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Photo byshinya_chanpuru

私が産まれた家は創価学会だった。

    "宗教"

    私は宗教家庭に産まれた。
    そんな私の短い様で長い30代までの話。

    誕生


    1994年10月5日  私は産まれた。
    小さな街、地元の総合病院、帝王切開だった。
    両親はお見合い結婚。高齢出産。
    産まれた時は、どこにでもいる無垢な赤ちゃんだったと思う。
    あくまで産まれた時は…。
    そして、勝手に学会員に入った時でも有る。

    幼少期


    幼少期は、1歳から3歳まではお家で育ったみたいだ。あくまでも記憶は無い。
    でも少しずつ既に歯車が乱れていた気がする。

    3歳になり、地元の保育園に入園した。
    保育園の記憶もあまり無いが、皆んなと同じ様に元気に遊び、時より喧嘩もしつつ過ごした。
    ただ、今でも鮮明に覚えて居るのは、皆んなのお母さんがお迎えに来る中1人で外が暗くなるまで毎日いた事だ。
    朝は、先生より早く登園し正門で待ち、お友達が1人、また1人と減る中、父と母の帰りを待った。
    お友達は、お家に帰り再度集合し、公園で遊んでいる話をした。
    とっても寂しかったんだと思う。
    母は、車の免許を持っておらず隣り街の職場まで父が送迎。
    父は仕事が終わり、母を迎えに行ってから私を迎えに来る。

    そんな頃から創価学会の記憶がある。
    毎週行われる座談会。もちろん参加した。
    地域ごとに代表のお家に集まり、お経を唱え、DVDを見たり、本を読んだりする。
    池田大作先生のお話を聞く。
    池田大作先生の優しい姿を見る。
    いかに救われたかを話す。祈る。
    すでに、洗脳では無い。普通の事だった。
    むしろ積極的に訪れる私を見て、大人は褒めた。
    嬉しかった。私は偉い。
    月に数回は文化会館と呼ばれる集会所にも行く。
    更に多くの人が溢れかえり、これもお経を唱える。大勢の人が一斉に唱えるのだ。
    今考えると恐ろしい。当時はかっこいいとさえ感じていたが…。

    小学校


     
     
    30代2児の母。 旦那に内緒の借金。 迫り来る返済日。 人生のドン底に落ち、ようやく気づく自分の無力さ。 なぜ、言えないのか。 自分をようやく見つめ直し、見えて来た自分の分析とは。

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