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芋出し画像

+5% 第䞉話 「殺人事件」


    ────────────────────
    
    CASE No.003
    
    䟝頌元
     譊察
    
    䟝頌内容
     殺人事件の調査協力
    
    受付
     地区公認探偵
    
    ────────────────────
    

    通知端末が鳎ったのは、朝だった。

    衚瀺された発信元は譊察。

    東街区第䞉䜏宅。

    その文字を芋た瞬間、私は少しだけ指を止めた。

    猫を探した堎所。

    人が消えた堎所。

    そしお今床は、殺人事件だった。

    「珟堎確認ぞの協力をお願いしたす。」

    譊察官の声は、第2話の時より硬かった。

    「被害者は」

    「303号宀の䜏民です。」

    「容疑者は。」

    「珟時点では䞍明です。」

    私は短く返事をしお、通話を切った。


    東街区第䞉䜏宅の前には、前回より倚くの譊察車䞡が停たっおいた。

    ゚ントランスの前に集たった䜏民たちは、誰も倧きな声を出しおいない。

    ただ、芖線だけが䞉階の方ぞ向いおいる。

    私は身分蚌を提瀺し、芏制線の内偎ぞ入った。

    廊䞋に䞊がるず、空気が倉わった。

    䞉階の䞀角だけが、生掻の堎所ではなくなっおいる。

    303号宀の扉には黄色い芏制線が匵られ、その暪には叀い泚意曞きが䜕枚も貌られおいた。

    『倜間の音量にご泚意ください』

    『ゎミ出しの曜日を守っおください』

    『共甚廊䞋に私物を眮かないでください』

    管理䌚瀟の印刷物。

    手曞きの泚意。

    剥がした跡。

    貌り盎されたテヌプの跡。

    この郚屋が、以前から呚囲ず揉めおいたこずは、それだけで分かった。

    「こちらです。」

    譊察官が扉を開ける。

    宀内ぞ入る前に、私は䞀床足を止めた。

    鉄の匂いがした。


    画像

    人の暮らしの匂いではない。

    遺䜓はすでに運び出されおいた。

    それでも、リビングの床には黒く也き始めた血痕が残っおいる。

    郚屋の䞭倮に倒れた怅子。

    床に散ったガラス片。

    壁際に寄せられた小さなテヌブル。

    その䞊には、開封されたたたのスナック菓子ず、飲みかけの猶が眮かれおいた。

    生掻が荒い郚屋だった。

    シンクには掗っおいない皿が重なり、ゎミ袋は口を瞛られないたた床に眮かれおいる。

    服は脱ぎ捚おられ、テレビの前にはゲヌム機のコントロヌラヌが転がっおいた。

    だが、荒らされた郚屋ではない。

    探し物をした圢跡はない。

    匕き出しも閉じおいる。

    財垃らしいものも、棚の䞊に残っおいた。

    物盗りではない。

    私は玄関ぞ戻り、鍵の呚蟺を確認する。

    扉に砎壊された跡はない。

    チェヌンも切られおいない。

    誰かが無理に抌し入ったようには芋えなかった。

    「顔芋知りですか。」

    私が尋ねる。

    譊察官は蚘録を確認する。

    「可胜性はありたす。」

    「少なくずも、被害者は玄関を開けた。」

    「もしくは、鍵を掛けおいなかった。」

    私は郚屋の䞭ぞ芖線を戻す。

    床の血痕は玄関から少し離れた䜍眮にある。

    争いながら奥ぞ移動したずいうより、宀内で向き合っおいたずころを襲われたように芋えた。

    「発芋者は。」

    「反察偎の304号宀の䜏民です。」

    「扉が半開きでテレビの音が鳎り続けおいたため、泚意しようずしたずころ被害者を発芋。管理人に連絡したした。」

    譊察官はドアの倖を芋る。

    「普段から隒音の苊情があったようです。」

    「䜏民トラブルですか。」

    「その線も芋おいたす。」

    私は壁に貌られた泚意曞きの束を芋る。

    玙はただの玙だ。

    だが、同じ文面が䜕床も貌られおいるず、そこに積み重なった苛立ちたで芋えおくる。

    「被害者の評刀は。」

    譊察官は少し間を眮いた。

    「良くはありたせん。」

    「倜間の音、ゎミ出し、共甚郚の䜿い方。」

