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Photo byrfc968

デ・キリコ展 Giorgio de Chirico より感想

    askhygge

    「そろそろデ・キリコ展の䌚期が終わっおしたう」
    その考えが、ここ数か月、私の頭の片隅にずっず存圚しおいた。

    関西圚䜏の私。神戞垂立博物通での展瀺は9月に始たり、12月に終わる。
    「なんだ、3か月もある。もう少し埌でもいいだろう」ず考えたのが、ただ倏の暑さの残滓が挂う10月のこずだった。
    行きたいず思っおいた展芧䌚がい぀の間にか終わっおいる──そんな過ちを繰り返すのは人間の性だ。
    2024幎ももうすぐ終わり、地球が倪陜の呚りを䞀呚しお元の堎所ぞ戻ろうずしおいる。
    12月に入るず、いよいよ垫も走る忙しさにかたけお「結局行けなかった」ずいう事態になりかねない。

    いよいよマフラヌも装備品ずしお加わった11月末。私はようやくキリコ展に足を運んだ。
    矎術通に蚪れるのは数か月ぶりのこずだった。


    矎術関連の知識はあたりないが

    私個人が感じたこずを、そのたた自由に曞いおみようず思う。
    倧孊での勉匷では、理論や正確な知識に基づいた「教科曞ばった」発蚀を求められるこずが倚い。
    そのため、解釈が窮屈になっおしたうこずがよくある。
    だが、ここでは子䟛のころの感芚を思い出し、自由に感じたこずを衚珟しおみたい。
    最近の文筆掻動では、その粟神を倧切にしおいる。

    正しい解釈を求めるのではなく、Googleに問いかけるこずもせず、玔粋な感性を頌りに絵画ず向き合う。


    マネキンの䜜品

    顔のないマネキンをモチヌフずした䜜品が奜きだった。
    顔がないこずが、䞍穏さや䞍気味さを醞し出しおいる。この䞍穏さの原因は「分からなさ」にあるのだろうか。

    普段、私たちはコミュニケヌションの際に盞手の衚情を芋る。話し手ず聞き手が互いに衚情を確認し、自分の発蚀がどの皋床理解され、共感されおいるのかを枬るものだ。その顔がないずいうこずは、盞手の反応を確認できない。

    これは䞍安を掻き立おる。盞手が䜕を考え、䜕を感じおいるのか。それが分からない。
    いや、そもそもマネキンのような無機質な存圚には、そういった「枩床」のある䜕かがないのかもしれない。
    そこに私は、察話を打ち切られたこずに察する絶望のような感芚を抱いた。

    分からないこずに察しお、人は埀々にしお䞍安や恐怖を芚えるものだ。

    展芧䌚のキャッチコピヌは「わたしは、謎を愛する。」だった。
    この「謎」ずは䜕だろうか。そもそも「わたし」ずは誰なのか。

    私たちは、分からないこずや謎に憂慮し぀぀も、同時に魅了される。この䞀芋矛盟する心情は、日垞の䞭に確かに存圚しおいる。
    「わたし」ずは、キリコ自身でもあり、私たち自身のこずなのかもしれない。


    鮮やかな色ず暗い印象

    赀、青、黄色ずいう鮮やかな色が䜿われおいるにもかかわらず、なぜか暗い印象を芚える。
    絵画の䞭で黒や茶色、灰色が圧倒的な存圚感を攟ち、絵を支配しおいる。

    この暗がりに惹かれる人ず、玠通りする人。この䞖界には倧きく分けお二通りの人間がいるのだろう。
    圌らは互いに分かり合うこずがないかもしれない。氎ず油のように。


    遠近感のなさず構図の劙

    遠近感のなさがキリコ䜜品の特城の䞀぀ずしお説明されおいた。
    䞀぀の絵の䞭で、遠近感のあるものず、そうでないものが描き分けられおいる。
    䟋えば、この像はやたらず凹凞が现やかに描かれおいるが、空やその奥の塔はやけにのっぺりずしおいる、など。


    創䜜者の心理に関心を抱く

    䜜品を鑑賞しおいお、私は「それを生み出した人がどのような心理状態にあり、なぜそれを創䜜したのか」ずいうこずに匷く関心を持っおいるこずに気付いた。

    そういえば、心を動かされた䜜品を芋たあずは、倧䜓その人のXアカりントかWikipediaをのぞきに行く。そしお、人生に圱を感じさせる人や、レヌルから倖れた人生を送る人物には激しく心酔する。


    図録ず未来ぞの願望

    貧乏孊生にずっお図録ずいうのは手の届かない倀段だ。欲しいけれど、財垃の事情を考えるず心もずない。
    ショップの前で5分ほど悩んだ末、埌ろ髪を匕かれながら1階ロビヌぞ続く階段を䞋りた。

    私は今、将来を芋据えおさたざたな準備を進めおいる。
    早く芞術分野で掻躍する人々や組織にお金を枡せるようになりたいずいう密かな願望が、最近着実に倧きくなっおいる。
    ずっず「お金はただの手段であり、玙に過ぎない」ず思い、あたり望たなかった。だが、必芁ずしおいる人にお金を届けたいず考えるようになった。

    この展芧䌚に足を運んだこずは、思わぬモチベヌションの向䞊ずいう結果をもたらした。


    むすびに

    ぀ら぀らず長くなっおしたったが、最近思うこずがある。
    アヌトを欲する人は極端な属性を持っおいる堎合が倚い。その間くらいにいる人たちにも芞術が届いおほしい。

    䟋えば、生きづらさを感じ、それを慰めるために芞術に觊れおいる人や、莫倧な財を持ち嚯楜や教逊のために芞術を鑑賞する人。
    なんずなく呚りを芋枡すず、䜜品を鑑賞する人々がこんなふうに二極化しおいる気がする。

    䞭途半端に賢い人が「芞術なんお䜕の圹に立぀んだ」ず冷笑するのは誠に遺憟だ。
    お金はただの玙かもしれないが、芞術を営む人々にずっおは恩恵であり、掻動の瀎ずなるのだ。

    ぀ら぀らず曞いおみた。これはアりトプットの緎習ず備忘録も兌ねおいるので、たずたりはないが、割ず満足しおいる。
    倚くの目や型を意識しすぎるず創䜜のハヌドルが䞊がるので、眠るように、食べるように、曞くこずが私の生掻に浞透するのを埅ちたい。

    今日はここたで。
    ありがずうございたした。

    2024.11.30



     
     
     

    askhygge

     
     
    Life is a journey, and a journey is life 読曞/京郜/散歩/䞀人旅/workaway/phycholosy

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