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祖母の翡翠

    「この中から好きなものを選んでいいよ。」
    一年ぶりに帰省しゆっくり過ごした最終日、それじゃあそろそろ寝ようかという頃合いに、母が小ぶりなジュエリーボックスを引っ張り出してきた。
    亡くなった祖母の遺品整理がひと段落し、これは形見分けだという。
    中を覗くと石の嵌った指輪やブローチがいくつか。
    どれも立派で、間接照明しかない寝室のなかでも宝石らしい透明感のある輝きを放っていた。そしてそれらの隅っこに、まろくとろりと光を纏った翡翠の連なるネックレスがあった。
    私は瞬間的にこれがいいと言った。
    母はそれでいいの、と聞いた。
    なぜだかわからないが私はこれが良かった。



    一昨年の秋、祖母が亡くなった。98歳の大往生だった。

    私は幼い頃からずっと、祖母は絶対に100歳まで生きるのだ、と何故か強い確信を持って生きてきた。そのため祖母の死を電話で知らされた時は、悲しみよりも「あと2年で100歳だったのに」という悔しさが込み上げてきた。
    もちろん本当は悲しくて仕方がなかった筈なのだが、大好きな祖母の死が受け入れ難い私の心は、悲しみよりも悔しさを優先した。
    その時涙は出なかったし、隣にいた夫には「おばあちゃん、亡くなっちゃった。あと2年で100歳だったのにね。」とまるで天気の話でもするような、なんでもないような口調で報告した。

    祖母の家は秋田県の北秋田市にある。
    1000坪もある大きな敷地に大きな家。昔はここに畳工場や精米工場も入っていて、作業員さん用のお風呂がある離れや大きな作業倉庫や蔵まであった。
    敷地の中に小川も流れている。
    私も同じ町で生まれ育ち、小学生の時は学校が終わると祖母の家に帰って遊んでいた。私が学校から帰ってくると祖母はいつも「おかえり、つーちゃん」と声をかけてくれた。私の名前は千尋であだ名はちーちゃんだが、祖母のネイティブな秋田弁では「ちー」ではなく「つー」と発音された。
    「ただいま!おばあちゃん!」と元気に答えランドセルを置いたあと、大抵は弟を引き連れ敷地内のどこかしらで遊んでいた。精米工場で祖父の作業を眺めたり畑に行ったり栗を拾ったり。また、敷地のすぐ隣に線路も走っていて1時間に1本くらい電車がそこを通過するので、私たちはその度に乗客に向かって変なポーズをお届けしていた。

    たまに祖母が家から出てきて面白い遊びを教えてくれた。
    あるときは庭にある葉っぱをちぎって表面を揉んで繊維をほぐし、ちぎった茎のほうからぷくーっと息を吹き込んで風船にしてくれた。てのひらでポンポン跳ねる草の風船が面白く、しばらく私の中でブームになった。誰かにも共有したくて学校で作って見せたらみんなやりだしたので、私はなんだか誇らしかった。バトル鉛筆に負けないブームを自分のおばあちゃんが生み出したのだ。
    ときには祖母はお茶目だった。「つーちゃん、こっち」と呼ばれて行ってみると、ビニールハウスの前に表面がモケモケとした実のようなものがたくさんぶら下がっている植物が生えていた。触ってみなと言われおそるおそる触ってみると、そのモケモケは「パチン」というはっきりとした音とともに弾け飛び、周りにタネが散らばった。弾ける植物があるなんて知らなかった私はびっくりして尻餅をつき、それを見た祖母は手を叩いてあひゃひゃと笑った。なかなか笑いのおさまらない祖母にムッとした私は祖母に向かってその「パチン」を飛ばした。祖母は笑いながらお返ししてきた。私もまた返した。二人で笑いながらしばらくタネを飛ばしあった。
    私は祖母のお茶目さと笑い方が大好きだった。

    そういえば私が結婚して初めて夫を祖母のもとへ連れて行ったとき、流暢な秋田弁が全く理解できない夫があわあわとしながら「わ、わからないです」と申告した際にもあひゃひゃと笑ったのを思い出した。なんだかとても嬉しそうな声だった。