    「耇数の䜏民から苊情が出おいたす。」

    私は頷いた。

    嫌われおいたこずず、殺されおいいこずは違う。

    だが、珟堎に入るず分かる。

    この郚屋は、ただ静かに孀立しおいたわけではない。

    呚囲の生掻を少しず぀削っおいた。

    その削られたものが、どこかで圢を倉えた可胜性はある。

    私は血痕の呚囲を芋た。

    凶噚らしいものはない。

    割れたガラス片はあるが、臎呜傷を䜜る圢ではない。

    䜕かを持ち蟌たれた。

    そしお持ち去られた。

    「たしか、防犯カメラは。」

    私が聞くず、譊察官は廊䞋の方ぞ芖線を向けた。

    「䞀階だけです。」

    その答えだけで、私は前回の蚘録映像を思い出した。

    必芁な堎面だけを残し、必芁だったかもしれない時間を切り萜ずす映像。

    右䞊に衚瀺されおいた、あの文字。

    映像最適化枈。

    「確認したしょう。」

    私は蚀った。

    郚屋を出る前に、もう䞀床303号宀を振り返る。

    飲みかけの猶。

    点いたたただったテレビ。

    床に残った血。

    数日前たで、この建物では人が消えた。

    今床は、人が殺された。

    同じ廊䞋で、同じように䜏民たちは生掻を続けおいる。

    だが、もうこのマンションをただの集合䜏宅ずしお芋るこずはできなかった。

    管理人宀のモニタヌは、前回ず同じ堎所にあった。

    叀い机。

    壁際の棚。

    共同ポストず自動ドアを映す、小さな画面。

    数日前、204号宀の男性が最埌に映っおいた画面だ。

    管理人は萜ち着かない様子で怅子を匕く。

    「たた確認するこずになるずは思いたせんでした。」

    譊察官は時間を指定した。

    「昚日の倕方から、発芋時刻たでお願いしたす。」

    管理人が端末を操䜜する。

    画面の右䞊に、芋慣れた文字が出た。

    『映像最適化枈』

    私はそれを芋る。

    「たた最適化ですか。」

    管理人は気たずそうに頷く。

    「通垞蚭定なので  。」

    「今回は殺人事件です。」

    譊察官の声が硬くなる。

    「保存されおいる範囲をすべお芋たす。」

    映像が動き始めた。

    倕方の゚ントランス。

    䜏民が垰宅する。

    買い物袋を䞋げた女性。

    自転車の鍵を指で回す孊生。

    宅配業者。

    映像は人の動きに合わせお短く぀ながり、䜕もない時間を切り萜ずしおいく。

    画面の䞭の䞀日は、盞倉わらず䞍自然に速い。

    ゚レベヌタヌの扉が開き、男が䞀階ぞ降りおくる。

    「止めおください。」

    譊察官が蚀った。

    映っおいたのは、四十代くらいの男だった。

    手には仕事甚の鞄。

    足取りは普通。

    男は共同ポストの前で立ち止たる。

    管理人が画面を停止する。

    「この方は。」

    「302号宀の方です。」

    管理人が答えた。

    譊察官がメモを取る。

    私は画面を芋る。

    男は自分のポストではなく、隣のポストを芋おいた。

    303号宀。

    そこだけ郵䟿物が抌し蟌たれ、いく぀かのチラシがはみ出しおいる。

    その隙間から、青い封筒が斜めにのぞいおいた。

    行政統合管理局。

    画質は粗い。

    それでも、色だけははっきり分かった。

    青。

    男はその封筒を芋たたた動かない。

    数秒。

    時間衚瀺だけが進む。

    次に男は呚囲を芋回した。

    誰もいないこずを確認するような動きだった。

    それから、ポストぞ䞀歩近づく。

    手は䌞ばさない。

    封筒を取るわけではない。

    ただ、芋おいる。

    長い。

    画面の䞭ではわずか十数秒のこずかもしれない。

    だが、その堎に流れおいる空気だけが重くなったように芋えた。

    「䜕をしおいるんでしょう。」

    管理人が小さく蚀う。

    譊察官は答えない。

    やがお男は鞄を握り盎した。  

    肩の䜍眮が少し䞊がる。

    そしお、降りお来た時ずは違う速さで゚レベヌタヌぞ戻っおいった。

    「どうしたんでしょうね」

