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ずっとスタートライン

    ※この物語は実話を基にしたフィクションです。登場する人物や施設名などは架空のものであり、実在のものとは関係ありません。
    「よし、これで私も普通の立派な社会人だ!」 ヤンチャした過去から泥臭く這い上がり、ようやく手に入れた「エステサロンの受付」という優雅な居場所だったのに——。 「お前ならわかるだろ」という父の熱意に押し切られ、気づけば福祉現場という全く新しいスタートラインに立たされていた。

    最初は空回りばかりのポンコツ支援員。さらに数年後には、書類のカオスとスタッフが対立する施設の「管理者」を急遽任されるハメに!? 「気合い」のベテラン職員と「理論」の専門職員。板挟みの現場…。
    場数を踏み、勉強を重ねながら不器用な私が選んだ武器は「環境づくり」だった。 誰もが活き活きと輝ける最高のチームを目指して奔走する、笑って泣けるお仕事奮闘記。



    第1章:全く新しいスタートライン

    「いらっしゃいませ。森園様、お待ちしておりました。ただいま担当をお呼びしますのでお待ちください」 アロマの香りが漂うサロン。私は今日も受付で完璧な笑顔を作っていた。エステの受付スタッフ。それが、今の私の居場所だ。

    中学から夜遊びを覚え、家に帰らずスナックやキャバクラで働いていた時期もあった。学校もろくに行かず、親には数え切れないほどの心配をかけた。

    でも、「このままじゃダメだ」と一念発起した。某大手運送会社の営業所で、鳴りやまない電話と格闘しながら学費を稼ぎ、定時制高校を卒業。
    荷物の追跡から、遅延や破損のクレーム対応、店舗での接客まで何でもこなす「配送屋の万屋」のような毎日。冷や汗をかく修羅場も多かったけれど、お客様と直接やり取りできるあの仕事は嫌いじゃなかった。

    そうやって遠回りして、泥臭く這い上がって、ようやく手に入れたエステ受付という「普通の社会人」の肩書き。不器用な私がやっと見つけた、大切な場所だった。

    「……なあ、法人立ち上げたんだ、就労継続A型の作業所。手伝ってくれないか?」

    だから、父からの突然の電話には、全力で抵抗した。自分の力でせっかく手に入れた平穏を手放して、未知の福祉の世界へ?

    「お父さん、会社の人事でしょう? 自分でなんとか……」 「人事として現場を見てきたからこそ、立ち上げたんだ」

    電話越しの父の声は、いつになく真剣だった。

    「あと少し、少し練習すれば。この環境に慣れさえすれば……適した支援を受ければ、十分に力を発揮できる子たちばかりなんだよ。でも、今の社会じゃその受け皿が少ない、手から溢れて、最低賃金をもらって過ごすB型作業所へ行くことになってしまう。B型作業所が悪いっていってるんじゃぁない。俺は、本来の力をまだ発揮していないその子たちに『俺たちと変わらないすべてのこと』を経験させてあげたいんだ」

    言葉に詰まった。 AとかBとかわかって聞いていたわけじゃない。むしろ(何それ?血液型ですか?)って?マークを頭に浮かべたまま聞いている感じだった。
    ただ…『適した環境と適した支援さえあれば、力を発揮できる』 その言葉が、胸の奥を深く刺した。だってそれは、他でもない、かつての私のことじゃないか。

    レールから外れてもがいていた私を救ったのは、「環境」だったし、周囲の温かい「人」たちだった。遠回りしてきた私だからこそ、多くの人の痛みが、もがいている気持ちがわかるんじゃないか——?

