
好きだった歌うことが嫌いになるまでと今が楽しい理由
発端
歌を嫌いになったらどうするんだろ。
「歌を嫌いになったらどうするの?」
これは高校受験で必要だった面接指導の中で出題された問いだった。
前もってわかっている問いではなかったので、私はすぐに頭の中で文章を組み立てた。
私は元々歌うことが好きだったけれど習慣になったのは合唱団に入ったことが大きかった。そこで出会った人、曲、体験、そのほとんどが楽しくて充実感のあるかけがえのない記憶で歌うことの原点だった。それらを問いから返答までの短い時間、話し始めてからも考えながらまとめて答えた。咄嗟に頭で組み立てたそれはとても好評だった。
面接の最中は絶対にそんな未来は訪れないぞと思っていた。少し意地の悪い質問だと思ったけれど、きっと私には関係ないと思っていた。
でも私の中に疑問が残った。今、好きなものを嫌いになる、好きではない状態になるとはどういうことなのかと。面接の練習ではいくつも質問が投げられたけれどなぜかこの問いはずっと頭から離れなかった。今振り返ればまるで答えを出せよと言われているみたいだなぁと思えてくる。
私がうつ病になった時、この面接の時に言ったことを何度も試した。原点の記憶をたくさん頭の中で再生してみた。しかし何度試しても歌への情熱が再燃することは無かった。「いい答えだ」と言われた私の言葉は全く役に立たなかった。
大事だと思っていた記憶に感情が伴わない、無機質なものになっていた。出来事はわかる。しかしそこにあった感情がどういうものだったのか、どういう風に私の心を動かしていたのかがまるでわからなくなってしまった。
実際に好きということがわからなくなった
惑う(まどう)日々の始まり
好きだったものを好きではなくなると言うのはどういうものなのか。嫌いになる明確な理由が思い浮かばない。他にもっと好きなものが現れたわけでもない。
そして歌うことを好きではなくなった私もいるけれど、片方で強烈に歌うことを求める私も存在していた。否定する私ともっと進めという私。歌いたいのに歌いたくない。聴いてほしいのに聴いて欲しくない。
この葛藤するエネルギーは好きな気持ちが強いほど大きく、そしてこの大きなエネルギーは私の中で滞りストレスとなって内側から私を蝕んでいく。
最初はまだその二つのエネルギーがあるということを感じる程度だった。
なぜ、2つが存在するのかを自分自身に問うてみる。
私はいつからか私の歌声を聴くのが嫌いになっていた。しかし誰かに聴いて欲しいと強く思ってもいた。自分が良いと思えない歌声を誰かには良い声だと言って欲しかった。これをはっきりと文字にした時、歪んでいることに気づく。そしてこの時、それまでは見ないふりをしていた痛い部分をはっきりととらえた。この歪みこそ痛みの正体だった。この時、ようやく私は歌う時間に苦痛があったことを認められた。
好きじゃないかもしれないと感じていることと明確に好きじゃないと認めることは違った。はっきりと認めた時にはじめて私は前へ進む準備ができたように思う。
今まではむしろ頑なに私は歌うことが好きだし歌っている私を好きなはずだと思い込もうと必死だった。そして歌うことに段々と私の心が動かなくなっていった原因は外にあると考えていた。例えば、レッスンの回数が足りないからとか、歌う曲が悪いとか。今になって思えば私の中にある問題だった。しかしそれに気づきたくなくて目を背けていたように思う。
私の中で何が痛むのか何故痛むのか。痛み始めはどこなのか。私は私の記憶を遡ってみた。
過去
そういえばどこからだろうか。小学生〜中学2年まで合唱団に通っていた。練習も舞台の上で歌うのも喜びがあったし、面接で褒められた回答だってこの記憶を元に作った。ではどこからなのか。
面接後の高校時代にさかのぼる
私は高校に入ってから私の担当になった声楽の先生との折り合いが悪かった。信頼できないと思っていたら入学早々私はレッスンで声が出にくい状態になってしまった。声楽科なのに歌う時に声が出なくなってしまったのだ。そうなった時でさえその先生はただの練習不足だと決めつけてその怒りを私にぶつけてレッスン室を出て行ってしまった。1人レッスン室に取り残された私は焦りと恐怖、何よりも自由に歌えなくなったことや今後どうしたらよいのかなどさまざまな感情で混乱し1人うずくまって泣いてしまった。