    そんな祖母が亡くなった報告を受けて私は夫と二人、飛行機に乗って帰省した。飛行機に乗っている間、これから火葬とお葬式があるというのに、私は久しぶりに祖母に会えるような気持ちでいた。
    コロナ禍は全然会いに来れなかったから久しぶりだな。母や弟にも早く会いたいな。そんな感覚だった。
    やはり祖母は絶対に100歳まで生きるという思いがどうしても消えず、亡くなったという実感が持てなかったのだ。

    空港には弟が車で迎えにきてくれていて、私たちはそのままの足で祖母がいる葬儀施設に向かった。
    そこでお通夜をして明日湯灌をしたら火葬場へ移動、お骨になったらまた施設に戻ってきてお葬式をすると道中聞いたが、私は葬儀に触れたことが少なく湯灌が何なのかわかっていなかった。とにかく今日祖母に会って、明日お別れなんだな、と窓の外の田んぼを眺めながらぼんやりと考えていた。

    葬儀施設は平屋の一軒家みたいな作りで町の中心部から少し外れたところにあった。お邪魔しますと言って玄関の引き戸を開けるとそこには母と叔母がいた。よくきてくれたね、久しぶりだねと話しながら靴を脱ぎ、小上がりに立ち顔を上げた。すぐそこには和室があり、衝立のその奥に祖母は寝かせられていると教えてもらった。衝立の向こうの窓からは秋らしい昼の光が差し込んでいて、遠くの山と青い空、すぐそこには稲刈りの終わった田んぼが見えていた。あまりにものどかで穏やかで、死という概念からかけ離れていると思った。祖母は全然死んでなんていなくて、衝立の角から「おかえり、つーちゃん」とひょっこり現れそうな気がした。
    衝立一枚を挟んだ大きなテーブルを囲み、母から改めて葬儀の流れを聞かされた。葬式も火葬も混み合いすぎていてなんとかねじ込めたのだという苦労も聞いた。田舎の小さな火葬場は1日3回転もするらしい。
    祖母がとてつもなく大往生だったこともあって母も叔母も、なんというかやり切ったというようなさっぱりとした表情だった。さあ、やることをやっていくぞという雰囲気で、全然湿っぽくなかった。からりとした今日の窓の外の天気みたいだ。
    お茶を飲みお菓子を食べ、一息ついたところで「じゃあそろそろおばあちゃんのお顔、見てもらおうかな」と母が言った。私がいそいそと立ち上がると後ろから「おばあちゃんね、とても綺麗にお化粧してもらって、可愛くなっちゃってるの。顔を見たらきっと笑うと思うよ。」と声をかけられた。
    衝立の向こうに周り、布団に寝かせられて顔に白い布をかけられた祖母を見た。布団の膨らみは頼りなく、小柄な祖母がさらに小さく見えて胸がシクリと傷んだ。
    そんなに可愛くなっちゃったの、おばあちゃん。私にも見せてね。と心の中で話しかけながら体の側に膝をつき、顔にかかる布をそっと取った。
    すると、頬も唇もかわいらしいコーラルピンクに染まり、眉毛とアイラインがふんわりと描かれた、まるで乙女のような祖母の顔がそこにあった。
    静かに横たわるその顔を窓の光が柔らかく照らしていて血色も良く見えた。
    全くもって、生きているみたいだった。

    「あはは!本当に可愛くなっちゃってる。おばあちゃん、千尋だよ、久しぶりだね……

    うわぁぁぁん……!」

    私は母に言われた通り、祖母の顔を見て大笑いした後、そこで初めて泣いた。
    可愛いおばあちゃん。でも、もうここにはいないおばあちゃん。
    もう二度とあの優しい声で「つーちゃん」と呼んでくれることはないのだ。
    どう見ても血色がよく、やたらと可愛いお化粧の祖母を前にして、私は笑いながら泣いた。
    かわいいね、おばあちゃん、悲しいよ。
    お別れなんてしたくないよ。

    涙でべしょべしょになった顔を拭っていると母に、先に来ていた私のいとこも全く同じ反応だったと言われた。おばあちゃん、最期までお茶目を発揮したんだな。もっともっと大号泣するかと思っていたけど、そうはならなかった。皆、悲しいけど笑えたんだ。なんだか変な泣き方になっちゃったけど、最後に会えて本当に良かった。
    私はズビと鼻を鳴らしながら、祖母の顔に布を戻した。

