
世界の“ちゃんとしなきゃ”を見に行きたい#9:最終回|完璧主義 in the World
世界の「ちゃんとしなきゃ」を見に行くこのシリーズも、今回で最終回です。
あなたの「ちゃんとしなきゃ」は、どこから来ているのだろう。
この問いから、このシリーズは始まりました。

日本語、英語圏、韓国語、中国語圏、ドイツ語圏、フランス語・イタリア語、SNS時代、そして外へ向く完璧主義まで、いくつかの言葉や文化、評価環境の中で、「ちゃんとしなきゃ」がどんな声として現れるのかを見てきました。
ただ、ここまで来て思うのは、この旅は、遠くの国の「ちゃんとしなきゃ」を見に行く旅であると同時に、自分自身の完璧主義を少し違う角度から見るための旅でした。
国民性を決めつけるためのシリーズではありません。
「この国の人はこう」「この文化はこう」と言い切るためではなく、言葉や文化、評価される環境の中で、「ちゃんとしなきゃ」がどんな形を取りやすいのかを考えてきました。
そうして、さまざまな言葉や文化、評価環境の中にある「ちゃんとしなきゃ」を見ていくほど、自分の仕事や創作、発信、人間関係の中にも、似たような基準があることが見えてきます。
「ちゃんとしていないと思われたくない」という不安。完璧を待たずに、まず進もうとする判断。「ちゃんと、うまく、ミスなく、遅れずに」と自分を追い立てる基準。まず完成させ、それから完璧に近づけようとする順番。正確さを最後の赤ペンとして残す考え方。今ある善を止めず、十分できているものを前に出す判断。見せる範囲、見る範囲、整える範囲を決める線引き。
自分の中の基準は、いつの間にか誰かを見る基準にもなっていきます。
別々の場所にあるように見えた「ちゃんとしなきゃ」の奥には、外からの評価への意識、失敗への怖さ、遅れたくない気持ち、雑だと思われたくない不安、もっとよくできるはずだという改善欲、そして相手にもちゃんとしてほしいと思う気持ちがありました。
そうした気持ちが強くなると、出すこと、決めること、伝えることの前で立ち止まりやすくなります。なかなか出せない背景には、完成度だけではない怖さがあります。まだ整っていないものを出すことより、まだ整っていない自分を見られることが怖い場合もあります。
完璧主義は、ひとつの顔だけをしているわけではありません。
自分を前に進める力になることもあれば、提出前の最後の確認として働くこともあります。誰かに迷惑をかけないための責任感として表れることもあります。
一方で、強くなりすぎると、始める前から自分を止めたり、完成しているものを出せなくしたり、誰かの行動まで縛ったりすることがあります。
このシリーズを通して見えてきたのは、完璧主義をただ否定すればいいわけではない、ということです。

必要なのは、完璧主義を消すことではなく、自分の中にある基準がどこから来て、何を守ろうとしていて、どこで止めれば動けるのかを見極めることです。
世界の「ちゃんとしなきゃ」を見ると、自分の基準が見えてくる
自分の中にある「ちゃんとしなきゃ」の基準は、自分ではごく普通の判断に感じられます。
確認を重ねる。出す前に整える。相手に迷惑をかけないよう備える。雑に見られないよう直す。どれも、その場では必要な判断に思えます。
そうした判断が積み重なると、それが自分を前に進める基準なのか、自分を止めている基準なのかに気づきにくくなります。
けれど、別の言葉や文化、評価環境の中にある「ちゃんとしなきゃ」を見ていくと、自分の基準も絶対ではないことが少しずつ見えてきます。
自分はどこで不安になり、何を失敗だと感じ、どこで「まだ足りない」と判断しているのか。どの段階で止まりやすく、誰の目を想像して確認を増やしているのか。そして、自分の基準がいつ誰かへの要求に変わっているのか。
世界の「ちゃんとしなきゃ」を見ることは、遠くの文化を眺めることだけではありません。自分が無意識に持っている基準を、少し外側から見ることでもあります。
親や先生に言われた言葉、学校や職場で身につけた感覚、家族の中で期待されてきた役割。SNSを見ているうちに受け取った「ちゃんとして見える」感覚。そうしたものが、少しずつ自分の中に積み重なっていきます。
このシリーズで扱ってきた「ちゃんとしなきゃ」は、ひとつの形ではありませんでした。

