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私は左利き


    突然だが、私は左利きだ。

    改札はICカードをもつ左手で阻まれ、鉛筆で文字を書いた後は手とノートが真っ黒になり、習字の時間が苦痛な、左利きである。

    あまりにも日常茶飯事すぎて忘れているが、世の中の9割の人間はスタンプが押しづらいとかハサミが切れないとかに悩まないんだな・・・と思うとちょっと悔しい。

    いっそ右利きに強制されればよかったかな、とたまに思うが、なぜか本心では左利きでよかったと思う自分がいる。
    おそらく、左利きが数少ない”普通ではない”要素だからだ。
    私は普通の人間だ。
    普通って素晴らしいことだ。
    普通の家庭で生まれ、普通に学校行って、普通に働いている。
    それって素晴らしいことだと思う。

    みんな「普通」に元気だ。普通に悩み、愚痴を吐き、友達と会い、趣味を楽しんでいる。普通に家庭をもって、普通に健康管理して、普通にお洒落して。
    みんな普通の人に見える。「普通の人」という、得体のしれないエイリアンに、みえる。
    みんな普通に頑張ってる。普通はこれくらいなんともない。むしろこの程度は全然普通じゃない。普通の自分が普通の人になれないのは、自分が努力してこなかったからだ。

    だから、普通じゃないことを証明したかった。
    普通じゃなければ私はこんなにつらいんだ、と叫べる気がしたから。
    頑張らない言い訳が見つかる気がしたから。
    でも、よくよく考えたら普通なんてどこにもない。
    普通じゃなくて多数派が生きやすいように世の中が作られているだけだ。
    普通って言葉は少数派に対する偏見を際立たせる。
    「普通はあの年で結婚するのに」「普通はこんなことで休まないのに」
    「普通はもっと○○すべきなのに」
    こんな風に言ういわれはないし、言われても気にすることない。そもそも普通なんて曖昧な定義はすり合わせが難しいし、地域や場所、時代によっても全く異なる。

    私に必要なのはむりやり周りの環境に適応することじゃなかった。それはむしろ逆効果で、むりやり擬態してはぎこちなくなってた。本心と違うことをしていたら心が摩耗していくという当たり前の事実を随分長いこと忘れたまま、周囲に過剰適応していた。
    周りに辛いと訴えても、「みんなそうだよ」「元気そうにみえるけど」って言われることもあった。つらくて動けないのを言い出せなくて、迷惑をかけたこともあった。

    普通であることが正しいとは限らない。
    だれもが「左利き」な部分を抱えているし、不便を感じていると思ったら、私だけじゃないな、って思えるし、じゃあみんなが生きやすいようにしていきたいなって思う。
    無理をして合わせる必要もないし、周りに押し付ける必要もない。
    左利きを直すのはとても大変だし、逆に周りを左利きにするのはもっと大変だ。それなら左利きなりにそれを活かしていける道を探していけばいい。

    最近は前より少し息がしやすい気がする。「人と同じ自分」と「人と違う自分」どちらもあることを前より肯定できている気がするから。普通じゃないからだめなんてない。普通に思えていても、辛いことだってある。耐え忍ぶ努力じゃなくて、自分の呼吸がしやすくなるように努力すればいい。頑張るはつねにがむしゃらの形をしていない。

    そんなこんなで今日も「左利き」を抱えながら生きていきます。
    うわ、また左手が真っ黒だ。


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