パート・タイム
萩原のことを思い出そうとするとき、僕はいつも、彼の顔からではなく、一台の車から思い出すことになる。ブルーのマツダ・キャロル。型式で言えばかなり古く、失礼を承知で言うなら、よくあの状態で車検を通したものだと思うくらいの車だった。顔や声よりも先に、その車のことが頭に浮かぶ。
10年ほど前、僕はまだ高校生で、萩原はその高校の非常勤の国語教師だった。高校は栃木県と茨城県を結ぶ鉄道の、とある駅の近くにあり、駅を降りてその高校にたどりつくには15分ほど坂道を上る必要があった。ルートは二つあった。一つは坂道が緩やかで距離が長いルート、もう一つは坂道が急で距離が短いルートだった。僕はいつも、距離の長いルートを選んでいた。多くの生徒がそちらの道を選んでいたからだ。それに、急な坂を早足で上るよりも、緩やかな坂をゆっくり時間をかけて上る方が、朝という時間帯には似合っているような気がしていた。
萩原は「先生」と呼ばれることを嫌った。正確に言うと、敬ってもいない相手から「先生」と呼ばれるのはおかしい、というのが彼の主張だった。敬うにせよ敬わないにせよ、そんなことを気にする教師にはそれまで会ったことがなかったから、僕はとりあえず彼の主張に従うことにした。だから僕は彼を、先生ではなく、萩原と呼んだ。
はっきりいって、萩原の授業はめちゃくちゃだった。最初のうちは、オーソドックスな教科書を使った、いかにも授業らしい授業だった。けれど『山月記』と『檸檬』の二つを扱ったところで、彼は教科書を使うのをやめてしまった。
代わりに、僕らは映画を見たり、音楽を聴いたり、詩を読んだりした。授業の内容は、天気予報よりも当てにならない、彼のその日の気分次第で決まった。映画にしても、教育的と呼べるようなものばかりではなかった。『ルパン三世 カリオストロの城』を見せられたこともある。
加えて、萩原は僕らに何かを強制するということが一切なかった。授業中に居眠りをしていても、そもそも授業に参加していなくても、彼は何も言わなかった。だから大学受験を控えた同級生たちの大半は、萩原の授業を軽視して、内職にいそしんでいた。カリオストロ伯爵の陰謀がどれだけ入り組んでいようと、『評論文キーワード100』を一つでも多く暗記する方が、彼らにとってはよほど生産的な時間の使い方だった。
僕は、萩原の授業を軽視していたわけではなかった。むしろ彼の授業は、学校生活の中で、僕が唯一楽しみにしていた時間だった。内職に励む同級生たちを横目に見ながら、僕は律儀に萩原の授業を受け続けた。それに、現代文というのは、そもそも勉強する必要のない科目だというのが、当時の僕の持論だった。答えは文章の中に、律儀に、あらかじめ書かれている。それを読み取ればいいだけの話で、そこにわざわざ勉強という手間をかける意味が、僕にはよく分からなかった。
岩井俊二からスティーブン・スピルバーグまで、萩原は僕らにいろいろな映画を見せてくれた。萩原朔太郎や中原中也の詩を読ませてくれたこともある。彼は、そこで使われている言葉の意味や、そこに描かれている人間の心理について、僕らに説明するということを一切しなかった。ただ見せるだけ、ただ読ませるだけで、それ以上のことをしようとはしなかった。まるで、意味というのはあらかじめ配られるものではなく、各自が勝手に見つけるべきものだと信じているみたいに。
*
彼は運転が好きで、休みの日にはよく一人で遠くまで車を走らせているようだった。授業の合間の雑談でも、運転の話は何度も出てきた。ただ、萩原の頭の中には、安全運転や交通ルールといった概念は、最初から存在していないように見えた。
一度、そのマツダ・キャロルに乗って、二人でドライブに行ったことがある。その日は土曜日で、午前中だけ授業がある日だった。午後は何もすることがなかった。四限目の現代文の授業が終わったところで声をかけられ、断る理由も特に思いつかなかったので、そのままついていった。
「大丈夫なんですか、いろいろ。」
「さあ。」