日本語の「ちゃんとしなきゃ」には、場に合っていること、失礼がないこと、雑に見えないことへの圧がありました。英語圏の言葉には、完璧を待たずにまず進むための考え方がありました。
韓国語では、「ちゃんとやる」が「うまくやる」「ミスしない」「遅れない」まで背負うと、基準が重くなることを見ました。
中国語圏では、まず完成させる。それから完璧に近づける。形にしなければ、直すことも改善することもできないという順番を考えました。
ドイツ語圏では、正確さや品質意識を捨てるのではなく、最後の赤ペンとして残す見方を受け取りました。
フランス語・イタリア語編では、最善を求めすぎると、今ある善の出番を奪ってしまうことを見ました。
SNS時代編では、見ているだけでも「見られる基準」を受け取ってしまうことを考えました。
そして外へ向く完璧主義編では、自分の「ちゃんとしなきゃ」が、いつの間にか誰かへの「ちゃんとしてほしい」に変わることがあると考えました。
別々に見えたテーマは、どれも自分の中にある「ちゃんとしなきゃ」の基準を、出どころと使い方から見直すための材料でした。
完璧主義を「できる/できない」だけで判断するのではなく、その奥にある怖さや、守ろうとしているものに目を向けるための視点でもありました。

こうして見ると、同じ完璧主義でも、その表れ方は人によって違います。
性格が一人ひとり違うように、「ちゃんとしなきゃ」の形も一人ひとり違うのだと思います。
だから、「完璧主義をやめよう」と考えるだけでは、自分がどこで止まっているのかまでは分かりません。
動き出す前に止まるのか。途中で直し続けて止まるのか。出す直前に怖くなるのか。誰かの反応を想像して確認が増えるのか。相手のやり方が気になり、関係だけでなく、物事の流れまで止めてしまうのか。
止まり方や止まれなさは、一つではありません。

自分の止まり方が見えてくると、完璧主義との付き合い方も変わります。
「私は完璧主義だからダメだ」と決めつけるのではなく、「今、自分はどの基準に引っかかっているのか」と見直す視点が生まれます。
「ちゃんとしなきゃ」は、どこで自分を止めているのか
自分がどの基準に引っかかっているのかが見えてきたなら、次は、それとどう付き合うかです。
「ちゃんとしなきゃ」と思ったとき、その気持ちをすぐに否定する必要はありません。その気持ちの奥には、守ろうとしているものがあります。
仕事の品質を守りたい。相手に迷惑をかけたくない。雑に見られたくない。期待を裏切りたくない。自分が納得できる形にしたい。大事に作ったものを、ちゃんと届けたい。
そういう気持ちは、完璧主義の中にある強みです。
ただ、その気持ちが強くなりすぎると、自分を止める力になります。
ここで見るべきなのは、完璧主義を消せるかどうかではありません。
「ちゃんとしなきゃ」という気持ちが基準として働くとき、それがどこから来て、どんな場面で強くなり、何を守ろうとしていて、どこで止めれば動けるのかです。
この「止めどころ」は、品質を下げるための妥協点ではありません。
次に進むための区切りです。
今の目的には、もう足りているか。
まだ最善ではなくても、今ある善として動かしていいか。
正確さを最後の赤ペンとして残しながら、いったん人に見せられるか。
見せる範囲、見る範囲、整える範囲を自分で決められるか。
相手に向けた基準は、本当に共有すべきものなのか、自分の不安なのか。
そうした区切りを、自分で確認し直すことです。

問題は、完璧主義があることではありません。
止めどころがないまま、基準が行動の主導権を握ってしまうことです。
「ちゃんとしなきゃ」は、何かを守る基準になっていく
「ちゃんとしなきゃ」という言葉の奥には、不安や責任感があります。
ちゃんとしなければ、誰かに迷惑をかけるかもしれない。信頼を失うかもしれない。雑に見られるかもしれない。自分の価値まで低く見られるかもしれない。
そうした不安が重なると、「ちゃんとしなきゃ」は、ただの心がけではなく、自分を守るための基準になっていきます。