    でも、私が誰かを「支援」できるかと言われたら、それは全く別の話だ。
    なぜなら私は昔から、筋金入りの「ポンコツ」なのだ。 家庭科で作ったエプロンは布を上下逆さまに縫い合わせ、悠々と泳ぐペンギンたちは見事に背泳ぎをしていた。小学校の運動会の応援団では一人だけ見事に逆に歩いてポーズをとり、そもそも手足の動かし方がわからなくて絶望的に足も遅かった。

    ちょっと社会を経験し、泥臭く自分の足で自分を生きる時間を経て、「自分の仕事をこなす能力」にはそこそこ自信がついたけれど、根っこはあの頃のポンコツのままだ。

    「支援」なんて、もっと立派な人がやることであって、私にはおこがましい。父から誘われた時も、そんな戸惑いの方がずっと大きかった。

    それでも結局、手伝うと決めたのは、父の話を自分と重ね合わせ、そもそも「知らない世界に飛び込むのが、意外と嫌いじゃない」性格だったからかもしれない。

    「本当に何もできないからね。あくまで裏方の手伝いだからね」
    そう予防線を張りつつ、私は未知の障害福祉の現場へと飛び込んだ。運送屋やエステで培った接客や事務スキルがあれば、少しは役に立てるだろうか——そんな私の淡い期待は、支援現場に入りあっさりと打ち砕かれることになる。


    「おはようございます!」

    「初日が肝心」と元気にあいさつしたものの、目の前にいた利用者さんは、ポカンと私を見つめている。その向こう側の利用者さんは耳を塞ぎ怪訝な顔つきで揺れていた。

    「あっ!」

    補聴器が見えて、手前にいる方が耳の聞こえない方だとわかった。 奥にいる方は…?耳をふさいだまま、様子を気にしているような気にしていないような…。

    戸惑って立ち尽くす私の隣に、父がすっと歩み寄ってきた。 そして、目の前の方に向かって、手話で私の紹介を始めたのだ。

    決して、流暢ですごく上手な手話というわけではない。でも、相手にまっすぐ向き合い、真摯に、丁寧に伝えようとしていることだけは、素人の私にもはっきりとわかった。

    当時の父は、事業所の立ち上げで目が回るほど忙しい中、地域の手話講習会に通い、中級まで受講していたのだ。

    声の大きさや、マニュアル通りのきれいな笑顔なんて関係ない。相手に伝わる方法で、懸命に心を砕くこと。 それが、私の目の前で繰り広げられた「本当の支援」の最初の景色だった。

    そんなことを感じたのもつかの間。わかった風だった(笑)。

    いざ支援の現場に出るとてんてこ舞い。私は本当に、何もわかっていなかったのだ。 耳の聞こえない方や、おうむ返しや突拍子のない発言をする方々とのやり取りで、本当にこちらの言っていることをわかってくれているのかを確かめられない私は、自分の伝え方が悪いせいで利用者さんに勘違いをさせてしまう日々。

    いま思い返すと、自分を変えずに相手だけを型にはめようとしていたあの頃の「支援」が…穴があったら入りたいほど恥ずかしい(笑)。
    コミュニケーションの形が少し違うだけで、彼らはみんな、それぞれの魅力を持った愛すべき素敵な人たちだったのだ。 問題だったのは彼らの方ではない。彼らの言葉のキャッチボールを受け止めきれず、勝手にパニックを起こしている「私」と、この「環境」の方だった。

    支援の「し」の字も知らずに飛び込み利用者さんに迷惑をかけるというカオスな現場で、私は一体どうすればいいのか? ポンコツ支援員の、泥臭い「環境づくり」への挑戦がここから幕を開ける――。



    第2章:水と貼り紙と、終わらない「あーん、ごめんなさい」〜空回りするポンコツ支援〜

    「違う違う! 木崎さん、そっちじゃなくてこっちです!」 「あーん、ごめん間違えちゃった!」

    私の指摘に、照れ笑いを浮かべながらすぐに動き直してくれる男性利用者の木崎さん。 別の事業所から移ってきた彼は、仕事がとてもできる上に、人の名前をすぐに覚え、誰からも愛される抜群に人柄の良い方だった。

    事業所が立ち上がったばかりのこの頃、私はジョブコーチの研修に行かされ、治具の必要性や「視覚的な支援」という言葉こそ教わっていたものの、実際の現場ではまったく活かせていなかった。 知的障害や発達障害の方々が持つ「見えない特性」への配慮なんてまだまだ足りず、ひたすら持ち前の「人が好き」という勢いと対人スキルだけで突っ走っていたのだ。