    翌日、火葬とお葬式の前に湯灌から始まった。
    亡くなった人の身体を洗い清め、着替えをし、お化粧も直し、旅支度を整えるのだという。人を送るための儀式を間近で見るのは初めての経験だったので、私は興味深く観察していた。
    祖母は丁寧に身体を洗われ、その後なんとヘッドスパまでしてもらっていた。儀式的にお湯をかけるだけだと思っていたから、まさかそこまでしてくれるとは思っていなかった。二人で美容室をやっている母と叔母が、そのヘッドスパをする葬儀屋さんの手つきを真剣な顔で凝視していた。
    私はその二人の横顔を見ながら、葬儀屋さん、やりづらいだろうなと思っていた。
    身体が綺麗になり着替えも終わると次は化粧直しだった。お近くでご覧になりますかと聞かれ、母と叔母と私が近くに行き、広げられた化粧道具を見ると、なんとシュウウエムラだった。
    「見なよちーちゃん、シュウウエムラ。」
    母が興奮しながら言った。
    「おばあちゃんデパコス初めてじゃない?」
    叔母も同様に興奮して言った。
    「おばあちゃん、私もシュウウエムラ持ってるよ。お揃いだね〜。」
    私も一緒だった。
    やいのやいのと盛り上がり興味津々で手元を覗き込む女たちに、葬儀屋さんは祖母にお化粧を施しながらシュウウエムラのメイクアップ道具について説明してくれた。そういう使い方もあるのか、すごいねと感想を言い合っている間にも着々とメイク直しが進んでいた。
    そして葬儀屋さんが筆にコーラルピンクをとった瞬間、横から叔母が身を乗り出し「少し控えめに、ナチュラルにお願いできますか?」と尋ねた。
    私と母は葬儀屋さんに見えないように笑っていた。



    火葬場にはほんのりと覚えがあった。
    20数年前、祖父が亡くなった時にここにきた。初めての身近な人の死に、とにかくわんわんと泣いたことだけはよく覚えているが、建物などの雰囲気はこんな感じだったかと、なんだか懐かしいような不思議な気持ちになった。
    静かで厳かでモノクロで、明るく晴れ渡る空とは対照的だった。
    そういえば祖父の時もこんな天気だったと思い出した。あの時私は火葬場内の静けさが怖くて悲しくて、外に出て祖父の煙が空に登って行くのを泣きながら見つめていたのだった。
    そしてこのあと祖母も煙になって空へいく。
    上空で拡散して、薄くなって、何事もなかったかのようになってしまう。
    お骨は残るが、決定的に祖母である身体は消滅するのだと思うと寂しくて仕方がなかった。

    火葬が始まり祖母が炉に入る前、これまで涙を見せなかった母も叔母も泣いた。泣きながらありがとう、ありがとうねと繰り返し感謝を口にし見送る姿に、私の知らない祖母と母たちの母娘の人生を思った。そして名残惜しそうに棺桶の窓を閉める二人を見ながら、よく考えたら私は祖母のことを実はほとんど知らないのではないかと思い至った。今更すぎる。
    私が生まれる前、祖母が祖母になる前の暮らしを私はよく知らない。
    何の曲が好きで、何を着て、どんな時代を生きてきたのかきちんと聞いたことがなかった。祖母が歩んできた人生を、祖母の喜びや悲しみをまるで知らないままだと思った。

    生きているうちにもっともっとたくさんのことを話せばよかった。

    棺桶が炉に入り、重い音とともに扉が閉められたとき、私はひどく後悔をした。亡くなってから知りたいだなんて、ひどい孫だ。
    炉を見つめる母と叔母の背が小刻みに揺れていた。二人は今何を思っているのだろう。
    私の知らない祖母の人生の記憶。そのうちのひとつでもいいから、いつか二人から教えてほしいと思った。

    火葬が滞りなく終わり、祖母はお骨の姿になった。
    すっかりコンパクトになった祖母を見てなんだかみんな吹っ切れたようだった。お骨上げで立派な形の喉仏が発掘されたときは火葬場の人がちょっと引くくらいみんなで盛り上がった。
    きっとこれでもう泣かない。あんまり泣いたら祖母も困ってしまうだろう。あとはみんなで思い出話でもして、明るく見送ろう。そう思って帰路についた。
    だがしかし、火葬場からの道中で祖母の家の前を通った時、祖母におんぶされて歩いた幼い頃の記憶や私を呼ぶ声が鮮明に思い出されて私はまた泣いてしまった。
    ついさっき泣かないと決めたばかりだったのに、祖母と過ごしたあの大きな庭や家を見たら次から次へと思い出が溢れ、思い出した数だけ涙が出てきてもうどうやっても止まらなくなってしまった。いい加減泣き止みたかった。
    でも誰かが鼻を啜る音が聞こえたから、きっと私以外の人もそうなのだろうと、もう手放しで泣くことにした。



