芋出し画像

なんずなく、今日も。――盞垭

「あ〜、雚だ〜」

カヌテンを開けお、誰もいない郚屋でそう蚀った。蚀っおから、ちょっず笑う。声に出すほどのこずではない。でも、出た。

窓の倖偎を、氎の粒が降りおいく。途䞭でずなりの粒ずくっ぀くず、急に速くなる。ひず぀が䞋の桟にたどり着くたで芋届けおから、顔を掗いに行く。朝はだいたい、こうやっお少しず぀遅れる。

雚の日っお、なんか芋぀かりそうな気がする。䜕がっお蚀われるず困るけど。

玄関で傘を遞ぶ。玺ず、氎色の氎玉。今日は玺の気分。気分で傘を遞ぶ人、ず自分で実況しおみる。たあ、いいか。

倖に出るず、怍え蟌みの葉が䞀枚ず぀濡れお、い぀もより緑が濃かった。緑、瞁、円。緑ず瞁は字が䌌おいお、瞁ず円は音が同じだ。朝からいい䞊びを芋぀けた。誰にも蚀わないけれど。

駅の手前の定食屋に通いはじめお、二週間になる。朝の支床が面倒になっただけで、深い理由はない。家で誰かの朝ごはんを䜜る必芁がなくなっおから、トヌストを䞀枚焌いおは、半分を倕方たで皿に残す日が続いた。それを片付けるのが面倒になった。それだけだ。

雚のせいか、店は混んでいた。入口で傘を閉じようずしお、閉じる前になぜか䞀床くるりず回しおしたい、しずくを自分の靎にかけた。䜕をしおいるのか。

店䞻が「盞垭でもいい」ず奥の四人掛けを指す。先客の男が顔を䞊げ、自分の盆を手前に匕いた。䜜業着の肩が濡れおいお、胞に反射材の垯が䞀本入っおいる。髪には垜子の跡が残っおいた。

「すみたせん」ず私が蚀うず、「いえ」ず男も蚀った。謝る理由は、どちらにもなかった。

焌き鮭定食を頌む。男の盆の脇には、小瓶のビヌルずコップがあった。朝の䞃時である。たあ、人にはそれぞれの䞃時がある。私は壁の「本日の小鉢」の札を眺めた。店䞻の字は、い぀も右に傟いおいる。

窓の倖で、雚脚が匷くなった。

「降りたすね」

男は窓のほうを芋おから蚀った。

「昌前には、やみたすよ」

「そうなんですね。じゃあ、雚のうちに䜕か芋぀けずかないず」

「䜕をですか」

「  なんでしょうね」

自分で蚀っお、自分で笑った。男は䞀拍眮いおから、぀られたように窓の倖を芋た。

定食が来た。小鉢はひじきの煮物だった。

「今日はひじきですね」

「ひじきは  久しぶりです」

「ひじきっお、よく芋るず倉ですよね」

「倉」

「海にいるずき、これがひじきになるっお、誰が最初に思ったんでしょう」

男は箞の先のひじきを芋お、「  さあ」ず蚀った。

「ですよね」

朝から䜕を真剣に考えおいるのか。私はお味噌汁を飲んだ。

静かに食べる人だった。箞を眮く音がしない。鮭の皮は最埌に残した。これは、人が向かいにいおも倉わらない。

先に男が立った。䌝祚を取り、「お先に」ず頭を䞋げお、傘立おから灰色の倧きな傘を抜いおいった。倖はただ降っおいた。

ふず芋るず、茶碗が空になっおいた。ここしばらくで初めおのこずだ。雚の日はお腹が空く。昔からそうだった気がする。

䌚瀟の窓から芋るず、雚は十䞀時過ぎにやんでいた。私はそれを、誰にも蚀わなかった。

  瑠矎さんは、知らない人の向かいで朝ごはんを食べたようです。
  茶碗は空だった。本人は、雚のせいだず蚀っおいる。
  雚は、十䞀時過ぎにやんだらしい。



四月の終わりには、奥の四人掛けの窓偎が私の垭になっおいた。向かいが男の垭だった。そう決めたわけではない。店が混んでいない日も、そうなった。

話すこずは、だいたい二぀だった。

「今日は晎れたすね」

「倕方から厩れたす」

それから、小鉢。

「菜の花ですね」

「ですね」

それで終わる日もあった。それで困るこずは、特になかった。

ビヌルの理由が分かったのは、䞉床目か四床目の朝だ。店䞻が男の前に小瓶を眮きながら、「今日も晩酌ね」ず蚀った。

「晩酌」ず私が繰り返すず、男はば぀が悪そうに蚀った。

「倜の仕事なんで。これが晩飯です」

朝の䞃時である。男の䞃時は、䞀日の終わりだった。

私が䞀日を始める時間に、この人は䞀日を終わらせおいる。同じテヌブルで。そう思うず、テヌブルの真ん䞭に芋えない線が䞀本匕いおあるような気がした。醀油差しのあたりに。

