
あなたと分け合った二十四時間にも満たない時間を、私は今も覚えている
第一章 会いたい人
私には台湾にとても会いたい人がいる。
その人のことを、K先生と呼んでいる。
親子よりもっと歳が離れている。
K先生が纏う独特の空気が好きだ。
台湾に行くたびに会えることを、話ができることを心待ちにしている。
時間の長さで関係を測るなら、私たちはただ旅先で、ほんの少し互いの時間を分け合っただけだ。
家族でも、友達でも、恩師でもない。
ましてや恋人でもない。
海を越え、国を越えた知り合い。
そう説明するのが一番正確なのかもしれない。
共に過ごした時間をどれだけ集めても、二十四時間にも満たない。
けれど、人の心は時々おかしな動きをする。
時間の長さでは説明できないほど、大切になる人がいる。
会えなくても気になる人がいる。
K先生は、私にとってそういう人だった。
第二章 茶行での出会い/2013年10月
私は台湾の烏龍茶を飲むのが好きだ。
味と香りは言うまでもなく、小さな茶器も、淹れる時のどことなく優雅な所作も好きだ。
台湾に行くと茶葉をたくさん買い、なくなるとまた買いに来る。
私には、台北を訪れると必ず足を運ぶ茶行がある。
気がつけば、滞在中に何度も足が向いてしまう場所だ。
観光客だけでなく、地元の人たちもふらりと立ち寄り、お茶を飲みながら語らい、思い思いの時間を過ごしている。
旅人と地元の常連客が肩を並べて卓につき、言葉を交わすことも珍しくない。
この茶行には、訪れる人を分け隔てなく迎え入れる、不思議な懐の深さがあった。
ドアを開けると、街の喧騒が少し遠くなって、ほのかなお茶の香りが漂ってくる。
思わず深呼吸し、その香りで胸をいっぱいにする。
またここに帰ってきた、そう思う瞬間だ。
張り詰めていた気持ちが、ふっと緩むのが分かる。
店内はどこかノスタルジック。
年月を重ねた大きな茶缶や調度品が、静かに並んでいる。
急いでいるはずの旅の時間も、この場所では少しだけ歩みを緩める。
オーナーはいつもの笑顔で迎えてくれた。
「いらっしゃい、座って座って」
すぐに席へ案内してくれた。
その日、案内された席の隣には先客がいた。
いつものように地元の方がお茶を楽しんでいるのだろうか。
先客に軽く会釈して席に腰を下ろした。
オーナーに茶を淹れてもらい飲んでいると、その方は笑顔で話しかけてきた。
話す日本語はとても流暢で、柔らかな響きがあった。
ただ上手だ、というだけではない日本語。
長い年月を共にした言葉なのかもしれない。
体に馴染んでいる、と表現するのが似合う気がした。
私はそれを、美しい音色だと思った。
会話は他愛もないところから始まった。
どこから来たのか、いつまでいるのか。
それがいつしか、その方が持っている本【我們流著不同的血液】の話になった。
直訳すれば『私たちには異なる血液が流れている』という意味だ。
民俗学だろうか?興味深いタイトルだった。
その方は
「腕を見せてみて」
と私に言った。
何をするのかと不思議に思いながら腕を差し出すと
「ここに線があるでしょう?」
肘の内側から少し下がった場所を示した。
「私にもある。ほら、あなたと同じだ。あなたたち日本人と私たち台湾人は繋がっている。私たちのルーツは同じなんだよ」
そう言って微笑んだ。
そして別れる前に名刺をくれた。
優しい笑顔が印象的だった。
これがK先生と私の最初の時間だった。
旅の途中、ほんの少しの時間を分け合う。
私にはとても温かいものに感じられた。
私はこの時もらった名刺を無くさないように大切に持ち帰り、そっとアルバムに貼った。
第三章 再会を重ねて/2015年〜2019年
2013年に買った茶葉がなくなってしまったので、私はいつもの茶行を訪れた。
もしかするとまたK先生に会えるのかもしれない。
そんな淡い期待を抱いていた。
この時、運良くK先生に再会することができた。
もちろん私のことなど覚えているはずもない。
それでも私は再会できたことが嬉しかった。
話題は多岐にわたった。
以前やっていた仕事に始まり、台湾の歴史、日本の民俗学。
どの話も興味深く、私は夢中で聞き入った。
そんなふうに、一年に一度ほど台湾を訪れる度に茶行で会い、言葉を交わすようになった。
三度目の再会を果たした時の別れ際、
「次にここにきたときは連絡して。あなたに会いにくるから」
そう言って笑顔を見せてくれた。
K先生にとって私は、短い時間を分け合う旅人であることに変わりはない。
それでも、あなたを歓迎するよ。
そう言われたような気がした。
それ以降、茶行を訪れるたびに私はオーナーにK先生のことを尋ねるようになった。
「まだ来てないけど、電話して聞いてみるね」
と言って、連絡してくれるようになった。
電話をかけると、たいてい30分以内には来てくれるので、のんびり茶を飲みながらK先生の到着を待った。
そしてある時は、