    祖母の形見のネックレスをもらった夜、私はベッドに入ってからもずっと手の中で翡翠のネックレスを転がしていた。枕元の照明にかざすと柔らかく光を通し、触れるとしっとりと冷たい翡翠は不思議と心が落ち着いた。ジュエリーボックスの他の宝石たちもみんな綺麗だったけど、やっぱりこれにしてよかったと思った。
    受け取った時に「これはあなたが生まれる前、おばあちゃんとおじいちゃんが二人で中国の桂林を旅行した時に買ってきたもので、おじいちゃんからのプレゼントなんだよ」と母が教えてくれたのだ。
    二人が海外旅行していたなんてこれまで聞いたことがなかったし、祖父からのプレゼントだと聞いて驚いた。祖母とは対照的に厳格で、ちょっと怖くてあまり喋らなかったあの祖父が旅先で妻にジュエリーをプレゼントするなんて。
    どんな気持ちでプレゼントしたのだろう。二人で一緒に選んだのだろうか。祖母はこのネックレスを受け取った時、きっと嬉しかったに違いない。ありがとうと伝えたら、あの祖父はなんて言葉を返したのだろうか。
    遠い異国の地で祖母たちがしたかもしれない会話を想像すると、なんだか愉快な気持ちになった。
    これまで知らなかった二人のことが知れて嬉しかった。
    でも、もし生きているうちに話せていたら、もっともっと二人のストーリーが聞けていたのかも知れない。
    だからせめて、今日は夢に祖母たちが出てきてくれたらいいなと思った。
    そうしたら「あの時はどんなお気持ちでしたか」と二人にインタビューしたい。きっと祖父はむすりと目を閉じて言葉を濁すだろうし、祖母は照れくさそうにあひゃひゃと笑うだろう。



    2026年5月末。
    私は新潟県糸魚川市のヒスイ海岸にいた。
    梅雨に入る前の新緑の綺麗な季節、からりとした空気にうっすらと感じる夏の気配。歩くと汗ばむ陽気で、空も日本海も青く色づいていた。
    この海岸では運が良ければ翡翠の原石が拾える。山から川を下り海に出た石が、日本海の荒波で海岸に打ち寄せられるのだ。
    祖父が祖母にプレゼントした翡翠というこの綺麗な石が一体どういう石なのか、歴史や鉱物としての成り立ちを調べたら日本でも翡翠は産出されていることを知り、絶対にここに来たかった。
    何千万年、もしかしたら1億年以上も昔に地中深くで誕生して、長い年月をかけて地表まで上がってきた石たち。そして遠い国で掘り起こされて祖父から祖母へ、そして私の元にやってきた翡翠のネックレスと、糸魚川の海岸で誰かに拾われるのを待つ翡翠の原石。それぞれ生まれが違うけれど、ロマンがある。今度帰省したらこの旅のお土産話を持って、祖母たちのお墓に報告をしに行こう。そう決めて、この海岸までやってきたのだ。

    拾えるかわからない石を探すためだけに誰かを誘うのはなんだか気が引けてしまい最初は1人で旅をしようかとも思っていたが、思い切って声をかけた友人はかぶりつきで快諾してくれた。「いいね、すごく楽しそう!」「せっかくならさ、初夏を満喫しちゃおうよ。」と目を輝かせる彼女を見て誘ってよかったと嬉しくなった。きっと彼女となら翡翠が見つからなかったとしてもいい旅になる。

