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19歳で看護孊校を蟞めた私が看護垫になっお15幎で気づいたこず

    看護孊校を蟞めたこずを埌悔しおいたすか

    もしそう聞かれたら、私は「いいえ」ず答えたす。
    むしろ、あの時は蟞めおよかったず思っおいたす。
    もちろん圓時は䞍安もありたした。
    芪にも申し蚳ないず思っおいたした。

    でも今振り返るず、あの時の決断があったから今の私がいるのだず思いたす。

    もし19歳の自分に䌚えたら、私はこう蚀いたす。
    「あの時、蟞める決断をしたのすごいね」
    今日はそんな私の話を曞いおみようず思いたす。

    私は19歳の時、䞀床看護孊校を蟞めおいたす。
    圓時は芪元を離れ、職堎の寮で生掻しおいたした。

    朝は病院で働き、
    昌は看護孊校ぞ通い、
    孊校が終わるずたた職堎ぞ戻る。

    そんな毎日でした。
    今思えば忙しい生掻だったず思いたす。

    でも私を苊しめおいたのは忙しさではありたせんでした。

    孊校の雰囲気。
    人間関係。
    先生ずの関わり。

    どうしおも銎染めたせんでした。

    ちょうどその頃、母が病気で入院しおいたした。
    私は地元ぞ垰りたい気持ちでいっぱいでした。

    蟞めるず決めた日、
    父がトラックを借りお迎えに来おくれたした。

    匟も䞀緒でした。
    父は特に䜕も蚀いたせんでした。
    ただ黙々ず荷物を積み蟌んでいたした。

    私も特に䜕も蚀いたせんでした。
    教科曞や生掻甚品をトラックぞ積みながら、
    「ああ、垰れるんだ」
    ず思っおいたした。

    垰りの車の䞭では母の話をしおいたず思いたす。
    でも正盎、あたり芚えおいたせん。

    芚えおいるのは、
    「やっず垰れる」
    ずいう気持ちだけです。

    実家ぞ着いた時、

    私は心の䞭で「ただいた」ず蚀いたした。
    父は安心したような顔をしおいたした。

    地元ぞ戻っおからは、
    スヌパヌでアルバむトを始めたした。

    レゞを打ったり、
    品出しをしたり。
    ほが毎日働いおいたした。

    生掻は気楜でした。
    母も退院しおきたした。
    高校を蟞めお働いおいた匟の仕事の送り迎えをするこずもありたした。
    家族のために動いおいる感芚もありたした。

    でも心のどこかで、ずっず匕っかかっおいるものがありたした。

    この生掻はい぀たで続くんだろう。
    私はこのたたでいいんだろうか。
    そんなこずを考えおいたした。

    ある日、䞭孊校時代の同玚生がアルバむトずしお入っおきたした。
    久しぶりに䌚った圌女は倧孊生になっおいたした。

    䌑憩時間に話しおいるず、
    「保育士になりたいんだよね」
    ず笑顔で話しおくれたした。

    私は「そうなんだ」ず返したした。
    でもその時、心のどこかがザワ぀いたのを芚えおいたす。

    圌女には目指すものがある。
    倧孊に通っおいお、将来の仕事も決たっおいる。

    私はどうだろう。

    レゞを打ちながら、䜕床も同じこずを考えたした。

    私は今、䜕をしおいるんだろう。
    呚りは少しず぀前ぞ進んでいる。
    私はアルバむトをしおいる。

    それは事実です。
    でも、その先の話ができたせんでした。

    地元なので、芪の知り合いから声をかけられるこずもありたした。
    「今䜕しおるの」
    そう聞かれるたびに少し困りたした。

    アルバむトをしおいたす。

    その蚀葉を口にするたびに、
    どこか居心地の悪さを感じおいたした。

    アルバむトをしおいるこずが恥ずかしいずいうより、
    自分自身がどこぞ向かっおいるのか説明できなかったんです。
    私はアルバむトをしおいる理由が欲しかったのかもしれたせん。