どうにかして歌えるようにはしなくてはいけない。けれどこの担当の先生は頼れない。そう思った私は高校の入学までレッスンをしてもらっていた先生に再び連絡を取り、レッスンを再開してもらうことでかろうじて歌えるようした。その甲斐あってその後の学校でのレッスンでは怒りをぶつけられるほど酷くはならなかった。けれど喉がひきつるような歌いにくさはずっと残っていたからいつまた声が出なくなるのだろうかと恐怖は消えることが無かったし高校を卒業後もずっとこの恐怖が無くなることがなかった。
試験の後の反省会
音楽科にいると普通科の試験と同じ頃学科試験も行う。その試験が終わると大抵は先生とレッスン室に集まって反省会が行われた。
初めての反省会では私は良かった点、悪かった点を挙げてみた。良かった点を言った時の先生の顔が忘れられない。「何言ってんだ、こいつ」と言いたげな怒りを含むような顔に歪んだ。私はその表情に恐怖を覚え、反射的に悪い点を挙げた。すると先生は頷き、表情はすぐにやわらいだ。私が反省会で良かったところを言ったのはこの時の一回だけだ。もう2度と良いところは言わないと固く決め、次から悪い点だけを挙げるようにした。すると先生は「ちゃんとわかってるじゃない」と満足そうに言う。
でも、この反省会で出した私の反省点は反省会のためだけに作ったものでその後使われることはない。
そもそも試行錯誤をしてもレッスンでほとんど否定されるので次第に自分で何かを考えて練習することも減った。言われたことだけやった方が安全だと思っていたからだ。
レッスン中に先生から指摘を受ければ私なりに修正してみるけれど気に入らなかったら不機嫌になっていく。先生の中に正解はあるのかもしれないけれど私にはそれはわからない。「それは違う、そうじゃない、それはするな」そんな風に言われ続けると私の出せる選択肢もどんどん無くなっていく。行く手を全て塞がれて身動きが取れなくなっていく感覚だった。わからない中で辛うじて先生の前をすり抜けた歌い方を必死に守っていた。その上で新しい指摘があれば大きく変えないように変えていた。変わったのか変わっていないのか私だってわからないが先生が止めなければ進められる。
したがってこちらは怒られないように悪いところを挙げ連ねることで満足。先生も言わせて満足。その後の進歩は必要が無い。
次第に自分を否定すれば褒められるという反省会ではいくつもの悪い点を作文していた。私ができてるとか、できていないとかはどうでもいい。数さえあればいいと思っていた。
そしてレッスンでもいつでも自分を否定する言葉が出るようになっていった。突然聞かれた時にすぐに答えられないと先生の顔が曇り始める。聞かれた瞬間、その時1番適した自分の悪いところをすぐさま言えるようになっていた。何でダメなのか、どうダメなのか説明もその時考えて作文してはそれらしく答えた。先生だっていつもは否定的な視線なのに作文だけは納得して聞いてくれた。
成長することは捨てた
私は自分自身の成長よりも機嫌を取ることで何事もなく、このレッスンの時間をこなすことの方を優先することを選んだ。
成長よりもささやかな心の安寧の方を選んでしまったのだ。こちらのやり方も先生が気に入らない歌い方をすれば睨まれたり叱責されたりすることもあるが私が歌い方の探究なんてしなければそのリスクは最小限に抑えられる。加えてどこがダメだったか聞かれればわからない中でこういう答えを求めているのだろうなと言う言葉を並べれば緊張した空気も一気に解放された。簡単に言ってしまえば私の言葉で先生の機嫌が決まる。だからレッスンを私がコントロールしていると勘違いしてしまった。
2つの大丈夫
コントロールしてる。
大丈夫。
怖くない、大丈夫。
大丈夫。
私は歌うことが好き。
大丈夫。
絶対に嫌いにならない。
大丈夫、私は壊れてない。
私は私のまま存在しているはずだ。と。
歌い直して先生が満足すれば1番良いがそればかりではない。失敗が続けば先生の機嫌は急降下、元々ピリピリしている空気が一気に張り詰める。その時の私が取る行動は先生の言っていることはわかっていると伝えることで時間を稼ぐことだった。
できてないことはわかっている。あなたと同じように私はわかってる。だからそれ以上は言わなくて大丈夫。それ以上怒らなくて大丈夫。
わかっていると見せておけばそれ以上酷いことにはならない。レッスンを重ねれば少しずつ先生の言動の癖がわかるようになって、何を、どう言えばどんな返答、反応が返ってくるのかがわかるようになっていく。言い方はとても悪いが猛獣使いにでもなった気分だった。
