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腐ったみかん

    「腐ったみかん」という言葉がある。
    箱の中に一つでもカビたみかんがあると、胞子や水分が周囲に伝わり、他のみかんも次々に腐らせてしまう――。元は英語圏の「腐ったリンゴ」という慣用句が由来らしいが、日本ではドラマ『3年B組金八先生』を通じて爆発的に広まった。現代でも通じるこの言葉は、当時の日本にどれほどのインパクトを残したことか。

    劇中では不良の代名詞だったが、わたしが「腐ったみかん街道」を闊歩し始めたのは、非行の「ひ」の字も知らない高校生の頃だった。

    時は遡り、まだ腐る前のわたし。高校一年生。晴れて第一志望の高校に入学できたわたしは、考えあぐねていた。

    夢に見た華の高校ライフ。仲の良い男女グループなんか作ったりして、好きな人ができて、その人と晴れて両思いに。放課後は遊びやデート、部活に勤しみ、行事では友だちとともに盛り上がるーーそんな、ドラマや漫画で見たような青春の日々を過ごすのだ。妄想を繰り広げるわたしにとって、最も慎重を期したいのが、部活選びだった。

    学生にとって、入る部活は死活問題だ。わたしのような根っからの三軍気質の人間にとっては、特に。だって、そもそもクラス内で気の合う仲間を見つけろなんて、無茶な話ではないか。初対面の人間40名が、雑多に四角い箱に詰め込まれ、「1年3組」などとラベリングされる。つい5分前まで顔も名前も知らなかった人たちと、突然さも昔からの仲間であるかのように扱われだすのだ。そんな狂気的状況のなか、何のよるべもなく友だちを作るのは至難の業だ。しかも、一度一緒にいることを決めたら、なかなか離れたり、別のグループに移ったりできないのも難点である。

    その点、部活が同じという共通項を持つ者は強い。同じ目標に向かって日々の練習に励むというだけで、ある程度の結束が自然と生まれる。しかも、この先3年間を共にするともなれば、相手も無闇やたらと無碍な態度はとれないものだ。そしてもし同じ部活の人がクラスにいれば、儲けもんだ。そこから友だちの輪は広がって、きっとクラス軍位も上がるはず(正攻法で挑めないあたりが、わたしのいかに三軍たるかを表している気もするが)。

    その非常に重要な役割を持つ部活が、まだ決まっていなかったのである。

    中学時代はバドミントン部だったが、聞けばここのバドミントン部はわりと強豪で練習が厳しいらしい。聞けば、というのも、母がこの高校の出身でバドミントン部に所属していたのだ。情報というのは、身近な存在からであればある程その信用度は高まるものなのだとか。例に漏れずわたしも、母の言葉を信じバドミントン部以外の部活を探すことにした。

    高校ではぜひモテ期というものを体験してみたいので、モテの要素の一つであろう白肌を阻む太陽の下活動する、外の部活は避けたい。そうは言っても字も下手で絵のセンスもないので、室内とはいえ書道部や美術部なんかの文化系は避けるべきだろう。少しは運動している感も欲しい気もする。となると狙うべきは…ダンス部か。なんだか華やかで一軍の人たちが集まる予感がするし、初心者で入る人も多いなんて噂も聞いた。それなら出遅れているという劣等感を持つこともなさそうで安心だ。一つ懸念を挙げるとすれば、経験も何もない者が突然ダンス部に手をあげて入るというのは、かなり高校デビュー感が出そうだということだ。どうにか自然な流れで、あくまでも一軍デビューが目的で決めたと周囲に悟られない入部方法はないものか。

    ひとりで悩んでいたら、ちょうどよく中学校が同じ友だちからダンス部の体験入部に誘われた。類は友を呼ぶとはこのことか。
    (友だちと一緒なら馴染みやすいだろうし、入部の流れとしても自然だ。なんて理想的なスタート…!)
    意気揚々と体験入部に赴いた。