    母が退院しおきた頃だったず思いたす。
    ふず思いたした。

    私がこの家にいる理由っお䜕だろう。

    母のために垰っおきた。
    それは間違いありたせん。

    でも、この先は
    正瀟員になった方がいいのかな。
    でもやりたい仕事はない。

    地元で就職する未来も、なぜかしっくりきたせんでした。

    そんな時です。
    突然、

    「やっぱり看護垫だ」

    ず思いたした。

    誰かに蚀われたわけではありたせん。
    背䞭を抌されたわけでもありたせん。
    ただ、自分の䞭でそう思ったんです。

    やっぱり手に職を぀けたい。
    やっぱり看護垫になりたい。

    私は誰にも盞談したせんでした。

    自分で孊校を探しお、
    自分で願曞を取り寄せお、
    自分で受隓したした。

    䞍安はありたした。

    二歳䞋の子たちず同玚生になるこず。
    孊費のこず。
    このたた就職した方が芪は安心するんじゃないかずいうこず。

    いろいろ考えたした。

    でもあの時の私は、䜕も目暙のない毎日の方が苊しかったんです。
    だから前ぞ進むこずを遞びたした。

    無事に看護孊校ぞ入り、
    囜家詊隓にも合栌したした。
    合栌した時は嬉しいずいうより、
    「良かった」
    ずいう気持ちでした。

    安心したした。
    無事に看護垫になれた。
    そんな気持ちでした。

    その時の私はただ知りたせんでした。
    看護孊校を蟞めたこずよりも、
    もっず長い間、自分を苊しめる思い蟌みがあるこずを。

    それは、
    「正瀟員じゃなきゃいけない」
    ずいう思い蟌みでした。

    看護垫になっおからは、
    病棟、クリニック、蚪問看護、介護斜蚭など、
    いろいろな堎所で働きたした。

    仕事自䜓は嫌いではありたせんでした。
    「看護垫を蟞めたい」ず思うこずはありたしたが、患者さんや利甚者さんず関わるこずたで嫌いになったわけではありたせんでした。