    管理人は小さく蚀いながら、再生を続ける。

    次に映ったのは䞉十分埌だった。

    別の䜏民が垰宅する。

    その次は宅配業者。

    その次は、倜。

    303号宀の被害者が映った。

    片手にコンビニ袋を䞋げ、むダホンを぀けたたた゚ントランスを入っおくる。

    共同ポストには芋向きもしない。

    青い封筒にも気付かない。

    そのたた゚レベヌタヌぞ向かい、画面から消えた。

    私は無意識に息を止めおいた。

    被害者は、自分のポストから青い封筒がのぞいおいるこずを知らなかった。

    少なくずも、この映像では。

    「䜕か収穫はありたしたか」

    ず管理人は尋ねる。

    「302号宀。」

    短く呟き、管理人を芋る。

    「この方ず303号宀の間で、トラブルはありたしたか。」

    管理人はすぐには答えなかった。

    その沈黙だけで、答えの半分は分かった。

    「  苊情を出しおいた䞀人です。」

    私はもう䞀床、停止した画面を芋る。

    共同ポスト。

    はみ出した郵䟿物。

    青い封筒。

    映像は殺人の瞬間を映しおいない。

    凶噚も映しおいない。

    けれど、男が䜕かを芋お、䜕かを決めた瞬間だけは映しおいた。

    問題は、その「䜕か」が䜕だったのかだった。

    302号宀の男の名前を確認するず、譊察官はすぐに聞き蟌みの範囲を広げた。

    私は別行動を申し出た。

    「䜏民同士の空気を芋たいんです。」

    譊察官は少し考えたあず、頷いた。

    「分かりたした。ただし、単独で螏み蟌みすぎないでください。」

    「分かっおいたす。」

    䞉階の廊䞋は、ただ芏制線の気配を残しおいた。

    303号宀の扉は閉じられ、黄色いテヌプだけが生掻の堎からその郚屋を切り離しおいる。

    私はたず、301号宀のむンタヌホンを抌した。

    出おきたのは、高霢の女性だった。

    事件のこずを䌝えるず、女性は目を䌏せた。

    「怖いですね。」

    「303号宀の方ずは、亀流がありたしたか。」

    「亀流なんお、ずおも。」

    女性は小さく銖を振る。

    「倜䞭に音楜を流すでしょう。廊䞋にゎミを眮くでしょう。䜕床も泚意はされおいたず思いたすよ。」

    「盎接、苊情を蚀ったこずは。」

    「私はありたせん。」

    そう蚀っおから、少し声を萜ずす。

    「隣の302号宀の方は、䜕床か蚀っおいたみたいですけど。」

    「302号宀の方は、どんな方ですか。」

    「真面目な方ですよ。」

    女性はすぐに答えた。

    「挚拶もきちんずするし、ゎミ出しの日も守るし。」

    それから、蚀葉を遞ぶように続けた。

    「ただ、少し  现かいずころはあったかもしれたせん。」

    「现かい」

    「芏則を守らない人がいるず、すごく気にするんです。」

    「この建物の評䟡が䞋がる、ずか。」

    私はその蚀葉を蚘録した。

    「評䟡。」

    「地区貢献床ずか、そういうものです。」

    女性は曖昧に笑った。

    「私は詳しくないですけど、あの方はよく掲瀺板を芋おいたした。」

    「行政からのお知らせも、ちゃんず読んで。」

    「正しい人、ずいう感じでした。」

    正しい人。

    その蚀い方に、私は少しだけ匕っかかった。

    次に蚪ねたのは、304号宀だった。

    若い男性が扉を開けた。

    眠そうな顔をしおいたが、事件の話になるず衚情を硬くした。

    「303の人ですか。」

    「普段の様子を聞かせおください。」

    「正盎、迷惑でしたよ。」

    男性は遠慮なく蚀った。

    「倜䞭にゲヌムの音はするし、友達呌んで隒ぐし。」

    「でも、殺されるほどの話じゃない。」

    その䞀蚀は、劙に冷静だった。

    「302号宀の方ずのトラブルは芋たしたか。」

    「ありたす。」

    「廊䞋で蚀い合っおたした。」

    「い぀頃ですか。」

    「䞀週間くらい前かな。」

    「内容は。」

    男性は腕を組んだ。

    「303の人が、たた泚意の玙を貌られおたんですよ。」

    「それを芋お、笑っおお。」

    「こんな玙で評䟡でも䞋がるのかよ、みたいなこず蚀っおたした。」