「今度お昼ご飯を一緒に食べに行こう」
と誘ってくださった。
翌日に茶行で待ち合わせをし、K先生とお知り合いの方と私の3人で出かけた。
K先生は普段よりずっとおしゃれをしていた。
被ってきた中折れ帽には、小さくてカラフルな羽飾りとピンズがついていた。
素敵だと褒めると、嬉しそうに微笑んでいた。
地元の方ばかりのレストランで、ちまきやスープを食べながら中国語の発音や台湾の食べ物のことを教えてもらった。
K先生の日常に参加しているようで、旅の途中であることを忘れそうになった。
レストランから一旦茶行に戻り、オーナーに挨拶をして帰ろうとした私に
「少し待って」
とK先生は声をかけた。
手には赤い小さな紙袋があった。
「この茶行で一番高価なお茶です。あなたにプレゼントです」
思いがけないプレゼントだった。
またK先生と時間を分け合いたいと思った。
短い旅の時間を重ねるうちに、私たちは少しずつ打ち解けていった。
年に一度。
会えたとしても数十分ほど。
それなのに、K先生に会えると思うと心が弾んだ。
いつしか、K先生に会うことは、台湾旅行の楽しみの一つになっていた。
第四章 コロナ禍を経て/2024年6月
2019年12月に私は台湾を訪れ、次は2020年4月を予定していた。
しかしそれは叶わなかった。
パンデミックが世界を駆け巡り、空港は閉ざされた。
しばらくすれば、また日常が戻ってくると思っていた。
しかし、その日はなかなか来なかった。
たくさん買ってストックしていたお茶の在庫も心許なくなり、茶行に連絡を入れ日本に送ってもらったことがあった。
届いた箱を開けると、馴染みのパッケージがずらりと並んでいた。
その文字や色を見ただけで、あの茶行の棚や、オーナーの声がふっと蘇った。
同時に、懐かしさと切なさが胸に込み上げた。
コロナ禍の4年、私は目の前の日々を過ごすことに精一杯だった。
茶行のみなさん、そしてK先生は無事だろうか。
早くあの茶行に戻りたい。
そう願いながらも何もできず、ただ時間だけが過ぎていった。
そして4年以上の月日が流れた。
とっくに期限が切れたパスポートを取り直し、私が再び台湾の地を踏んだのは2024年6月のことだった。
茶行のドアを開き店内に足を踏み入れると、外の喧騒が嘘みたいにゆったりとした空気に変わる。
ああ、4年前と同じだ。
ふんわりと漂う茶の香りに、ようやくここに戻って来られたと胸がいっぱいになった。
「いらっしゃい、座って座って!久しぶりだね」
オーナーの明るい声は相変わらずで、張り詰めていた気持ちがようやく解けるのを感じた。
この日は17時過ぎに茶行を訪れた。
店内には地元の常連らしき方が数名いるだけで、K先生の姿はない。
そういえば以前、オーナーから聞いたことがある。
K先生は昼過ぎに来て、家族と一緒に食事をするために夕方には帰ってしまうと。
今日は少し来るのが遅すぎたかもしれない。
しかし、私はもう一つの可能性を忘れていたわけではない。
K先生はご健在なのだろうか?
年齢は確か90代のはず。
もしかすると来ていないのではなく、来られないのではないか。
万が一ということも考えられる。
私はオーナーに淹れてもらった茶を飲みながら、K先生のことについて聞こうか迷った。
結局、現実を直視するのが怖くて、聞くのを躊躇った。
その後悔を抱えたまま、私は日本へ帰った。
第五章 思い出は私だけのものに/2025年4月
日本に戻ってきてからも後悔は続いた。
ある日、思い切ってK先生のことを検索してみた。
すると2024年1月に撮られた写真が見つかった。
写真の中の先生は、私の知っている優しい顔で笑っていた。
……まだ間に合うかもしれない。
この時ようやく、どんな答えでも受け止めようと決心がついた。
私は再び台湾へやってきた。
覚悟を決めて、茶行のドアを開けた。
「いらっしゃい、座って座って」
変わらぬオーナーの明るさに、少し救われた気がした。
いつもするはずの茶の香りがしなかったのは、緊張していたせいかもしれない。
私はオーナーに挨拶を済ませた後、尋ねた。
「K先生はお元気ですか?」
すると
「あ!K先生、今きたよ!」
と嘘みたいな言葉が返ってきた。
振り返ると、確かにそこにはK先生がいた。
まるでドラマみたいだ、と思った。
その時、オーナーから小声で
「K先生は最近、少し認知症が出てきていてね」
と聞かされた。
私はとっさにオーナーの顔を見た。
その顔には、いつもの明るさはなかった。
それから私は慎重にK先生に目線を移した。
私の記憶にある5年前の姿と比べると、少し小さくなってお年を召した感じがした。
しかし足取りはしっかりされているし、表情も明るい。
私は自分勝手な期待を抱いていた。
私のことを覚えていてくれるのではないかと。
そして思い切って声をかけた。
「K先生、こんにちは」
……沈黙があった。
ドラマみたいなことは何一つ起こらなかった。
