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60歳、微妙なお年頃

    こんなはずじゃなかった

    こんなはずじゃなかった。
    60歳目前になってふと今の自分を見て愕然とした。20歳頃の私は、当たり前に結婚して子どもが生まれ、60歳になる頃には孫に囲まれて穏やかにのんびりとした老後が過ごせるものと思っていたし、60歳なんてずっと先で、もうすっかり老人なんだと思っていた。
    でも何?今の私と来たら、全然年寄りの自覚はない。まだまだ人生先は長い、なんて思っている。
    それに、50歳で熟年離婚し、穏やかな老後どころか、まだまだ一生懸命働かなくてはならない。老け込んでなんていられない。周りを見回しても、60代の人どころか70代でも、若々しく活動している人がたくさんいる。「もう歳だから」なんて言葉を言ってはいけない!認めてしまったらおしまい!なんて言われたりもする。
    だけど本当のところ、普段自分の歳なんて忘れている。ともすると30代の頃の自分と何が変わったのか?よくわからない。
    確かに鏡の前に立つと、その容姿の衰えにガッカリするし、腰が痛い、膝が痛い、肩が痛いなんて思うことばかり。だけど楽しいことはたくさんしたいし、イケメンを見たらときめく。馬鹿なことをやりたくなったり、ハメを外すこともある。しかし「今こんなことしたら変な人って思われるかも」とか「私のこの年齢でこんなことしたら…」などという自制心だけが、生きてきた年月を自分に自覚させようとする。
    だから、歳にそぐわない心の中の気持ちは、そっと宝箱に押し込める。子供の頃あふれんばかりだった私の宝箱は、気がつかないうちにスカスカになっているから、いくらでも入ってしまうのだ。
    でも、時々その宝箱をそっと開けて見ることがある。
    もしかしたら、しまいこまないでやってみてもいいのかな?「もう」じゃなくて「まだ」かもしれない…
    そんなふうに思うのが60歳のような気がする。

    60歳になるってどういうこと?

    60歳と言えば、「還暦」
    長寿のお祝いで、赤いちゃんちゃんこを着てお祝いするというが、私は絶対「赤いちゃんちゃんこ」なんて着たくない。そもそも今の時代、60歳で長寿と言えるのか?周りを見回しても、赤いちゃんちゃんこが似合いそうな60歳なんて見当たらない。
    ただ60年というのは本卦還りほんけがえりと言われて、十干十二支の組み合わせが一巡して、生まれた時と同じ干支に戻る年、つまり暦が戻った=生まれ変わりの時でもあるというのだ。そう考えると、人生の一区切りとしてここまで生きてこられたとこに感謝するのは、決して悪いことではないと思う。
    そもそも私は"誕生日とは生まれたことに感謝する日だ"と思っている。友人などの誕生日を祝う時、
    "生まれてきてくれてありがとう!あなたが生まれてきてくれたからあなたと出会えました"
    そんな気持ちでお祝いをする。
    でも親や恩師などの場合、私の年齢ではかなり高齢だし、亡くなっている人もそれなりにいるので、やはり長生きしてくれてありがとう。そんな気持ちになる。
    え?ということは、私の子供からしたら、60歳は高齢で、長生きしてくれてありがとうになるのかしら?
    いやいや、うちの子供たちときたら、
    むしろもうちょっと労わってくれよ…
    流石に昔のようにはできないよ…
    などと思うことも多く、まだ年寄りとは認識していないようなんですよね。喜ぶべきか?
    でもその気持ちはわかる。子供はいつまでたっても元気な頃の親の姿が焼き付いていて、親の衰えを認めたくないような気持ちでいるものだ。一方親も親で、いつまでも頼りになる親でいたいし、衰えた姿を見せたくないものだ。
    だからといって、子供の要求に応えたくて無理して疲れて体調を崩すってのは、ダメだよな。
    いや、無理してるというか、やれるような気がするのだ。
    まだ気持ちだけは若い。自分は変わっていないのに、年だけ取ってしまった。でも今までやってきたんだからできるはず!
    そんな気持ちで、無意識に体に無理させたことに後から気が付く。
    そこで、やっぱり体力や見た目的には年齢を感じ、年なのかなあ…と思ったり、
    そんなふうに揺れているのも、60歳なのかもしれない。