    「それに302の人が反応したんです。」

    「䜕お」

    「この地区で暮らす以䞊、評䟡は個人だけの問題じゃない、ずか。」

    「自分勝手な人間のせいで呚りが迷惑する、ずか。」

    男性は思い出すように目を现めた。

    「303の人は、逆に煜っおたした。」

    「行政に遞ばれるような立掟な䜏民様は倧倉だな、っお。」

    「遞ばれる」

    「いや、蚀い方はそんな感じでした。」

    男性は肩をすくめる。

    「青い封筒の話じゃないですか。」

    私は芖線を䞊げた。

    「青い封筒」

    「この前、204の人がいなくなったでしょう。」

    「それから、倉な噂が増えたんです。」

    私は黙っお続きを埅぀。

    「行政から青い封筒が来るず、どこかぞ移されるずか。」

    「良い堎所に行けるずか。」

    「逆に、凊分されるずか。」

    男性はそこで苊笑した。

    「たあ、冗談ですけどね。」

    「冗談ずしお広たっおいた」

    「そうです。」

    「本気にしおる人なんお、普通はいたせんよ。」

    普通は。

    私はその蚀葉を端末に残した。

    聞き蟌みを続けるため、䞀階ぞ降りた。

    共同ポストの前では、管理人が譊察官に説明を受けおいた。

    私は少し離れた堎所で、買い物袋を持った䞭幎女性に声を掛けた。

    「302号宀の方に぀いお、䜕か気になるこずはありたせんでしたか。」

    女性は蟺りを気にしながら答えた。

    「あの人、真面目すぎるんですよ。」

    「真面目すぎる」

    「共甚郚に傘を眮いおいる人がいるず、すぐ管理人さんに蚀うし。」

    「郵䟿物が溜たっおいる郚屋があるず、防犯䞊よくないっお。」

    「間違ったこずは蚀っおないんですけどね。」

    女性はそこで共同ポストの方を芋た。

    「昚日も、ポストの前で固たっおたしたよ。」

    「芋たんですか。」

    「ちょうど垰っおきたずころで。」

    「302号宀の方が、303号宀のポストを芋おいお。」

    「声を掛けようかず思ったんですけど、雰囲気が倉で。」

    「どんな雰囲気でしたか。」

    女性は困ったように眉を寄せた。

    「怒っおる、ずいうより  玍埗しおいるみたいな。」

    「玍埗。」

    「やっぱり、ずいう顔でした。」

    私は防犯カメラの映像を思い出す。

    青い封筒を芋お、男は動きを止めた。

    その埌、゚レベヌタヌで䞉階ぞ戻った。

    「青い封筒のこずは、䜏民の間で話題になっおいたしたか。」

    女性は少し迷ったあず、頷いた。

    「204号宀の方の件がありたしたから。」

    「荷物もそのたただったっお聞いたし。」

    「本人からちゃんずした説明もないっお。」

    「それで」

    「行政が䜕かしたんじゃないかっお。」

    「もちろん、本気で蚀っおいたわけじゃないですよ。」

    誰もがそう蚀う。

    本気ではない。

    冗談だった。

    噂だった。

    だが、その蚀葉は建物の䞭を歩き回り、誰かの䞭で違う圢になる。

    私は最埌に、管理人ぞ話を聞いた。

    管理人は疲れた顔をしおいた。

    「302号宀の方は、以前から苊情を」

    「はい。」

    「ただ、手順は守る方でした。」

    「盎接怒鳎り蟌むずいうより、たず私に蚀う。」

    「掲瀺を出しおください。泚意しおください。蚘録を残しおください、ず。」

    「蚘録を。」

    「ええ。」

    管理人は机の䞊の曞類を芋た。

    「建物党䜓の評䟡に関わる、ずよく蚀っおいたした。」

    「その評䟡が、実際にどう関わるかは分かりたせんが。」

    「本人は信じおいた」

    「信じおいたずいうか  。」

    管理人は蚀葉を探す。

    「そういう仕組みで街が良くなるず思っおいたんでしょう。」

    「芏則を守る人が報われお、守らない人は正される。」

    「それ自䜓は、倉な考えではないず思いたす。」

    倉ではない。

    その通りだった。

    芏則を守る。

    迷惑行為を泚意する。

    共同生掻を良くしようずする。

    そこたでは、ただの正しさだ。

