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Photo byreiarrive

【わたし論文】当事者じゃないからできること

    先日、銀行で順番を待っていたときのこと。

    近くの窓口で、高齢の男性のお客さんと女性スタッフのやり取りが聞こえてきた。

    どうやら両替の手数料についての話らしい。

    スタッフの方は、枚数によって手数料がかかることを何度も説明していた。

    一方で男性は、

    「そんなの聞いていない」

    「じゃあお金を持ってこなければいいのか」

    と、納得がいかない様子だった。

    聞こえてきた範囲の話なので、本当のところはわからない。

    でも、途中から私は、

    男性は単純に手数料を払いたくないのではなく、

    「どうしたら手数料をかけずに済むのか」

    を知りたかったのではないかと思った。

    最終的には、手数料がかからない範囲だけ両替をするということで話はまとまった。

    その頃、別の女性のお客さんが男性の隣に座った。

    二人は自然と今の手数料の話になり、

    「そうなんですよね、かかっちゃうんですよ」

    と会話をしていた。

    その流れで、

    「おいくつなんですか?」

    と聞かれた男性は、

    「91です」

    と答えた。

    私は少し驚いた。

    その年齢で、おそらく仕事に関わるお金の管理をしているようだったからだ。

    その後も少し会話は続いたが、なんだか男性の表情が柔らかくなったように見えた。

    もちろん、実際に何を思っていたかはわからない。

    でも、

    話を聞いてもらえた。

    気持ちを受け止めてもらえた。

    少し共感してもらえた。

    そんな安心感があったのではないかと思う。

    1対1では、うまく伝わらないことがある。

    相手の話も聞いている。

    説明も理解している。

    それでも、なぜか気持ちがおさまらない。

    どちらが正しいかという話ではなく、

    「わかってほしい」

    が先にあることもあるのだと思う。

    銀行のスタッフの方も間違っていない。

    男性も、自分なりの事情や考えがあったのだと思う。

    そんな時に空気を変えたのは、

    銀行側でもなく、

    男性本人でもなく、

    たまたまそこに居合わせた第三者だった。

    家族でもない。

    友人でもない。

    専門家でもない。

    でも、人はそんな第三者の存在に救われることがある。

    子育てをしていてもそうだし、

    地域の中でもそうだし、

    大人同士の関わりでもそう。

    当事者だけでは行き詰まってしまう場面で、

    少し離れた立場の人が入ることで、見える景色が変わることがある。

    ちょっと聞こえてきただけの銀行での出来事だったけれど、

    改めて、

    当事者じゃないからできることもある。

    そんなことを考えた一日だった。

     
     
    双子育児中。家づくり、子育て、人との関わり。日々の暮らしの中で感じたことや考えたことを、「わたし論文」として気ままに綴っています。

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