    それでも現場が崩壊しなかったのは、ひとえに彼らが私のことを好きでいてくれて、一緒に頑張ってくれたからに他ならない。

    しかし、勢いと愛嬌だけで乗り切れるほど、支援の世界は甘くない。

    例えば先ほどの木崎さん。仕事ができて気が利く分、「良かれと思って」マニュアル外の作業を勝手に進めてしまい、結果的に混乱を引き起こすこともあった。 さらに彼には、もう一つ厄介な特性があった。

    「あれ!? 木崎さん、また水飲んでる!!」 「あーん、ごめんなさい!」

    彼は『水』に対して異様な執着があり、目を離すと隠れて水道の水をがぶ飲みしてしまうのだ。前の事業所からの引き継ぎでも「体のことも考え、水の飲みすぎには注意するように」と厳命されていた重要事項だった。

    「どうすれば水のがぶ飲みを止められるのか……そうだ、視覚支援だ!」

    研修の記憶を引っ張り出した私が意気揚々とやったことといえば……ただ紙に『水、飲みすぎ注意!』とデカデカと字で書き示して、水道の前にペタッと貼るだけだった。当時の自分を思い返すと笑うしかない。

    当然、そんな貼り紙に効果があるはずもなく。

    「あれ!? 木崎さん、また水飲んでる!!」

    私が慌てて声をかけると、彼は私の顔と貼り紙を交互に見て、ウンウンと頷きながらこう言うのだ。

    「飲みすぎると体に悪いね!」

    なんと、ご本人が一番わかっている風??深く納得しているのである。
    「そうですよ! 気をつけてくださいね」とその場は収まるのだが……しばらくすると、またコソコソと水道の前でゴクゴクと水を飲んでいる。

    「 また飲んでるじゃないですか!」

    再び注意すると、今度はニコニコと愛嬌たっぷりの笑顔で言うのだ。

    「あーん、ごめんなさい!」

    特性によるこだわりや衝動は「貼り紙」や「注意」なんかでは止められない。彼に必要なのは、本人の理解力や我慢に依存しない、具体的に『どうすればいいのか』がパッと見てわかる仕組み(環境)だったりする。

    でも、当時の私はそんなことにも気づけず、「こんなにわかってるのに、どうして飲んじゃうんだろう?」と首をひねりながら、愛すべき彼との「木崎さん!」「体に悪いね!」…「木崎さん!」「あーん、ごめんなさーい」の無限ループを繰り返していたのだった。

    しかし、ある日ふと気がついた。 「ダメ」と禁止するからいけないのではないか。彼に必要なのは、我慢ではなく「安心」と「目安」なのかもしれない。

    そう思った私は、作戦を大きく変えることにした。飲んではダメだと抑えつけるのではなく、「じゃあ、一日これくらいなら飲んでもいいよ」という本数を、彼と一緒に話し合って決めることにしたのだ。

    用意したのは、空の小さなペットボトルを3本。 朝、彼自身に水道で水を汲んでもらい、自分の手元に置いてもらう。そして、お昼休憩の時にもう一度その3本に水を補充し、午後もそれを飲むというルールだ。細身で代謝もよく、よく汗をかく方だったので、トータル6本なら体調にも問題ないだろうということになった。

    「これなら、いつでも飲めるし、あとどれくらい飲んでいいかもパッと見てわかる!」

    この作戦は、一定の効果を発揮した。手元に自分専用の水がある安心感からか、彼が隠れて水道の水をがぶ飲みする回数は、格段に減ったのだ。

    「すごい! やっと伝わった!」

    そう喜んだのもつかの間——現実は、そんなに甘くなかった。 回数こそ減ったものの、やっぱり時々、隠れて水道の水を飲んでしまう日があったのだ。

    「木崎さん…」「あーん、ごめんなさーい」

    「あれだけ話し合って、手元に水も用意したのに…いったい、どうしたらいいんだ…」

    当時の私の知識と引き出しでは、これが限界だった。持ち前の「人が好き」という対人スキルでなんとかコミュニケーションは取れても、彼らが抱える見えない特性の根っこまでを完全に理解し、支援しきることはできなかったのだ。すっかり途方に暮れる私をよそに、現場のドタバタな日々は止まることなく続いていく。


