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悪魔の証明、人には人の

    少し前にアロマンティック・アセクシュアルを自認するようになってからも、その意味についてぐるぐると考え続けている。

    なぜすっきりとした気分になれないかというと、アロマンティック・アセクシュアルである、つまり恋愛・性愛感情が無いということを完全に確信することは不可能だから。無いことは証明できない、「悪魔の証明」なのだ。
    セクシュアリティという根本的なアイデンティティに確信が持てないというのは、なんというかとても不安定だ。

    まず、人にカミングアウトするのが難しい。自分自身ですらも確証がないことを、しかもこんな重い話を家族や友人にするのは、少なくとも私にはとてもハードルが高い。
    「諦めちゃったんだ」とか「言い訳してる」とか思われるのが怖い。
    なぜなら、まだ心のどこかでそう思っている自分もいるから。

    私の周りにも、例えばマッチングアプリで、休日を犠牲にして本当にたくさんの人と会って、努力して恋人を作り、結婚をした友人がいる。
    「私は逃げただけではないか?」「アセクシュアルを盾にして、その努力をしないことを正当化しているだけではないか?」そんな疑問が消えてはいない。

    それに、アロマンティック・アセクシュアルをはっきり自認したからといって、何か解決するわけではない。

    友人の結婚はとてもおめでたい。結婚式に呼んでもらえたりしたら心から嬉しい。と同時に、二つの指輪が重なった写真を見る度に、胸の奥が痛むのもたしかだ。きっと私に同じ幸福は訪れない。そう思うとどうしようもなく悲しくて、100%の気持ちでおめでとうと言えない自分にも嫌気が差す。
    この寂しさはどうしようもない。

    世の中には、「30歳を過ぎても独身の人には何かしらの人間的欠陥がある」みたいな言説がまことしやかに流れている。
    そこまで攻撃的なものでなくとも、世の中は全ての人が恋愛をするという前提で作られているように見えてしまって、肩身が狭い。
    仕方がない、とも思う。だってそんなこと習っていないし、声高に叫んでいる人もいない。当事者である私ですら、はっきり認識したのはごく最近のことなのだ。

    だからといって、極端に言えば「アロマンティックやアセクシュアルの人もいるんだから、そういう人にも配慮して恋バナはしてはいけない」みたいな、そんな窮屈な世の中にはなってほしくない。あらゆる人間に配慮していたら雁字搦めで何一つ言えなくなってしまう。

    わかりあうことって限りなく不可能なんだと思う。恋愛に対する私の感覚を人にわかってもらうのは難しいと思うし、逆に私にも失恋の苦しさはわからない。

    正直、私は20代前半くらいまでは挫折という挫折をせずに生きてきてしまった。勉強はわりと好きだったし、要領の良いタイプで大抵のことは人並みには出来てしまった(恋愛を除く)。傲慢にも、「いつかつけが回ってくるのでは」と恐れていたくらいに。見事にその通りだ。
    ここにきて、ままならない現実を目の当たりにして茫然としている。

    結局、「人には人の地獄がある」と割り切って、折り合いをつけていくしかないのだろうと頭ではわかっている。でも心は追い付いていないし、その方法はまだ全然わからない。今はヒントを求めてアセクシュアルがテーマの本を読み漁っている。自分だけじゃないと安心したいだけかもしれない。だけど、こうやって考え、悩み続けるしかない。
    そして、このとりとめのない思考の記録が、いつか同じように苦しむ誰かの心強さに変わるといいな、と願ってみたりする。


     
     

    nemo

     
     
    アラサー|気ままな内省録 Aro/Ace 旅行、映画、音楽、読書が好き

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