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Photo bysuama_monaka15

䌚瀟を蟞めお、1幎間だけ人生を寄り道した話

    2025幎3月、瀟䌚人5幎目の終わり、27歳。
    私は、転職した䌚瀟を4ヶ月で蟞めた。

    あたりにも呆気ないスピヌド退職。

    次の仕事なんお決たっおない。
    なぜか勢いで開業届を出したけど、収入の圓おなんおない。
    肩曞だけはフリヌランスだけど、ないないだらけのないない尜くし。

    それでも私は「この1幎を自由に過ごしおみたい」ず思っおいた。
    ずいうか、そうでもしないず私がどこかに消え去りそうだったから。


    この゚ッセむは、私が私を取り戻すための1幎の話だ。




    小さい頃から、本を読んだり、自分の手を動かしお䜕かを䜜ったり、そういう創䜜党般が倧奜きだった。

    倧孊では、本ずか文章が奜きだしずいう安盎な理由で出版関係の孊郚に入り、雑誌を䜜ったりしおいた。

    たぁ「君たちが線集者になるにはバむトから入るしかないです」ず最初の講矩でバッサリ切られたので、北海道から䞊京した私は「なれないんかヌい」ず心の䞭でツッコんだりしおいた。


    東京ずいう街は党おが新鮮で、サヌクルでは写真を撮っお展瀺したり、コミティアずいう即売䌚で写真ず短歌の本を出したり、私は毎日のように創䜜をしおいた。

    倖郚で倧きく評䟡されるこずはなかったけど、自分が䜜ったものを誰かに芋せるこずは4幎間続けおいた。


    でも、瀟䌚人になるず、その時間はどんどん生掻の倖ぞ远いやるようになった。



    新卒で入った䌚瀟では、いろんなこずを孊ばせおもらった。
    SESずしお行った先の䌚瀟では、人生の先茩ずも思える人たちに出䌚えたし、圚宅勀務の良さも知った。
    䜕より、がむしゃらに仕事をしお、自分の孊んだこずが誰かのためになるこずが嬉しかった。

    働くこず自䜓が嫌いだったわけではない。
    でも、私は掟遣ずいう立堎で、そこに安定はなかった。


    䌚瀟を蟞めお転職掻動を始めた。
    玹介しおもらった同じ業界の䌚瀟ぞ転職するこずになった。

    ただ、どうにもこの䌚瀟が私には合わなかった。


    毎朝5時に起き、千葉の端っこから東京の西偎ぞ通勀するのは片道3時間。

    「やればできるやろ」ず意気揚々ずしおいた自分を、今ならぶん殎っおでも止めるべきだった。

    やればできるは、やっおみないずわからないんだよ。


    結局、私は1ヶ月くらいで心身ずもに病み始めた。
    毎朝、玄関で足が止たり、ポロポロず涙を流しおからアパヌトを出る。

    朝は1本でも乗り遅れないように急ぎ、倜は早く家に垰るために走った。

    垰っおからご飯を食べる時間も惜しくお、駅構内の飲食店で食べたカレヌは味わう暇もなく、ただ飲み蟌むだけの日々だった。


    圓時、同棲を始めおいたのもあっお、圌氏ず暮らすためにはお金を皌がないずいけないず思い蟌んでいた。
    仕事は他にもいっぱいあるのに、玹介しおくれた人にも申し蚳なくお、毎日をただ仕事で埋め尜くすしかなかった。

    人間、そうなっおくるず向䞊心ずかそういうものもなくなっおいくので、ベンチャヌ䌁業あるあるの「成果を出せ」にも応えられなくなっおいく。
    たぁ、これは私がゎリゎリのベンチャヌに向いおいなかったのもあるけど。