    第3章:品質の勝利と、立ちはだかる経営の壁

    木崎さんとの終わらないコントのような日々から、約5年。 「人が好き」という勢いだけで駆け抜けてきたA型事業所も少しずつ形になり、私たちは一つの大きな挑戦を迎えていた。品川にある某有名ホテルからの、客室清掃業務の委託だ。

    「よし、絶対に成功させよう」

    私は少しずつだが、かつてのポンコツ支援員ではなくなっていた。 まずは職員だけで体験に行き、写真入りの完璧なマニュアルを作成。品川までの自力通勤のために、それぞれの特性に合わせたルート案内を動画で撮影し、数回同行して自立通勤の訓練をした。

    さらに、グループホームの空き部屋をホテルに見立ててお風呂とトイレを借り、日中は本番さながらのシミュレーション訓練を徹底的に行った。

    満を持して迎えた本番。 最初は2〜3部屋からスタートしたが、訓練の成果はすぐに表れた。とてつもなく重いホテル特有のベッドメイキングも叩き込み、タイマーで時間を計りながら、彼らはめきめきと腕を上げていった。

    結果として、私たちは一つの階を丸ごと任されるようになり、中には1人で1部屋を完璧に仕上げられるまでに成長した利用者さんも2名出てきたのだ。

    そのうちの一人が、無口の裏に熱い闘志を燃やしている女性利用者の桑野さん。彼女のひたむきな姿は、本当にみんなの見本となり、チーム全体のモチベーションをあげた。

    そして、まだスピードは彼女ほどではないものの、そんな桑野さんに憧れ、懸命に追い続ける男性利用者の上田さん。 彼はなかなか独特な対応が必要な人だった。

    モチベーションが下がってくると、「もう一人の自分」を出してくるのだ。

    「ここは……どこだ……」「俺は……何をしているんだ……」

    (きた! もう一人の上田さん!) 「上田さん! 今はベッドメイキング中です!」

    「俺は……うえだじゃあない……漆黒の翼をもつ……海藤だ」

    (きたか……今回は漆黒の翼……) 「海藤さん……時間がないんです! この巨大な暗黒モンスター(ベッド)を、あなたの力で……倒して(作り上げて)ください!」

    「くっ……なんだと……俺が……」 「フッ……また俺のこの左腕が暴れだしそうだな……ハッ!」

    そう言って、彼は猛烈な勢いでベッドを仕上げ始める。しかし、掛布団に差し掛かると、毎回「くっ……これ以上は……無理か……」とあきらめかける。(上田さんは掛布団の対応が苦手なのだ)

    「上田さっ……海藤さん! もう時間がないです! 桑野さんが! 桑野さんが次のステージで敵を押さえてあなたを待っています!!」

    「見せてやるよ……わが身に宿りし真の力を……」

    そう言いながら、桑野さんを思い、すごいスピードで仕上げる上田…いや、海藤さん。

    (今日も無事……) 「ミッション(仕事)……クリア……ですね」

    「あぁ……だが、これ以上俺を本気にさせない方がいい……これ以上は世界がもたない」

    …こんな日々を毎日過ごし、彼らはメキメキと力をあげていった。

    彼らの実力は本物だった。お客様からは感謝のメモが残され、委託元の責任者からは「4階が一番綺麗だ」と最高の評価を受け、金一封の表彰までされた。

    ただ、彼らには一つだけ「できないこと」があった。 それは、作業の『手を抜く』ということだ。

    海外のスタッフが圧倒的なスピードで部屋を回せるのは、後から「インスペ(インスペクター)」と呼ばれる点検・修正担当者が入ることを前提にしているからだった。
    私たち職員も全員インスペの資格を取得し、彼らの清掃後にチェックへ入ったが……直す箇所など、ほぼ見当たらなかった。彼らは持ち前の特性を活かし、ただひたすらに、完璧に部屋を綺麗に仕上げていたのだ。