学校の裏手にある駐車場で車に乗り込んだ。シートベルトを閉めようとすると、彼は「閉める必要はない。」と言った。
「知り合いに頼んで、シートベルトのセンサーを少しだけ改造してもらったんだ。助手席のシートベルトの警告サインが出ないようにしてやった。あれほど煩わしいものはないと思わないか。」
僕はシートベルトについて、それまで特に何の感想も持ったことがなかった。慣習として着けてはいたが、実際のところ、着けても着けなくても、僕にとってはどちらでもよかった。だから僕は何も言わずに、ただ助手席に座っていた。
駐車場を出て、細い坂道を下ると、国道50号に出た。道が広くなったところで、萩原はアクセルを踏み込み、スピードを上げた。
エンジン音に紛れて、カーステレオから音楽が流れていた。CDでもラジオでもなく、カセットテープだった。萩原はダッシュボードの上に、似たようなプラスチックケースを何本も転がしていた。まるで、そこだけ時間が二十年ほど巻き戻っているみたいだった。
「これは。」
「荒井由実。」
僕はその名前をよく知らなかった。相当に古い曲らしいということは、音の質感で何となく分かった。テープの回転音に混じって、女性の声が「白い雲、あの日から」というようなことを歌っていた。萩原はハンドルを握ったまま、歌に合わせて口を動かすでもなく、ただ黙って前を見ていた。
窓の外を、笠間の赤い鳥居と、素焼きの器を並べた店の連なりが流れていった。萩原はそれらに一瞥もくれなかった。彼の視線は、ずっと真っ直ぐ前に向いていた。
「この曲が好きなんですか。」
「好きというのとは違う。ただ、聴くとどうしても、他のことを考えてしまう曲がある。それだけだ。」
僕はそれ以上聞かなかった。友部を過ぎ、水戸の渋滞を抜けるころには、窓の外の景色がどう変わっていったのか、あまり覚えていない。田んぼが広がっていたことと、信号待ちのたびに萩原が小さく舌打ちをしていたことくらいだ。
水戸を抜けて国道245号に入ると、道は再び空いた。那珂川にかかる橋を渡るとき、川面に反射する光が一瞬、車内に差し込んだ。萩原は橋の途中で、少しだけスピードを落とした。
「川は、渡るときだけ、少し静かになる。」
彼はそれだけ言うと、橋を渡りきったところでまたアクセルを踏み込んだ。
橋を過ぎてしばらく走ると、道の先に、灰色がかった太平洋が見えてきた。カセットの中の女性の声は、ちょうどそのとき「ひこうき雲」という言葉を歌っていた。
「宮崎駿の『風立ちぬ』は見たか。」
「見てないです。」
「堀辰雄の方は。」
「読んでないです。」
萩原は呆れるでもなく、前を向いたまま続けた。
「サナトリウムの話で、婚約者が結核で死んでいくのを、男がただそばで見ている。それだけの話だと言えば、それだけの話だ。」
「その曲と、関係あるんですか。」
「映画の主題歌がこの曲だ。」
彼は少し間を置いてから、続けた。
「あの小説の冒頭に、『風立ちぬ、いざ生きめやも』という一文がある。有名な一文だ。ヴァレリーの詩の訳だと言われている。多くの人間は、これを『生きよう』という意味だと思っている。だが、『生きめやも』の『やも』は、反語だ。文法通りに読めば、これは『生きられようか、いや、生きられまい』という意味になる。堀辰雄がどちらの意味で書いたのか、今でも議論になっている。」
僕は、文法の話にはあまり興味が持てなかった。ただ、「生きよう」と「生きられまい」が、同じ一文の中に、何の矛盾もなく同居しているということだけが、妙に頭の隅に残った。
「どっちだと思うんですか。」
「さあ。」
萩原はそれ以上何も言わず、また前を向いた。カセットの中では、まだ女性の声が何かを歌い続けていた。
那珂湊の魚市場で、僕たちは車を降りた。潮の匂いと、魚を捌く包丁の音が入り混じった通りを抜けて、広い座敷とテーブルがいくつも並ぶ大きな店に入った。萩原はメニューをさっと一瞥しただけで、「まぐろイクラしらす丼。」と言った。
「じゃあ、同じものを。」