    ヒスイ海岸の最寄り駅を降り少し歩くとすぐそこが海だった。眼前に広がる海から濃いめで強めの潮風が吹きつけてきて、私たちの髪を乱した。
    「うわ、すごく潮だ!」
    しょっぱい香りに二人ではしゃぎ、風がドッと吹いてくる度に「潮〜〜!」と叫んだ。ちょっとベタつくけれど、汗をかいた肌には涼しく気持ちがよかった。
    私が「これってもう結構夏じゃない?」と友人に問いかけると「すごく夏だよ。アイスも食べちゃおう。」と天才的な返事が返ってきたので二人で海沿いのコンビニに寄った。溶ける溶けると急いで堤防に走り、そこで翡翠探しの前に初夏の爽やかな海と石の海岸、そして二人の旅にスイカバーで乾杯した。
    シャリシャリとアイスを齧りながら祖母の翡翠を取り出して見てみると太陽の光をめいっぱいに含んで、これまで見た中で一番綺麗だった。
    きらきらと光る水面と淡く輝く翡翠はこの季節にぴったりで、良い季節に大好きな友人と良い旅ができている事実で、なんだか胸がいっぱいだった。
    ここに来れて本当によかった。

    堤防から降りると無数にひしめく石たちが足元でジャリジャリと鳴った。このどこかに翡翠はあると思うとわくわくが止まらない。もしかしたら今まさに踏んでいるものが翡翠かもしれないのだ。
    しゃがんで一つ一つ石を見てみると、その中についさっき博物館で予習してきたような石があった。日にかざすと透けているような気がした。いや、絶対に透けている。
    「ねぇこれ!翡翠かもしれない。」と言うと友人は「本当だ透けてる!これは翡翠確定だよ!」と答えてくれた。しばらくすると友人も拾った石を持ってきて「これ……かなり確定じゃない?」と聞いてきたので私も「これは確定だね。」と答えた。
    そして私たちは次から次へと石を拾い上げては太陽にかざし「透けてる、確定だ!」「あれもこれも全部翡翠に見えてきた!確定、確定!」と大騒ぎし、時折大きく打ち寄せてくる波からきゃあきゃあと逃げ、たくさん笑いながらたくさん石を拾った。

    そして旅の帰り道、私たちはずっとお互いのことを喋っていた。
    これまでの彼女とは共通の趣味の話が多かったのだが、今回の石を拾うだけという不思議な温度感の旅ではお互いの家族やルーツについて、そして出会う前の話もたくさんした。移動中もご飯を食べている時もお風呂に入っている時も、途切れることなくずっと喋ってこれまで知らなかった彼女のことをたくさん知った。都会的に見える彼女が幼い頃は何もない漁村に住んでいたことと、そこでの暮らし。入社試験でしてしまった変な回答や昔に付き合っていた人のこと。ほかにもたくさん。
    これまではお互い別にわざわざ話すことでもないと思えていた小さなできごとも、話してみるとお互い思っていた以上に興味深くて「なんだかお互いの人生の解像度が上がったね。」と話した。
    なんだか照れくさくてそわそわしたけど、嬉しくて、この旅の思い出は一生忘れないと思った。



    楽しく穏やかな旅が終わり、私は祖母の翡翠と翡翠かもしれない石たちと一緒に帰宅した。
    おかえりと出迎えてくれた夫に旅の報告をし、たくさんの写真を見せると楽しそうに聞いてくれた。博物館で得た知識を披露し翡翠の見分け方について説明すると、早く実物を鑑定してみようよと催促されたので、私はドヤ顔で鞄からずっしりとした巾着を取り出した。
    「実は結構良い感じのがたくさん拾えちゃったんだよね。これはね、かなり翡翠だと思うよ。」
    そう言って巾着を開げ、拾ってきた石たちをジャラジャラとテーブルの上に並べた。しかし家の照明の元で改めて見てみると、それらはどこからどう見てもただの砂利にしか見えなかった。
    おかしい、海岸ではあんなに輝いて見えたのに、と焦ってチラリと夫を見ると、どう見てもただの砂利じゃないかという顔で困惑していた。いやそうだよね、今私が見ても本当に砂利だもの。
    とりあえず!と慌ててその中のひとつをLEDライトに当ててみた。すると端の方がぼんやりと緑色に光ったので夫は「本当に光った!」と言ってにわかに興奮した。ほらね、ただの砂利じゃなかった。よかった、焦った。
    そして次から次へとライトを当ているうち、その中にひとつ、隣に並べた祖母の翡翠とおなじくらい綺麗な緑の輝きを放ち、中に繊維状の結晶が見える石があった。限りなく翡翠の特徴に合致している。
    それを見た夫が「これかなり翡翠じゃない?」「これは確定だよ!」と声を上げた。海辺の友人と全く同じセリフだったので私はおかしくて一人で大笑いしてしまった。脳内の友人も「確定!確定!」と騒いでいる。