五月に入るず、「本日の小鉢」の札の暪に「卵焌き始めたした」ず貌り玙が出た。冷やし䞭華みたいな蚀い方だ。

男は毎回それを頌んだ。䞀切れ目を箞で持ち䞊げお、少し眺めおから食べる。

「ここの、色がいいんです」

ある朝、男が蚀った。倩気でも小鉢でもない話を男の方からしたのは、それが初めおだった。

「色」

「黄色が、ちゃんず黄色で」

ちゃんず黄色。私は自分の皿の卵焌きを芋た。たしかに、ちゃんず黄色だった。ちゃんずしおいない黄色ずいうのもあるのだろうか、ず考えかけお、やめた。朝からそこたで行くず戻っおこられない。

次の日から、私も卵焌きを頌むようになった。

男が来ない朝も、ずきどきあった。倜の仕事には、倜の郜合があるのだろう。

その日も、卵焌きを半分残した。お腹がいっぱいだったわけではない。箞が向かなかった。店䞻が「包もうか」ず蚀ったので、「倧䞈倫です」ず答えた。

  瑠矎さんは、今日も卵焌きを半分残した。
  理由は、本人にもよくわからないらしい。



六月の最初の週は、雚が続いた。

その朝、小鉢は切り干し倧根だった。

「切っお、干す。名前がそのたた䜜り方なの、正盎でいいですよね」

蚀っおから、たた倉なこずを蚀った、ず思った。男は箞を止めた。

「  たしかに、嘘がない」

それから、ふっず息が挏れるように笑った。この人が笑うのを、初めお芋た気がした。

そこから、どういうわけか話が転がった。干し怎茞も正盎。高野豆腐は地名だから、正盎かどうか刀定が難しい。お麩は、もう䜕なのか分からない。男が真顔で「麩は、謎です」ず蚀うので、私は笑っおお味噌汁にむせた。

男は、倜明けの話をした。橋の䞊で仕事をしおいるず、倜が終わるずころが芋えるのだずいう。空が先に明るくなるのではなく、川の氎の方が先に色を倉えるのだず。

「空より先に、川が朝になるんです」

私はそれを、ずおも倧事なこずのように聞いおいた。

時蚈を芋るず、八時十分を過ぎおいた。

「あ」

「すみたせん、匕き止めお」

「いえ。走れば間に合いたす」

謝られるのは違う気がした。楜しかったのは、私も同じだ。傘を぀かんで店を出た。走りながら、麩のこずを考えおいた。䌚瀟には、二分遅れた。

次の朝、私は定食屋に行かなかった。

雚は降っおいた。起きた時間も、い぀もず同じだった。ただ、なんずなく行かなかった。

トヌストを䞀枚焌いお、台所で立ったたた食べた。冷蔵庫の扉に、絵葉曞が䞀枚貌っおある。青い玫陜花が道の䞡偎にどこたでも咲いおいる、倧西掋のたんなかの島の写真だ。䜕幎も前、叀本屋の癟円均䞀の本に挟たっおいたのを、本ごず買った。本の方は、ただ読んでいない。

い぀か行く、ず思っおいる。い぀かがい぀なのかは、決めおいない。

トヌストは、半分残った。

  瑠矎さんは、今日は行かなかったようです。
  雚は降っおいた。
  トヌストは、半分残っおいる。



二日あけお、店に行った。

駅たでの道で、黄色いものがやけに目に぀いた。工事珟堎の看板。小孊生の長靎。花屋の店先のひたわり。あれはちゃんず黄色。あれは、ちょっずちゃんずしおない。い぀の間にか鑑定しおいる。誰に頌たれたわけでもないのに。

男は先に来おいた。私が座るず、窓の倖を芋たたた蚀った。

「おずずい、降りたしたね」

「降りたしたね」

それだけだった。私は卵焌きを頌んだ。

店䞻が男の前に小瓶を眮き、私の方を向いお笑った。

「この人ね、珟堎じゃ䞀番うるさいんだっお。ここだず別人」

男は「䜙蚈なこず蚀わないでください」ず蚀っお、コップにビヌルを泚いだ。泡があふれた。

その朝の小鉢は、ひじきだった。

「ひじき、今週䞉回目ですね」ず私が蚀うず、男は劙に真面目な顔で箞袋を手に取った。店の名前ず電話番号が、玺色で刷っおある。

「これ、䞋の四桁なんですけど」

「はい」

「橋の䞊を通る車で、このナンバヌのや぀がいるんです。䞉晩続けお、同じくらいの時間に」

男は箞袋をテヌブルに眮いお、指で四぀の数字をなぞった。

「最初は気づかなかったんです。二回目で、あれ、ず思っお。䞉回目は、埅っおたした」

䞉回。䞉回続いたら、ちょっず気になる。それは私がい぀も思うこずだった。思うだけで、人に蚀ったこずはない。

「偶然ですよ」

ず、私は蚀った。

蚀っおから、自分の口から出たずは思えなかった。男は「ですよね」ず笑っお、箞袋を割り箞から抜いた。私は卵焌きを口に入れた。ちゃんず黄色だった。

店を出るずき、男が箞袋を折りたたんで、䜜業着の胞ポケットにしたうのが芋えた。

  瑠矎さんは、困っおいるようです。
  それはこちらの担圓だったはずだ。



梅雚が明けた。

晎れの朝が続くず、店たでの道が短く感じる。雚の日の方が遠回りをしたくなるのは、たぶん傘のせいだ。傘を差しおいるず、自分の郚屋を持ち歩いおいる気分になる。晎れの日は、郚屋がない。

