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巡回セールスマン問題

    杖ももう突けなくなって歩行器をフェラーリなんて笑ってた父

    うたの日/2025年4月4日/お題「杖」

    少し変わった父と、30代にしてようやく正社員になった私の、遠回りの話をしたいと思う。

    父は勉強熱心な人だった。ただ、頭ごなしに「勉強しなさい」という教育パパではなく、父自身が勉強や作業をしている姿を私に見せてくれていた。

    父は「環境整備」という職についていた。この仕事は、端的に言えば、ゴミ収集車で町を回り、廃棄されたものをゴミ処分場まで運ぶ仕事だ。

    当時、パソコンが一般に広く普及する直前だったと記憶している。父は書斎に私を招き、私が漢字ドリルや算数ドリルに取り組んでいる傍ら、何時に・どのようなルートで・どのゴミ捨て場を回ると、業務が効率的に終わるかをパソコンを用いて研究していた。研究といっても、この問題をいわゆる「巡回セールスマン問題」として解くようなものではない(と信じたい)。煙草のヤニに汚れた地図が、今も父の書斎に眠っている。

    父と一緒に勉強した後、近所のパン屋で買ったパンと家で淹れたコーヒーをとるのが毎週日曜日の朝の習わしだった。私はこの時間が好きだったし、なにより父の思惑通り勉強が好きな子どもに育った。

    北陸地方の海沿いの町から私が上京することを、父はかなり早い時期に覚悟していたらしい。だから、私が進学校へ進路選択することも、東京の大学に進学することも、特に反対はしなかった。

    私は大学で公共政策を専攻することにした。ゴミ処分場は、ゴミの輸送・処分の効率を考えるなら都市の中心部に建設する方が良いはずなのに、実際には僻地に建設されることが多いのはなぜか? という疑問を持ったからだ。

    大学を卒業した直後、私は脳の疾患で倒れた。就職先の上司も、両親も、私自身も、誰にも落ち度はなかったのに、である。発病から10年は正社員として働くことは叶わなかった。

    病気を患って気付いたのは、周囲が考えるよりは、私の疾患に不自由はないということだ。だから、どうしても正社員として働きたかった。誰かから向けられる期待が恋しかったのだ。

    今年の春から正社員として働くことになる。父が書斎で探していたように、最適なルートは、自分で発見するものだと思う。ただもう少し、父の背中を追いたい自分もいる。

     
     
    跡地。文章を書くことがあります。

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