レッスン室という檻の中、30〜45分くらいの時間は2人きりで過ごさなければならない。逃げ場は無い。先生の機嫌の手綱を離してはいけない。少しの変化も見逃すことはできない。レッスン室から出ると一気に緊張から解放される。「今日もやり切った」と。強い達成感だけはあって、そのあとは妙にハイテンションになる。
それでも怖いことに変わりはない。
だから何度も言い聞かせる。
大丈夫、コントロールできてる。大丈夫。と。
先生を騙していた。そして自分のことも騙していたのかもしれない。
私と私'
私が先生の前で自分の評価をする時には私ではない私、私’を作っていた。明確に作ろうと思ったわけでは無かったが、最初から頭の中にそういうシルエットがいた。そして心の中の私'に向かって言葉を吐いた。あくまでも私ではないと区別しているつもりでいた。
例えば
イタリア語の発音が弱い
高い音の時に喉が閉まる
母音が暗い
強弱記号などの意識があまい
今でもあげようと思えばいくつも出てくることに驚いた。
できていないと言えることをいつも探す様になっていた。作文ができれば何でもいい。中には本当に自分のできていないことを言うこともあるだろう。まだ未熟な生徒、何か言えば大抵は当てはまる。とにかくたくさんできていないであろうことを並べていく。当時の私にとって本当にできていないかどうかなんてどうだってよかった。それよりも先生の怒った時の顔やひりつく空気の方が恐ろしかった。本当に良かった部分まで否定されると感じていたのかもしれないが、一番はまた声を失うかもしれないという強い恐怖心からだった。
私はいつしか頭の中の(私')をボコボコにするようになっていた。私ではない私'という存在を作り出してお前の歌は価値がないと言葉を投げつけるようになっていた。
先に私が私'を殴る姿を見せればそれ以上の予測のできない攻撃を受けなくて済むと心のどこかで感じていたのかもしれない。
それを私は3年間続けた。
卒業する頃、私に残ったのは、声が出しづらい喉と悪いところだけはすらすら出せる様に回る頭だった。同時に自分の歌声を聴きたくなくなって、歌うことに違和感を持つようになっていた。しかしそれを見て見ぬふりをしていた。ここで気づけば違ったのかもしれない。
解放された先で
大学に受かった時、本当に嬉しかった。やっと自由になれると思った。踊り出したい気分だった。というか少し踊った。
環境が変わったのだから私は伸びるはずだと想像していた。それまでの分も取り戻す気持ちも大いにあった。でも、私が純粋に楽しめたのは1年生の前半まで。その後から思っていたよりも成長を感じられない上に、高校の時のレッスンの様な強い達成感が無いことに不満を抱き始めた。私は大学に入って先生が変わればあの強烈な達成感が純粋にレッスンでの指導によって得られると思っていたからだ。今振り返ると達成感は"もたらされるもの"だと勝手に想像していた。
私はレッスンで言われた通りにやっているのにどうして伸びないのかと悩み始めた。言われたことはやっていた。そう、私は言われたことしかやっていなかった。
3年という時間の中で身についた習慣と癖の積み重ねは環境が変わったから、先生が変わったからと言って簡単に変えられるものでは無かったようだ。少なくとも試行錯誤という選択肢は確実に消失していたと思う。当時の私はそのことに気づいてもいなかった。
しかし先生との関係は良好だった。指摘を受けて歌い方を変える。私がわからなければわかる様に表現をしてくれる。叱責されたり空気が悪くなることもない。褒められることだって増えた。
高校の時の様に顔色は伺わなくてたいいし、試験の後悪いところばかりを挙げ連ねる反省会も無い。むしろ肯定的な言葉を言われる回数は格段に増えた。たまたま試験後にばったり会った時には「良かったです!」と、それだけ言って颯爽と帰る先生だった。
当時のことを振り返っているうちにM先生のレッスンの仕方を明確に文字にすることができた。
教え方の違い
M先生の場合生徒によってハイリスクハイリターンになる場合、ローリスクローリターンになる場合で分かれるということがわかった。これは最近になって、当時を振り返ったからこそ整理できたこと。まず、ハイリターンになりえるのは生徒が試行錯誤した場合。やって来たこと、何を目指したかったのかをわかってくれる、もしくはわかろうとしてくれる。試行錯誤したことを歓迎して生徒が向いたい方向へきちんと導く手助けをしてくれるというレッスンの仕方だった。
ここでいうリスクについだが、試行錯誤をするということは今までの歌い方を大なり小なり捨てることになる。脱皮に近い。探究心によって更新し続けるからより新しい発見や技術を求めるのなら色んなことをやってみる必要がある。
