのだ。それがかすかな声だとしても耳をすませ。


    オンライン授業が始まる。

    今日は、人と自然の共生について学ぶプログラムのアイデアを発表する予定だ。

    藤田が「おはようございます」といつものように挨拶する。

    「先生、フィールドワークはいつですか?僕、チョウの森を作るための見学にエノキの森に行きたいんですけど」

    「暑熱効果のある植物について調査したいです」

    「香りの森を作って、精神的に苦しむ人や老人にアロマ体験をしてもらいます」

    「盆栽の講習を入れて、テラリウムをもっと家庭に普及させる活動をしませんか」

    「里山で植樹をしたいです」などが次々と発言される。

    「関係ないかもしれないけど、ちょっといいですか?」

    そこに、リョウタが真面目な声で言った。いつもの突き放したような物言いではない。

    「みんなには言っていませんでしたが、僕は小さい頃クヌギの木に登って落ちたことがあります。両親はそれを心配して木を切らせてしまいました。クヌギの木は僕のことを恨んでいると思って、スマートツリー以外の木が嫌いになりました。でも、この前木漏れ日体験をして、そこでクヌギが僕を許しているというメッセージを受け取ったんです。変かもしれないけど、木の声が聴こえました」

    イツキは(お母さんがクローンを作ったっていうあれは、リョウタが原因で切られたのか)と思ったが黙っていた。クヌギは少しもリョウタのことを話さなかったのだから。

    「植物の声を聴く体験プロジェクトを作りませんか?実際に今聴こえなくてもいいんです。木漏れ日を浴びて、聴こえていた頃を思い出す人もいるはずです。そういう人が増えれば、時間はかかりますが木陰を作る樹木の重要性を理解してくれるのにつながると思うんですが」
    イツキはリョウタの思いを汲み取ってそう提案した。

    「木から落っこちたのかあ~!リョウタって小さい頃はアクティブだったんだね。僕と同じだ。あ、でも僕聴こえないや」サトルが驚いていた。

    「聴こえる人にならなくたっていいさ」
    リョウタは照れくさそうに笑った。

    みんなリョウタが胸の内をさらけ出してくれたのをうれしく思っていた。

    6度目の大量絶滅―ビッグシックスーが来るのを食い止める。

    木漏れ日が、子どもたちにそう約束した。

    #創作大賞2026 #ファンタジー小説部門









     
     
    人生の「節目」を考えるのが苦手です。かけがえのない存在ではなく、彩りとして人生を送るのがモットー。新しいものに飛びつくほうですが見切りをつけるのも早い。神経質なおとめ座とマイペースのB型のはざまで葛藤する毎日を書き記していきます。好きなものはチョコレートビスケットとお笑いと猫。

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