その基準は、自分を苦しめるだけのものではありません。
信頼を失わないようにする。品質を保とうとする。関係を壊さないようにする。誰かに迷惑をかけないようにする。自分の誠実さや、大切にしているものを雑に扱わないようにする。
そうした気持ちは、完璧主義の中にある強みでもあります。
完璧主義を完全に捨てる話ではなく、その基準が何を守ろうとしているのかを見直すことです。

完璧主義には、物事を少しでもよくしたいという気持ちがあります。
丁寧に確認することは、ミスを防ぐことにつながります。責任を持って仕上げる姿勢は、信頼を積み重ねます。品質を落とさないようにする意識は、仕事や創作を支える力にもなります。
自分では当たり前だと思っていることでも、誰かから見れば、得意なことや信頼につながることがあります。
完璧主義で疲弊することがあっても、完璧主義に助けられてきた場面まで否定する必要はありません。

止めどころがあるかどうかで、完璧主義は強みにも負担にもなります。
止めどころがないまま「ちゃんとしなきゃ」が強くなりすぎると、自分が目指している基準が、自分を止める基準になります。
さらに、自分の中の基準を、いつの間にか相手にも求めるようになります。また、よくしたい気持ちが強くなりすぎると、出せる段階にあるものまで止めてしまうことがあります。
どの場面で働いているのか。どこまで使えば十分なのか。
何を守るための基準なのか。
その基準は、出す、決める、伝えることにつながっているのか。
それとも、止める方向に働いているのか。

そこを確認しないまま「もっとちゃんと」と求め続けると、その基準は、出す、決める、伝えるための条件を増やし、動き出すタイミングを遠ざけてしまいます。
「まだ足りない」だけでなく、今ある良さを前に出す
完璧主義が強くなると、「まだ足りない」と判断する場面が増えていきます。
ここは目的に届いていない。思い描いた形と違う。もう少し直せる。そうした違和感に気づけることは、完璧主義が持っている改善しようとする力です。
けれど、足りないところだけを見続けると、すでに機能している部分や、今の目的には十分に使える部分が見えにくくなります。
必要なのは、「まだ足りない」と判断する力だけではありません。
今の段階で出せるかを見極める力も必要です。
まだ直せるところがあっても、すでに良い形になっていることがあります。その良さに目を向けられるようになると、今の段階で出していいものを見極めやすくなります。一度外に出せば、直すべき箇所も、次に改善する点も見えてきます。

質を下げるのではなく、求めている仕上がりに近づくために、まず今ある良さを前に出す。
その順番を持てると、「まだ足りない」を見る力を、次の改善へつなげやすくなります。
自分の「ちゃんとしなきゃ」を、動ける基準に整え直す
世界の「ちゃんとしなきゃ」を見に行く旅は、ここで一度終わります。
けれど、最後に残るのは、遠くの国の言葉だけではありません。自分の中にある「ちゃんとしなきゃ」です。
あなたの「ちゃんとしなきゃ」は、どこから来たのでしょうか。
誰かに言われた言葉からかもしれません。
失敗したくないと思った経験からかもしれません。
学校や職場など、評価される場所で身につけた感覚かもしれません。
大切な人に迷惑をかけたくない気持ちかもしれません。
自分なりの誠実さ、責任感、仕事への姿勢から来たものかもしれません。
そうしたものが重なって、自分の中の「ちゃんとしなきゃ」は作られてきたのだと思います。
その「ちゃんとしなきゃ」は、今、何を守ろうとしているのでしょうか。
その基準は、出すこと、決めること、伝えることの後押しになっているでしょうか。
それとも、条件を増やし、動き出すタイミングを遠ざけていないでしょうか。
完璧主義をやめよう、手放そう、直そうと決意するだけでは、自分の中にある基準そのものは残ります。
何に反応して基準が強くなるのか、どの場面で止まりやすいのかが
見えていなければ、行動や考え方はまた同じ場所に戻ってしまいます。
必要なのは、完璧主義というラベルを無理に剥がすことではありません。
自分の中にある「ちゃんとしなきゃ」の基準がどこから来て、どんな場面で強くなり、どこで止めれば動けるのかを見極めることです。
完璧主義のままでも、自分の基準の出どころをたどり、何を守ろうとしているのかを見直すことはできます。そのうえで、どこで区切れば次に進めるのかを見極める。
それが、完璧主義のまま動ける形へアップデートしていくということです。
「ちゃんとしなきゃ」と思う自分を、すぐに否定しなくていい。
その代わりに、問いの向け方を少し変えてみる。
この「ちゃんとしなきゃ」という基準は、次の行動につながっているのか。それとも、自分を止めているのか。完璧主義のまま動ける形に変えていくために、まず意識したいのは、その違いです。

