
俺は物の怪だが、人間が好きだ。
俺はもみもみ。
専業主婦で友だちにも半年に一回くらいのペースでしか会わず、趣味は映画・読書で孤独を愛している。
孤独を愛している、というのは一人でいる時間がとても好きだということだが、学生時代はこれが『社交性がない』『友だちが少ない』などの悩みだった。社交性がないのはたまに困るが、協調性がないわけではなく、友だちが少なくてもゼロではないのだし、今思うとまったく問題ないのだが、当時は光りすぎて周りが見えなくなるほど陽キャの母から趣味のことや友だちが少ないことを揶揄われたり、スポーツをしていて活発でいつも友だちとワイワイしている弟と比べられていたので、全部を母のせいにするわけではないが非常に強いコンプレックスであった。
三十二歳の今は、周りを消し去るほど輝き続ける母のような陽キャでなくては生きる意味がないなどという考えはとっくに消し去られており、むしろ自分のことを『イイ感じにかげっているな』と肯定的に捉えているのだが、最初に書いたように、現在は専業主婦で友だちには滅多に会わず個人で楽しむ趣味しかないので、たまに家族以外の人間とコミュニケーションをとる時に「自分は今、正気じゃないかもしれない」と不安になる。相手に「なんだこいつ、なに言ってんだ?」と訝しがられるのが怖いのだ。俺一人ならかまわないが、今の状況だと俺の印象は三歳の印象になる。「あの子の親は様子がおかしい」と思われたら、三歳にちょっとマズいことが起こる可能性が少し上がるかもしれない。し、変わらないかもしれない。未知数。それが一番不安なのだ。
五年前に退職した職場の先輩から、退職する旨の連絡がきた。
五年以上会っていないのに、辞めるときに俺のことを思い出してくれたってこと?それで連絡くれたってこと?嬉しい!俺にとって一生リーダー!会いたい!と思った。
有給消化する期間をわざわざ教えてくれた先輩は、俺が会いたいと言えば、五年以上会っていないことなど気にせずにきっと時間を作ってくれるだろう。しかし俺は会いたいと言えない。「五年経ったらもみもみさんつまんなくなったな〜!会わなきゃよかった!」と思われるのが嫌だからである。そんなことを思うような人じゃないのは重々承知だが、「そう思わせていたらどうしよう」という不安をまといながら過ごすことになるのではないかという俺側だけの問題。プレッシャー。考えただけで悲しい。
そして俺は先輩が有給消化期間を楽しめますようにと願い、新しい職場での活躍を祈ることしかできない無力なコミュ障なのである。
率先して「会いたい」と思う相手がほぼいないために、この稀有な感情を大切にしたい気持ちがある。しかしそれを実行するかどうかは別のエネルギーの話になってしまう。俺はほとんど後悔をしない人間であるので、あとあと「時間作ってもらえばよかったな〜」と悔やむことはまずないだろうが、そういうのがより社交性を下げている自覚がある。そしてバケモノ級の陽キャである母が思わず小言を言いたくなるのもお察ししますって感じだけど、まぁ、放っといてほしいわな。
義実家に行ったら「さすがもみもみちゃん、きちんとしてるね」と言われた。“きちんとしてる”なんて言われたのは三十二年生きてきてガチで初めてなので、お義母さんはなにか大きな勘違いをしている。
訂正しようとしたが、ここで「いやそんなことないんですよ、俺は所有権にこだわりがあるだけなんです。カップ麺とかに自分の名前と、“食べたら殺す”とか書いておく兄弟の長女なので」とか言ったら気まずくさせてしまうな、と思ったので「えへへ……」とヘラヘラしてしまったのだが、ヘラヘラするのも気まずくさせていると思う。少しは謙遜するべきだったろう。ままならない。