
『穴をほる』
あらすじ:
「穴をほる」ことに夢中だった五年生の三人組。土の匂い、春の風、笑いあう日々。
やがて、あおいは自由帳に描いた黒いトンネルの向こうで、光の粒たちと出会う。季節をまたぎ、現実と空想の世界を静かに行き来しながら、一人の少年が世界との距離を見つけ直していくものがたり。
(約6,000字)
『穴をほる』
◆タネをほる
5年生のぼくが学校に行かなくなるちょっと前のはなし。
タクとシュンとぼくとに、穴を掘るブームがやってきた。
はじまりは四月。花壇に、みんなでまいた白と黒のしましまのタネ。
「大切に育てましょうね」って、長谷川先生が言った。
そして、「夏が楽しみね」って。
それでも、ぼくらは見たくなっちゃったんだ。
「いま、どうなってると思う?」
「うわ、なんか出てるよ!」シュンが声をあげた。
みんなでのぞきこんだ。
掘ってみたら、少しだけ芽が出て、
もやしみたいなしっぽが生えているタネが出てきたんだ。
ぼくは、そのひょろっと伸びた白い根を見て、なんだか悪いことをしている気がした。
生きようとしているのに、土の外に出してしまったみたいだ。
「やっぱ、もどそう」
そう言いだしたのは、だれだったか思い出せない。
ぼくらは、タネを丁寧に戻した。
「こっちが上だよな?」
「うん、多分!」
みんなで“天地”を確認して、そっと土をかぶせた。
でも、なにかを“隠した”ような気がして、
ちょっとだけ悪いことを共有した気持ちになった。
ぼくたちは無事、いのちを土にもどして安心した。
安心したら、笑えてきた。
風が通りぬけて、花壇の端っこでパンジーが揺れた。
タクが笑ってシャベルを落とした。
それで、なぜかまた笑った。
泥だらけの手から、土の匂いがした。
そして、また笑った。
ばかみたいに、笑いあった。
そういえば、このはなしには、さらに続きがあった。今でも、少し冷たい春の風が土の匂いを運んでくると思い出す。
「こら、おまえら、花壇掘りおこしてただろ」
背後から声がとんできて、みんなでびくっとした。
振り向くと、去年の担任の吉岡先生が立っていた。
背が高くて、いつも笑ってる、お兄ちゃん先生。
昼休みには、ぼくらと一緒にドッジボールをしてくれた。
その先生が、少し眉をしかめて言った。
「次からはするなよ」
「すみませんでした」
「よし。じゃあ責任もって埋め戻しとけ。ちゃんと上下、間違えんなよ」
「あ、それ、俺らも思ってた!」とタクが言った。
「こら! タク。悪いことしたの分かってるのか」
先生は少し怒ったように見えたけれど、ちょっと口元がゆるんでいた。
その声の底には、やわらかいやさしさがにじんでた。
きっと、ぼくたちの“好奇心のタネ”を見守ってくれたんだと思う。
もしかしたら、ぼくらがシャベルを片手に嬉々としててタネを掘り起こすさまを、最初から最後までずっと見ていたのかもしれない。
「タネがかわいそうだろ」
そう言いながら、今度は少しだけ本気で怒った。
遠くで、女子が「よしおかせんせ〜い!」と呼んでいた。
先生は「次からするなよ」とだけ言って、くるっと背を向けた。
◆穴掘り部隊結成
それからというもの、ぼくらはとりつかれたように穴を掘った。
目的はなかった。ただ掘って、埋めて、また掘った。
タクはテストの点数を封印した。
テストの56点のところだけ、小さくちぎって埋めた。
「よし、証拠隠滅」って笑って、みんなで転げて笑った。
残りのテストの本体はくしゃっと丸めてゴミ箱に捨てた。
後日、ゴミ箱から発掘されて、長谷川先生に怒られた。
「名前のとこも埋めとくべきだった」って笑った。
ミミズを掘り当てたときは、
「どっちが前かな?」とシュン。
