
時すでにおスシ|出世魚になれたブリとなれなかったアジ
「出世魚」。
ちょうど最近息子と釣りへ行き、「どうしてアジは出世しないの?」という質問にドギマギしたところだった。
私にとってタイムリーなタイトル過ぎて、吸い込まれるようにテレビを眺めていた。
ブリ、というか出世魚って良い。
アップデートが名前に見えてわかるから。
今回は、複雑な人間関係を、出世魚に例える回だった。
お互い正面から向き合ってぶつかって。
どんどん更新して、どんどん関係を成長させていく。
不器用な人間にも、こんなふうに通過点ごとに関係値に名前をつけてもらえれば、案外すっきり、整理できたりするのだろうか。
前回は渚と母親(みなと)のぶつかり合い。
今回はその回収だ。
みなとが渚へ期待を過度にかけ過ぎていたのか?と言われると、
第三者視点で見ても、そんなことはなく。
きっと、渚自体がみなとが肩に力を入れて生きる姿を見て、
「ちゃんとしなきゃ」
「ちゃんと夢を叶えて、お母さんを喜ばせなきゃ」って背負ったのだろうと思う。
そして、その背負った夢が現実になる過程で、ギャップや苦労があり
受け入れるのに時間がかかったし、誰かのせいにしてしまいたくもなった。
みなとのアンサーは、私自身にも響いた。
「自分の気持ちは自分だけのもの」
「自分の夢は自分だけのもの」
それは誰が、どんなに多くの人が、
あなたに期待を寄せたとしても。
私自身、力みがちな育児をする人間だからこそ、
息子が大人になるまでに、この台詞を胸に刻んでおきたいと願った。
ちなみに冒頭で書いたアジは、出世魚文化に乗らなかったらしい。
漁場現場ではサイズ別の呼び分けはあるらしいが、成長に伴う改名ではない。
出世魚は生物学よりも日本の食文化・流通文化に伴うもので、
サイズによって価値や味が違ったりすることが背景にあるそうだ。
アジもサイズによって随分味わいが変わると思うのだが。なんとなく勿体無い気持ちが湧き、
アジがもし出世魚だったらどんな名前がついたのだろう?と思いを馳せていた。