留学前、歯医者で言われたひと言
20代の頃、カナダにワーホリで行くことになった。
長期滞在になるので、出発前に歯医者へ行った。海外では気軽に歯医者へ通えないし、費用もかかる。当時、出発前に済ませておいた方がいいと聞いていたからだ。
その歯医者さんは、長く通っていた先生だった。
診察中の雑談で、留学の話になった。
「ホームステイなんですけど、気を遣いそうなんですよね」
そんな感じの、何気ない一言だったと思う。
すると先生は少し真面目な顔になって、
「でも、そういうのも含めて勉強だからね」
というようなことを言った。
細かい言葉は覚えていない。
でも、そのときの私は少しだけモヤモヤした。
もちろん先生の言っていることは正しい。
ホームステイで現地の人と生活することも留学の大切な経験だろう。
気を遣うことも、文化の違いに戸惑うことも、確かに勉強のうちだ。
それは分かる。
分かるのだけれど、私はただ
「気を使いそうですよね」
と不安をこぼしただけだった。
だから欲しかったのはアドバイスではなく、
「そうだね」
という一言だったのかもしれない。
先生のことは嫌いではない。
今思えば、励ますつもりだったのだろう。
年上の大人として、人生の先輩として、背中を押してくれたのだと思う。
それでも、あのとき少し引っかかった。
なぜだろう。
最近になって、その理由が分かった気がする。
私は正論そのものが嫌いなのではない。
正しいことは正しい。
でも、正しいことを言うのが常に正解とは限らないと思っている。
人にはそれぞれ性格がある。
そのときの状況もある。
不安を抱えている人もいる。
だから私は、誰かの悩みを聞いたときも、
「こうするべき」
とはあまり言わない。
まずは、
「そう思うよね」
と受け止めたい。
結局、留学中の私は先生が思うほど積極的にはなれなかった。
ホームステイでも、シェアハウスでも、どちらかというと一人でいる時間が多かった。
でも、それは失敗だったとは思わない。
私はそういう人間だったのだ。
性格は簡単には変わらない。
そして、それを知ることもまた留学の学びだった気がする。
有川浩さんの『図書館戦争』にこんな言葉がある。
「正論は正しい。だが、正論を武器にする奴は正しくない。」
初めて読んだとき、
「その通りだな」
と思った。
あのときの歯医者さんが正論を武器にしたかったわけではないだろう。
でも私は、正論よりも「そうだね」と言ってほしかったのだと思う。
そんなことを、20年以上経った今になって考えている。
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