彼は店員を呼び、まぐろいくらしらす丼を二つ注文した。「酢飯か、あつあつご飯か、どちらがいいですか」と聞かれ、二人ともあつあつご飯を選んだ。少しして、丼が二つ運ばれてきた。中トロ四枚とシラス、それから申し訳程度のイクラが、白いご飯の上にちんまりと乗っていた。
「いくら、少ないですね。」僕は思ったことをそのまま口にした。
「間違いない。」
食べ終えると、萩原は勘定を済ませ、僕らは店を出た。
漁港を出て車に乗り込むと、腹が満たされたせいなのか、すぐに眠気が襲ってきた。カセットはいつの間にか止まっていた。萩原がテープを止めたのか、それとも一本の再生が終わって、そのままになっていたのか、僕には分からなかった。車内には、エンジン音と、時々混じるウィンカーの音だけが響いていた。
窓の外では、那珂湊の港が少しずつ遠ざかっていくのが見えた。停泊している漁船、干された網、灰色の空と灰色の海の、境目がどこにあるのかよく分からない眺め。まぶたが重くなるにつれて、その境目はさらに曖昧になっていった。
それから先のことは、断片的にしか覚えていない。信号で止まった車の小さな振動。どこか遠くで鳴った誰かのクラクション。窓の外の光を受けて、萩原の横顔が一瞬だけ白く見えたこと。覚えているのは、それくらいだ。
次に目を開けたとき、車はもう学校裏の駐車場に戻っていた。エンジンは止まっていて、萩原は運転席に座ったまま、煙草も吸わずに、ただじっとしていた。自分がどれくらい眠っていたのか、行きと同じ道を通ってきたのかどうかも、僕にはもう分からなかった。
「着いた。」
それだけ言うと、萩原は先に車を降りた。僕は助手席のドアを開けながら、さっきまで見ていたはずの景色――港だったのか海だったのか、それすら判然としない、あの灰色の眺め――を思い出そうとしたが、うまくいかなかった。まるで、寝ている間に誰かがそっと入れ替えてしまったみたいに。
*
僕はそのころ短い小説や詩を書いていた。何かの拍子にその話を萩原にすると、彼は思いのほか興味を示した。試しに一つ送ってみると、律儀に返事が返ってきた。感想や、アドバイスめいたことが、几帳面な字でびっしりと書かれていた。それがきっかけで、僕らは月に一度くらいのペースで、小説と感想の入った手紙をやりとりするようになった。
手紙の中の萩原は、教室にいる萩原とはまるで別人のようだった。教室の萩原は、何を聞いても「さあ。」で済ませてしまうことが多い、寡黙な人間だった。けれど手紙になると、彼は驚くほど雄弁になった。便箋に、細かい癖字でびっしりと、時には五枚、六枚と書き連ねてきた。
僕が書いた、高校生同士の些細な諍いを扱っただけの、ありふれた短編に対して、彼はこう書いてきたことがある。
「君の書く人物は、皆、少しだけ賢すぎる。もう少し、愚かに書いていい。人は、自分でも説明できない理由で誰かを傷つけたり、傷ついたりするものだ。」
僕はその指摘に、ただ納得していた。
萩原自身も、僕と同じように、短い小説や詩を書いていた。雑誌に載ったこともあると言っていた。彼の作品が、手紙に同封されてくることもあった。ある時送られてきた短編には、こんな一節があった。
「男は、電車の窓に映る自分の顔を眺めながら、これがもし他人の顔だったら、と考えた。他人の顔なら、いくらでも取り替えがきく。だが自分の顔だけは、どうしても取り替えがきかない。それが、彼には時々、ひどく理不尽なことのように思えた。」
文章は、そこからさらに脇道に逸れ、電車の窓の話から、いつの間にか別の男の話に移っていった。何が言いたいのか、最後まではっきりしないまま、その短編は終わっていた。それでも僕は、彼の小説を読むと、いつも圧倒されるような気持ちになった。彼の小説は、僕の書くものとは違って、文章が長く、内容も複雑だった。まるで、こちらが息継ぎをするタイミングを、一文ごとに巧妙にずらされているような感覚だった。
*