ハイリスクになるのは自分で挑戦する道を決めるということ。道なき道を少し歩けるくらいの状態にしてレッスンで整地してもらうみたいな感覚。逆にローリスクとは私のように先生に言われたことだけをやっていくのだからどちらの道に行くかも本人すら見えていない。ただ言われたように道を拓き、整地する。
私は試行錯誤を捨てていた。これは3年間染み付いた癖のようなもので、私自身は自覚がほとんどなかった。先生の言ったことをこなす。言われた範囲のことはするがそれ以上のことはしない。ローリスクローリターンだ。
私がしたくてしているのではない。言われたから言われた通りにやるだけ。達成感はない。成長してるという実感もない。むしろ悪いことばかりが耳に残り、どんどん自分の声が嫌いになっていくばかり。その時の私に好奇心も探究心ももう無かった。そんな作業、何が面白いのか。しかしそんな状態なのに上手くなりたいという気持ちだけが肥大化して、苦しかった。
体にも変化が起こっていた。この頃から元々あった喉の引き攣りに加えて体に力が入らなくなっていた。無理に動かそうとすると冷や汗かあぶら汗の様なものがでるようになっていた。
そして出たのが、
「何のために歌っているんだっけ?」
私は歌うことへの疑念がより強くなった。あんなに好きだった歌がなぜ好きだったのか本当にわからなくなってしまった。
それと同時になんのために生きてるんだろうと思うようになった。うつ病のはじまりだろう。
ここまでが私が歌うことを好きではなくなった顛末。
再出発はスロースタート
音大卒業後、歌うことを考えるととにかく苦しいし歌っても実際苦しいので、「歌うことをやめます。」と宣言してみた。休学する前に同じことを考えた時は涙が止まらなかったのに、この時はひと粒も涙が出なかった。
それから私は1年歌わなかった。思ったよりも短かい別れだった。結局私は歌いたくなってしまったのだ。どこかで誰かが歌っているのをみると、あるいは聴くと私も歌いたくなってしまう。それが気持ちよさそうに歌う姿なら尚更。
最初は練習というより楽しむ方を優先する様に気をつけた。歌う時の気持ちよさを大事にした。すると真剣になり始めると一気に自分を追い込みたくなってしまうのが自分でよくわかった。その都度肩に入ってしまった力を抜く。練習ではないから完璧でなくても良い。自分がその時、歌いたいと思った曲、フレーズだけを歌う。体力や集中力が切れたらそれ以上やらない。曲を選んだ時無意識に1曲全てを通してと思い込んでしまって、自分が歌いたいと思っていたフレーズ以外もやり始めると心が凪いでいく。そういう時は全てをやる必要はなかったんだと我にかえる。とにかく楽しめる時間を増やすことに専念した。実際、うつ病の影響で体力がほとんど無かったので10分、20分やれてせいぜいだった。
本当の解放
力の限り歌ってみたい。
楽しめる時間が増えると新たな欲が出る。私は声の出の悪さを解決したくなった。高校生の時から歌う時に感じていた喉の詰まりは休んだ後の今でもあいも変わらず居座り続けていた。大声を出すことも、風邪のひき始めなどの喉の違和感がある時にもこのまま声が出なくなるんじゃないかと本当に怖かった。だから私はずっとセーブして歌うしかないと思っていた。
その我慢も限界だった。どうせ歌うなら気持ちよく歌いたい。もう喉が枯れたっていい。最後に力いっぱい歌ってみたい。そう思ってまずは文字通り叫んだ。喉に声が詰まって引っかかるのだ。声はまっすぐ出てくれない。一度ですぐに変わることはなかった。時々思い出した頃に思い切り声を出した。高校生になってからずっとあった何かが詰まる感覚がだんだんと無くなっていった。1年はかからなかったと思う。
そして枯れる枯れると思っていたけれど叫んで少し痛んでもまた元通り、枯れるどころかしゃがれるということも無かった。なーんだ、枯れないんだと思ったら少し心が軽くなった。
もっと前にしておけば良かったと思ったか。それは全く無かった。今だからできたことなんだと思った。今のタイミングで今の環境だったからだと私は思っているから遅かったなんてちっとも思わなかった。それよりもちゃんと自分が思うように歌うスタートを切れたことがとても嬉しかった。
声の研究
声が出せる様になったからと言って、今のままの歌い方では私は私の歌を認められない。でも私は今までまだ全力で歌ったことがない。だからやるだけやってから進退を決めたい。そう思った私は自分の歌を認められる様にするしかないと思ったのだ。