    ある日、䞊叞に蚀われたこずが突き刺さっお、攟心状態で垰宅した。
    「仕事ができない」ず無胜の烙印を抌されたようなものだった。

    圌氏に泣きながら䌝えたのか、呆然ず䌝えたか芚えおいない。
    もうこの䌚瀟を蟞めたいず䌝えた気がする。


    そしお、同じ時期に圌氏から蚀われたこずが、最埌のダム決壊を匕き起こす。



    「今のあなたは、茝いおない」



    端的に、「぀たらない」ず蚀われた。


    割ず心身ずもに病みかけおいる圌女にかける蚀葉かず思う気持ちは眮いずいお、この蚀葉は䜕よりもキツかった。

    䌚瀟の䞊叞から抌された烙印よりも、䜕よりも私の根源を揺るがした。




    え、今の私っお぀たらないの




    昔から、「倉わっおるね」ず蚀われるこずが奜きだった。
    人ず違うず思われるのが、自分らしいず思っおいた。

    じゃあ、今の自分っおなんなんだろう。

    ただ、泣きながら片道3時間通勀しお、週5で仕事しお、瀟䌚人をやっおいるだけ。



    これっお、私だっけ



    そう思った時、もう䌚瀟勀めをしおいる自分が嫌になった。
    私が私ずしお生きられないなら、そんな環境は嫌だ。

    私は呚りの人たちに「おもしれヌ女」だず思われおいたいし、圌氏には私の面癜さを䞖界最速で知っおいおほしいのだ。


    同時期、様々な事情で開業届を出した。
    自分が埗意なこずっおなんだろうず考えた時、やっぱり文章を曞くこずなら苊じゃないなず思った。

    クラりドワヌクスでラむタヌ系の仕事を探したり、SNSで少し発信しおいたら、匕っかかっおくるのは有象無象のキラキラ系アカりント。

    面接を受けた先には「お䞖話になっおいる人ず話したせんか」の勧誘。
    ずりあえず様子を芋るかず色々話しおみたけど、最終的にはマルチみたいな内容ばかり。

    「今は、占いが流行りなんです」ずいう話を聞き、いく぀か䟝頌をこなしたら「ぜひあなたの文章力を発揮しおください」ず枡された契玄曞には、どう芋おも危険だなずいう内容。


    もう、アホかず思った。
    こんなに䞖の䞭っおアホなんかず。


    私はそこたでアホに堕ちおいないので、その契玄曞ず連絡先を然るべき機関ぞ送り぀け、党おをブロックした。
    そんなんでお金を皌げおも、真っ圓な生き方ずは蚀えねヌよ。


    私は真っ圓に、自分に正盎に生きたいだけなんだよ。
    自分の奜きな文章で、曞く仕事をしたいだけなんだよ。

    それっお、今の䞖の䞭じゃ無理なこずなの

    気持ちが蔑ろにされる出来事ばかりで、ずにかく怒りゲヌゞが最倧玚に溜たっおいた。

    溜たりに溜たった結果、私はその勢いで゚ッセむを1本曞いた。



    その怒りをそのたたぶ぀けるのではなく、自分が読んで面癜いず思えるものを曞きたかった。

    ネットの䞭は、詐欺ずかそんなんばっかりじゃねヌんだよずいう怒りで曞き䞊げた1本の゚ッセむは、私の生掻を少しず぀倉えるこずになる。




    仕事を蟞めた翌月。
    䌚瀟勀めは諊めおも、フリヌランスだけじゃ収入は心蚱ないし、さすがにバむトくらいはしないず生きおいけない。


    ずいうこずで、近所にある映画通でバむトをするこずにした。


    正盎、映画奜きなら1回は思うでしょ。
    映画通で働いおみおぇ〜っお。
    それをノリず勢いで叶えたのが私。

    犏利厚生で映画を芳れるのが、䞀番惹かれた郚分でもある。
    映画、芳たいし。

    面接の時、「今はフリヌランスで、色々文章曞いたりしおお  」ず5倍くらいに膚らたせおやっおきたこずを䌝えたら、「倚趣味ですね〜」ず蚀われた。
    私、倚趣味だったのか〜。


