
最終話 故郷を失った私が、我が子の「帰れる場所」になるまで
前回の話🔻
時々、里帰り中に書き殴っていたメモを、恐る恐る開くことがある。
スマートフォンの画面をスクロールするたび、当事者だったはずの私でさえ、胸が締めつけられる。
「もう無理かもしれない」
「息が詰まりそう」
「ここにいるのに、安心できない」
あの頃の私は、その瞬間ごとの苦しさを、誰にも言えずに文字へ押し込めていた。
読み返すたびに思う。
本当に、あんな日々を生きていたんだ、と。
そして、あの頃の自分に、そっと声をかけたくなる。
「よく頑張ったね」と。
当時の私は、自分がどれほど追い詰められているのか、分かっていなかった。
いや、分からないようにしていたのかもしれない。
赤ちゃんのお世話をしなきゃ。
家族とうまくやらなきゃ。
迷惑をかけちゃいけない。
私さえ我慢すれば、きっとうまくいく。
そうやって、自分の心の悲鳴に蓋をしていた。
でも、人には限界がある。

どれだけ頑張ろうとしても、一人では抱えきれない苦しさがある。
あの120日間は、間違いなく人生で一番苦しい時間だった。
それでも今振り返ると、あの時間は、失ったものばかりではなかったのだと思う。
むしろ私は、あの120日間から、これからの人生の土台になるような大切なことを教わった。
親という存在は、家庭の空気そのものをつくるのだということ。
家は、ただ食事をして眠る場所ではない。
安心して深呼吸ができる場所なのか。
それとも、いつも心のどこかで緊張し続ける場所なのか。
その違いは、子どもの心に、想像している以上に深く残っていく。
私は幼い頃から、無意識のうちに家庭の空気を読むことに慣れていた。
誰かの機嫌が悪くなっていないか。
今、何を言えば怒られないか。
どう振る舞えば波風が立たないか。
そんなことばかり考えて過ごしていた。
でも、自分が母親になって初めて気づいた。
それは、本来子どもが背負うべき役割ではなかったのだ、と。
もちろん、両親も好きでそんな家庭を作ったわけではないと思う。
両親もまた、それぞれの人生を懸命に生き、その時々で精一杯だったのだろう。
だからこそ、家族というものは、誰か一人を悪者にして終わらせられるほど単純ではない。
だから私は、誰かを責め続ける人生ではなく、連鎖を終わらせる人生を選びたいと思うようになった。
もちろん、それは簡単なことではない。
過去の出来事が突然消えるわけでもなければ、傷ついた記憶がなくなるわけでもない。
それでも私は、「自分はどう生きたいのか」を考えた時、その答えはいつも子どもたちのほうを向いていた。
子育ての中で、私が何より大切にしていることがある。
子どもの存在そのものを認めること。
結果だけを評価しないこと。
誰かと比べないこと。
そして、困った時には、いつでも帰ってこられる存在でいること。
ある日、子どもがおもちゃを壊して泣いていた。
その姿を見た瞬間、私は幼い頃の自分を思い出した。
失敗をした時。
悲しかった時。
本当に欲しかったのは、「どうして?」という言葉より先に、気持ちを受け止めてもらうことだった。
だから私は、泣いている我が子を抱きしめながら言った。
「びっくりしたね」
「悲しかったね」
子どもは、小さくうなずきながら、私の胸の中で泣いていた。
その温もりを感じた時、ふと思った。
ああ、私は今、親とは違う選択をしているんだ、と。

もちろん、毎日がそんなふうにできるわけではない。
余裕がなくてイライラしてしまう日もある。
思わず大きな声を出してしまう日だってある。
そんな日は、あとから子どもに謝る。
「さっきは大きな声を出してごめんね」
そう伝えると、子どもは「いいよ」と笑ってくれる。
親だから間違えないのではない。
間違えた時に、やり直せること。
子どもと一緒に成長していけること。
それもまた、親子の大切な時間なのだと、私は思っている。
最近、ふと考えることがある。
子どもたちにとって、「実家」ってどんな場所になるのだろう、と。
お正月やお盆に帰省する場所、という意味だけではない。
仕事で失敗した日。
人間関係に疲れた日。
人生につまずいた日。
いつか、自分が親になり、子育てに悩む日が来るかもしれない。
そんな時、理由なんてなくても、
「帰ろうかな」
と、ふと思い出してもらえる場所でありたい。
頑張れと言われなくてもいい。
無理に元気なふりをしなくてもいい。
何も話せなくてもいい。
ただ、そこにいるだけで、
「帰ってきてよかった」
そう思える場所。
あの120日間を経験するまで、私は「帰れる場所」は、親が与えてくれるものだと思っていた。
でも今は違う。
帰れる場所は、与えられるものだけではない。
自分の手で創ることもできる。
だから私は、子どもたちにとって、そんな家を残したい。
安心して笑える日も。
泣きたい日も。
何も言えない日も。
「ここなら大丈夫」
そう思える場所を。
それが今、私がいちばん創りたいものだ。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。
この先では、あの日、十万円のタクシーに乗って実家を飛び出した出来事を、今の私はどのように受け止めているのかを書いています。
そして、この連載のタイトルでもある「私が創る、我が子の『帰れる場所』」に込めた、私なりの答えを綴りました。
これは、親を許した話でも、すべてを乗り越えた話でもありません。
傷が消えたわけではないけれど、その傷を抱えたままでも前を向いて歩いていける──そんな小さな希望について書いています。
この物語の最後まで見届けていただけたら、とても嬉しいです。