コロナ禍を乗り越え、ようやく再会し、互いに喜びを分かち合えることはなかった。
それでもどうにか気を取り直し、私は先生に話しかけた。
「K先生、これ、お土産です」
差し出されたお土産を見て、先生は少し驚いたようだった。
「私に?もらっていいの?」
自分の記憶にない人からお土産を手渡されて、K先生は明らかに困惑した顔をしていた。
本当に私のことが分からないのが伝わってきた。
私は勇気を振り絞ってこう言った。
「先生に渡したくて買ってきたんです」
「ありがとうね」
一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに以前と変わらぬ優しい笑顔で受け取ってくれた。
短いやりとりだった。
先生は私の斜め向かいの席に腰を下ろした。
静かに微笑みながら、K先生は私の顔を見つめる。
何も言わずにじっと目を覗き込む。
何か思い出せないかと、記憶の断片を辿っているように見えた。
祈るような気持ちだった。
……少しでいいから思い出してよ、K先生。
いつもこの場所で並んで座って、お茶を飲んでいたじゃない。
私は目が合うのが怖くなり、なるべくK先生を見ないようにした。
さらに、何となく気まずさも覚えていた。
どんな答えでも受け止めようと心に決めていたけれど、こんな答えは想像していなかった。
茶行を後にする時、K先生は私に名刺を差し出してくれた。
「これあげる」
私の知っている笑顔だった。
名刺を差し出す手は、微かに震えているように見えた。
「先生、私はもう何度ももらっているのよ」
そう言って名刺を受け取った。
『初めまして、じゃないのに』
口に出しそうになった言葉を、なんとか飲み込んだ。
K先生と私、二人で積み重ねてきた時間と記憶。
気がつけば、それは私だけのものになっていた。
第六章 忘れてもいいよ。私が覚えているから。
私にとっては、再会を待っていた5年。
K先生にとっては、老いとの戦いの5年だったのかもしれない。
ようやくK先生に会うことができた。
それだけで充分だったはずだ。
思い返すと、K先生は私のことをほとんど聞かなかった。
いつも一人の旅人として、私を迎え入れてくれた。
そして私のことをいつも「あなた」と呼ぶ。
名前ではなく、あなたと私。
互いの時間を持ち寄り、お茶を飲み、語らう。
胸に小さな思い出を抱き、それぞれの日常へ戻る。
二人の間に積み重なった時間を、K先生と共有できなくなってしまった。
あなたは記憶を少しずつ手放していく。
私はそれを少しずつ受け止めていく。
だから、あなたは忘れてもいい。
私はあなたとの時間を覚えているから。
第七章 書簡/2026年5月〜6月
今まで私はK先生にいただいた名刺を頼りに、何度も手紙を書いてきた。
台湾を訪れたあと、お礼の手紙を書くことはいつしか習慣になっていた。
しかし一度も返事が届いたことはない。
いつも、届いているのだろうか、と思うくらいだった。
台湾滞在中のお礼の手紙が多いこともあり、返事はあまり気にも留めていなかった。
5月31日、私はSNSに小さくて青い花を投稿した。
勿忘草だ。
花言葉は「私を忘れないで」という。
その時、K先生のことを思い浮かべた。
最後に会ったのは1年以上前だ。
あの時は「忘れないで」と祈るような気持ちだった。
それが不思議と今は、そう思わなくなった。
K先生が私のことを覚えていなくてもいい。
私はアルバムから名刺を取り出し、手紙を書き始めた。
思い出して、なんて言わない。
それでも気持ちだけは伝えたくて、
『またいつもの茶行でお会いしたいです』
と、最後に書いた。
これは私の心からの願いだが、同時にエゴでもある。
6月1日、悩みつつもハガキを送った。
ハガキを送って2週間ほど経ったある日のこと。
来ないだろうと思っていた返信が届いた。
初めてのことだった。
台湾の寺廟で見かける、隔扇が描かれた絵ハガキだった。
私は美しさに見とれた。
そこには、丁寧な文字でこう綴られていた。
「こちらにいらっしゃること
茶行のオーナーに伝えましたら喜んでおりました
皆でお待ちしております
ぜひまた台湾旅行を楽しんでください」
一枚のハガキが台湾の香りと、K先生の温度を届けてくれたようだった。
私は百文字にも満たないそのハガキを、繰り返し読んだ。
字はK先生のもので間違いない。
けれど、これは誰が話している言葉なんだろう。
K先生の声が聞こえてこなかった。
それでも、ハガキは優しさに溢れていた。
茶行のオーナーがいて。
あの場所を知る人たちがいて。
K先生と私が重ねてきた時間を、皆が知っていてくれた。
あの時間は、茶行の皆の中にも静かに降り積もっていたようだ。
あなたが、覚えていなくてもいい。
私が、覚えているのだから。
あの茶行で、ただ、あなたとお茶を飲みたいのです。
少しだけでいい。
私にまた、あなたの時間を分けてください。
