
性欲がなくなっても、恋はするのか
若い頃は、感情について深く考えたことなんて、ほとんどありませんでした。
楽しければいいじゃないか。
小難しい話はいらない。
頭で考えては駄目だ、感じないと。
そんな理由をつけながら、「感情ってなんなんだろうな」なんてことは、まったく考えてこなかった気がします。
けれど最近になって、ようやく少しだけ、落ち着いて考えられるようになってきました。
私は、性についての話が基本的に苦手です。
嫌いというわけではありません。
ただ、それを話すと妙に下品な話になるか、逆に意味不明に崇高な話にされることが多くて、その感じが苦手なのだと思います。
でも実際、性欲というものは、生きていく上で切り離せない問題です。
そして、それによって人生がびっくりするぐらい左右されてしまうこともあります。
なんでもっとピュアになれないんだろう。
逆に、性欲がなくなるということは、愛情がなくなったということなのだろうか。
今はAIに色々聞けるので、考察することもできます。
でも昔は、ひとりでああだこうだと妄想したり、たまに友人と少しだけ話したりするぐらいで、なかなか厄介な問題でした。
昔、友人にこう言われたことがあります。
「男と女は、性欲がなければもっと仲良くなれる」
その頃の私はまだ子供だったので、「なんのこと?」という感じでした。
でも今なら、少しわかる気がします。
性欲がなくなったら、人は果たして恋愛をするのだろうか。
女性の本質的な心理は、正直なところ私にはわかりません。
でも、男はかなり性欲に左右される生き物だと思います。
それを無理に抑えつけると、その欲望は逆に膨らみ、どこかで歪みとして出てしまうことがあります。
世の中でたまにある「なんであの人が?」という話。
私はそれを肯定する気持ちはまったくありません。
ただ、もしかすると、その人はものすごく我慢強い人だったのかもしれない、と考えたことがあります。
ずっと我慢して、我慢して、どこかでそれがはち切れてしまう。
もちろん、初めからおかしい人もいるのは事実だと思いますが。
だからこそ、性について、下品ではなく、普通に、自然に話せる人は、ある意味うらやましくもあります。
さらっと言える。
変に茶化さない。
変に神聖化もしない。
それって、けっこうすごいことだなと思うのです。
若い頃の私は、愛情というものは時間が経つとなくなるものだと思っていました。
でも今は、少し違う気がしています。
愛情はなくなったのではなく、見えなくなっているだけなのかもしれません。
心の片隅にしまわれて、本人も気づかなくなっている。
ただ、それだけなのかもしれない。
昔付き合っていた人への愛情が、性欲とともになくなったように感じたことがあります。
その時は、それが自然なことなのだと思っていました。
でも、しばらく経ってから、ふと愛情が戻っているように感じる瞬間がありました。
ああ、感情というのは、かなり厄介だな。
その時、初めてそう思いました。
今は「蛙化現象」なんて言葉もあります。
でも、私は少し違うと思っています。
蛙化というより、恋の幻想が消えただけなのではないか。
そして本当に大事なのは、その後に残る感情の方なのではないか。
幻想が消えた後に、それでも残るもの。
それが何なのかを、ちゃんと見ないといけない気がします。
そういう話を、若い頃に知りたかったなと思います。
でも若い頃は、それどころではないエネルギーに満ちあふれています。
考えるより先に動くし、感じるより先に突っ走る。
だから、なかなか気づけないのかもしれません。
そう考えると、人と人が出会い、一緒になるというのは、やはり縁なのだと思います。
ただ、最近は少し思います。
縁が先なのか。
感情が先なのか。
卵が先か、鶏が先か。
そんな話に近い気がします。
「激しい恋愛よりも、穏やかな恋愛をしなさい」
よく言われる言葉です。
駄目な男を選んでしまう人。
不安定な相手ばかり選んでしまう人。
そういう人は、私も含めて、結局どこかでそれを自分が望んでいるのかもしれません。
自分のために、ここまでやってくれる人を選ぶ。
好きになるより、好きになれる相手を選ぶ。
お見合い結婚の方がうまくいく。
そういう話を聞くたびに、なるほどなと思います。
けれど、考えれば考えるほど、結局私は「縁」という言葉に行き着いてしまいます。
その思考自体が、少し運命論者っぽいなとも思います。
まあ、でも。
好きな人に、好きと言えること。
それは、やっぱり良いことだと思います。
言えない恋もあります。
言えない愛もあります。
そういうものが世の中にはたくさんあるのだと、少し大人になった今なら思います。
毎度のことながら、とりとめもなく終了です。
おわり。