
次の世代に何を残せるか
こんにちは、ポポー北山です。
唐突ですが、ここ数年、
自分の子どもが生まれたり、
周りで亡くなる方がいたりして、
当たり前ですが「いつか自分は死ぬんだな」と感じることが増えました。
そしてその時、自分は子どもや、子どもの世代に何を残せるんだろう、みたいなことをよく考えるようになりました。
まだ全然まとまっていませんが、今日は今考えていることを書いてみます。
誰のために木を植えるのか
今回の記事を書くきっかけになった、
近所に住んでいる猟師のYさんとの、何気ないエピソードです。
Yさんは移住してからお肉をいただいたり、農業や暮らしについて教えていただいたり、とてもお世話になっている方です。
とある日、Yさんから電話をいただき、近所の方から使わなくなった牛用のサイロをもらえることになりました。「堆肥づくりに便利だよ」とのことでした。

無事にいただき、ついでにその近所さんのご自宅やお庭を見せていただきました。
お茶の木。
ゆずの木。
梅の木。
名前を教えてもらったけど覚えきれない木や植物も、たくさんありました。
僕も自分の庭に果樹を植えたいな〜!と思っていたので、
「これって育てるの大変ですか?」
「この木って、実がなるまで何年かかりますか?」
なんて色々聞いていたのですが、
大体が収穫まで最低でも5年はかかると知り、思わず
「5年か〜…!長いですね…」と返してしまいました。
そんな時、Yさんが僕にこう言ってくれました。
「木ってのは、次の世代のために植えるんだよ」
「今俺らもこうやって楽しめてるでしょ?これ、前の世代が植えて、管理してきてくれたから、楽しめるんだ。だから俺らも、次の世代のために植えなきゃだ」 と。
本当にそうだなと…。
自分は自分が楽しむことしか考えていなかったなと、ハッと気付かされました。

お寺の風景
この話を聞いたとき、あるお寺のおじいちゃんを思い出しました。
2年前、お寺の隣の田んぼを借りてお米づくりに挑戦しようとしていた頃の話です。
おそらく80歳を越えるおじいちゃんが、荒れた田んぼを見ながら
「最低3年はかかるけど、ここを蓮池にしようと思うんだ」と教えてくれました。
当時の僕は、「3年?!めちゃくちゃ重労働やぞ…」と驚き、
とても失礼ながら「このおじいちゃん、何歳まで元気でいるつもりなんだ…?すごいな…!」と純粋に思ったことを覚えています。
でも、今になってわかります。
おじいちゃんは、自分が楽しむために3年かけて蓮池を作りたかったわけではないんですよね。
お寺にこれから10年、20年、50年後も来てくれる人たちに見せる風景を、つくっていたんです。

僕は、次の世代に何を残すのか
僕は正直、最近まで「自分が死んだあとの社会」についてあまり考えたことがありませんでした。
なんなら「10年後」みたいな観点でも、ほとんど考えたことがありません。
社会に関心がないわけではなく(おそらく…)、
自分なりに、「仕事はちゃんと社会貢献できるものにしたい!」と考えて、新卒で教育や福祉の業界に入りました。
でもその仕事でも数年単位の将来しかイメージできておらず、数十年後、みたいなことは考えたことはありませんでした。
また、純粋な気持ちでスタートした社会人ですが、気づけば、「キャリア」とか「家族」とか「貯金」とか、自分視点の論点もたくさん増えていました。
そんな中でふと出会った、「次の世代に何を残すか」という問いは、僕にとってとても新鮮で、ワクワクするものでした。
そして、それが「木」や「風景」でも良いんだというのも新しい発見で、なんだかすごく優しい気持ちになれる感覚がありました。
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僕はこれから「場」をつくっていきたいので。
自分が生きているうちに来てくれる人にはもちろん、死んだ後も引き継がれていく場所や文化にしよう。次の世代が楽しめる場所にしよう。
と、思うようになりました。

自分の子どもに、何を残すか
僕には2歳の娘がいます。
可愛くて、たまりません。
と同時に、自分の子育て力の低さも、日々感じています。笑
うまく言葉にできないのですが、最近特に、娘に自分の「生き方」そのものが引き継がれていく感覚があります。

喋り方、考え方、時間や人との関係の楽しみ方、キレ方、などなど。
どう考えても、親の子どもへの影響力ってめちゃくちゃ大きいんですよね。
だからこそ、何を買い与えるかとか、何に通わせるか、とかより先に、
自分の人生の意思決定や、何気ない日常の行動や言動ひとつひとつについて、めちゃくちゃ考えさせられます。
「僕がどう生きるか」が、たぶん一番、娘に残るものなんだろうなと。
ここについては正直、ワクワクより「ちゃんとせねば!」という緊張感と恐怖がまだ強いです。
超資本主義・AI時代の時間軸
ここまで色々と書きましたが…
こういったことって、みんな当たり前のように考えているのでしょうか…?笑
僕だけが、自分の人生でいっぱいいっぱいで、短期でしかものごとを考えられなくなっているのでしょうか。
…ぜひ教えていただきたいです…!
一旦、僕だけではないかも!と仮定してみた時に、
ひとつ思うのは、今の超資本主義的な時代がこういう長期観点を持ちにくくしているんじゃないか、ということです。
欲しいものは基本なんでも買えて、翌日には玄関前に配達してもらえる世界。SNSやスマホの普及とも相まって、僕らの暮らしは基本的に「短期的な快楽」がベースになっているように感じます。
そして、そのためにお金を稼ぐこと。将来のために貯金をすること。
…だけでなく、
最近は「個人の時代だ!自己実現せねば!」みたいなプレッシャーもあり…あまり自分のこと以外を考える余裕がないんじゃないかなって感じます。
核家族化が進み、親や親の親世代との対話の機会が減ったことも、世代間の関係性について考えにくいことに影響してるかもしれないですね。
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AI時代に突入して、ますます効率・短期回答の時代になってきていると感じます。
今後はより、長期で世代をまたいで物事を考える、みたいな思考が、もっともっとしにくくなっていくんじゃないか。
今回文章を書いてて、そんなことも感じました。
大きいようで、小さい話
最後に。
話を戻すと、僕がこのことを考えるきっかけになったのは、「誰のために木を植えるか」という問いでした。
「次の世代に何かを残す!」とかっていうと、どうしても話が大きくなりがちです。政治とか、社会とか、文化とか、100年残る会社、とか。
今回の気づきはむしろ逆の観点で、
「次の世代に何を残せるか」って、意外と小さくて、シンプルでいいんだな、でした。
一粒の種、だったり。
ひとつの場所、だったり。
「自分」を引き継いでくれる、誰かの存在、だったり。

会社や政治等を通した「大きな社会変革」みたいなものも、もちろん重要だと思います。
ただ、個人単位でみると、結局は自分の身の回りの半径数メートルが一番大事だったりするんじゃないかと、今回のYさんとの対話で感じました。
そしてその個人たちの集合体が、社会全体を変えていくんじゃないかな、と。
もちろん、今の人生を楽しむことも忘れずに!
僕はこれからは「次の世代に何を残せるか」という問いを大事にしながら、ちょっとずつ考え方や生き方をアップデートしていきたいなと思っています。
皆さんの考えも、良かったらぜひ教えてください。
ポポー北山
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PS: 最近ポポーの苗を裏庭にたくさん植えました!いつか、この土地にたくさんのポポーがなりますように。