    さお、働く前に長めの垰省をしようず北海道ぞ行ったずき、その連絡は来た。

    怒りのたたに曞き䞊げた、あの゚ッセむがnote公匏のコンテストに入賞したらしい。



    そんなこずあるんだ



    正盎、これたでも自分がパパッず曞いた文章を耒められおきたし、「䜕も劎力かかっおないんだけどなぁ」ず自分にずっおは圓たり前のこずすぎお気づいおいなかった。

    ゚ッセむが泚目蚘事に遞ばれたずきもその重倧さに気づいおいなかったし、最終遞考に入ったずきも、結果発衚の蚘事を芋おも「賞もらえるほどなのか  」ず思っおいた。

    でも、普段からたくさんの文章を読んでいるnote公匏の方々が、「テンポや駆け抜ける感じがいい」ず私の゚ッセむを耒めおくださっおいる。


    倚分、いや、私は文章が䞊手いのかもしれない。


    自意識過剰でもいい。
    ただ䜕にも成し遂げおいないじゃないか、ず蚀われおもいい。

    それでも、この時の私は「身内じゃない第䞉者からの評䟡」ずいうものに、倢芋心地で螊りたくなるくらいは嬉しかったのだ。



    そこから、私は怒涛の調子乗り期に入った。
    色んなコンテストぞ応募をし、賞をいただくこずもあった。

    䞍思議なもので、連絡が届くタむミングは決たっお「もう自分の文章を読んでくれる人なんおいないんだ」ず萜ち蟌んでいる時だった。

    誰かの評䟡を貰い、「やっぱり私っお才胜あるかも」ず䞀瞬の自信になり、たた文章を曞いお応募をする。

    これぞ、創䜜における埪環。
    私が文章を曞く理由になっおいた。



    そんな創䜜をし぀぀、私はちゃんず映画通バむトも楜しんでいた。

    働いおいたのは、フヌドずか出すコンセッションず呌ばれるずころ。
    ポップコヌンやホットドッグ、色んなフヌドを䜜る堎所だ。

    これたで飲食業で働いたこずがなかったし、スピヌドを問われる仕事なのは䞞わかりだったので、のんびり屋の自分にできるのかなぁず䞍安なずころもあった。


    だが、なんだかんだ人は慣れる。
    ずいうか、慣れざるを埗なかった。

    なんでかっお



    鬌滅の刃があったから。



    䌚蚈埅ちの列は䜕重にも増え、泚文埅ちの人ですら遠くの方ぞ溢れかえっおいる。
    そんな景色を暪目に、ただひたすら目の前の泚文を凊理する。

    さながら、私はロボット。
    ポップコヌンずドリンクを無限に䜜り出すロボットだった。


    それは、公開から1ヶ月経っおも収たるこずはなく、䌑憩宀では「い぀終わるんでしょうか  」ずバむト同士で励たし合いながら過ごした。

    その倏が終わる頃、仲間たちの間では「あの䜜品を乗り越えた」ずいう䞀点でずお぀もなく倪い絆が出来䞊がっおいた。


    ちなみに、私がバむト終わりに家ぞ垰るず、圌氏は毎回「映画通が家に垰っおきた」ず思っおいたらしい。
    党身から、ポップコヌンの匂いを振り撒いおいたからだ。



    創䜜ずバむトの䞡立に慣れおいきながら、私は文孊フリマやZINEフェスなどのむベントぞ出店もしおいた。

    実は、文孊フリマに出ようず申し蟌みしたのは、仕事を蟞める前だった。
    そのころは、倧孊の頃みたいに写真や短歌をたずめた本でも出しおみようかなず思っおいた。

    それが、゚ッセむを曞くようになっちたったので、文孊フリマも゚ッセむで出るしかないなぁずなった。

    党おが無蚈画。
    その堎のノリ。
    これぞ人生。


    ずいうこずで、むベントに出すための本を執筆から補本たで1ヶ月くらいで終わらせた。

    倧孊時代に雑誌制䜜をしおいた経隓が、こんな時に掻きるずはなぁず思いながら、次に䜜るずきはもっず早く執筆しよう  ず心に決めた。


    たぁ、その埌に出した本でも同じこずを思うのだが。



    それたでむベントずいうものはコミケやコミティアずいう、どちらかず蚀えば挫画やむラスト寄りのものしか知らなかったが、文孊寄りのむベントがこの䞖にたくさんあるのだず知ったのはこの時期だった。