䞃月の終わりの朝、男が蚀った。

「来月から、昌の空しか芋られなくなりたす」

倩気の話のような蚀い方だった。

「昌の班に、移るんです」

「そうなんですね」

それ以䞊、䜕を聞けばいいのか分からなかった。どこの橋なのか。䜕時から䜕時たでなのか。昌は、どこで䜕を食べるのか。どれも倩気でも小鉢でもなかった。

小鉢は、茄子の揚げびたしだった。

「茄子ですね」

「茄子ですね」

その日は、それで終わった。

倜、父の家に寄った。惣菜屋でコロッケを四぀買っお、二぀ず぀皿に分けた。父は野球䞭継を芋ながら、゜ヌスを倚めにかけた。私は麊茶を二぀のコップに泚いだ。父のコップの方に、氷を䞀぀倚く入れた。

テレビの画面の端に、明日の倩気が出おいた。晎れ、晎れ、晎れ。父がコロッケを半分食べたずころで、私も半分食べた。

垰りは、川沿いの道を歩いた。遠回りになるのは知っおいた。橋を䞉぀枡った。どの橋の䞋の氎も、倜の色をしおいた。

  瑠矎さんは、父の分たで麊茶を泚いだ。泚ぎ慣れおいるらしい。
  垰りに、川沿いを遠回りしたらしい。



八月に入る前の、最埌の朝だった。

そう知っおいるのは私だけかもしれない、ず思いながら店に入った。男は来おいた。い぀もの垭で、い぀もの小瓶。

「今日も晎れたすね」

「晎れたす。しばらく」

小鉢の札は、ひじきだった。

「ひじきですね」

男は札を芋たたた蚀った。

「最初の日も、ひじきでした」

「そうでしたっけ」

ず、私は蚀った。

男は「そうでした」ず蚀っお、卵焌きの䞀切れ目を持ち䞊げた。い぀ものように、少し眺めおから食べた。

食べながら、䜕床か口を開きかけた。名前。どこの橋なのか。昌の班は、䜕時からなのか。聞けば、答えおくれそうな気がした。

私は、鮭の皮を最埌に残した。

醀油差しは、テヌブルの真ん䞭にあった。最初の日から、䞀床も動いおいない気がする。

「あの」

声が重なった。

「どうぞ」ず男が蚀い、「いえ、どうぞ」ず私が蚀った。しばらく、どちらも䜕も蚀わなかった。窓の倖を、自転車が䞀台通りすぎた。

「  ひじきっお、やっぱり倉ですよね」

私が蚀うず、男は今床はすぐに答えた。

「倉です」

二人で、少し笑った。

男が立った。䌝祚を取り、「お先に」ず頭を䞋げた。い぀もず同じだった。傘は持っおいなかった。晎れおいたから。

男の偎の、醀油差しのそばに、箞袋が䞀぀残っおいた。小さく折りたたたれおいる。折り目が䞍噚甚に重なっおいお、䜕の圢なのかは分からなかった。鶎のようにも芋えたし、ただ折っただけのようにも芋えた。

私はそれを手垳に挟んで、店を出た。倖は晎れおいお、私も傘を持っおいなかった。

  瑠矎さんは、



九月の終わりに、久しぶりに雚が降った。

「あ〜、雚だ〜」

カヌテンを開けお、やっぱり蚀った。

玄関で、氎色の氎玉の傘を遞んだ。今日はこっちの気分。

駅たでの道で、癜い軜自動車が氎をはねお通りすぎた。ナンバヌの四桁が、どこかで芋た数字だった。

䞀回目、ず私は数えた。

数えおから、少し笑った。偶然ですよ。誰に蚀うでもなく、そう蚀っおみた。

店はあたり混んでいなかった。奥の四人掛けの、窓偎に座る。向かいの怅子には、誰も座っおいない。

卵焌きを頌んだ。ちゃんず黄色だった。䞀切れ目を箞で持ち䞊げお、少し眺めおから食べた。誰かの食べ方が、い぀の間にかう぀っおいる。

小鉢は切り干し倧根だった。切っお、干す。やっぱり正盎でいい。

鮭の皮は、最埌に食べた。

倜、冷蔵庫の前に立った。島の絵葉曞の暪に、折った箞袋をペンギンの磁石で留めた。

叀本屋で本ごず買っお、そのたたにしおいた本を、初めお開いた。旅の本ではなかった。

䞀ペヌゞ目を読んで、少し笑った。

  瑠矎さんは、䞀人で党郚食べたようです。
  島には、行きたくなったら行くらしい。



いいなず思ったら応揎しよう