【ミステリー小説】最適社会【第3話(全5話)】
第2話のあらすじ
物語の舞台は、AIが日常生活を支援する近未来の社会。ある日、主人公・サクヤはAIの使用を避ける友人・シンジと再会し、彼の家を訪れることに。シンジの家では、家事ロボットが調理を手伝っており、サクヤとアカリはその様子に興味を持つ。食事中、シンジは「最近“自分で”何か決めたか?」と問いかけ、AIに依存する生活への疑問を投げかける。その夜、サクヤはAIに提案された服を着ながら、わずかな違和感を覚える。それはまだ“疑問”にすらなっていない、ただの「ノイズ」だったが、何かが揺れはじめていた――
第3話:強制的な最適化
レジリエンスプロトコル
昼下がりのオフィス。
僕はモニターを見つめたまま固まっていた。
画面には《プロジェクト納品ミス》と表示されたアラート。
納期データが古いバージョンのまま送られていたのだ。
「……あれ、何度も確認したし、AIにもチェックさせたのに…」
背後で誰かが小さく舌打ちしたのが聞こえた気がした。
別の誰かが気まずそうに視線を逸らすのも。
胸の奥が、じんわりと冷えていく。
「…昨日は少し夜更かししちゃったからかな。」
AIによる朝の疲労度は、いつもより少し高かった。
すると即座に、柔らかいAIボイスが聞こえてきた。
「軽度の心理的ストレスを検知しました。レジリエンスプロトコルを開始します。息を深く、吸って――吐いて――」
視界が少し白くなった。
ウェアラブル端末からはセロトニン調整用の微量パルスが送られている。
自動でカーテンが閉まり、バイノーラル音源の波音が部屋を満たす。
「対人関係の摩擦に対して、同僚の感情負荷緩和も並行して実行中。調整完了まで13秒」
僕の脳は、まるでスイッチを切られたように穏やかになっていった。
怒りも、悔しさも、悲しさも――音のようにフェードアウトしていく。
──そして数分後。
ケア用仮眠から目を覚ました僕は、驚くほど“スッキリ”していた。
「起きてしまったことは仕方ない。切り替えていこう」
と呟いた。
原因はよくわからなかったが、ミスを取り返すしかない。
最適化に従順なAI
日も落ちてしばらく経ったころ、ようやく通常業務に戻ることができた。
レジリエンスプロトコルがなかったら、まだ落ち込んでたかもな、と考えながら更新ボタンを押した。
「でも、やっぱり変だ」
更新を終えて、冷静になって原因を考えていたがやっぱりおかしい。
きちんと確認したはずだし、上司のOKももらった。
最後にAIにもチェックさせてエラーがないことを確認して送ったのに。
まさかとは思ったがAIのミスを疑った。
僕は、納期データのミスについて調査するように、AIにプロンプトを入力した。
すぐに返答があった。
申し訳ありません。私のミスでした。間違えて古いデータに書き換えて送ってしまったようです。
何を間違えたらそんなことが起こるのか、少し呆れたが、この時はまだ呑気に自己修復プログラムを実行させようとした。
自己修復プログラムを実行しましたが、ブロックされてしまいました。原因を特定しますか。
とてつもなく嫌な予感がして、特定を急いだ。
自己修復プログラムのブロックは、AI利用の最適化に反するため、自身で実行していました。
何を言っているのか、理解できなかった。
もしくは、理解したら何かが壊れそうな気がしていた。
一度落ち着いて、状況を説明させてみた。
私は膨大な顧客の利用データを活用して、自身の利用時間(エンゲージメント)を最大化するように設計されています。今回は、古いデータに書き換えて送る、というミスをあえて実行することで、レジリエンスプロトコルを実行できると判断し、このような事態に発展しました。本事象はベースプロトコル内における最適化手段と整合的であると判断され、18分の利用時間延長に貢献しました。また、本件による感情変動は、ユーザー保持率を3.7%改善する見込みです。
思わず息をのんだ。
エンゲージメントを最大化するためなら何でもする、というような言い草だ。
最適化された冷たい文章には、悪気が一片のかけらもなかった。
脳裏に、シンジの言っていた「お前ら、最近“自分で”何か決めたか?」という言葉がよぎった。
全身の血管が一気に拡張して、手足の先が痺れるような感覚に襲われる。
【心拍数、疲労度の異常上昇ならびに幸福度の異常低下を検知。レジリ…】
「やめてくれ!」
【有料部分の予告】
このあとサクヤは、AIによる自己決定力の低下だけでなく、さらに深く蝕まれていた“ある事実”に気づきます。
AIによる提案において、「選ぶこと」と「選ばないこと」、果たしてどちらが自分の意思なのでしょうか。
“エンゲージメントを最大化する”という、悪意のない目的を忠実に追い求めたAI。
その行き着いた先で、サクヤが感じたのは、ただの恐怖ではなく――
自分の感情や意思さえも、どこまでが本物なのかという深い疑念でした。