    初めお文孊フリマぞ出店しおも、誰かは新刊を買っおくれるずいうこず。
    そしお、noteでフォロヌしおいる方々ず盎接䌚える嬉しさもあった。

    䜕より、文章ずいうものに向き合っおいる人がこれだけたくさんいるのだず、目の前に広がる景色に圧倒された。


    「やっぱり、私は文章で䜕かを残したい」


    そう匷く思ったのを、今でも芚えおいる。



    日々、むンプットずアりトプットを繰り返しおいく䞭で、母ず䞀緒に倧阪䞇博も行ったし、圌氏ず旅行もした。
    自由な時間は今しかないし、どんな経隓も゚ッセむで曞けるんだしずいう理由だったが、ただ楜しいこずで人生を埋めたかったのもある。


    しかし、そんな生掻も長くは続かない。



    「貯金がねぇ」



    たぁ、圓たり前なんすよ。
    こんなに遊んでたら、そりゃお金ないよ。

    おかさ、皎金匕かれすぎな
    囜民健康保険、高すぎな


    なんお、文句を毎月蚀いたくなるが、こればっかりは生きるにあたっお仕方ない出費。

    なんずか毎月の仕事を調敎し぀぀、知り合いからちょっずした仕事を貰ったり、クラりドワヌクスで䟝頌を貰ったり。
    積み重ねたお金でなんずか皎金は滞玍しないようにしおいた。

    「囜民健康保険 高い」ずか、「皎金 滞玍」ずか䜕回調べたこずか。


    じゃあ、䌚瀟員に戻る


    そんな思いが頭をよぎる。

    同棲しおいる圌氏に「お金ないから、䌚瀟勀めに戻ろうかな」ず䌝えるず、すぐにこう返っおきた。



    「衣食䜏の䜏くらいは保蚌しおあげるから、奜きに生きなよ」



    続けお「あなたがそう生きるように仕向けたのは俺だし」ず笑いながら蚀われた。

    確かに、蚀われおみればそうだ。
    圌から「あなたは茝いおいない」ず蚀われお、そんな自分は嫌だず思っお行動した結果だった。


    そりゃ、お金がなくなるのも圓たり前なのだ。


    圌は、私が自由に䜕かを䜜り出しお楜しそうに生きおいる姿を芋お、自分も色々やりたいず意欲的になる人だった。
    私以䞊にクリ゚むタヌな人だから、もっず発信すればいいのにず思っおいたが、簡単な話だった。

    私が勝手に楜しんでいたら、圌も圱響を受けるんだよな。


    この圱響は、友人関係にも珟れた。

    久々に䌚った友人からは「賞取った゚ッセむ、面癜かった」ず蚀われたり、先茩には「い぀も読んでるよ」ず蚀われるこずもあった。「note曞き始めたした」ず行動したり、䞀緒にむベントぞ出店した埌茩もいた。

    䜕より、高校時代の友人ずはクリ゚むタヌずしお䞀緒に制䜜する機䌚もあったのが嬉しかった。


    もちろん、noteで知り合った゚ッセむ仲間の方たちも同じだ。
    むベントのたびに顔を合わせ、「お久しぶりです」ず前回の新刊の感想を䌝える。
    私の文章を奜きず蚀っおくれる人ず、䞀緒に遊びに行くようにもなった。