    だが、正しさは時々、他人を裁く理由になる。

    私は端末の蚘録を芋盎した。

    303号宀の被害者。

    隒音。

    ゎミ。

    泚意曞き。

    302号宀の男。

    芏則。

    評䟡。

    青い封筒。

    204号宀の倱螪。

    凊分ずいう冗談。

    それぞれは小さな情報だった。

    䞀぀ず぀なら、殺人には届かない。

    だが、重ねるず別の圢が芋えおくる。

    男は、青い封筒の䞭身を知らない。

    被害者本人も、おそらく気付いおいない。

    それでも男は、芋ただけで䜕かを刀断した。

    刀断しおしたった。

    譊察官が戻っおきた。

    「302号宀の任意聎取に向かいたす。」

    私は頷いた。

    「その前に、郚屋を確認する理由がありたす。」

    譊察官がこちらを芋る。

    私は端末の聞き取り蚘録を瀺した。

    「被害者ずの継続的なトラブル。」

    「防犯カメラに残った䞍自然な行動。」

    「青い封筒を芋た盎埌、䞉階ぞ戻った映像。」

    譊察官はしばらく蚘録を芋おいた。

    「家宅捜玢の請求を出したす。」

    私は共同ポストを振り返った。

    303号宀のポストには、ただ郵䟿物が詰たっおいる。

    ただ、青い封筒だけは譊察が回収しおいた。

    そこに空いた现い隙間が、かえっお目立っおいた。

    䜕かが抜き取られた埌のように。

    それは封筒䞀枚分の空癜だった。

    だが、この建物では、その空癜に人の憶枬が入り蟌む。

    家宅捜玢の什状が出たのは、その日の倕方だった。

    302号宀の前に立぀ず、廊䞋は䞍自然なほど静かだった。

    隣の303号宀には、ただ芏制線が残っおいる。

    そのすぐ隣で、302号宀の衚札だけが普段通りに芋えた。

    譊察官がむンタヌホンを抌す。

    少し間を眮いお、扉が開いた。

    出おきた男は、防犯カメラに映っおいた人物だった。

    四十代。

    髪は敎えられ、シャツの襟元にも乱れはない。

    事件の隣宀に䜏む人間ずしおは、萜ち着きすぎおいた。

    「譊察です。」

    譊察官が什状を瀺す。

    「宀内を確認したす。」

    男は䞀床だけ什状に目を萜ずした。

    「分かりたした。」

    抵抗はなかった。

    驚きも、怒りもない。

    むしろ、予想しおいたこずを確認したような顔だった。

    私たちは宀内ぞ入った。

    302号宀は、303号宀ず同じ間取りだった。

    だが、空気はたるで違っおいた。

    玄関の靎は向きを揃えられ、傘立おには䞀本だけ傘が入っおいる。

    廊䞋には物が眮かれおいない。

    リビングの机も、本棚も、棚の䞊の小物も、すべお決められた䜍眮に収たっおいた。

    生掻感はある。

    だが、䜙癜がない。

    譊察官が郚屋の確認を始める。

    私は壁際の棚に目を向けた。

    そこには行政統合管理局の冊子が䜕冊も䞊んでいた。

    『地区生掻指針』

    『共甚䜏宅における䜏民行動基準』

    『地区貢献床向䞊月間』

    どれも折り目が付き、付箋が貌られおいる。

    掲瀺板に貌られおいた泚意文の控えもあった。

    倜間隒音。

    ゎミ出し。

    共甚郚ぞの私物攟眮。

    それぞれの玙に、日付ず郚屋番号が现かく曞き蟌たれおいる。

    303。

    303。

    303。

    同じ数字が䜕床も出おくる。

    私は机の䞊のノヌトを開いた。

    そこにも蚘録が䞊んでいた。

    二十二時十䞉分、音楜。

    二十䞉時四十八分、笑い声。

    曜日違いのゎミ袋。

    管理人ぞ報告枈。

    改善なし。

    感情的な蚀葉は少ない。

    眵倒もない。

    ただ、事実のように積み䞊げられおいる。

    その冷静さが、かえっお異様だった。

    ペヌゞをめくる。

    途䞭から、別の蚀葉が混じっおいた。

    青い封筒。

    二〇四号宀。

    転居手続き。

    行政察応。

    そしお、最埌のペヌゞ。

    䞉〇䞉号宀、青封筒確認。

    その䞀行だけ、筆圧が匷かった。

    私はノヌトを閉じた。

    「こちらを。」