    60歳を前にしての挑戦

    私は、60歳目前で転職した。
    親の世代では、「定年」と言われるこの歳での転職。しかも全く経験のない福祉の職で、正社員入社だ。
    結婚してからずっとパートや臨時職員をしてきて、一人になってからも、派遣を数年してからは契約社員として働いてきたので、正社員なんて本当に久しぶり。時給で退職金もない、ボーナスもない、という契約社員ではなく、正社員になりたい!ずっとそう思って仕事を探していた。しかし年齢の壁もあり、なかなか見つけられず、保育士の資格を取れば、正社員入社も可能かもしれない!などと思い、3年前に保育士の資格を取った。
    もちろん子供と遊ぶのが楽しいとか、子供の頃保母さんや学校の先生になりたい、なんて思っていたこともあるからこそ、保育士の資格を選んだのだけれど。
    とはいえ腰痛持ちで体力がない私は保育園で働くことは難しい。諦めかけていた時に、ギリギリ50代で正社員雇用が可能であった今の仕事を見つけた。
    体力的にはそこまで無理はない仕事。子供を抱えたりしなくていい、中腰で長く対応することはないということだった。
    ただ、新卒の新入社員や、まだ若い中途採用の人たちと全く同じ対応の為、ついていくのは大変だ。
    文字打ちだけならなんとかなるが、パソコンのシステムなど、なんでもかんでもネット申請というのに四苦八苦。以前の仕事も電子申請だったが、同世代が多く、どうするこうすると、わいわい言いながらやってきていた。しかし今は周りがみんな若くて、自分でさっさとやっている。一人やばいやばいと慌てている。しかし何度聞いても怒らない優しい管理者に助けてもらいながら、ギリギリの体力でなんとかやっている感じです。
    覚える事もたくさんあり、元々記憶力が悪い私が、若者と同じ様に覚えてやっていくというのは、かなり大変だ。人の名前や顔も、いつどんな行事や計画があるかも覚えていられない。
    保育士を取るためにやった勉強も、ほとんど忘れているし、何しろ未知の世界。自分の子供より若い先輩たちに、優しく教えてもらっている。
    また、しゃがむことが多く、先日から膝を痛めてしまって、立ったり座ったりが辛い毎日だけど、この年の私を採用してくれた会社に感謝して、若い人の足を引っ張らないように、早く一人前にならなければ!
    でも所詮20代30代の人と同等にやれるわけなんてないのだ。
    今は私の武器、人生経験だったり、社交性だったり、工作など得意なことを活かして、私なりの社員を目指そうと思っている。

    60歳のイメージ

    60歳の女性のイメージ、どんなだろう…
    図々しくなるとか、周りの目をあんまり気にしなくなるとか…?
    そんなふうに感じていた時期もあった。
    でも、「値下げされている最後の1個を取ることができる」って?
    私、もっと若い頃から取ってる。さすがに誰かがとろうとしている物の横取りはしませんけどね。
    「野菜を品定めしてから取る」って?
    長い人生生きてます。何気なく取った野菜を家に帰ってみたら腐ってる部分があった!なんていう経験をしたら、見るようになる。
    「バーゲン品をあさりまくる?」って?
    限られた給料の中でやりくりするためには、戦わなければならない。
    お金に余裕があったり、自分だけの生活ならそこまで戦わなくてもいいのかもしれないが、自分の欲しいものは我慢して家族のためにと頑張ってきた世代だ。一度勇気を出して行動すると、あとはもう…笑
    そんな経験をしなくてもいい、という世界で生きている人もいると思うので、これは年齢は関係ないのだと思う。
    60歳という年齢は、自分が60歳になっても自覚がない、というだけでなく、実際に50年前の60歳と今の60歳では、髪形、服装も、60歳という年齢についても、美意識も、全く違うように思う。現在の60代の女性は、昔と比べて肌の手入れ、髪の手入れにも気を配り、何より活動的。専業主婦が大半で、日ごろおしゃれをする余裕も、金銭的余裕もなかった頃と違うのは当然といえば当然だ。
    今の若い子たちは、元気な60代、70代(きっと区別はついていないだろう)を見て、どんなふうに思っているのだろう。他人と祖父母では、また異なる印象を持っていると思うが、祖父母に関して言えば、「労わる、というより、まだ自分たちを守ってくれる存在」のように感じている子も多いようにも思う。それくらい元気だ。
    私も若い人に、あんな60代70代を過ごしたいな、などと思われるような日々を送れたらいいなと思う。

    老害って何?