    品質では誰にも負けていなかった。私たちの支援は、決して間違っていなかったと思う。

    ——しかし、現実はどこまでも厳しかった。
    訓練から本番までを駆け抜け、1年が経とうとしていた頃。 父から下されたのは、「ホテル清掃からの撤退」という非情な指示だった。

    「なんでですか!? あんなに完璧にやって、表彰までされたのに!」 「採算が合わないんだ」

    父の言葉に、私は言葉を失った。

    彼らは手を抜けない分、これ以上物理的にスピードを上げることは難しい。A型事業所として彼らに最低賃金を支払いながら、委託元からの契約金で計算すると……どんなに質の高い完璧な清掃をしても、利益が出ないのだ。

    品質では勝った。でも、ビジネスとしては敗北だった。

    利用者を想う気持ちや、彼らの真っ直ぐな誠実さだけでは、経営は成り立たない。経営者としての父の判断は、残酷なまでに「正解」だった。

    撤退が決まった後、私は利用者さんたちに誠意を持って丁寧に事情を説明した。 利用者さんは誰一人として文句を言わず、「仕方ないね、楽しかったね」と言うのだ。

    例の上田さんはといえば……額を手で覆い、 「私の存在そのものがこの世界を滅ぼしかねない。……引き際としては悪くない」 と、彼らしいセリフを言い放ち、沈んでいた私を笑わせてくれた。

    本当に利用者さんから学ぶことばかりだ。彼らには頭が上がらなかった。

    品川勤務から元の事業所に戻って、最初の朝礼。 私は彼らの功績を讃え、みんなの前で表彰状と「金メダル(中身はチョコレート)」を一人ひとりの首にかけた。

    さらに、サプライズで一緒に現場を駆け抜けてくれた二人の職員にも、 「あなたたちが陰で支えてくれていたから、表彰されるまでのチームになれた。感謝します」 そう言って同じ金メダル(もちろん中身はチョコ笑)を渡した。

    そのうちの1人——首にかけられた、たかがチョコのメダルを見つめながら、彼は静かに目を潤ませていた。 (のちに、思いがけずこの人は私の夫となる)

    温かい拍手に包まれた朝礼。 でも、私の心の中には、どうしようもない虚無感が広がっていた。私には、本当に何もできなかった。

    彼らの誇りを守る力も、経営を回す知恵も、専門的な支援のスキルも。この数年間、私は一体何をしてきたんだろう。支援も経営もわかっていなかったただの素人が、勢いだけで突っ走っていただけだったのだ。

    「利用者さんに迷惑をかけた。利用者さんにもらってばかりで、何も返せなかった……私がいていい世界じゃない……」

    自分自身への深い失望。それが、私の心に「一区切り」をつける決定打となった。 私は福祉の世界を去り、昔から夢だった「助産師」を目指す決意を固めたのだった。



    第4章:手放した合格通知と、おっちゃんが残した放課後デイ

    「受かった……!」

    助産師学校の合格通知を手にした時、私の胸は静かな熱い決意で満たされていた。 これから産まれてくる命を楽しみにしている人を支えよう。そして、これから産まれてくる命たちに、しっかりと責任を持とう。

    福祉の現場で自分の無力さを痛感。 「私には力がない」と絶望。 「逃げるみたいだ……」 今の職場にいると無力さで潰されそうだったのも、正直あったが……。

    でも、前向きに新しい場所での希望、新しい命と真っ直ぐに向き合う覚悟を決めたのだ。

    これで退職が確定する。あとは父に報告の準備をするだけ。 そう思っていた矢先のことだった。

    父から、一本の電話が入った。 「放デイ(放課後デイサービス)の管理者が、脳梗塞で倒れた」

    頭の中が真っ白になった。

    新しく立ち上がった放課後デイサービスの管理者……特別支援学校の元教師で定年後にうちに来てくれた、人のいいおっちゃん。 A型の頃から共に働き、本当に大好きな人だった。私が悩んでいる時には相談にものってくれた。