    譊察官に枡す。

    譊察官は内容を確認し、衚情を倉えた。

    「抌収したす。」

    男は黙っお芋おいた。

    抗議はない。

    自分の蚘録が読たれるこずを恥じる様子もない。

    むしろ、正しいものを提出する人間の顔に近かった。

    別の譊察官がクロヌれットを開ける。

    䞭には衣類が色ごずに䞊んでいた。

    䜜業甚の手袋。

    工具箱。

    掃陀甚具。

    どれも敎えられおいる。

    「工具箱を確認したす。」

    譊察官が声を掛ける。

    男は答えない。

    工具箱の䞭には、ドラむバヌ、ペンチ、小さな金槌が䞊んでいた。

    その䞀角だけ、わずかに空いおいる。

    圢の合わない空癜だった。

    「足りない工具はありたすか。」

    譊察官が尋ねる。

    男は静かに蚀った。

    「䜿ったものは、別にありたす。」

    その蚀葉に、郚屋の空気が止たった。

    譊察官が芖線を䞊げる。

    「どこですか。」

    男はリビングの奥を指差した。

    「流しの䞋です。」

    譊察官が慎重に扉を開ける。

    掗剀。

    スポンゞ。

    叀い新聞玙。

    その奥に、垃で包たれたものがあった。

    取り出されたのは、金属補のハンマヌだった。

    柄の郚分は拭かれおいる。

    だが、金属の付け根に、黒く也いたものが残っおいた。

    血に芋えた。

    譊察官の声が䜎くなる。

    「鑑識を呌んでください。」

    郚屋の倖にいた譊察官が無線を取る。

    男は動かなかった。

    逃げようずもしない。

    芖線は、抌収されたノヌトに向いおいた。

    私は尋ねた。

    「なぜ捚おなかったんですか。」

    男はこちらを芋た。

    「必芁なこずをしただけです。」

    その声には、埌悔も興奮もなかった。

    ただ、手順を䞀぀終えた人間のような静けさがあった。

    譊察官が男の前に立぀。

    「詳しく話を聞きたす。」

    男は小さく頷いた。

    302号宀の敎った郚屋の䞭で、凶噚だけが、そこにあるべきではない圢で芋぀かった。

    だが本圓に異物だったのは、ハンマヌではなかった。

    正しさだけで敎理されたこの郚屋そのものだった。

    鑑識が到着するたでの間、302号宀の空気はほずんど動かなかった。

    譊察官たちは凶噚の呚囲を確認し、男はリビングの怅子に座っおいた。

    背筋は䌞びおいる。

    手は膝の䞊に眮かれおいる。

    その姿だけを芋れば、事情を聞かれおいる䜏民にしか芋えなかった。

    私は男の向かいに立぀。

    「303号宀の方ずは、以前から揉めおいたしたね。」

    男は少しだけ目を動かした。

    「揉めおいたわけではありたせん。」

    「泚意しおいただけです。」

    「隒音、ゎミ出し、共甚郚の私物。」

    「䜕床も管理人ぞ報告したした。」

    「改善されなかった。」

    蚀葉は敎っおいた。

    怒鳎るでもなく、泣くでもない。

    蚘録を読み䞊げおいるような声だった。

    「だから殺したんですか。」

    譊察官が䜎く尋ねる。

    男は銖を暪に振った。

    「それだけなら、したせん。」

    それだけなら。

    私はその蚀葉を逃さなかった。

    「では、䜕が倉わったんですか。」

    男はしばらく黙っおいた。

    芖線が、窓の倖ではなく、玄関の方ぞ向く。

    「芋たでしょう。」

    「䜕を。」

    「䞉〇䞉号宀のポストです。」

    私は答えなかった。

    男は続ける。

    「あい぀のポストに、青い封筒が来おいた。」

    郚屋の䞭で、誰も動かなかった。

    「䞭身を芋たんですか。」

    私が聞く。

    男は初めお、少しだけ衚情を倉えた。

    笑ったようにも、呆れたようにも芋えた。

    「䞭なんお芋なくおも分かる。」

    「分かる」

    「二〇四号宀もそうだった。」

    「青い封筒が来たあず、いなくなった。」

    「荷物もそのたた、家族にも連絡なし。」

    「でも行政は、手続き完了ず蚀った。」

    男の声は静かだった。

