
長い冷戦時代を過ごしたお父さんとお母さんと脳梗塞の話
お父さんが脳梗塞を起こした。
62歳で、定年後にずるずる再雇用をされていた矢先だった。
私はお父さんに対しては愛憎を持って接してきた。
お父さんはいわゆるハイスペサラリーマンで、若い時はトムクルーズに似ていると言われたらしい。絶対お世辞だと思う。
幼稚園くらいの頃はたくさん遊びに連れて行ってくれて、いいお父さんをしていたと思う。
ただ、小学生くらいの頃、お父さんとお母さんの仲が悪くなり始めた。
お母さんは女子大卒で、専業主婦をしていた。
見た目は小動物系で可愛い一方で、嫌なやつと無理してまでつるまないというそれなりに芯があるひとだと思う。
今に思うと、そういう性格のお母さんが家に閉じこもっていると、次第に人との繋がりが弱くなって、子育てに疲れて、すこし感情的になっていたのかもしれない。
小学生のとき、ふたりが険悪になり始めた。
目の前で喧嘩したり、食事の内容でお父さんがお母さんに言わなくてもいいことを言って悲しませて、怒らせて、お母さんが必要以上に怒ってしまうことがあって、そういうささいなことで家の中が常にピリピリしていた。
お父さんがお母さんを蹴ったこともあった。
一度だけだったけど、怖かった。
ただ、おそらく、私もよくなかったのだと思う。
人よりも自我が芽生えるのが遅かったし、そのせいで友達が多かったとは言えなかった。
自分が母になるかもしれないタイミングで思うことには、正常に発達できていない私を見て、産んでしまった自分の責任と思ってしまったのかも、と思っている。
「昔、あなたにそう言う気があるってお医者さんから言われてね」と一度酔ったお母さんに言われたときには背筋が凍った。
いまでもそれは怖くて聞けない。
私が突然目覚めて勉強するようになり、それなりに働くことができているから今は「誇らしい」と言ってくれるけれど、そうなっていなかったら、どうなっていたんだろう。
それでも、お父さんとお母さんが険悪なのは、私が社会人になって家を出るまで続いた。私は家にいる間、つとめて明るく振る舞って、なるべく険悪にならないように立ち回ったけれど、最後まで2人が元の関係に戻ることはなかった。
母に言われたことは
「結婚相手は妥協しちゃダメよ」
「お母さんは気になる人が2人いて、お父さんが先にプロポーズしてくれたから結婚したけど、焦っちゃダメだった」
と言う悲しい話だった。
お父さんがお母さんにひどいことを言ったことも私は覚えているけど、それでも私にとっては楽しい思い出もあるお父さんだった。
お母さんの気持ちもわかるだけに、自分を産んだ2人が前のようにいられなくなってしまったのだということがわかるたびに辛かった。
ただ、そんな2人の関係がここ数年で変わったようだった。
私が結婚したあたりで、2人の会話が戻ってきたらしい。
引き続きあまりお互いに干渉しないものの、家で、なんでもないことで話すようになったらしい。
もしかしたら、私が干渉していたせいで、なんとなく意地を張って話せなくなってしまっていたのかもしれない。理由はともあれ、嬉しかった。
そんな矢先の、脳梗塞だった。
お父さんが顔面に麻痺を感じたのが週末。
週明けに病院に行ったところ、すでに2日経っており、脳梗塞が起きてすぐに使える薬は使えず、結局対症療法に進むことになった。
幸いにも顔面一部しびれ、手に力が入りにくいと言うことで、薬を飲んでリハビリになったらしい。
命に別状なかったものの、今回の検査の結果過去に2回脳梗塞の跡があったそうだった。
やっと仕事も落ち着いて、お母さんとお父さんが話すようになって、これからだと思ったのに。
私はたまらない気持ちになってしまった。
お母さんを大事にできない碌でもないお父さんだけど、なにもこんな早くに、こんな目に合わせてほしいなんて思わない。
どうして、この人たちは、こんなにままならないんだろう。
すぐに死ぬとか、そういう話ではないのはまだ良かったけれど。
人の幸せや当たり前の生活は、ある日突然なくなるかもしれない。謝りたいと思って、謝れなくて、そのまま時間が経って、なんとなくお互いを許せるようになることもあるだろうけれど、それができないまま、ある日突然自分が終わる日が来るかもしれない。
お父さんとお母さんを見ながら私は結婚した。だから後悔のないようにありがとう、とごめんなさいは言うようにしている。
そんな私たちも、いつか、お父さんとお母さんのようになる日が来るんだろうか。
そして、ありがとうと、ごめんなさいが言えないまま、歳をとってしまうんだろうか。
人の一生が呆気なくて、切ない。
こんな娘の心配をよそに、どうか長生きしてください。憎まれっ子、世に憚ると言いますので