「そっとおいてみて、進むほうじゃない?」とぼく。
じっと見守って、ほんの少し動き始めた瞬間が笑いのスイッチ。
涙が出るほど笑って、ひとしきり笑った後に、
「でも、バックしてるかもな?」ってタク。
土の匂いに見守られながら笑った。
ぼくらは、いつからか自分たちのことを「穴掘り部隊」と呼ぶようになった。
ミッションは――穴を掘ること。それのみ。カッコいい。
小さなシャベル片手に。タクはお姉ちゃんのお古で赤。シュンは水色。ぼくはシルバー。
掘っているときにお互いのシャベルがあたると金属の「キーン」って音が鳴る。
「いやな音!」って笑いあう。
それから、メダカのお墓もつくった。
「毎日穴ほってるんだから、埋めてあげてなよ」といきもの係の女子に言われて。
ぼくらは、メダカを水槽から、やさしくすくって、やさしくティッシュにくるんで運んだ。
「どこに埋める?」
「大きな木の下がいいんじゃない?」
葉っぱが青々と茂る桜の木の下に穴を掘って、
メダカにそっとティッシュをかけた――お布団みたいに。
そして、土をかけて埋めた。
それから、校庭を走り回って、花を摘んだ。
しろつめ草、オオイヌノフグリ、たんぽぽ。
名前も知らない草花――オレンジのポピーみたい花、糸のようなピンクの花、黄色い花、小さな白い花。
たくさんちぎって、メダカのお墓の上にばらまいた。
◆もぐらの穴とクローバーのにおい
校庭の隅の築山の裏には、クローバーが一面に広がっていた。
その緑の絨毯の中に、土が盛り上がり、でこぼこしている場所を見つけた。
それも、たくさんあった。
「もぐらの穴?」
そう言って、ぼくら“穴掘り部隊”は、もぐらの大捜索に入った。
傷つけたクローバーの強く青いにおいにつつまれながら…。
もぐらの出口を探して、掘って、掘って。
そのころ、ぼくはぼんやりすることが増えていた。
「おい、どうした?」とタクに肩を叩かれたり、
「穴ほり、飽きちゃった?」とシュンに心配されたり。
ぼくは「ううん。楽しいよ」と答えたけれど、言葉は遠くを漂った。
シュンはときどき鋭い。
「あおい、なんか雰囲気変わったな」
「そうか、気のせいだろ」ってタクは笑い飛ばす。
でも、気のせいじゃない。僕も分かっていた。もう同じ笑い方はできないことを。
それは、突然来たわけじゃない。
前みたいに夢中になれなくなって。
じょじょに、タクとシュンが笑っていても、ぼくは笑えなくなってきていた。
なんだか、気持ちがほんの少し遠くに行ってしまったみたいに。
「前みたいに、楽しさがやってこなくなっちゃった」——
そう思って、少しだけ切なくなった。
タクもシュンもどちらも正しかった。僕は変わって、
そして、だけど変わっていない。
ずっと僕だ。
そして、今の僕にもちゃんと続いている。
ついにもぐらは見つからなかった。
◆「ぼく、学校に行かない」
「ぼく、学校に行かない。」
その言葉は、自分の口からするりと出た。
考えていたわけでも、決めていたわけでもなかった。
朝食を食べながら、ぼくはそう言った。
母は「なんで?」とは聞かなかった。
「そう」とだけ言って、学校に連絡してくれた。
それから、お皿にウインナーをそっと追加してくれた。
「明日は行くのよ」
そう言って、ヨーグルトを渡された。
ぼくは、いちごのヨーグルトを食べて、スプーンを静かにおいた。
「チン」と静かに音がなった。金属の尖った音が見えた。きっと、ぼくにしか聞こえない。ぼくにしか見えない。
5月の終わりから、ぼくは少しずつ学校を休むようになった。
それからは、雨の時期ということもあって、
家で過ごすことが多くなった。
でも、お母さんに誘われれば、スーパーやコンビニへも出掛けた。
本屋さんにもよく連れて行ってもらった。