    ーー結論から言うと、わたしはダンス部ではなくバドミントン部に入部した。突然の方向転換に、何を馬鹿なと思われるかもしれない。しかし、わたしには無かったのだ。リズム感が。まず、準備段階の「1,2,3,4,…」と声かけをするだけの体操で、わたしだけ唯一「リズムが違う!」と怒られた。次に、いちばんの基礎として教えられたリズム取り(ダウン・アップと呼ばれるものらしい)の感覚が全く掴めなかった。極めつけに、一緒に体験入部に行った友だちが「やっぱ入るのやめとこうかな」と言い出したのだ。そうなるともう、あんなに輝いて見えたダンス部に入った未来に、周りについて行けずポツンと取り残される自分の姿しか描けなくなったのだ。

    それからは一気に部活探しに嫌気がさし、気がつけば入学してから1か月半が経過していた。その期間でクラスのグループは固定されていたし、各々の軍位も定まっていた。もはやわたしが部活に入る理由もなくなりつつあったが、そこはもはや意地だったのかもしれない。あれほど母に止められていたバドミントン部の門を、遂に叩いてしまったのである。

    そこからだ、わたしの腐敗の片鱗が見え始めたのは。
    母の助言どおりバドミントン部の練習は厳しく、出遅れたこともあって同学年の部員にさえ全くついていけなかった。そのうえ、練習時間外には外を走らされるため、屋内競技とは思えないほど肌は黒焦げ。同じクラスに部活の仲間は一人もおらず、期待していた「クラス軍位」の向上など微塵も望めなかった。部活は夜20時まで。放課後に遊ぶなど夢のまた夢で、学校では体力を温存するためにひたすら寝て過ごす。彼氏なんてできるはずもなかった。それでも、1年生の頃はまだ完全に腐ってはなかったのだ。

    わずか2kmのランニングすら完走できず、最後尾だからと油断して歩けば、その姿を顧問にバッチリ目撃される。初めての試合応援では、同期の「いつもの(練習用)Tシャツと(ラケットを入れる)キャリー(バッグ)で行くよ」という言葉を真に受け、派手なロゴTシャツで参戦して周囲をドン引きさせた(ちなみに「キャリー」をスーツケースだと思い込み、準備が間に合わず断念したのは不幸中の幸いだった)。さらには部活帰りの買い食いがバレて、1年生全員が呼び出され先輩に激怒される始末。散々な状況ではあったが、それでもまだ、心までは腐りきっていなかった。

    転機は、副顧問の東海先生がやってきたことだ。実業団に入っていた東海は、下手くそな者は視界にも入れたくない様子だった。「俺の目の前のコートには上手い奴しか入るな」そう公言し、下手な奴ら、つまりわたしたち2年生はほぼ放置。そんな東海に食らいついてまで実力を伸ばそうという真っ当な反骨心は、わたしは持ち合わせていなかった。そこからは心を殺して「あと429日で引退できる」と途方もないカウントダウンをする日々。

    練習態度は当然悪くなる。不貞腐れ、後輩に実力で抜かされれば体調不良のフリ。最低な振る舞いを続けた結果、遂に東海に言われたのだ。
    「腐ったみかんやな」と。

    今思うと本当に腐っていた。その言葉を言われた時でさえ、わたしは(今どきほんまに言う人おるんや。古い人間、お前のほうが消費期限切れて腐ってるやろ)と心のなかで毒づくことしかしなかったのだから。

    そんなわたしも、部活を引退して受験が終わる頃には、ささくれ立った気持ちがいくらか落ち着いていた。大学入学前の春休み、天敵だった東海に誘われてお茶に行ける程度には落ち着いていた。そこで、東海が教師を辞め、保険のセールスマンに転職したという話を聞き、(契約欲しさに連絡してきたな)と勘づいても笑顔でやり過ごせる程度には、落ち着いていた。その後、相互フォローだったInstagramをブロックするくらいには、まだ腐っていた。

    ーーそんな10年以上前のことを振り返る今のわたしはどうかというと、リモートワーク可の会社で、勤務時間の大半を寝て過ごしている。最近になって、上司から「実は管理職だけメンバーのPC稼働時間を見れるんだよね」と告げられ、絶賛焦り中だ。どうやら、まだまだ腐ったみかん街道の先頭を走っているらしい。

    早く現れてはくれないものだろうか。わたしのこの腐った根性を叩き直してくれる金八先生よ。

     
     

    もち

     
     
    都内の会社で広報として働いている30代女です。 noteではセンスがなくてポンコツに生きる日常と、時々昔を振り返っておセンチな感情を綴っています。

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