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ラヌメンの䞻圹は麺か、スヌプか──考えおみたら「䞻圹」がいなかった

ラヌメンを食べるずき、たず最初はスヌプを味わう人は倚いず思う。

確か、ラヌメン評論家の倧厎裕史氏やYouTuberのSUSURU氏もそう蚀っおいたず蚘憶する。

しかし、「ラヌメン」ずいうからには「メン」、぀たり「麺」ではないか。

぀たりラヌメンは麺料理であり、麺から味わっおもいいのではないか  。

どっちでもいい

それはそうなのだが、やはりそのあたりをはっきりしたいのが、私の性分。

しばらくお぀きあい願えれば幞いである。

そこには食文化の深遠なドラマが隠されおいる。


​ラヌメンなのだから、麺が䞻圹ではないのか

​「ラヌメン」ずいう蚀葉の成り立ちを考えれば、これは間違いなく䞭華麺を䞭心ずした料理である。

挢字で曞けば「拉麺」。

「老麺」や「柳麺」ずいう曞き方もあるが、生地を延ばしお䜜る補法に由来するず蚀われおいる。

​だから本来の定矩から蚀えば、䞻圹は「麺」であっお然るべきだろう。

うどんやそばず同様、麺類ずしおのアむデンティティはそこにあるはずだ。

​ずころが、実際のラヌメン店で私たちが取る行動はどうだろうか。

䞌が運ばれおきたずき、真っ先に箞を぀ける人は案倖少ない。

倚くの人がたずレンゲを手に取り、スヌプの味わいを確かめるのではないだろうか。

​店䞻偎も「我が店の呜はスヌプにあり」ずばかりに、䜕十時間も骚を煮蟌み、出汁ぞのこだわりを匷調する。

麺料理であるはずのラヌメンが、最初に評䟡されるのはスヌプずいう䞍思議な珟象がここにはある。

​スヌプが倉われば、ラヌメンも倉わる

​ラヌメンの分類方法を思い返しおみおも、スヌプの存圚感の倧きさに気づかされる。

​私たちがラヌメンを遞ぶずき、䜕を基準にしおいるだろうか。

「今日は醀油の気分だな」「濃厚な豚骚が食べたい」「あっさりした塩にしよう」ずいった具合に、スヌプの味や皮類でカテゎラむズしおいる堎合が倚い。

​スヌプが倉われば、料理党䜓の看板が倉わる。

醀油ラヌメン、味噌ラヌメン、豚骚ラヌメン  。たるでスヌプが党䜓の支配者であるかのようだ。

​しかし、だからずいっおスヌプ単䜓で成立するかずいえば、決しおそうではない。

どれほど極䞊のスヌプを泚いだずころで、そこに麺がなければただの汁物に過ぎない。

そしお店䞻たちは、そのスヌプの個性に合わせお、盞性の良い麺を吟味し遞んでいる。

​麺が倉われば、スヌプの衚情も倉わる

​ストレヌトな现麺、噛み応えのある倪麺、スヌプずよくからむ瞮れ麺。

あるいは小麊粉に察する氎の割合を瀺す「加氎率」の違いなど、麺のバリ゚ヌションは実に倚圩だ。

​同じスヌプを泚いだずしおも、合わさる麺の倪さや圢状が倉われば、口に運んだずきの印象は劇的に倉化する。

​现麺であればスヌプがしずやかに絡み、喉越しずずもに小麊の銙りが広がる。

倪麺であれば力匷いスヌプを受け止め、噛むほどに味わいが深たる。

「スヌプに合う麺」「麺に合うスヌプ」ずいう、お互いを匕き立お合う密接な盞互関係が存圚しおいるのである。

​぀け麺は、麺ずスヌプをいったん別々にした

​この「麺ずスヌプの関係」をより鮮明に浮き圫りにしたのが、぀け麺の登堎ではないだろうか。

​぀け麺は、いわば麺ずスヌプを䞀床解䜓し、別々の噚に盛っお提䟛するスタむルだ。

茹で䞊がった麺を冷氎で締め、たずは麺だけでひずくち味わっおみよう。

麺そのものの颚味や食感、小麊の甘みを盎接楜しむずいう、たさに「麺が䞻圹」ず蚀わんばかりの食べ方である。

​だが、どれほど麺が矎味しくずも、やはり枩かく味わい深いスヌプに浞さなければ、぀け麺ずしおの完成には至らない。

​別々に切り離されたこずで、かえっお䞡者がいかに互いを必芁ずしおいるかが明癜になる。

離れるこずで絆の匷さに気づくずいうのも、なんずも面癜い話だ。

​竹岡匏ラヌメンが垞識をひっくり返す

​さらに芖点を広げおみるず、私たちのスヌプに察する抂念を根底から芆しおくれるラヌメンがある。

千葉県の房総地方で愛されおいる「竹岡匏ラヌメン」だ。

​䞀般的なラヌメンずいえば、豚骚や鶏ガラ、煮干しなどを䜕時間もじっくり煮蟌んでスヌプを取るのが垞識ずされおいる。

しかし竹岡匏では、豚肉を醀油で煮蟌んだチャヌシュヌの煮汁をそのたた䞌に入れ、そこに麺の茹で汁を泚いでスヌプを䜜る。

​いわゆる「出汁を炊く」ずいう工皋が存圚しないのだ。

​初めおその補法を知ったずきは驚いたものだが、実際に食べおみるず、チャヌシュヌから滲み出た旚味ず醀油の銙ばしさが麺に芋事になじみ、立掟にうたいラヌメンずしお成立しおいる。

​スヌプの専門的な仕蟌みがなくおもラヌメンになり埗る。

ならば、私たちが信じ切っおいた「ラヌメンのスヌプ」の本質ずは䞀䜓䜕なのだろうか。

​ラヌメンには「䞻圹」がいないのかもしれない

​ここたで考えおきお、私はふず膝を打った。

​もしかするず、ラヌメンには端から「䞻圹」など存圚しないのではないか。

​麺だけでも、スヌプだけでもラヌメンにはならない。

そしお忘れおはならないのが、チャヌシュヌやメンマ、ネギずいった具材たちの存圚だ。

䞌ずいう䞀぀の小宇宙の䞭で、それらすべおが組み合わさった瞬間に、初めお「ラヌメン」ずいう奇跡的な調和が生たれる。

​映画に䟋えるなら、䞻圹ず脇圹ずいう階玚構造があるのではなく、党員がアンサンブルを奏でる劇団のようなものかもしれない。

​ラヌメンは「麺料理」ではなく「関係を食べる料理」

​「麺が䞻圹か、スヌプが䞻圹か」ず迷っおいた私が愚かだった。

ラヌメンの最倧の面癜さは、特定の芁玠が他を圧倒するこずではなく、麺ずスヌプ、そしお具材が織りなす組み合わせにあるのだ。

䞻圹を䞀人に絞り蟌めない絶劙なバランス、発想の転換、そしおお互いがお互いを匕き立お合う関係性そのものを、私たちは味わっおいるのではないだろうか。

​䞻圹を決められないこずこそが、ラヌメンずいう料理の懐の深さであり、尜きない魅力なのだず思う。

​今床ラヌメン屋の暖簟をくぐるずきは、ぜひそんな「関係性」に思いを銳せおみおほしい。

䞌の䞭に広がる無数の工倫ず調和が、䞀杯のラヌメンをよりいっそう味わい深いものにしおくれるはずである。🐟