    これが本物かどうかは分からないけれど、友人と旅先で拾い、夫と一緒に鑑定している瞬間の全てが楽しく愛おしかったので、私はこの石を翡翠とすることに決めた。
    お墓参りにはこの石を持って行こう。祖母たちも確定だと言ってくれるだろうか。私は確定だと言う祖母と隣で渋い顔で頷いている祖父を想像し、再び笑いながら、翡翠のネックレスと暫定翡翠の原石を一緒に大事に仕舞い込んだ。



    翌日、折角だから母にも報告しようと思い
    「おばあちゃんの翡翠がきっかけでヒスイ海岸へ行ったよ。」
    と旅行の写真を送った。すると早速既読が付き、
    「おばあちゃんの翡翠?そんなのあったっけ?」
    と返信があったので、私はスマホを持ったまま漫画みたいにずっこけた。
    そんなことある?あの翡翠だよ?
    「あーはいはい!あの桂林のお土産の翡翠ね。あったねそんなの。」
    母の反応があまりに軽くて拍子抜けした。
    「そういえば今思い出したけど、あの時おばあちゃんが初めての海外旅行だったからわざわざ県外のレストランに連れて行ってナイフとフォークの使い方を練習させたんだよね。」と返信があった。
    おお、出てくるじゃないか知らないストーリーが。もっと聞かせてほしい。
    続けて返信があった。
    「でも今よく考えみたら行き先は中国だから全然箸でよかったんだわ。笑える〜。」
    私は再びすっ転んだ。
    今でもたまにおかしな抜け方をする母だが、やっぱり昔から変わってないんだなと笑った。他には何か覚えていないか尋ねると
    「あまり覚えていないけど、駅まで2人を見送った時に、喧嘩はするなと言ったことだけははっきりと覚えてるよ」と返事があった。
    翡翠のことは忘れるのにその一言は覚えているんだ、変なの。
    そしておそらく今は仕事が暇で隣にいる叔母に聞いたのだろう、叔母からは「お土産が定番中の定番の置物と掛け軸で、面白みに欠けていた」と星2つの評価が届いた。
    私はまたもやがくりと力が抜けて転びそうになりながら笑った。
    でもそうかと、納得した。
    私にとってこの翡翠は祖母の形見のネックレスだが、母や叔母にとっては夫婦喧嘩の心配がある両親たちの、初めての海外旅行のお土産のひとつでしかないのだ。それに私は勝手にこのネックレスに祖父母のロマンス的なものを想像していたが、もしかしたら旅先でひどく喧嘩をして、そのお詫びの品だった可能性もある。祖母も祖父ももういないから、実際どうだったのかはもう知ることができないけれど、こうやって母たちから、子供から親への目線で話が聞けるのはかなり新鮮だった。

    私が生まれる前の母と叔母、若い頃の二人と祖母たちの親子関係ってこんな感じだったんだな、なんか思っていたより雑で拍子抜けするなと思った瞬間思い出した。祖母の火葬の時に私が後悔したことを。生きているうちにもっと話したかったのはこういう話だったのだということを。
    祖母が無駄にナイフとフォークの練習をさせられたこともお土産の置物が不評だったことも誰かにとってはどうでもいい話だけれど、私にとっては祖母らしさも母らしさも叔母らしさも全部盛りの話だった。
    きっと今度から翡翠のネックレスを見るたびに、祖母だけではなく母も叔母も祖父のこともみんな思い出すし、この話は絶対に忘れることはないだろう。

    そして思った。これからは身近な人たちともっとたくさん話をしようと。
    些細なことだけどその人らしさが滲むような話や、くだらないけど一度聞いたら忘れないクスッとするような話。そういうなんでもないような話をもっともっと聞きたい。そしていつかお別れの時がきても、後悔しないくらいのたくさんの思い出話を作りたい。

    今度帰省したら祖母のお墓に報告しに行こう。あの翡翠のネックレスが私をヒスイ海岸に連れて行ってくれたこと、旅の思い出、そしてなんでもないような話はすればするほど良いと思ったこと。

    その人を思い出す核みたいなものは、どうやら結構くだらない話の中にありそうだと祖母の翡翠は気づかせてくれたのだ。

    おわり

     
     

    moge

     
     
    東京都在住。女性。 鳥類を愛し、アウトドアと料理を好み、プロレス観戦を楽しんでいます。多趣味。 X:@mogezones

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