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心細いこどもの心を見つめて

どんなに大人になっても、どんなに人生経験を積んでも、どんなに人間関係の経験値を増やしても・・・こどものときから変わらない、小さなこどもの自分が自分の中にいる。

子どもの頃の、これと言った特定の場面ではなく、日常の中のうっすらとある記憶。
知らないところに訳も分からずに連れていかれる。子どもの頃は日常茶飯事なわけだけど、お母さんが居てくれればとりあえず大丈夫。昨日のこととか明日のこととか過去や未来のことまで思いを馳せて大人みたいに思い悩むことはほとんどなかった。ただ、その時々に連れていかれた場所で、子供心なりに感じた不安や居心地の悪そうな感覚(フィーリング)だけはよく覚えている。言葉にはならないそのフィーリング。お母さんが居るから大丈夫だと思っていたのに、お母さんは私をここへ置いてどこかへ行っちゃうらしい。そういった場面で味わったなんとも心もとない感覚だ。

今年49歳の誕生日を迎えて、中学生と小学生の子供の親として生きている大の大人のはずなのに、この心細いこどもの気持ちは今になっても色々な場面で日常的に湧き上がってくる。「人見知り」という言葉で片づけてしまえばそれでおしまい。だが、この自分の中にいる心細い子どもの私は今までずっと「人見知り」という一言で片づけられて見て見ぬ振りをされてきたのだ。片づけられたつもりなのに、どこにもきれいに収まりきらず、押しやられているだけだった。それが私という人間の成分の1つなのに、押しやったってどこかへ消えて無くなるわけがない。若いころはそれを「直したい」つまり「変える(矯正する)べきもの」だと思っていた。だが40歳を超えてから、考えが少しずつ変わってきた。変えれるものは変えればいい。変化・進化し続けられることは素晴らしい。けれどありのままの自分を受け入れることも大事だと思う。まず自分を理解すること。受け入れること。それは諦めることではなく、そこからスタートするということ。それが大事。そのためには、この子供のこころとしっかり向き合い、受け入れて、見つめてみようと思いこの記事を書いている。

心細いこどもの心との葛藤になるのはだいたいこのような場面だ。
夫が誰かの家に招待され、家族全員でお邪魔する。招待されたのは我が家だけではなく、夫も私も面識のない人も含めて何家族かが集まる。夫は少なくともパーティーのホストとは友達なわけだが、私はその人と親しいわけではなく顔見知り程度。
フランス人の夫はどのような場所へ行っても、まず到着すると自らその場所にいるひとたち一人一人のもとに挨拶と自己紹介にいく。握手をしながら天気などの差し障りのない話題を持ち出し、あっという間にその場に馴染んでしまう。大人数の集まりになると誰も話し相手がいないちょっと居心地の悪い時間が隙間にあったりするものだが、夫はそんなことには気も留めず、適当に周りの人たちと表面的過ぎず深すぎもしない丁度いいさじ加減の当たり障りのない会話をそつなくこなす。夫はパティシエの経歴が長く、食べ物の話が好きなので食べ物の話題であっという間に誰とでも仲良くなる。

一方で、このようにあまりよく知らない人々のパーティーに招待されるのが私にとってはとても負担で、心細いこどもの心が騒ぎだす。
自分の中で葛藤しながら、私が理想の妻だったら、子供たちのお手本になる理想的な母だったら、どんなパーティーに参加してもその場にいる人々とスマートに会話を楽しみ、始まりから終わりまで1ミリの違和感も感じずにその場に馴染み、新しい人々との出会いを最大限に活かして素晴らしい時間を過ごせるのだろうなと思う。
だが実際の私は心細いこどもの気持ちでいっぱいになる。招待されたと話を聞いただけでごっそりエネルギーを消耗する。こどもの心はそんなところへは行きたくないと言う。全く会ったことのない他人や、顔見知りでも友人とは呼べない人々の集まりに行ってなにが楽しいの?という。それなら家で留守番していた方がずっといいと言う。子供のころの私が、知らない場所へ連れていかれたときにずっと母にそばにいて欲しかったのと同じように、本当の私はもしその場所へ行くのなら夫が私のそばから離れずにずっと守ってくれたらいいのにと思う。少なくとも知らない人に慣れて少し居心地が良くなるまでは。私がその場になじむまでは連れとして会話の橋渡しをしてくれたり、ポツリと一人にならないように気にかけて私のそばを離れずにいて欲しい。それが本音だ。そんな気持ちを率直に夫に伝えたこともない。伝えて理解されなかったらどうしよう。めんどくさいなと言われたらどうしよう。夫には理解できないのではと思ってしまう。

今までは無理してでもそのような場所に参加するのが良い妻の役目だと思っていた。無理して参加したけれど、ときには面白い人に出会って純粋に楽しく過ごせたときもあった。意外と行ってみて良かったと思ったこともある。だが居心地が悪く、気分が落ち込み涙が出そうなほどに辛いことも多々あった。そういったときは決まって夫への怒りが募った。この数年は夫からこのような集まりの話が出るたびに、「考えさせてほしい」といって一旦保留するようになった。無理して行って嫌な思いをして帰ってくるくらいなら「行かない」と返事をすることも増えた。もし行くと返事をしても、私は顔を出すだけにして自分の帰りたくなったタイミングで帰れるよう2台の車で行こう、と提案することが多くなった。車1台で出かけると辛くなった時に自分のタイミングで帰ることができず逃げ場がなくなってしまう。それが耐えられないからだ。

夫は私がこういう面倒くさいことを言うと呆れた顔をする。でも私も夫の気分をよくするためだけに自分の心を犠牲にするのを辞めた。どうしても居心地が悪くなるようにしか思えないときは自分を守る。それでいいと思っている。ただ、気が進まなかったものの行ってみたら意外と楽しく過ごせたというときもあるし、すべての機会をシャットアウトしたくはない。行きたくない不安材料と行ってみなければわからない未知の部分を天秤にかけて、あまり負担にならずに臨めそうなときには行ってみようとも思っている。行ってみて心細い気持ちになったときは素直に心細い自分を受け止めたい。無理して「こうしなければ」と社交的な大人を演じなくてもいい。辛い気持ちになってもそういう自分を責めない。夫にちょっと居心地が良くないので自分の傍に居てほしいとこっそり言ってみてもいいのかもしれない。夫のそばにくっついて安心できるのであれば子供のようにくっついて居てもいい。大人げなく振舞ってみてもいいのかもしれない。少なくとも、心細いこどもの自分を置き去りにはしない。それから、もう少し夫を信じて少し頼ってみてもいいのかもしれない。そこからスタートしてみようかな。


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