学校も、まったく行かないわけじゃなかった。
いやなことがあったわけでもなかった。
けれど、気持ちがふわふわしていた。
◆穴を描く
ある日、ぼくは自由帳に、2Bの鉛筆で黒い丸を描いた。
中心からくるくると書いた。そのうち、その円はどんどん大きくなっていく。
気づけば夢中になっていた。鉛筆の鼓動を感じながら、ぐるぐると力強く描き続けた。
塗りつぶされずに残った自由帳の白が、まぶしかった。
まるで、光が刺すようだった。
それから、しばらくのあいだ、
ぼくは自由帳を手にとり、ぐるぐるを描き続けた。
鉛筆は4Bに変えた。
ぼくの耳に届く音は4Bの鉛筆から響く「ごりごり」とした、にぶい音だけ。
ぐるぐる、ごりごりに集中する時間は、心地よかった。
ふと、ぼくは思いついて、その黒いぐるぐるのまわりに線を描きたした。
草のような線。
雲のように流れる曲線。
それから、小石のようないびつな点。
描くうちに、それが「場所」だと気づいた。
遠くから光が差し込む、“トンネル”だった。
鉛筆の黒も、自由帳を傾けて角度を変えると銀色に光った。
光の粒が笑いかけるみたいに、きらきらと。
「うわあ」心が躍った。

◆穴に入る
それから、ぼくは、その想像のトンネルに足を踏み入れた。
はじまりは、ノートの上で光の粒が躍りはじめたこと。
ぼくは、今日もきらきらする4Bの鉛筆の粉を、ノートの上で踊らせて楽しんでいた。
「きれいだなぁ」
ノートを右に左に傾けるだけで、黒が銀色に光った。
「黒って、真っ黒だけじゃないんだな」
「ぴやっ」と光の粒が飛んだ。
ぼくはそれをつまんだ。
ほんの一瞬、光の粒が見えた。
それから、ぼくの目の前でぶわっとはじけ、
きのこの胞子のように舞い上がった。
蛍が飛び立ったみたいだった。
「——きれい」
ぼくは言葉を失った。
とにかく、美しい光の粒に囲まれて、幻想的な光景だった。
飛び立った光の粒から、「ぴやぴや」と音が聞こえた。
「ぴやっ、きれい?」
「うん、きれい」
「うれしいね」
「うん、うれしいね」
遠くで、かわいい声が聞こえた気がした。
◆ぴやぴやたちとの日々
次の日、ノートを開くと、また光の粒がいた。
「ぴやっ」って、かわいい、ちょっと高い声がした。
それから、ぼくとぴやぴやたちの日々がはじまった。
ぼくがノートに描くイラストに、光の粒がふれると、命が吹きこまれるようだった。
下手くそだけど、それは関係なかった。
描いた草には朝つゆがひかり、風にそよいでいた。
描いた雲の切れ間から、光がさした。
ぼくは温かさを感じた。
描いた蝶は、ひらひらと光に吸いこまれるように飛んでいった。
「ぴやっ、とんでったね」
「うん、とんでったね」
ぼくは、五感ぜんぶで、想像を楽しんでいた。

◆夏が近づいていた
タクとシュンは、今もたまに遊びに来てくれた。
「おーい、いいもの見にいこうぜ」とタクが誘いに来た。
誘われるままに、日曜日の学校に行った。
「はやく、はやく」とシュンが呼んだ。
「じゃーん」とタクが言った。
ひときわ大きなひまわりが、空を向いて咲いていた。
「これ、ぼくたちが掘っちゃったタネ?」とぼくが言うと、
「そう。だって、こんな花壇のすみっこに埋められたタネなんて、これだけでしょ?」とシュンが誇らしげに言った。
「そうだね」って笑いあった。
たった一本だけ、みんなより先に、花壇のはしっこで咲いていた。
外の風は生ぬるかった。
でも、久しぶりの風は気持ちよかった。
そして、夏がやってきた。
◆季節は移る
それから、ぼくの光の粒たちは風や雨つぶたちもつれてきた。
ノートに描いた動物たちの影もカーテンの裏に隠れていた。
夏は熱気に包まれて、光の粒たちは「ぴやぴや」と大騒ぎ。
