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人間に存在価値なんていらない

「存在価値がないと生きていけない」と思っていた私が、存在価値を手放した話

「生きている価値がない」
「私には存在する価値がない」

私はずっと、そんなことを考えていた。

何かを頑張っていないと。
誰かの役に立っていないと。
誰かに必要とされていないと。


でも、あるときふと思った。

そもそも、「存在価値」なんてもの、本当に必要なんだろうか。

だってさ

地球規模で考えてみれば、人間なんて小さな存在だ。
私一人がいなくなったところで、地球は回るし、太陽は昇る。
人類全体で見ても、いつかは終わる。

そう考えたら、私だけじゃない。

人間なんて、みんな最初から「存在価値」なんて持っていないんじゃないか。

生まれる前に、
「あなたにはこれだけの価値があります」
なんて説明書を渡されて生まれてくる人はいない。

何かの役に立つために生まれてくるわけでもない。

「ただ、生まれた」

それだけ。

だったら、存在価値なんて探さなくてもいいんじゃないか。

「私は何のために生きているんだろう」
「私には何の価値があるんだろう」
「もっと価値のある人間にならなきゃ」


そんなことを、必死になって探し続けなくてもいい。

価値がなくてもいい。
意味がなくてもいい。
ただ生まれた。

それだけでいい。

生まれてしまったから

生まれてしまったからには、どうせなら楽しく生きたい。

好きなものを好きだと思って、
大切なものを大切にして、
会いたい人に会って、
食べたいものを食べて、
やりたいことをやって、
笑いたいときに笑って。

そうやって生きていけばいい。
私たちは、そうやって生きていくために、身の回りにあるものに意味を見つけている。

大切な人。
好きな音楽。
好きなゲーム。
子どもの笑顔。
毎日の小さな習慣。

「これがあるから私は生きている」
「この人のために頑張りたい」
「これを守りたい」
「これが私にとって大切なんだ」

そういうものを、いつの間にか「生きる意味」や「存在価値」みたいな大きなものに繋げているだけなのかもしれない。

でも、それだって別に悪いことじゃない。
むしろ、そんなものでいいんだと思う。

人生そのものに、最初から壮大な意味が用意されている必要なんてない。

自分が好きだから好き。
大切だから大切。
楽しいから楽しい。

それでいい。

存在価値の存在価値

「生きる価値」を探すんじゃなくて、
「私は何が好きなんだろう」
「私は何を大切にしたいんだろう」
「今日は何をしたら楽しいんだろう」

そんなことを考えて生きていけばいい。

存在価値なんて、なくていい。

価値がないから駄目なんじゃない。

そもそも、価値があることを前提にして生きなくてもいい。

生きる理由

人は、生まれた。
ただ、それだけ。

だから私も、もう少し「価値のある人間にならなきゃ」から離れてみたい。

何者かにならなくてもいい。
役に立たなくてもいい。
誰かに必要とされない時間があってもいい。

ただ生まれて、
好きなものを好きになって、
大切なものを大切にして、
自分が楽しいと思えるほうへ、少しずつ進んでいく。

それくらいの理由で、生きていてもいいんじゃないだろうか。

だって、私たちは最初から、
「存在価値があるから生まれた」わけじゃない。
ただ、生まれたんだから。

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