    なぜ、よりによってこのタイミングで……。

    手の中には、ずっと夢だった助産師への切符がある。 一方で、大好きなおっちゃんがいなくなった現場と、窮地に立たされる父がいる……。

    自分が「サビ管(サービス管理責任者)」の資格を持っていることは、わかっていた。 要件さえ満たせば、私が放課後デイの「児発管(児童発達支援管理責任者)」として現場を回すことができる。

    自分の夢と、現場の危機。 私は数日間、この二つを天秤にかけて、一人で激しく葛藤した。

    利用者を想う気持ちだけでは経営はできないと、一度は父と衝突した私。 でも、大好きだったおっちゃんの顔と、宙に浮いてしまう現場の子どもたちを想うと、どうしてもそこから去ることはできなかった。

    「お父さん……私、サビ管持ってるから……残るよ」

    学校に事情を説明し、入学は辞退した。 私は再び、泥だらけの福祉の世界に残ることを決めたのだ。でも、決して自信に満ち溢れた決断ではなかった。

    「私には力がない」 またしてもポンコツぶりを思い知ったばかりの自分に、果たして本当に何ができるのだろうか。現場を救うなんて、ただの傲慢じゃないのか。

    どうしようもない不安と葛藤を抱えたまま、急造の「管理者」として、もう一度スタートラインに立った私の前に待ち受けていたのは……

    利用者さんへの支援とはまた違う、全く新しい「カオス」だった。


    第5章:おっちゃんの特大のお土産と、善意がすれ違う現場

    どうしようもない不安と葛藤を抱えたまま、私は急造の「管理者」として、もう一度スタートラインに立った。

    大好きなおっちゃんが倒れ、やれることをやらねば…この場所を守るんだ…そんな熱い決意を胸に、緊張しながらと管理者席に座った私を待っていたのは…東京都からの、一本の冷酷な電話だった。

    「過日の監査の結果、申請に不備が見つかりまして……過去にさかのぼって返金手続きを行い、請求をすべてやり直してください」

    「申請…不備…?」えーーー。

    頭の中が真っ白になった。 児童福祉の「じ」の字もわかっていない素人の私に、数ヶ月分の請求やり直し?

    おっちゃん…なんて大きなお土産を残してくれたんだ(白目)

    そこからの毎日は、まさに地獄だった。 子どもたちへの支援どころではない。私は日中ずっとデスクに張り付き、本部の事務員さんと東京都の担当職員さんに何度も何度も頭を下げながら、泣きそうになりながら書類の山と格闘した。ただでさえポンコツな私が、見よう見まねで行政の複雑な手続きを紐解いていくのだ。毎日、気づけば外は真っ暗になっていた。

    そうして、都庁と本部に土下座する勢いで(実際に都庁まで出向き頭も下げた)なんとか特大の「お土産」を片付け、ようやく一息ついて現場に目を向けた時のことだ。

    私を待っていたのは、書類の山とはまた違う、想像を絶する「カオス」だった。

    当時の事業所は、良くも悪くも「職員中心」で回っていた。 もちろん、誰もサボりたかったわけではない。一人ひとりが、彼らなりに利用者さんのことを想い、一生懸命に動いていることは痛いほど伝わってきた。

    ただ、全体がフワフワとした「バラバラ感」に包まれている中、ひときわ考え方の違う二人の職員が、毎日のように真っ向から激しく衝突していたのだ。

    「もっと『普通』はこうでしょ。社会の一般的な常識を教えて、この子ができるように訓練してあげないと!」 と、「普通」を基準に据え、本人の苦手を克服させようとする職員。

    (彼らに一般的な常識が通用しないんだが…わかるよ、ついその枠にはめたくなってしまうよね。)

    「いえ、それは合理的配慮に欠けます! 本人を変えるのではなく、私たちが環境を変えて、できることを探すべきです!」 と、社会福祉士の資格を持ち、環境側の配慮を徹底しようとする職員。

    (大切なんだが…何と言ったら…配慮すること利用者さんの権利を守ることは確かに当たり前、でもそれだけを主張してもなかなか周囲の理解は得られにくい。根拠が必要でやり方があるんだよな…。)

    今思えば、これは福祉における「医学モデル(個人の障害を克服する)」と「社会モデル(社会の側の障壁を取り除く)」の真っ向からのぶつかり合いだった。かな?