光が乱反射して、はじけるように飛びまわった。
「あおいー」「たすけてー、とまらないよー」
「たのしいね」「うん。たのしいね」
「トンネルのなか」「うん。穴のなか、きらきらだね」
* * * * * *
「でも、お別れするときがあるのかな?」
「そうだね」「そうかもね」とぴやぴやたちが答えた。
そのあと、はじけて「ぴやぴやっ」と笑った。
そして、季節は夏から秋へと移っていった。
冬の気配を感じはじめたころ、
少しずつ、ぼくの友だちたちが影を潜めはじめた。
ぴやぴやは、少し落ち着いてきたみたい。
大人になったのかな。
「さむくなってきたね」「うん。さむいね」
でも、光の粒たちは、あいかわらずあったかい。
「あったまる?」「うん。あっためよう」
◆冬のおわり
寒い冬の光がやさしくなったころ、トンネルの中は静かだった。
残り少なくなったノートの真っ白なページを、白い光が照らしている。
ぴやぴやたちは、斜めにさす柔らかい光の中で、静かに並んでいた。
うすく金色に光りながら、まるで眠っているみたい。
もう跳ねたり、飛んだり、笑ったりはしない。
穏やかな寝息が聞こえてくる。
白くて金色の時間が、静かに流れていった。
* * * * * *
やがて、ぴやぴやたちは光の中に溶けていく。
「春がきたら、またてらすよ」
「ちがうかたちで」
「うん。ちがうかたちで」
「やくそくするよ」
「うん。やくそく」
ぴやぴやたちのささやきが重なって聞こえる。
あおいはそっとノートを閉じた。
光の粒が、ぽろぽろとこぼれ落ちた。
春は、すぐそこにあった。
ぼくにとっては、にぎやかになりすぎた世界から
少し距離をとっていたんだろう。
今なら分かる気がする。
光る粒たちが、ぼくのまわりを跳ねた。
風がささやき、雨はやさしかった。
夏の熱気に魅せられた夢のような時間。
今も、あのときの自由帳は宝物だ。
◆春のトンネル、ひらく
トンネルの中に、やさしい風が吹いた。
風の友だちのささやく声が聞こえた…ような気がした。
「あおい、もう、行けるよ」
トンネルの壁を照らす光は、うっすらと桃色をしていた。
「春がきたね」とぼくは言った。
「もう、行かなくちゃ」
両手で、光の粒をすくうように受け止めた。
トンネルの中に、光の粒がこぼれた。
淡い金色の粒が、道をつくっていた。
あたたかい光が背中を包み、風がそっと背中を押した。
◆春の校庭、もぐら組の再会
「おーい、あおい!」
ぼくらは六年生になった。
始業式の午後、タクが片手をあげて走り寄ってきた。
そのあとから、シュンがにこにこと走ってくる。
ぼくは二人に手を振った。
遠くから、女子の声が飛んできた。
「おーい、もぐら男子ー! また掘ってんの〜?」
「掘んねーよ」
タクが振り向きざまに本気の大声で返す。
女子たちのけらけらと笑う声が、風に溶けた。
三人で顔を見合わせて笑った。
「もう掘らないけど、楽しかったね」とぼく。
「でも今思うと、意味なかったね。ただ掘って笑って、埋めて笑って」
シュンが照れたように笑った。
「意味なんか、いらねーんだよ」
タクが満面の笑顔で言う。
そのとき、女子のひとりが駆けよってきた。
口元に手をそえて、こっそりと言った。
「そういえば、もぐら組が掘った桜の木の下に、花が咲いてたよ」
それだけを伝えると、また女子の輪に吸い込まれていった。
「じゃあ、春を見に行こう」シュンが言った。
桜の木の下には、ほんとうに青いブドウみたいな花が咲いていた。
ほかにも色とりどりの花が咲いている。
「かわいいな」って言って、三人で笑った。
笑いあったら、なぜか照れくさくなって、また笑った。
その笑いが風に乗って、桜の花びらといっしょに舞い上がった。