    最近この言葉をよく聞くようになった。いやな言葉だ。
    まるで年を取るのが「害」みたいな気持ちになる。
    もともとは、年を取った人が、自分の権力に執着して若い人に地位を譲らなかったり、変わることを認めなかったりして、周りに迷惑をかけることをいったようです。確かにそれは害かもしれない。
    でもどうも最近は、自分がちょっと迷惑に思う、めんどくさい、聞きたくない、などというだけで「老害」などという言葉を使っている人が多い気がする。
    年長者が、「昔はこうだった」とか「今の若い者は・・・」なんていうのは、たぶんずっと昔から続いてきたことで、それは入社数年目の先輩社員たちでさえ、「今どきの新入社員は・・・」などというものだから、老害というほどでもないと思う。
    まだ私が今よりずっと若い頃でも「今の若い人たちって」・・・と話しながら、「自分たちも若いころは、その上の世代の人たちに、同じように『今の若い人たちって・・・』と言われてたんだろうねえ・・・」などと同期の仲間と話をして笑っていたこともある。
    それに「以前はこうだった」というのも、必ずしも悪い事とは限らない。そういう話の中に学ぶべきところや見習うべきところもたくさんあるわけで、そういう先輩たちから学びながら、世界は回ってきたとも思う。先人たちの成功や失敗を知ることは、決して「害」などではないし、先輩たちがやってきたことで、根拠があることなら、頭から否定しないでとりあえずやってみてもいいのではないかと思うこともある。
    ただ、昔のやり方を強要するとか、新しい考えを認めないっていうと、やっぱり害になってしまうので、それは年長者も気を付けなければならない。
    おそらく多くの年長者は、自分が「害」になっているとは思っておらず、
    「あなたたちのことを思って・・・」
    だったり
    「輝いていたころの自分を知ってほしい」
    なんて気持ちなんだと思う。
    だから、少しくらいは聞いてあげてほしい。
    それにきっと、今それを「老害だ」なんていている人に限って、自分も年を取って同じことをしてしまうような気がするのだ。
    だって、古いことは認めない=自分とは違う考えを認めない=新しいことを認めない、ということだと思うから。
    60代、70代でも働く人が増えている現在、温故知新の考えで、年長者と若者が「害」ではなく「共」に社会を支えていけたらいいな、と思う。

    精神年齢

    今の私、精神年齢はいくつなんだろう?
    娘と話してるとき、
    「こういう話題についていってる母、若いな」と言われたり、
    「好きなことややりたいことが若いね」と人に言われることがある。
    でも、自分の中では、若いとか若くないとかいう意識はない。冒頭にも少し書いたが、自分自身は昔から何も変わっていない気がするからだ。
    早く走れていたころのイメージは残っているが、実際には走れないだけ
    やってみたいことは昔も今もたくさんあるけど、実行に移すエネルギーは不足していて、体力的に無理なことはあきらめてしまっているだけ
    やりたい気持ちは、30代くらいと変わらない。
    だけど、周りから見たらやっぱり変わっているのかもしれない。
    そもそも、そんな風に自分をセーブすること自体が、年をとった証なのだろう。
    若いころの友人に会うと、数分後には昔に戻っておしゃべりに花が咲き、変わったはずの顔が、若いころの友人の顔に見えてくる。そして最近ではやらなくなったバカをしたりして、当時の状況と同じようになる。その時の精神年齢はきっと、共に過ごしたその当時の年齢だ。
    一方親戚の冠婚葬祭に行ったり、職場では、それなりに落ち着いた大人のふりをしている。長い人生経験が、自分を年相応に見せてくれる。
    結局精神年齢なんて、あるようでない。年を取るというのは、精神年齢の数字が増えていくのではなく、すべての年齢を併せ持っていく。つまり50歳の人は50個の精神年齢を持ち合わせているのではないか?
    そして、その都度自分の思い思いの年齢をチョイスして過ごしているのではないか?
    そんな風に感じる。

    歳をとるということ

    若々しくきれいでいたいというのは、何も見かけだけではない。ただ、歳を取れば取るほど、心の中が見かけに現れてくるような気がする。
    それは容姿というより風貌で、イキイキとしている、はつらつとしている、目がキラキラしている、そんな人を見ると、若々しく美しく感じる。
    いつも不平不満ばかり言っていたり、人生を諦めたようなことばかり言っていたり、イライラしていたり、怒ってばかりいたり、辛い辛いと人生を嘆いていると、どんなに美しい人でも、綺麗に見えない。私はそんな自分と決別するために、離婚という道を選んだ。だからこそ、楽しく生きていくんだ。後悔しないためにも、前向きに生きていくんだ!と自分に言い聞かせている。見た目の美しさを求めるのは素材の問題もあるので無理かもしれないけど、笑顔で楽しそうに生きてるおばあちゃんを目指して、歳を重ねていけたらいいなと思う。