歌う時にボイスレコーダーで録音したものを逐一聴き、歌い直したものをまた聴いて納得が行くまで修正を繰り返した。何度も何度も自分の声を聴いて、自分の声への嫌悪感も麻痺してきた頃、自分の声が綺麗だと納得した時があった。
褒め言葉を受け入れられなかった。
私はよく「綺麗な声だ」と言われた。私はこの言葉を言われるたびに気持ちが塞いだ。私にとってそれは褒め言葉ではなかったからだ。歌をやっている人の声は大抵いいものだろう。私の歌について言えることがないからしょうがなくてこの言葉を言うのだと思っていた。だから、コンクールの時も大学で各先生から直筆でもらった評価の紙にこの言葉がいくつも並んだ時も「またか…」と思い、その度に自信をなくしていた。
あんなに頑なに信じられなかったのに自分で認められる様になった時、誰もが嘘をついていたわけではなかったのだと知ることができた。本当のことを言ってくれていたのだと。つい笑ってしまった。それは乾いた笑いだった。
この頃になってようやく前述してきた自分が抱え込んでいた歪みにも気づき始めた。痛みにも目を向ける様になっていた。高校での3年間のできごとや大学でのレッスンに自分がどんな思いで臨んでいたのか、本当はどうするべきだったのだろうなんてことも考えられるようになっていた。
混ざり合っていた私と私'
歪みの起因、痛みの根源。
私'に向けていた言葉がいつからか私に刺さっていて、いつの間にか私'ではなく私自身を否定する様になっていた。怖いと感じたのはこれに自覚がなかったことだ。私は自覚することなく少しずつ混ざり合っていた。もしくは私'から私に完全にすり替わってしまったのか。どちらにしても最後は当たり前の様に日常的に自身を否定するようになっていた。呪いの様だと私は思った。確かに高校の時の記憶も痛い。でも環境が変わってからも無意識のうちにずっと負の言葉をかけ続けていた。短くはない時間でじわじわと自分自身を追い詰めていたことに気がついた時、少しだけ心が解放された気がした。もうしなくていいこと、解放されていいと気づいたからだろうか。だからといってすぐにうつ病が回復するわけではないけれど確かにここから歌うことに対する意識も自分にかける言葉も少しずつではあるが、明確に変わった。撮った声を聴くことも以前よりも抵抗が無くなっていく。
そしてまた一歩
昨年、M先生とのレッスンを再開した。最初のレッスンで持って行った曲はBacioだった。
1人で練習する中で私の声に合う曲を選び、練習していた。明るく軽やかな曲だから以前だったら選べなかったような曲だ。半分は好奇心、半分は挑戦。声にはとても合うはずだから、この曲を歌いこなせるようになりたい、そう思って選んだ。
うつ病の影響があり、いつも明るい気持ちでいられるわけではなかった。そういう意味でも挑戦だった。救いは私がこの曲を好きだったということ。歌ってみたいという好奇心がしっかりあったこと。だから何度も何度も歌って録音を聴いていろんな歌い方を試してレッスンに行った。レッスンの最初に先生は
「この曲好き?」
と私に聞いた。先生は私が誰かの曲に憧れてばかりいた大学時代を思い出して言ったのかもしれない。私が
「好きです」
と言ったら先生はなんだか嬉しそうに笑ってくれた。
うつ病になってしまった私が思うこと
自己否定と反省は違う
出した反省点を直す努力に変えられたら私は無敵になれたのかもしれない。イタリア語の発音が弱いならはっきり発音しながら歌うにはどうすればいいんだろうと研究するとか、高音で喉が閉まるのなら高い音でも緊張し過ぎずに伸びやかに歌うにはどうしたらいいんだろうと試行錯誤してみるとか。出てくる反省点を次の課題として考えることができたなら私は無敵になっていたのかもしれない。だってそれだけ気づくことができてそれを片っ端から潰せたら非の打ち所がない歌を歌うことができるのかもしれない。けれど当時の私は自分を守ることで頭がいっぱいで、反省点をいかすどころか私も気付かぬうちに自己否定の材料にしてしまった。
成長のための反省でなければ意味がない
今、私は歌うことが好きだ。そしてそれを聴くことも嫌いではなくなった。録音を聴く時、それは私の歌をもっとよくするための時間だからだ。一つ一つ自分の気に入らないところを潰していく。こう歌えば滑らかになるなとか、こっちの方が音の色が明るいなとか。
ダメなら次はどうする?
ダメだった歌い方はさっさと捨てて何度も何度も修正し歌っては聴く。その繰り返し。
それが今はとても楽しい。そしてこれからはその気持ちを大切にしたいと思っている。