    どちらの主張も、根っこにあるのは「この子のため」という強い善意だ。 決してどちらかが「悪」で、どちらかが絶対的な「正義」というわけではない。子どもたちが社会で生きていくためには、どちらの視点も必要であり、私たちは常に「ハイブリッド」で考えなければならないのだ。

    しかし、当時の現場にはそれを統合する羅針盤がなく、ただ善意と善意がすれ違い、火花を散らしていた。

    管理者となった私は、この真っ向から対立する二人の間に入り、なんとか着地点を見つけようと奔走した。毎日毎日、両者の意見を聞き、すり合わせ、文字通り胃を痛めながら「調整」に明け暮れる日々だった。

    羅針盤がないまま、全員が違う方向に向かって全力で船を漕いでいる。 この現場に、ただ便利な道具を導入したり、答えだけを渡しても何の意味もない。

    「まずは、現場の『意識』を変えて、全員のベクトルを合わせなきゃいけない」

    経営と現場の間に立つ者として、私は腹を括った。 いきなり新しいルールを押し付けるのではなく、地道な意識改革から始めることにしたのだ。

    まずは日々の朝礼や昼礼で、「支援とは何か?」という根本的な話を実際にあった利用者さんのエピソードから深堀して少しずつ口頭で伝える(OJT)ことから始めた。それぞれがどう思うのかも聞き取り、方向性が合うよう調整した。

    そして、そこで話した内容を必ず議事録に残し、「支援する際のルール」として事業所内に少しずつ蓄積させていった。

    さらに、毎年「放課後デイの役割」「支援とは」「児童の発達について」といった本格的な研修を実施しはじめた。 ただの預かり場所ではなく、私たちが目指すべき事業の方向性をしっかりと示し、バラバラだった職員たちのベクトルを一つに統一していくための、地道で泥臭い作業だった。

    さらに、まずはあまり拒否感の出ないよう人へ直結する「支援」についてではなく、「事務的」なところの改善から手を付けた。送迎時間、送迎場所、使用する車、誰が運転手と添乗か…それが視覚的にわかる「送迎ボード」。 そして、活動中に使用するようで準備した、誰が誰とどこに行くかが一目でわかる「職員配置マップ」だ。

    「視覚化」という環境づくりを取り入れたことで、同じ羅針盤を持てるようになったスタッフたちは、見違えるようにスムーズに連携し始めた。
    送迎ボードは全職員にその時間の現場の状況を想像させ、協力を求めたり協力を買って出たりできるツールとなった。

    「職員配置マップ」は、私の想像を遥かに超える「奇跡」を起こしてくれた。 行き先の場所に、自分と職員の顔写真を貼ってから出かけるルール。
    これを一番使いこなしてくれたのは、「言葉のない子どもたち」だったのだ。

    ある子は、行きたい場所の写真をギュッと握りしめて、私のところへやってきた。 またある子は、ボードに自分の顔と一緒に行きたいスタッフの写真をペタッと貼ってから、クレーン現象で職員の手を引き、「一緒にここに行こう」と力強く誘ってくれた。 行きたい場所の写真をポンポンと叩いて、一生懸命に意思表示をしてくれる子もいた。
    彼らが主体的に動き出した。

    (この子たちの声を拾えるまでのツールになるとは…嬉しい誤算)

    言葉で思いを伝えるのが難しい彼らは、「言葉」を持っていなかっただけで、伝えたい「意思」は確かに持っていた。 私たちが支援の方向性を統一し、彼らが選びやすい「環境」を整えたことで、子どもたちは自ら意思表示をし、誇らしげな顔を見せてくれるようになったのだ。

