
ヤブにもなれないタケノコ医者日記|第19話 ヤブにもなれないタケノコ医者 【創作大賞2026】
連作エッセイ
『ヤブにもなれないタケノコ医者日記』
第19話 ヤブにもなれないタケノコ医者
河内長野市に、滝畑ダムというダムがある。
周囲には遊歩道やキャンプ場が整備されていて、小学生の頃、夏休みに父と行った記憶がある。
キャンプ場を通り過ぎて進むと、車が1台やっと通れる山道になる。
昼でも薄暗くて、不安になる道だ。
その先に、見逃しそうなほど小さな文字で「光滝寺」と書かれている。
小さな寺だが、毎年1月の4週目に行われる餅まきにかける情熱は、おそらく日本一だ。
なんと、1,200kgの餅をまく。
境内には、2階から餅をまくためだけに作られた、常設のステージまである。
その日、僕は長男と長女を連れて、大きめの袋を持って、ステージの下に陣取っていた。
すると、市会議員や府会議員が、寺の関係者と一緒にステージへ向かって歩いてきた。
コロナ禍のとき、いろいろ相談に乗ってもらったので、議員さんたちとは顔見知りだ。
その1人が、僕を見つけて言った。
「先生、水野先生も行きますよ。ステージに上がって、餅まきましょう」
「えっ、僕ですか?」
「先生はこの地域のコロナ診療を担ったんですから、餅まいてください」
「えー、議員さんに交じって、僕が餅をまくんですか!」
手を引っ張られるように、ステージに上がった。
コロナが明けて久々の開催で、境内には1000人以上が集まっていた。
ドミノ倒しにならないよう、消防隊がロープで前半組と後半組に分けている。
開始の合図とともに、数百人に向かって、カチカチの餅をまいた。
餅というより、ほぼ鈍器だった。
5メートルほどの高さから鈍器が飛んでいくので、下からは悲鳴が聞こえる。
まく方も、キャッチする方も、必死だ。
まいてもまいても、奥から餅が運ばれてくる。
前半戦、後半戦、子どもの部と続き、全部が終わる頃には、餅にまぶした片栗粉で、服が真っ白になった。
「お疲れ様でした。いい経験させていただきました」
真っ白な服をはたきながら、議員さんたちに挨拶をして、寺を後にした。
強い疲労で、キャンプ場近くのドライブインでお茶を飲んで休んでいると、携帯が鳴った。
看護師からだった。
「終末期の患者さんのご家族から、相談があるそうです」
「あっ、今、近くにいるし、このまま行くわ」
クリニックの近くの患者さんだった。お茶を飲み干し、車を走らせた。
「すみませーん、水野クリニックです」
「あら、院長先生。早い」
「フフフ。早い、うまい、安いが、うちのモットーですから」
「先生、えらい服が白いですね」
「今、議員さんに交じって、餅まきしてたんです」
「すみません、お休み中に呼び出して。実は、病気のことじゃないんです。ちょっと、先生にお願いがあって」
「ああ、いいですよ。患者さんのニーズに応えるのが、僕たちの使命ですから」
こんな感じで、最近の僕の仕事は、医療というより、地域の少し頼れる兄ちゃん的な仕事が多い。
地域の人たちには「ハイスペック町の兄ちゃん」と言われている。医師としてはタケノコ医者だが、町の兄ちゃんとしては、ハイスペックな位置づけらしい。
最近は、テレビや新聞に出た影響もあって、僕の外来に、受験の相談に来る人がいる。
受験相談を保険診療で受けていいのか疑問は残るが、医師には応召義務があるので、診察しながら相談に乗るようにしている。
父が病で倒れたとき、かかりつけの患者さんたちは、
「地域が暗くなった」
そう言っていた。
25年以上、父が地域に灯してきた、安心という光。
僕も、僕なりに、この地域に灯していこうと思う。
父が、いつも言っていた。
「俺はヤブ医者やけど、お前はヤブにもなれないタケノコ医者や。人に助けてもらって、やっと一人前。人を大切にしろよ」
クリニックのスタッフ、地域の人、今まで育ててくれた人、助けてくれた人。
その人たちに支えられながら、僕は今日も町の中を走っている。