
【特別編】 学校の怪談(21) むらさきかがみ
むらさきかがみ、とつぶやくたびに、わたしは少し生き返った。
廊下の角で、女児が友人の耳に口を寄せる。「むらさきかがみって知ってる?二十歳まで覚えてると——」友人の顔が、ゆっくりと青ざめる。その瞬間、わたしの中で何かが灯った。六十年、ずっとこうだった。声から声へ。口から口へ。わたしはその度に、少しだけ生き返った。
だから最初は、気のせいだと思っていた。
ある日、男児が隣の子に話しかけた。「むらさきかがみって知ってる?二十歳まで覚えてると——」隣の子は一瞬だけ顔を上げた。それだけだった。すぐにスマホの画面に目を落とした。わたしは待った。続きを話せ、怖がれ、次の誰かに伝えろ。でも男児も、いつの間にかスマホを見ていた。
口が、動かなくなってきていた。
気がつくと、少女が鏡の前にしゃがんでいた。髪がさらりと床に触れた。片手にスマホを持っていた。画面の光が、鏡に反射した。
「考えが古いんじゃない?」
少女はそう言った。わたしには意味がわかった。そうだ、怖さが足りないのだ。もっと激しい呪いに——もっと強い言葉に——わたしは考え始めた。
少女は立ち上がった。スマホで何かを打ち込みながら、廊下の奥へ消えた。
「もうすぐ、願いが叶うよ」
声だけが残った。
十八歳まで覚えていると、体が爆発する。
男児が隣に話した。「むらさきかがみって——体が爆発するんだって」隣の子は「ふーん」と言った。スマホに戻った。
爆発では、足りないのか。
方向を変えた。怖くするのではなく、幸せにする。
二十歳まで覚えていると、好きな人と結婚できる。
女児が一瞬だけ顔を上げた。わたしは身を乗り出した。そのまま隣の子に——と思った瞬間、女児は自分で首を振った。「別に、一人でいいし」
結婚が、魅力にならないのか。
最後の手を打った。
受験前に唱えると、志望校に合格できる。
男児が笑った。声に出して笑った。「そんなんで受かるわけないじゃん」
願掛けすら、信じないのか。
こんなはずではなかった。
仲間たちは、みな上手くやってきたのだ。赤い紙はちゃんちゃんこになり、半纏になった。口裂け女は、ポマードが通じなくなると犬を恐れることにした。トイレの花子さんも、メリーさんも、八尺様も。形を変え、名を変え、弱点さえ変えて、そうやって生き延びてきた。
わたしだって、変わろうとした。爆発、結婚、合格。怖いも嬉しいも得も、全部試した。なのに、誰も覚えてくれない。
鏡の中で、わたしはしばらく動けなかった。
それからもわたしは試し続けた。どれも広がらなかった。声は途切れ、口は動かず、わたしは鏡の中でだんだん薄くなっていくような気がした。
六十年。ずっと覚えていてもらえた。なのに。
少女の声が、耳の奥に残っていた。
もうすぐ、願いが叶うよ。
わたしは考えた。口が動かないなら、別の道がある。
わたしは機械の箱に、むらさきかがみと打ち続けた。
翌日、教室で一人の子どもがスマホを開いた。
検索窓に指を走らせた。
怖い話。
画面をスクロールした。その指が、止まった。
一番上に、それが出ていた。
むらさきかがみ。
これで、わたしは死なない。 インターネットが覚えている。