
連載小説「銀色の賢者が綴る 同居人への教育論」第6話|禁断の果実、あるいは「美食家への覚醒」
城での暮らしがすっかり板についてきた頃、僕はひとつの深刻な問題に直面していた。
毎日差し出される供物の質が、どうにも満足のいくものではなかったのだ。
君が用意してくれる、あの茶色い粒。
ときにふやかされ、ときにそのまま器に盛られるそれは、どうにも無難すぎた。
生きるために必要なのはわかる。
けれど、心を震わせる何かが、決定的に足りない。
僕は賢者らしく、沈黙によってその不満を伝えていた。
数口だけ嗜み、あとは器の前に座ったまま、静かに抗議する。

君はそんな僕を見て、困ったように笑っていたね。
「モフ、食べないと大きくなれないよ」
……やれやれ。
ただ大きくなればいいという話ではないんだ。
僕に必要なのは、魂に届く栄養だよ。
そんなある日のことだった。
部屋の空気を切り裂くように、これまで嗅いだことのない甘く濃密な香りが流れ込んできた。
香ばしく焼かれた生地の匂い。
その奥に隠れている、やわらかく、まろやかで、どうしようもなく抗いがたい甘い気配。
僕は顔を上げた。
見れば、君が手にしていたのは、薄い黄金色の皮に包まれた、丸くやわらかな菓子だった。
君はそれを嬉しそうに頬張り、かじった断面からは、とろりとした淡い黄金色のクリームがのぞいていた。
その瞬間、僕は悟ったんだ。
……なるほど。
君は僕にあの無難な粒を差し出しながら、自分だけこんな天上の食べ物を味わっていたわけだね。
僕は静かに立ち上がり、君の足元へ歩み寄った。
そして、できるかぎり上品に、しかし明確な意志をもって君を見上げた。
「君。それをひとりで楽しむのは、共同生活の理念に反すると思わないかい?」
君は僕と目を合わせ、少しだけ困ったように眉を下げた。
「モフ……少しだけだよ」
その一言とともに差し出された、はじめてのカスタード。
……衝撃だった。

なめらかで、あたたかくて、甘い。ただ甘いだけじゃない。
卵の丸みと、ミルクのやわらかさと、舌の上ですっとほどける濃密な幸福があった。
君は「困ったなぁ、こんな味を覚えちゃって」と苦笑していたけれど、困ったのはむしろ僕の方だった。
こんなにも美しい味がこの世にあると知ってしまったら、もう後戻りはできない。
そして君もまた、気づいていたはずだ。
僕がただ食いしん坊なのではなく、
ちゃんと「好き」を持ち、はっきりと喜びを表す、小さな同居人なのだということに。

あの最初のひと舐めは、美食家としての目覚めであると同時に、
君が僕を甘やかす未来の、静かな始まりでもあったのだ。
🎬 モフが、はじめて“甘いしあわせ”を知った日の映像
「少しだけだよ」
君の指先にのせられた、
はじめてのカスタード。
それは、モフにとって
ただのおやつではなく、
美食家として目覚める
忘れられないひと舐めだったのです。
YouTubeで見る:https://youtube.com/shorts/HeEJX9YIb3k
マガジン
「銀色の賢者が綴る 同居人への教育論」
第1章は、ここでひと区切りです。
小さな銀色の賢者と、
少し不器用でやさしい同居人の物語。
第1話から第6話まで、
見守ってくださりありがとうございました。
そして物語は、
もう少しだけ続いていきます。
続巻も、どうぞお楽しみに。