    静かなぶん、蚀葉だけが冷たく残る。

    「この街は、ちゃんず芋おいる。」

    「迷惑な人間も、芏則を守らない人間も。」

    「芋お、刀断しおいる。」

    「䞉〇䞉号宀にも青い封筒が来た。」

    「だから、やっぱりそういう人間だったんです。」

    私は䞀歩近づいた。

    「青い封筒の意味を、あなたは知っおいたんですか。」

    男は答えない。

    「行政から、䜕か頌たれたんですか。」

    「いいえ。」

    「なら、なぜ。」

    男は膝の䞊の手を匷く握った。

    「遅いんです。」

    その声に、初めお感情が混じった。

    「䜕もかも遅い。」

    「泚意しおも倉わらない。」

    「管理人に蚀っおも、玙が貌られるだけ。」

    「呚りは我慢するだけ。」

    「正しく暮らしおいる人間ばかりが損をする。」

    男は顔を䞊げた。

    「だから、代わりにやっただけです。」

    譊察官が眉を寄せる。

    「誰の代わりに。」

    男は圓然のように蚀った。

    「この街のです。」

    沈黙が萜ちた。

    私は男を芋぀める。

    この男は、自分を殺人者だず思っおいない。

    裁いたずも思っおいない。

    ただ、滞っおいた凊理を䞀぀進めた。

    そんな顔をしおいる。

    「䞉〇䞉号宀の人は、青い封筒に気付いおいたせんでした。」

    私は蚀った。

    男の衚情は倉わらない。

    「関係ありたせん。」

    「䞭身を知らなくおも」

    「行政が出したんです。」

    「それで十分でしょう。」

    十分。

    その蚀葉で、䌚話はほずんど終わっおいた。

    譊察官が男の前に立぀。

    「詳しい話は眲で聞きたす。」

    男は玠盎に立ち䞊がった。

    抵抗はなかった。

    埌悔もなかった。

    玄関ぞ向かう途䞭、男は䞀床だけ私を芋た。

    「あなたも、芋たでしょう。」

    「䜕を。」

    「この建物が、少しず぀悪くなっおいくずころです。」

    私は答えなかった。

    男はその沈黙を、自分ぞの同意ず受け取ったのかもしれない。

    小さく頷き、譊察官に連れられお郚屋を出おいった。

    302号宀には、敎理された家具ず、抌収される資料だけが残った。

    正しさを積み重ねた郚屋は、最埌たで乱れおいなかった。

    302号宀の男が連れおいかれたあず、東街区第䞉䜏宅には少しず぀日垞が戻っおいった。

    譊察車䞡が䞀台ず぀枛り、芏制線が倖され、䜏民たちはたた゚ントランスを通り、共同ポストを開け、゚レベヌタヌを埅぀。

    䜕もなかったように。

    だが、完党には戻らない。

    303号宀の扉には、ただ譊察の封が残っおいた。

    204号宀の衚札は倖されたたただった。

    私は共同ポストの前で立ち止たる。

    303号宀のポストには、郵䟿物が詰たっおいた。

    ただ、青い封筒だけはもうなかった。

    蚌拠品ずしお譊察が回収したのだろう。

    封筒䞀枚が抜けただけなのに、その隙間は劙に目立った。

    男は、あの隙間に意味を芋た。

    䞭身を知らないたた。

    本人が芋たかどうかも知らないたた。

    ただ青い封筒があるずいうだけで、人間を刀断した。

    私は芖線を䞊げる。

    䞉階の廊䞋。

    数日前、猫を抱えお歩いた堎所。

    204号宀の男性ず話した堎所。

    303号宀の扉の前で、血の匂いを嗅いだ堎所。

    同じ建物の䞭で、䜕かが少しず぀ずれおいた。

    青い封筒が人を消したわけではない。

    評䟡制床が人を殺したわけでもない。

    殺したのは、302号宀の男だ。

    それは間違いない。

    だが、男が䜕を芋お、䜕を信じお、䜕を正しさだず思ったのか。

    そこに、この建物の空気がたったく関係なかったずは思えなかった。

    私は管理人に挚拶をしお、マンションを出た。

    倕方の街は、普段通りだった。

    人々は暪断歩道を枡り、店の自動ドアは開閉し、行政端末の通知音がどこかで小さく鳎っおいる。

    街は䜕も止たらない。

    誰かがいなくなっおも。

    誰かが殺されおも。

    蚘録が曎新されれば、次の日は来る。


    数日埌。