    今でこそ当たり前に大切なことだとわかっているが、管理者になってもまだひよっこでポンコツな当時の私は、そうやって利用者さんに助けられていたのだ。

    「人」を変えようとするのではなく、それぞれが同じ方向を向き、強みを活かせる「環境」を作ること。 それが、泥だらけのポンコツ管理者が、現場のど真ん中で見つけた最強の武器だった。


    エピローグ:終わりのないスタートラインと、無限の打つ手

    あの泥だらけでポンコツだった日々から、長い月日が流れた。

    水道の前で木崎さんと終わらないコントを繰り広げていた私。 ホテルの客室清掃で、彼らの完璧な仕事ぶりに感動し、同時に自分の無力さに絶望して泣いた私。 そして、大好きなおっちゃんの危機に夢を手放し、震える足で急造の管理者となった私。

    もし今の私が、あの頃の不器用で、いつも空回りしていた「過去の私」に声をかけるとしたら、こう言ってやりたい。

    「大丈夫。地道に努力して、少しは利用者さんの役に立てるようになるから。この仕事は一生勉強。終わりなく、ずっとスタートラインだよ」と。

    幾多の失敗と葛藤を繰り返し、現場と経営の間で胃を痛めながら「調整」を続けてきた今。私なりに見つけた「支援」と「働くこと」の結論がある。

    誰かを支援しようとする時、私たちが絶対に基本としてやらなければならないのは、相手の「本質(本当の希望や、秘められたニーズ)」を汲み取ることだ。 そのうえで、どんなちょっとした手助け——それが視覚的なツールでも、声掛けでも、環境整備でも、構造化でも——があれば彼らが輝けるのかを、本気で考える。それが私たちの仕事だ。

    現場で行き詰まり、カオスの中で立ちすくみそうになった時、いつも私の背中を強く押してくれるのは、かつて私と激しく衝突した父の言葉たちだった。

    「打つ手は無限」 どんなに困難な状況でも、絶対に諦めない。彼らが輝ける方法は必ずどこかにある。

    「利用者は、鏡」 職員のやった対応は、そのまま彼らに跳ね返ってくる。支援がうまくいかない時、利用者さんが困った行動をしている時。それは彼らが悪いのではない。「私たちの支援が、利用者を困らせている」のだ。

    「やってみせ、いってきかせて、させてみて、褒めてやらねば、人は動かじ」 これは利用者さんへの支援に限ったことではない。上司と部下、現場のマネジメントにおいても全く同じなのだと、管理者の立場になって痛いほどわかった。

    福祉の仕事は、決して個人プレーではできない。 事業所の内部でも、外部の機関とでも、連携とチームプレーを基本としなければ現場は回らない。
    そして「仕事」とは、ただ苦しいだけのものではなく、楽しいことを発見し、お互いに成長し、成長させられる「対等な場」であるべきなのだ。

    今日もうちの事業所では、常に利用者さんの「珍事件」が起きる。
    でも今の私は、もう一人で抱え込んで絶望したりはしない。
    珍事件が起きるたびに、職員のみんなで集まり、ああでもないこうでもないと検討をする。みんなで笑いながら。

    ポンコツな私は周囲に助けられ、今でも管理者を続けている。
    そうやって私は、今日もまた、ずっとスタートラインに立っている。


    【おわりに】

    この物語は、実在する現場でのエピソードを基に綴りました。 綺麗事だけでは回らない現場のカオスの中で、悩み、ぶつかり、それでも「誰かのために」と必死に汗を流している方々がいます。
    今この瞬間も、どこかの現場で立ちすくみそうになっている誰かの背中に、少しでもこの物語が届いたら嬉しいです。
    明日もまた、笑いながら一緒にスタートラインに立ちましょう。
    最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

    #創作大賞2026 #お仕事小説部門


     
     

    mochimaru

     
     
    福祉職10年。難解な制度や想いを「図解」で届けるウェルフェア・ビジュアライザー(福祉視覚化技師)です。デザイン・AIを猛勉強中。デザイン×支援経験で「社会全体の福祉」をより温かく、わかりやすく彩る挑戦を始めます。誰もが深く理解し合える世界を創る過程を模索し記録中。

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