
自分の価値は自分が決める
こんばんは。お久しぶりのアラフォーです。
何度か入退院を繰り返し、今、絶不調の中にいますが、久しぶりにnoteに思いを綴ろうと思い、やって来ました。
私は、正義感が強い。
自分がされて嬉しいことを人にする。
自分がされて嫌なことは、絶対にしない。
これが、私のルールだ。
よく、優しすぎる、と言われるが、自分のことを後回しにして、人のことを優先させてしまうからだ。
しかし、それは、亡くなった母の教えであり、私を形成する根幹的なものなので、変えようがないし、変えようとも思わない。
私の両親は、亡くなっている。双子の姉がいるが、暴力を受け、絶縁している。
私は、20代で精神疾患を発病、アラフォーになった今も尚、精神疾患を抱え、入退院を繰り返しながら、生きている。
生きているのが、申し訳無い。
消えてしまいたい。
私なんて、最初から存在しなければ良かった、と、生まれたことすら後悔するばかり。
症状が酷く、働けないので、生活保護を受給している。
こんな、塵グスの様な私を、生かして頂き、有り難い限りだ。
私は、小学生の時に、酷い虐めを受けた。
クラスの男子全員から、「汚い」、「臭い」、「キモい」等と暴言を浴びせられた。毎日、お風呂に入っていたのだけれどね…。
そのせいで、男性恐怖症になり、今まで、男性とお付き合いしたことが無い。
その後の人生に於いても、職場で虐めを受け、嫌がらせをされ、病気になってしまった。
私を好きになってくれる人なんて、いないよ。
そう思う。
入退院を繰り返す中で、他の患者さんと接する時に、私は、相手を否定しないこと、受容してあげること、そして、出来る限り、共感すること、に努めた。
ありがたいことに、仲良くなった患者さんたちから、明花さんがいてくれて良かった、と言われる関係性を築くことが出来た。
私は、私に、価値がある、とは思えない。
ただ、私の中に渦めく強い希死念慮の中に、飲み込まれそうになった時、唯一の支えだった、母の存在が薄れていき、私をこの世界に繋ぎ止める理由が無くなってしまった。
私と仲良くなった患者さんたちは、私を必要としてくれている。
けれど、私には、私に価値があるとは、思えない。
どんなに人から必要とされても、人から見たら、価値があると思われても、私自身が、私を認められない限り、この暗く冷たい旅路は、永遠に続くのだろう。
私には、夢がある。
それは、医師になることだ。
精神科医になり、同じ精神病で苦しむ方々を救いたい、と強く思っている。
けれども、その夢も、病気による認知能力の低下で、遠のいていく。
私は、何がしたいの?
私は、どうすべきなの?
私は、どう生きたいの?
それらの根幹を、徹底的に問う作業の中で、貧困や孤独に、打ちのめされて、負けそうになりながらも、負けてたまるか!最後に笑うのは私だ!と、自分に言い聞かせて、今日も生きている。
自分の道は、自分で切り拓いて行かなくてはならない。自分の価値は、自分で作り出さなくてはならない。他の誰かの基準なんて要らない。
けれど、冷たい社会に打ち勝つには、まだ、力が必要だよ。諦めたくない。自分に負けるのが、悔しいよ。
ねぇ、お母さん、力、貸してくれないかな?
そう思いながら、自分の進む道を見極めている最中だ。
誰に対しても、温かい、愛の溢れる社会でありますように。そこに寄与できる自分でありますように。
そう願うばかりで、何も出来ない自分に葛藤しながらも、前に進もうとしている自分に、言えることがあるとすれば、成長しているのだよ、ただ、何かを得るには、痛みを伴うから、辛いだけ。
こんな人生、要らないよ、と思いながら、いつか新しく人生を始めることが出来るのかも?と、可能性に希望を持って、これからも、少しずつ、進んでいこうと思う。変化を恐れては、何も始まらないから。
稚拙な文で、申し訳無い。