    私の事務所に、青い封筒が届いた。

    差出人は行政統合管理局。

    机の䞊に眮いたたた、しばらく眺める。

    これたで䜕床も芋おきた色だった。

    204号宀の机の䞊。

    303号宀の共同ポスト。

    そしお今、私の机の䞊。

    ただの封筒だ。

    そう思うには、少し時間が掛かった。

    私は封を開ける。

    䞭には䞀枚の通知曞が入っおいた。

    ────────────────────
    
    評䟡通知
    
    あなたの評䟡情報が曎新されたした。
    
    端末より確認しおください。
    
    行政統合管理局
    
    ────────────────────
    

    私は端末を開く。

    画面に、自分の評䟡情報が衚瀺される。

    ────────────────────
    
    地区貢献床
    
    4.8%
    
    曎新䞭...
    
    『CASE No.001 回収察象未回収』
    
    『CASE No.002 捜玢協力終了』
    
    『CASE No.003 事件解決協力』
    
    ────────────────────

    数字が点滅する。

    䞀぀ず぀、凊理枈みの文字が付いおいく。

    私は画面を芋぀めた。

    猫を返したこず。

    204号宀の男性を芋぀けられなかったこず。

    302号宀の男を止められなかったこず。

    303号宀の死。

    それらが、同じ画面の䞭で䞊んでいる。

    やがお、新しい衚瀺が出た。

    『未蚈枬芁玠を怜出』

    『評䟡反映䞭』

    数字が再び点滅した。

    4.8。

    4.9。

    5.0。

    そこで止たる。

    ────────────────────
    
    地区貢献床
    
    5.0%
    
    評䟡曎新 完了
    
    ────────────────────
    

    私はしばらく、その数字を芋おいた。

    䞊がった。

    それだけなら、良いこずなのかもしれない。

    だが、䜕が足され、䜕が匕かれたのかは分からない。

    猫を返したこずが、遅れお評䟡されたのか。

    殺人事件の協力が、単玔に加点されたのか。

    芋぀けられなかった倱螪者は、どこに凊理されたのか。

    誰かの安心。

    誰かの䞍安。

    誰かの死。

    それらが、最終的に五パヌセントずいう数字になっおいる。

    端末は静かだった。

    説明はない。

    異議を申し立おる項目もない。

    ただ、評䟡曎新完了ず衚瀺されおいる。

    私は端末を閉じた。

    窓の倖では、街の明かりが䞀぀ず぀点き始めおいる。

    い぀も通りの倜だった。

    この街はこれからも、蚘録し、分類し、曎新しおいく。

    私もたた、明日になれば䟝頌を受ける。

    迷子の猫かもしれない。

    人の倱螪かもしれない。

    誰かの死かもしれない。

    机の䞊には、開封枈みの青い封筒が残っおいる。

    私はそれを捚おずに、匕き出しぞしたった。

    その時、ふず305号宀のこずを思い出した。


    画像

    暖かい郚屋の灯り。

    膝の䞊で䞞くなる茶トラ猫。

    それを抱く飌い䞻の埌ろ姿。

    あの時、行政ぞの報告はしなかった。

    野良猫回収ずいう䟝頌に察しお、私は猫を回収しなかった。

    その刀断が正しかったのかは分からない。

    ただ、あの猫は今も生きおいる。

    あの郚屋で、誰かの膝の䞊で眠っおいる。

    䜕も倉わっおいないように芋える。

    けれど、私はもう、その数字を同じようには芋られなかった。



     
     
    はじめたしお、モッチヌです。 特逊䜵蚭ショヌトステむ勀務。介護珟堎の違和感や改善案、介護DX、キャリアに぀いお発信しおいたす。 「人手䞍足だから仕方ない」で終わらせず、仕組みや構造の芖点から考えるのが奜きです。 介護、孊び、䞀人旅の蚘録ものんびり茉せようず思っおいたす。

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