
16歳の自分へ|33歳の自分が答える、哲学とプリンの話。
調子が悪いことが日常茶飯事だと、たまに来る調子のいい日がとっても嬉しい。
でも、調子のいい日が増えるてくると、自分の「元気の基準」が少しずつ上がっていく。だから、たまに来る調子の悪い日に絶望する。
つまりは幸せの平均点が上がってしまうのだ。
高校生の頃、哲学的な友達と二つのことについて考えたことがある。
『人は、「より幸せ」の前では、「幸せ」は不幸になってしまうのか。』
『赤ちゃんが泣くのは、生まれてきたことが悲しいからではないか。だとしたら、「生」とは何の罰だろう。』
しょーもないことを、真剣に、放課後の教室で語り合っていた。
後者は、その後医療系の学校へ進み、発達学を学んだことで何となく自分なりの答えが分かった。
泣くことはコミュニケーションだった。泣いたら誰かが来てくれる。そうやって安心を積み重ねて、愛着を育んでいくんだと思う。
良かった。
どうやら罰じゃなかったみたいだ。
前者は、今振り返っても何とも難しい。
ただ、あの頃から幾分大人になった私が言えることは、
それはもう愛してやまない、喫茶店の少し硬めでカラメルがこんがりしたプリンを食べたからといって、コンビニのプリンを食べる日が不幸になるかと言われれば、絶対にNOだということ。
それぞれの良さがある。
元気な時は喫茶店に行ったらいいし、疲れている時はコンビニに行ったらいい。
小さな幸せも、大きな幸せも、それぞれ違う形で日常と人生を彩っている。比較できるものではない。
これをあの日の問いの答えとしたい。
それを踏まえた上で、
調子がいい日も悪い日も、幸せな日もより幸せな日も、不幸な日はより一層、自分に優しい気持ちを持つこと。
そんな日々を紡いでいきたい。