    そんな私が掟遣ずいう働き方を知ったのは、
    病院を蟞めお留孊を考えおいた時でした。

    友人から教えおもらったのがきっかけです。

    それたでの私は、掟遣ずいう働き方を知りたせんでした。
    「そんな働き方があるんだ」
    ずいうのが最初の感想でした。

    ただ、正盎に蚀うず、
    圓時の私は掟遣を少し䞋に芋おいたず思いたす。

    正瀟員が圓たり前。
    正瀟員が安定。
    掟遣はアルバむトのようなもの。

    そんなむメヌゞを持っおいたした。

    実際に掟遣ずしお働いおみるず、
    想像しおいたものずは違いたした。

    定時で垰れる。
    勀務日数を遞べる。
    自分の時間が䜜れる。

    私は掟遣ずいう働き方を悪くないず思いたした。

    それなのに、
    私は正瀟員ぞ戻りたす。

    今思えば䞍思議です。
    掟遣が嫌だったわけではありたせん。
    むしろ自分に合っおいたした。

    それでも、心のどこかで
    「やっぱり正瀟員の方がちゃんずしおいる」
    ず思っおいたんです。

    たずクリニックの正瀟員になりたした。
    でも䞀ヶ月で蟞めたした。

    次は蚪問看護です。
    今床こそ続くず思いたした。
    でも䞀幎で蟞めたした。

    そしおたた掟遣ぞ戻りたした。

    今振り返るず、
    私は仕事を倉えおいたのではなく、
    「正瀟員じゃなきゃいけない」
    ずいう思い蟌みず戊っおいたのだず思いたす。

    呚りは同じ職堎で働いおいる。
    私は転職を繰り返しおいる。
    そんな自分が情けなく思えたした。

    「普通はそんなに転職しない」
    「たた蟞めたのず思われる」
    「忍耐力がない」

    そんな蚀葉を、誰よりも自分自身に向けおいたした。

    そしお私は、
    もう䞀床正瀟員になりたす。

    病院でした。
    自分で探しお、自分で応募したした。

    今床こそ。
    今床こそ頑匵ろう。

    そう思っおいたした。

    でも働き始めるず、違和感が出おきたした。
    久しぶりの倜勀。
    正瀟員ずしおの責任。
    现かなルヌル。
    もちろんそれもありたした。

    でも䞀番苊しかったのは、
    別のこずでした。

    「私はここで䜕幎も働かなきゃいけないのかな」

    その感芚です。

    私はそこで初めお気づきたした。

    看護垫が嫌なわけじゃない。
    仕事が嫌なわけでもない。

    私は、
    正瀟員ずいう働き方が苊しかったんだ。

    病院を出た垰り道のこずを今でも芚えおいたす。

    䞍思議でした。
    萜ち蟌んでいたせんでした。
    むしろホッずしおいたした。

    もちろん
    「たた蟞めちゃった」
    ずいう情けなさはありたした。
    でもそれ以䞊に、肩の力が抜けおいく感芚がありたした。

    䜕床も正瀟員になった。
    䜕床も頑匵ろうず思った。
    でも苊しくなった。

    それを繰り返しおきたした。

    その時ふず思ったんです。

    もう正瀟員じゃなくおいいや。

    どうしお私は、そんなに正瀟員にこだわっおいたんだろう。
    誰かに匷制されたわけでもない。

    なのに、自分で勝手に苊しくなっおいたした。

    だったら、最初から自分に合う働き方を遞べばいい。

    その瞬間、
    長い間背負っおいた荷物を䞋ろしたような気がしたした。

    私はずっず、

    「正瀟員じゃない自分は少し恥ずかしい」

    ず思っおいたした。

    でも、その考えを持っおいたのは私だけだったのかもしれたせん。

    圌氏も、友人も、私が掟遣だから離れおいくこずはありたせんでした。

    掟遣の私を受け入れおくれたずいうより、
    最初からそんなこずは気にしおいなかったんだず思いたす。

    みんな、
    掟遣か正瀟員かではなく、
    私を私ずしお芋おくれおいたした。

    そのこずに気づいた時、
    ようやく自分自身のこずも認められるようになった気がしたした。

    それから私は掟遣ずしお働き続けおいたす。
    気が぀けば4幎が経ちたした。

    昔の私なら想像できなかったず思いたす。
    「正瀟員じゃないずダメ」ず思っおいた私が、
    掟遣ずいう働き方を5幎も続けおいるなんお。

    もちろん掟遣だからずいっお、
    党おがうたくいくわけではありたせん。

    顔合わせで聞いおいた話ず違うこずもありたす。
    理䞍尜なこずもありたす。

    それでも私は、
    今の働き方を遞んで良かったず思っおいたす。

    仕事だけに人生を支配されなくなりたした。
    新しいこずに挑戊できるようになりたした。
    今は副業にも挑戊しおいたす。
    もっず自由な働き方を目指しおいたす。
    目暙がありたす。
    だから毎日が楜しいんです。

    そんなふうに少しず぀自分らしい働き方を芋぀けおいた頃、
    私の人生でもう䞀぀倧きな出来事がありたした。

    数幎前、父が62歳で突然亡くなりたした。
    本圓に突然でした。

    私は五幎以䞊、父ず䌚っおいたせんでした。
    い぀でも䌚えるず思っおいたした。
    い぀でも話せるず思っおいたした。

    でも違いたした。

    人生は思っおいるより短い。
    人生は思っおいるより儚い。

    父の死は、
    私にそう教えおくれたした。

    䌚いたい人には䌚う。
    䌝えたいこずは䌝える。
    やりたいこずはやる。
    苊しい堎所からは離れおもいい。

    今の私は、
    あの頃よりずっず自由です。

    もし19歳の自分に䌚えたら、
    私はこう蚀いたす。

    「あの時、蟞める決断をしたのすごいね」

    倱敗じゃなかったよ。

    人生は䜕床でも遞び盎せる。
    倱敗を恐れなくおいい。

    そしお、
    19歳の私はきっず驚くず思いたす。
    田舎から出るこずなんお想像しおいなかったのに、

    今は倧郜䌚で暮らしおいるこず。
    海倖ぞ行ったこず。
    看護垫ずしお働いおいるこず。

    そしお、自分に合う働き方を芋぀けおいるこずに。

    あの頃の私は、蟞めるこずは倱敗だず思っおいたした。

    でも今は違いたす。

    蟞めたから芋えた景色がありたした。
    蟞めたから出䌚えた人がいたした。
    蟞めたから今の私がいたす。

    だからもし今、䜕かを蟞めようか迷っおいる人がいるなら䌝えたいです。

    蟞めるこずは、必ずしも逃げるこずではありたせん。

    人生を遞び盎すこずも、時には必芁です。

    私はそうやっお、自分の人生を遞び盎しおきたした。


     
     
    蟞めるか・続けるか。働き方に悩む看護垫さんぞ🐱 看護垫15幎掟遣歎4幎転職4回メンタル心理カりンセラヌ資栌保有 自分を責めずに、䟡倀芳や垌望条件から働き方を敎理するヒントを発信しおいたす。 noteでは実䜓隓ず自分の答えを芋぀けるためのワヌクをお届けしたす✏

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