
小学1年生。学校が怖かった
「学校へ行きたくない。」
私の小学校生活は、その一言から始まりました。
朝になると大号泣。
家を出ても親に引きずられながら学校へ向かう毎日でした。
せっかく祖母に買ってもらったランドセルなのに、道路を走る車へ投げようとしたこともあります。
今思えば、それくらい学校へ行くことが苦しかったんだと思います。
学校へ着くと、担任の先生に預けられる。
まるで幼稚園児のようでした。
教室には入るものの、授業中に学校を抜け出してしまうこともありました。
校長先生と担任の先生が学校中を探し回る。
そんなことが何度もありました。
ある日、監視カメラに向かって変顔をしている姿が映っていて、居場所がばれてしまい、あっさり見つかったこともあります。
今では笑える話ですが、当時の私は授業を受けることが本当に苦手でした。
授業ではなく、校長先生と学校で飼っていた亀に餌をあげながら気持ちを落ち着かせる。
落ち着いたら教室へ戻る。
そんな毎日でした。
少しずつ学校へ行ける日も増えてきましたが、また大きな壁がありました。
それが給食です。
給食が始まると学校にいる時間が長くなる。
そのことを知った私は、「給食がなくなればいい」と本気で考えていました。
今思えば子どもらしい考えですが、それほど学校がつらかったんです。
毎日のように「学校へ行きたくない」と泣き続ける私と向き合う母も、きっと限界だったと思います。
家の中の空気が張りつめることもありました。感情が爆発してしまう出来事もあり、幼かった私は、その空気をただ感じることしかできませんでした。
私は母を困らせたかったわけではありません。
困らせてしまっていることは分かっていました。
それでも学校へ行くことはできず、ただ母と一緒にいたかった。
今振り返ると、母も私も、本当に苦しかったんだと思います。
学校へ行きたくなさすぎて、
「学校が倒れてきた。」
そんな嘘までついていました。
今なら笑える話ですが、当時は必死でした。
周りの友達は、みんな当たり前のように学校へ通っている。
どうしてみんなは、この心のざわざわに耐えられるんだろう。
どうして私は耐えられないんだろう。
子どもながらに、そんなことばかり考えていました。
それでも、学校生活の中には少しだけ楽しい時間もありました。
好きな子ができて、かっこつけようとして6年生に喧嘩を売り、案の定ぼこぼこにされたこともあります。
今では笑い話ですが、そんな出来事も私らしい思い出です。
1年生の終わり頃になると、少しずつ学校へ通えるようになり、2年生は比較的落ち着いて過ごせるようになりました。
でも、その安心は長くは続きませんでした。
また学校へ行けなくなる出来事が待っていたからです。
その話は、次の記事で書こうと思います。