    そしお、私の宣䌝からむベントを知り、ブヌスたで来おくださった方がいたずき、「あぁ、文章を曞いおきお良かったなぁ」ず思った。



    私は、もう䌚瀟勀めが嫌だず思っお、䞀人で䜕ずかするためにフリヌランスずなった。

    でも、人は䞀人で生きおいけない。
    結局、私の堎合は圌氏や家族、友人やバむト仲間、創䜜で出䌚った人たち、たくさんの人に助けられおこの1幎を過ごしおきた。

    それは「負け」でもなんでもない。
    レヌルから倖れた人生ずいう蚀葉があるが、自分で道を芋぀けられる人でありたいず私は匷く思っおいる。



    そんな偉そうなこずを蚀い぀぀も、やっぱりお金は足りない。

    お金が足りないず、「節玄しなきゃ」ず倖に出るこずも少なくなる。
    その分、バむトの時間を増やしたずころで、結局創䜜ができなくなるのは䞞わかりだった。



    「じゃあ、さすがに䌚瀟で働くしかないかぁ」



    安定した収入を手に入れお、尚䞔぀皎金を払うこずを玍埗するには䌚瀟勀めしかない。

    せめお、囜民健康保険は䌚瀟ず折半にしないず、自分の心が収たらん。

    頌む
    党おの皎金も折半にさせおくれ。



    ずいうこずで、心の奥底では「自由に生きおぇ〜」ず思い぀぀、さすがにがんやりず決めおいた1幎が経ずうずしおいるので、求人サむトを芋るようになった。

    面癜い求人があったのでカゞュアル面談をするこずになり、そこから3回ほどの面接を挟み、トントン拍子で内定をいただくこずができた。

    ただ、最初の面接から内定たで3ヶ月ほどかかったので、その間は呚りの人がずっずドキドキしおいたらしい。

    埌々「䜕も蚀わないから、ダメだったんだろうず思っおた」ず圌氏や家族に気を遣われおいたこずを知った。

    ごめんお。


    ちなみに面接の時、「他に受けおいる䌚瀟はありたすか」ず聞かれたが、私は真っ盎ぐ正盎な人間なのでこう答えた。


    「埡瀟のみ、1瀟しか受けおいないです  」


    ほんず、こい぀働く気あるのかず今の私なら思う。
    いや、自由に生きたいずは思っおたけど、転職で1瀟だけ受けお内定もらうっおどういう確率よ。

    でも、ただ運が良かったのだず片付ければ話はそれで終わりだ。
    きっず、1幎前の自分だったらすぐに萜ずされおいただろう。

    自由に生きおみお、自分をもう䞀床知るこずができたからこそ、この1瀟ず瞁ができたのだず思う。




    今、私はたた䌚瀟員ずしお働いおいる。

    ありがたいこずに圚宅勀務をできおいるし、仕事前や埌にPCを開いお創䜜する時間もある。

    もちろん曞けない日もある。
    疲れ切っお、ご飯を食べおただ寝るこずもある。

    それでも、私は結局のずころ創䜜をしたくなっおしたうのだ。


    孊生の頃は、瀟䌚人になっおも創䜜は続けられるず思っおいた。

    でも、仕事に远われる日々は無理やりにでも人生の優先順䜍を぀けおくる。
    そうなるず、創䜜ずいうものは䞍芁䞍急のものずしお考えおしたう。


    私が瀟䌚人の5幎間で捚おおきたものは、どうやら䞀番倧切なものだったらしい。
    それをたた拟い集めおピカピカに磚き䞊げるたで、1幎もかかっおしたった。

    圌氏はもちろんのこず、家族や呚りの友人も「こい぀、倧䞈倫か」ず思うこずがあっただろう。
    心配も、たくさんかけたなぁず思う。


    でも、もう倧䞈倫。

    私はこれからも、仕事をしながら創䜜をしお、文章を曞き続ける。

    私が私でいる方法は、もうこの1幎で思い出したから。

     
     
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