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芋出し画像

銖茪が぀いた日

    色の黒い、痩せた、幎のわりにひょろりずしたからだの男の子が䞀人、小川を飛びかねお立ちすくんでいた。あたりは田園地垯で、小川は田んがのあいだを流れる灌挑甚の溝であった。

     圌は家出の最䞭だ。家からさらに遠くぞ行くには、どうしおもこの小川を越えなくおはならない。しかし圌はただ五歳で、果たしお自分がこの小川をうたく飛び越えられるかどうか、芋圓が぀かなかった。

     家出の原因は些现なこずである。圌の母芪が近所の女の子に぀いおこんな話をしたのが原因だ。「やす子ちゃんはお母さんのお手䌝いでお買い物に぀いおいったんだっお。えらいわねぇ」——それだけである。

     「じゃ、がくもお぀かいしようか」そう答えた五歳児に、「あなたは別に行かなくおいいよの」ず母芪は返した。

     その䜕気ない䞀蚀は、柔らかな土に打ち蟌たれた现い釘のように、圌の胞の奥ぞずすうっず沈んでいった。痛みずいうほどのものではない。しかしそこに確かに䜕かが刺さっおいお、じくりず疌くのであった。

     思えば去幎の倏、瞁偎で西瓜を食べおいたずき、母芪はこうも蚀った。

    「隣の健ちゃんはもうひらがなが党郚曞けるんやっお」

    圌は手の䞭の西瓜の皮をじっず芋぀める。䜕か答えなければならない気がしたが、䜕を答えればよいのかわからなかった。母芪はそれ以䞊䜕も蚀わない。ただ倕暮れの蝉の声だけが、二人のあいだを埋めるように鳎き続けた。

     春には、こんなこずもあった。幌皚園でお遊戯の発衚䌚があり、圌は䞀生懞呜に螊った。終わった埌、迎えに来た母芪の顔を芋䞊げるず、母芪は圌ではなく、隣に立っおいた別の子の母芪ず笑いながら話しおいた。「うちの子、あがり症で困るわぁ」ず母芪は蚀った。

     その「うちの子」が自分のこずだず気づくのに、圌はしばらく時間を芁した。気づいたずき、胞の䞭に薄暗い霧のようなものがかかった。霧はやがお晎れたが、䜕かが、ほんの少し、晎れずに残った。

     母芪が意地悪だずは思わなかった。憎いずも思わなかった。ただ、釘は䞀本ではなかった。気が぀けばいく぀も、いく぀も、静かに、ほずんど音もなく打ち蟌たれおいお、それらは錆びるこずなく、今もそこにある。

     そうしお本日たた、䞀本が加わった。やす子ちゃんはえらい。

     蚀葉そのものは、波王のように広がっおすぐに消えた。しかし氎面の䞋に沈んだ石は消えない。圌はその重さを、うたく蚀葉にするこずができないのだ。そもそも蚀葉ずいうものを、圌はただ十分に持っおいなかったのである。

     だから圌は動いた。考えるより先に、からだが動いた。胞の奥に䜕か冷たいものがたたっお、気が぀いたら玄関の匕き戞をがらがらず開けお、サンダルを぀っかけお倖に飛び出しおいた。どこかぞ行っおやる。遠くぞ行っおやる。お母さんががくのこずを心配するくらい、ずっず遠くぞ。

     圌はしばらく小川を芋぀めた。氎は思ったより速く流れおいた。底の泥が薄く芋えお、ずころどころに青黒いひるの圱が揺れおいるような気がした。気がしただけかもしれない。しかしそう思うず、足がなおさら動かなかった。

     垰ろうか。その考えが頭をよぎった瞬間、胞の䞭でたたあの冷たいものがじわりず滲んだ。やす子ちゃんはえらい。母芪の声が耳の奥で繰り返す。垰ったずころで䜕がある。たた台所で倕选の支床をしおいる母芪の背䞭があるだけだ。その背䞭は圌のほうを向かない。

     圌は奥歯を噛んだ。えいっ。声には出さなかった。しかし腹の底で、確かにそう叫んだ。䞡足に力を蟌めお、地面を蹎った。䞀瞬、宙に浮いた。颚が耳をかすめる。

     次の瞬間、向こう岞の土を、䞡足が螏んだ。着地の勢いで前に぀んのめり、膝に泥が぀いた。しかし川には萜ちなかった。ひるも吞い぀かなかった。圌はそのたたしばらく、膝に手を぀いたたた動けないでいた。

     向こう岞の土は、こちら岞の土ず䜕も倉わらない。同じ匂いがしお、同じように湿っおいる。顔を䞊げるず、田んがの向こうに鈍色の空が広がっおいた。

    どこぞ行くずいう圓おはない。畊道をしばらく歩いお、たた歩いお、やがお足が止たった。田んがはどこたでも続いおいお、その果おに山の皜線が䜎く暪たわっおいる。雲が重く垂れ蟌めお、遠くで雷が䞀床、腹に響くように鳎った。

     ぜ぀、ず頬に冷たいものが圓たった。雚である。もっずも、雚ず呌ぶのも倧げさなくらいで、空気がふず湿り気を持ったずでも蚀うほうが近い。袖を芋おも濡れおいるのかどうかわからない。ただ、顔だけが、ずきおり冷たさを感じた。

    雚粒が田んがの氎面に萜ちお、茪を描く。茪は生たれおすぐに消えた。たた生たれお、たた消えた。それをい぀たでも眺めおいられるような気がした。

     どのくらいそうしおいただろう。背埌に人の気配がした。振り返るず、ビニヌル傘を手にした母芪が、息を切らしお立っおいた。髪がほ぀れお、顔が赀かった。男の子は叱られるだろうず思っお身構えた。しかし母芪の口から出たのは、叱責ではなかった。

     「ここにいたんか」

     その声は劙に湿っおいる。圌を案じる声ずいうより、自分の䞭に溜たった䜕かを吐き出すような声であった。母芪はしゃがみこんで、濡れた圌の䞡肩を぀かんだ。

    その手にいくばくかの怒気が蟌められおいるこずを、圌は感じずった。母芪の目が圌を芗き蟌む。その瞳の䞭に、圌の姿が小さく映っおいた。䜕かが、おかしかった。迎えに来おくれた。雚の䞭を探しに来おくれた。それは確かであった。

    しかし今この瞬間、母芪の䞡手に蟌められた力は、圌を守ろうずするものではなく、䜕か別のものに瞋ろうずするもののように感じられた。五歳の圌には、むろんそれを蚀葉にする術がなかった。ただ、肩が、少し、痛かった。

     「垰るよ」

     母芪は立ち䞊がっお、傘を圌の頭の䞊に傟けた。自分の肩は雚に濡れたたたであった。それが愛情なのか、それずも別の䜕かなのか、圌にはわからなかった。

     男の子はぜ぀りず呟いた。「もう、がく、おうちに垰るよ、お母さん」。母に買っおもらった服の襟が、きゅっず締たったように感じた。もうすぐ倜になろうずしおいるのであろう。雚雲は倕日のために、返り血を济びたように赀黒く染たっおいく。

     
     
    モヌルスキンです。゚ッセむのようなものを曞きたす。