    さて、60歳といえば、周りは親を亡くしたとか、親の介護だ、親の施設だ、などという人が多くなってくる。
    私の父は92歳だ。しっかりしていて、几帳面で、頼りになる父でしたが、流石にこの歳になると、それなりに手がかかるようになる。
    しかし父は、父親としてのプライドが高く、この歳になっても娘に弱音は吐きたくないし、世話になりたくないし、一家の主人でいたい。「老いては子に従え」なんて気持ちはさらさらない。
    だから、父の身体の為を思って言うことでも、病院で言われたことを守らせようとしても、自分がしたくないことは、声を荒げて怒るし、あれこれ世話をやかれる事を嫌がる。
    昔から頑固ではあったが、世間でもよく聞くように、やっぱり年と共に頑固になるもんなんだなあ…と実感している。
    それに父は昔から、絶対謝らない人間だから、どんなに自分に非があっても、謝らないのはわかってる。
    それでつい私が腹を立てると、姉や妹に
    「お父さん歳なんだから、仕方ないじゃん」
    と言われたりする。
    わかってるよ!これでもものすごく我慢してる、というかその行動や気持ちは理解してるつもりなんだよ。でもやっぱり毎日の生活の中では、わかっていてもイライラしてしまうことはあるんだよな。
    ただ、だんだん色んなことができなくなっていく親の姿を見るのは辛い。やっぱり私にも親が歳をとっていくのを認めたくない気持ちがあるようにも思う。
    もし私がこのまま長生きをしたとしたら、やはり同じように、当たり前にやっていた色んなことができなくなっていくんだよな…
    そう考えたら、1番辛いのは本人なんだろうなあ。
    そんな自分を、そうなった時の自分は受け入れることができるのだろうか…でもできなくなった事を数えるような歳の取り方はしたくない。
    今この時を、自分ができる範囲で最大限楽しむ。わきまえて生きるより、楽しみに対して欲深く生きていきたい。楽しみを積み重ねた先に、未来がある。
    そう信じて、歳を重ねていきたい。
    その実践をいよいよ現実的に考え始めるのもまた60歳かもしれない。

    位置について

    60歳になる年に同窓会をやろう!
    と、あっちやこっちで声がかかる。
    小中学校の同窓会は、50歳の年に一度行われ、今回は2度目だ。
    その時は、ほとんどの人が誰かわからなかったが、今回は少しはわかるだろう。

    最近同世代と会うと、話題は昔話と近況報告と健康状態の話になる。きっと今回もそんな感じだろう。
    みんな元気そうにしてるけど、実は先日手術したんだとか、健康診断で何が引っかかったかとか、そんな話題で盛り上がる。中にはバツ自慢をする人もいたりして…笑
    私自身の学力と環境のおかげか、幸い夫の出世や子供の進学先自慢なんてものにはならない。
    ただ50歳の時は、ほぼみんな、バリバリ仕事をしていたり、子供に手や金がかかると言った状況だったが、60歳は違う。
    会社の上層部で活躍してる人もいれば、退職して新たなことに挑戦する人もいる。延長雇用でこき使われる人、まだ子育てが終わらない人、1番色んな人がいるのが60代のような気がする。そして私はこの60歳からをどう生きるかによって、その後の人生が大きく変わると思っている。
    子供の頃、色んな夢を持ち、自由に自分の未来を夢見た時と同じように、社会での一定のお勤めを果たした後のこれからは、自由になって自分がやりたいと思うことに挑戦できる。
    もちろん現役で働き続けると言う選択肢もある。
    いづれにしても、
    ここで引きこもってしまわずに、世界を広くしていければ、
    自分の身体を過信せず、メンテナンスしながら上手に自分の身体と付き合っていければ、
    たくさんの楽しみを見つけることができれば、
    きっとその先の10年20年も楽しく豊かに生きていける。
    60歳は若くもないけど、年寄りってほど年でもない、なんとも微妙なお年頃。
    だけど、とても大事な時
    それが60歳

    私は今、60と書かれた白線の前で、スターティングブロックに足をかけ、腰を高く上げたところだ。
    早く走らなくてもいい。
    まっすぐ走らなくてもいい。
    ただ明るい方に向かって

    ようい…



     
     

    mikuji58

     
     
    2021年7月からnote始めました。 なかなか更新できてませんが、 日々思ったことや、お話を書いたり、たまに絵を描いたりしています。好きなことは、神社仏閣巡りや旅行、歴史、料理、食べる事。好きなものは、ゴーヤとクジラ。静岡県在住。 電子書籍「イルカの恋は涙色」

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