高校2年の夏、僕は肺に病気を患い、入院した。気胸だった。肺の一部に小さな穴が開き、そこから空気が漏れて、肺そのものが萎んでいくのだという。息を吸っても、吸った分だけ胸の内側に溜まっていくはずの空気が、どこかへ律儀に逃げていく。医者はそれを、パンクした風船のようなものだと説明した。僕にはむしろ、しぼんでいくということそのものが、生まれてはじめて経験する種類の感覚のように思えた。
病院は学校から離れた場所にあったから、友人が見舞いに来ることはなかった。代わりに、萩原が見舞いに来てくれた。彼は病室に入ってくると、ベッドの横に置かれたパイプ椅子に、断りもなく腰を下ろした。
「なんで、来たんですか。」
「さあ。」
それきり、彼はしばらく黙っていた。窓の外では、蝉の声がずっと同じ音量で鳴り続けていた。
しばらくの沈黙のあと、彼は前置きもなく話しはじめた。
「私は、同じ夢を何度も見る。」
僕は黙って続きを待った。
「岸に立っている。どこの岸かは分からない。横浜かもしれないし、大洗かもしれない。まったく知らない場所かもしれない。とにかく、私は岸に立っていて、彼女が沖に向かって泳いでいくのを見ている。」
萩原はそこで一度、言葉を切った。僕は、点滴の管が刺さった腕をなるべく動かさないようにしながら、彼の横顔をじっと見ていた。
「私は、彼女に呼び返そうとする。声を出そうとするんだが、出ない。息が、吸えないんだ。ちょうど、君のその肺みたいに。」
彼は僕の胸のあたりを、指で差すでもなく、ただ視線だけでそっと示した。
「吸おうとした分だけ、どこかへ抜けていく。胸の中がどんどん薄くなっていく感じがする。声も出ないし、走って追いかけることもできない。ただ、彼女が沖でだんだん小さくなって、それから、水の中に消えるのを見ている。沈むのとも、また違う。溶けるように、いなくなる。私はそれを、岸から見ている。何もしない。何もできない、というより――何もしない、というのが正しい気がする。」
蝉の声がいったんやみ、それからまた鳴きはじめた。萩原は、しばらくそのまま黙っていた。
「それで、夢は終わる。ただ、息が止まったという感覚だけが、しばらく体に残っている。」
「怖いですね。」
僕がそう言うと、萩原は少しだけ笑ったように見えた。
「怖いというより――息が止まることに、大した意味はいらないんじゃないかと、最近は思うんだ。」
彼はそれ以上、何も説明しなかった。僕もそれ以上、何も聞かなかった。彼の話は、僕にとっては、まるで小説を読んでいるかのようだった。現実の話ではなく、どこか非現実的な話だった。彼が本当にそんな夢を見るのか、それとも今この場でその場しのぎに作った話なのか、僕には最後まで判断がつかなかった。
しばらくして、萩原は椅子から立ち上がり、何も言わずに病室を出て行った。彼が本当にまた来たのかどうか、僕はもう覚えていない。
*
僕は第一志望だった国立大学には落ちたので、受かっていた私立の理系大学に進学した。当時の僕は数学が好きで、数学科に行けるのならどこでもよかったというのが、正直なところだった。卒業式には、萩原は来なかった。僕は、卒業式のあと彼に手紙を書いたが、返事はなかった。
萩原が死んだことを知ったのは、僕が教員免許を取るために、教育実習であの高校に戻った時だった。
「萩原先生は、どうしましたか。」
何人かの教員に尋ねてみたが、分からない、というのが答えだった。彼のことを覚えている教員自体、もうほとんど残っていなかった。ただ一人、同じ現代文を教える老齢の教員だけが、彼の死を知っていた。
「非常勤の契約が切れてから、しばらくして亡くなったと聞いています。」
老教員はそれだけを、淡々と口にした。感情を込めるでもなく、天気の話でもするみたいに、ただ事実を並べるように。
「車の中で、だったそうです。ガソリンを撒いて、乗り込んだまま火をつけたと。」
僕はブルーのマツダ・キャロルのことだとすぐに分かった。それ以上、老教員は何も語らなかった。理由も、場所も、いつだったのかも。知っているのはそれだけだ、という顔をしていた。僕もそれ以上は聞かなかった。
