
SNSはなぜ幸福を競わせるのか――可視化される私たち
1 SNSには「幸せそうな人」が多すぎる
SNSのタイムラインを眺めていると、ふとため息が漏れることはないでしょうか。
そこには、色鮮やかな旅行写真、洗練されたカフェのスイーツ、家族の笑顔、そして「理想的な働き方」を語る言葉が溢れています。もちろん、それらは日常の輝かしい一瞬を切り取ったものでしょう。
しかし、問題なのは、SNSという空間には「不幸な人」がほとんど存在せず、幸福が高度に演出された形で並び続けていることです。そこでは、現実の複雑な彩りは消え去り、メディアによって加工された「イメージ」が、現実そのものより強い力を持ってしまいます。
私たちはいつの間にか、画面の中の「演出された幸福」と、自分の不完全な日常を比較し、なぜ自分だけが取り残されているのかという焦燥感に駆られてしまうのです。
2 比較されるのは「幸福そのもの」ではない
ここで立ち止まって考えてみたいのは、私たちが比較しているのは、実は「その人の幸福そのもの」ではないということです。
SNSで流通しているのは、個人の内面的な充足感ではなく、他者から「幸せそうに見える」という可視化された幸福の記号です。かつての社会では、幸福は自分の胸の内で感じるものでした。
しかし現代の「アテンション・エコノミー(関心経済)」の中では、人々の注意をどれだけ引きつけるかが価値を持ち、幸福もまた「いいね」という数字に置き換えられていきます。
さらに、SNSでは、人々の注意を引くものほど価値を持ちます。
その結果、「幸せそうに見えること」そのものが競争になっていくのです。
3 SNSは「他人の視線」を日常化した
かつて、他人の視線は学校や職場といった特定の空間に限られていました。しかしSNSの登場によって、他者の視線は、私たちの日常の隅々にまで入り込むようになりました。
この連載の第2回で触れたように、現代社会では「個性を大事に」と言われて育ちましたが、その「個性」とは、実は他人との差異を測ることでしか確認できないものです。
SNSはこの「他者との比較」と「自己責任」の構造を、さらに加速させる装置となっています。食事、旅行、休日、さらには自分の感情までもが、「誰かに見せること」を前提に編集されていく。私たちは常に「他人指向型」の人間として、他者の目を内面化し、自分自身の日常を「検閲」しながら生きるようになっているのではないでしょうか。
4 個人化社会と「自己演出」
なぜ私たちは、これほどまでにSNSでの発信に駆り立てられるのでしょうか。その背景には、現代社会の「個人化」という大きな流れがあります。
社会学者のウリッヒ・ベックは、現代人が、かつて社会が用意していた人生のモデル(性別役割や定番の出世コースなど)を失い、自分の人生を「どう見せるか」まで考えなければならなくなったと指摘しました。
かつては「入るべき器」があった家族や仕事さえも、今や「どう生きるか」という個人の選択に委ねられているのです。
そうすると、SNSでの発信は単なる暇つぶしとは言えません。
それは、確固たる正解がない世界で、「私はこう生きている」という自己演出を可視化し、自分の人生に意味を与えようとする切実な営みなのです。自己のあり方は、内面を語る「語られる自己」から、写真によって提示する「見せられる自己」へと変容しつつあると言えるかもしれません。
5 「幸せ競争」はなぜ終わらないのか
SNSにおける幸福の競争が終わらないのは、私たちが求めているのが「幸福」ではなく、他者からの「承認」という形をとった「幸福そうに見えることの証明」だからです。
たとえ現実がどれほど苦しくても、画面上で「幸せな自分」を演出し、それが「いいね」によって承認されれば、その瞬間だけは救われたような気持ちになる。しかし、その「承認」は一過性のものであり、すぐに次の「映え」や「新しさ」を求めなければならない飢餓感を生みます。
私たちは、自分自身の人生の作者であると同時に、常に「観客」を意識した演技者でもあるのです。
6 見せるためではなく、感じるために
もちろん、SNSを否定する必要はありません。誰かの日常に勇気をもらったり、見たことのない美しい景色を知ることは、私たちの世界を広げてくれます。
しかし、他人の視線を意識し続けることは、同時に「自分が本当に何を感じているのか」という内面的な声をかき消してしまうリスクも孕んでいます。情報は多ければ多いほど、不確実性が増大し、自分にとって本当に大切な意味を見失いやすくなるからです。
だからこそ、ときには「誰かに見せるため」の編集を止め、「自分で感じるため」の静かな時間を持つことが、これまで以上に重要になっています。他者の評価という鏡を通さない、自分だけの生身の経験。それを守ることこそが、個人化と可視化の荒波の中で、自分を見失わずに生きるための「処方箋」になるのかもしれません。
次回予告
次回は、このSNS時代の「見せられる自己」が、私たちの「旅」をどのように変えてしまったのか。観光と写真の社会学について考えてみたいと思います。