
ろうそく吹き消し屋
死神のヤマモトは、地獄で最も暇な男だった。
担当は「ろうそくの洞窟」の管理。地下深くに広がる果てしない洞窟に、人間の数だけろうそくが並んでいる。一人に一本。生まれた時に灯され、消えた時に死ぬ。ただそれだけの、単純な仕組みだ。
ヤマモトの仕事は見回りである。ろうそくが倒れていないか、火が弱っていないか。たまに人間界から医者の死神が連れてきた人間が「俺のろうそくを見せてくれ」と泣きつくので、案内する。短いろうそくを見て絶望する人間。長いろうそくに火を移し替えてくれと懇願する人間。そういうのを何千年も見てきた。
ところが最近、様子が変わった。

「あの、すみません」
洞窟の入口に、小綺麗な身なりの人間の女性が立っていた。60代前半。白髪を上品にまとめている。
「私のろうそくを見せていただけますか」
ヤマモトは慣れた手つきで台帳をめくり、女性を奥へ案内した。彼女のろうそくは、まだたっぷり残っていた。
「ああ、やっぱり」と女性はため息をついた。
ヤマモトは構えた。ここから泣くか、喜ぶかのどちらかだ。
「長いですね」
「ええ、かなり。おめでとうございます」
「いえ、困るんです」
「……はい?」
「これ、少し短くしていただけませんか」
最初は断った。規則にない。前例がない。そもそも死神の仕事はろうそくを管理することであって、客の注文を取ることではない。
だが女性は粘った。
「母が97歳なんです。もう誰のことも分からない。食事も自分で取れない。それでも心臓だけは元気で、毎月の施設費用が28万円。父の遺産はもう尽きかけていて、私の年金から補填しています。このろうそくの長さだと、私もああなるんでしょう? そして私の娘が、私のために同じことをすることになる」
ヤマモトは黙って聞いていた。
「私、80歳くらいでいいんです。あと18年。充分です。最後の一年は、娘と温泉にでも行って、おいしいものを食べて、それで終わりにしたい。このろうそく、80歳の分だけ残して、あとは切っていただけませんか」
ヤマモトは、彼女のろうそくを見た。確かに長い。あと30年分はある。
「仮に切ったとして」とヤマモトは言った。「切った分のろうは、どうしますか」
「捨ててください」
翌週、もう一人来た。
68歳の男性。元教師。定年後は特にやることもなく、テレビを見て過ごしている。
「先生に聞いたんですが、ろうそくを短くしてもらえるそうで」
ヤマモトは驚いた。「先生って、先週の……」
「ええ、カルチャーセンターで一緒なんです。彼女、すごく晴れやかな顔してましたよ。『死ぬ日が決まったら、逆に毎日が楽しくなった』って」
口コミだった。
その翌週には三人来た。その次の週は七人。一ヶ月後には予約待ちの行列ができた。
ヤマモトは洞窟の入口に小さな受付を設けた。「ろうそく調整サービス」と手書きの看板を掲げた。
サービスは三種類にした。
「おまかせコース」── 健康寿命の統計データに基づいて、体が動かなくなる前の年齢でカット。一番人気。
「ぴったりコース」── 希望の年齢をヒアリングして、その分だけ残す。二番目に人気。
「ゆとりコース」── 少しだけ長めに残す。慎重派向け。
料金は取らなかった。死神に人間の通貨は必要ない。ただ、カットしたろうの余りはもらうことにした。使い道は特にないが、なんとなく捨てるのは忍びなかった。
口コミが広がるにつれ、ヤマモトは受付に「お客様の声」を貼り出すようになった。
「母の介護で疲れ果てていました。自分は絶対ああなりたくないと思い、10年カットを申し込みました。今は残りの人生を全力で楽しんでいます」(58歳・女性・おまかせコース)
「年金が足りるか不安で眠れない夜が続いていましたが、寿命を75歳に調整してもらってからぐっすり眠れるようになりました」(63歳・男性・ぴったりコース)
「定年後、何もすることがなく漫然と生きていました。残り8年と分かった途端、毎日が輝き始めました。妻とのケンカも減りました」(72歳・男性・おまかせコース)
「※個人の感想です。効果には個人差があります」という注意書きを添えたのは、ヤマモトなりの誠意だった。
客が増えるにつれ、ヤマモトはあることに気づいた。
来る人間の多くが、ろうそくを短くした後、見違えるように生き生きとするのだ。
ある男は、カット後に30年ぶりにギターを始めた。「あと12年しかないなら、やりたいことをやらないと」。ある女性は、ずっと行きたかったスペインに一人で旅に出た。「老後の蓄えとか考えなくてよくなったから」。
終わりが見えることで、人間は逆に動き出す。
皮肉だった。死神が寿命を縮めることで、人間の人生が豊かになっている。
問題が起きたのは、三ヶ月後だった。
地獄のコンプライアンス部門から呼び出しを受けた。
「ヤマモト君、君のやっていることは業務規定に反する」
部門長のアザゼルは、分厚い規則書を机に叩きつけた。
「ろうそくの管理とは、自然に燃え尽きるのを見届けることだ。長さを調整することではない」
「ですが、顧客満足度は過去最高です」
「顧客? 我々に顧客などいない。人間は管理対象だ」
「でも彼らは喜んでいます。感謝されています。死神が感謝されるなんて、歴史上初めてのことじゃないですか」
アザゼルは黙った。
「それに」とヤマモトは続けた。「短くした分のろうが余っています。これ、もったいなくないですか」
ヤマモトが倉庫に案内すると、切り取ったろうの山が天井近くまで積み上がっていた。何千人分もの「要らない寿命」。
「これを溶かして新しいろうそくにすれば、人口減少対策にもなりませんか。少子化でろうそくの新規発注が減ってるって、製造部門が嘆いてましたよね」
アザゼルは、ろうの山をしばらく見つめていた。
翌月、ヤマモトは昇進した。

新設された「ライフスパン・コンサルティング部門」の初代部門長。地獄初の、人間向けサービス部門だった。
洞窟の入口には、新しい看板が掲げられた。ロゴはプロのデザイナー(生前の罪で地獄にいる)に頼んだ。パステルカラーで、温かみのあるフォント。
「よいやすみ ── あなたの寿命、ちょうどよい長さに」
開業初日、行列は洞窟の外まで続いた。
列の中に、見覚えのある顔があった。悪魔だった。缶コーヒーを持って、所在なさげに立っている。
「お前、何しに来たんだ」とヤマモトは聞いた。
「いや」と悪魔は言った。「転職の相談を」