二週間ほどの教育実習が終わり、僕は実家の自分の部屋で、萩原の小説を見つけた。彼が生前、雑誌に載ったと言っていたものとは別の、原稿用紙の束だった。表題も、日付もなかった。
読み始めてすぐに、いつも通り、僕は圧倒された。文章は長く、一文が終わるまでに何度も脇道に逸れ、時制も語り手も、律儀に定まらないままだった。何が起きているのか、最後まで判然としない話だった。
その中に、こういう一節があった。
「あの男の車には、一箇所だけ、直らない不調があった。エンジンをかけるたびに、決まって同じところで小さく異音がする。修理に出しても、原因は分からないと言われた。男はそれを、直すのをやめた。異音を聞き分けられるようになった頃には、それがないと、逆に落ち着かなくなっていた。」
それだけだった。小説を読み終えても、僕には何も分からなかった。分からないということだけが、はっきりと残った。
*
僕の肺は、退院してからしばらくして、元通りに動くようになった。医者は「治りました」と言ったが、レントゲンには、白く小さな痕が写ったままだった。空気は正常に出入りしているのに、そこだけは、二度と元の組織には戻らないのだという。
僕は今でも、時々その部分を意識する。痛みがあるわけではない。ただ、息を吸うたびに、そこだけ少し違う抜け方をしているような気がする。治った肺は、治る前の肺とは違う形のまま、それでも律儀に息をし続けている。
萩原の顔を、僕はもう思い出すことができない。彼の顔は、僕の記憶の中で、ぼんやりとした輪郭しか残っていない。それは本当に、忘れたのだ。
「先生。」
気づけば僕は、また何か書きはじめている。原稿用紙の上で、彼がかつてそうしていたように。
補遺
僕が数学の教育実習のために、あの坂の上の高校にもう一度戻ったのは、大学四年の梅雨のころだった。窓の外はずっと雨で、坂道は普段より心なしか色を失って見えた。
教育実習生は、僕のほかに誰もいなかった。正確に言えば、最初は国語担当の女性の実習生がひとりいたのだが、途中からいつのまにか姿を消していた。おかげで僕は、実習生用の待機室をひとりで独占することができた。
担当したホームルームには、三十人ほどの生徒がいた。担任は、毎朝のホームルームで短い話をするように僕に言いつけた。その代わりのように、生徒にも毎日短い文章を書かせていた。内容は何でもいい、とにかく書いてみなさい、と。生徒の中には、僕よりもずっと魅力的な文章を書く者が何人もいた。
実習は、やらされる授業の回数が標準よりずいぶん多いことを除けば、特に問題もなく進んだ。映画も、詩も、音楽も、僕は彼らに与えなかった。ただ淡々と、教科書と参考書の問題を解説した。パート・タイムで塾の講師をしていたから、そこでやっているのと同じことをすればよかっただけだ。
実習の最終日、最後のホームルームが終わって、待機室でぼんやりしていると、ひとりの女生徒が入ってきた。数学の質問――彼女は数研出版の青い『チャート式』を抱えていた――で来たようだったが、話しているうちに、本当の用件はそれではないらしいとわかってきた。
話の途中で、彼女は不意に泣き出した。理由は僕にはわからなかった。何を言えばいいのかわからないまま、僕はいくつかの小説や映画や漫画の話をした。『人間失格』から始まって、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を通り、『ノルウェイの森』に流れ着いた。ほかにも、いくつかの作品の名前を挙げた気がする。ただ、それらの中の言葉の意味や、登場人物の心情については、結局何も語らなかった。
あとになって、僕は気づく。毎朝のホームルームの短い話も、淡々と進めるだけの授業も、彼女に並べて聞かせた作品の名前も――結局のところ、僕は何も語っていなかったのだと。それらはただ、そこに置かれているだけだった。
彼女が出ていったあと、待機室にはもう誰もいなかった。机の上には、二週間使った教科書と、彼女が忘れていった消しゴムのかけらだけが残っていた。