世界の「ちゃんとしなきゃ」を見てきたあとに残るのは、あなた自身の「ちゃんとしなきゃ」という基準です。
それが、どこで強くなり、どこで自分を止めるのかを知るために。
完璧主義をやめるためでも、手放すためでも、直すためでもなく、
その基準を、完璧主義のまま動ける形に整え直すために。
そして、完璧主義を抱えたままでも、次の行動につなげていくために。
ここまで読んでくださった方へ
ここまで「世界の“ちゃんとしなきゃ”を見に行きたい#9:最終回|完璧主義 in the World」を読んでくださり、本当にありがとうございました。
約2か月、仕事と寝る時間以外のほとんどを使って、最後の数週間は、最終回が間に合うのかヒヤヒヤしつつ、それでも「もっと考えたい」「もう少し直したい」と思い続けながら書き上げました。創作大賞の応募期限の最終日に、ギリギリで最終回を投稿できました!
記事を公開した直後に次の回の追加リサーチを始め、たたき台を作り、そしてまた記事を書くの繰り返し。完成している記事があるのに、次の記事の作成に集中しすぎて、公開するのを忘れてしまったこともあります。
それくらい、この約2か月、寝ても覚めても完璧主義について考えました。
世界で一番とは言えないけど、誰よりも「完璧主義」について考え、自分自身の完璧主義に向き合っていた時間だったのではないかと思います。
このシリーズを読んでくださった方、スキを押してくださった方、コメントをくださった方、記事を引用してくださった方、マガジンに追加してくださった方、フォローしてくださった方、本当にありがとうございました。
これからも、完璧主義をただ否定するのではなく、完璧主義のまま少し動きやすくなる考え方を、noteで書いていきたいと思っています。
「ちゃんとしなきゃ」をめぐる旅はこちら
このシリーズでは、日本語、英語圏、韓国語圏、中国語圏、ドイツ語圏、
フランス語・イタリア語、SNS時代、外へ向く完璧主義を通して、「ちゃんとしなきゃ」がどんな形で現れるのかを見てきました。
これまでの記事は、こちらのマガジンにまとめています。
補足:瑞馬かおりが考えている動ける完璧主義について
このシリーズの背景にある「完璧主義4タイプ+混合型」について、簡単に触れた記事はこちらです。
合わせて読みたい話
まず完成させ、それから完璧に近づける話
最終回の中で触れた「今ある良さを前に出す」という考え方に近いのが、中国語圏編です。
完璧を諦めるのではなく、まず形にすることで、直すことも改善することもできる。そんな順番について書いています。
自分の「ちゃんとしなきゃ」が、誰かへの「ちゃんとしてほしい」に変わる話
自分の中にある基準は、いつの間にか相手を見る基準にもなっていきます。
外へ向く完璧主義編では、「ちゃんとしなきゃ」が人間関係や仕事の流れを止めてしまう場面について書いています。
音声でも聴きたい方へ
note記事をもとにしたPodcast
「動ける完璧主義ラジオ|未完成の取扱説明書」も配信しています。

まずは、番組の考え方が分かる説明回からどうぞ。
現在は、過去記事をもとにした回を順次作成・配信中です。
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