創作大賞2026を素通りしたご報告
仕事を終えて、社用PCをシャットダウンした。
フルリモートなので、退勤から帰宅まではゼロ歩である。
同じ机で、今度は自分のPCを起動する。
創作大賞2026の中間発表を見るためだ。
スマホでも見られる。
というか、急いでいたなら、とっくにスマホで見ている。
でも私は、中間発表の結果をモニターの大きな画面で見たかった。
なぜか。分からない。
可能性は小さくても、画面まで小さくする必要はない。
昨年と同じなら、発表は11時。
そう思って、お昼に一度確認した。
まだだった。
午後に、もう一度。
まだだった。
結局、発表は17時。
私が見たのは18時過ぎだった。
まず、エッセイ部門。
上から順にスクロールする。
名前はない。
次に、ビジネス部門。
こちらも、上から順に。
名前はない。
シーーーーーン。
特に何も起きない。
想定内である。
GWから続いていた私の創作大賞2026は、静かにフェードアウトした。
いつもの日常が戻ってきた。
そもそも、ざっくり1%未満だった。
創作大賞に応募したことは、誰にも言っていなかった。
応募期間が終わったあと、今年の応募総数と前年の中間通過数を見ながら、ChatGPTに聞いた。
「前年と同じくらい通るなら、全体の何%になるんだろう」
ざっくり計算してみた。
1%未満。
狭い。
しかも、プロもアマも同じ土俵である。
ならば落ちても、そこまで驚く話ではない。
分かっていた。
分かってはいた。
応募したら最後、「もしかしたら」が居座る。
数字のわりに、態度がでかい。
中間発表の日を予想し、「9月3日では?」
と勝手に本命日を決め、有給まで取った。
違った。
ただの休日になった。
それでも、本当の発表日が来れば少しソワソワする。
「限りなく低い」と「ゼロ」は、別物である。
寿司を食べながら、普通にnoteを巡回した。
9月10日は木曜日だった。
いつもは、仕事を1時間早退して肩のリハビリに行く。
この日に限って、予約が取れたのはお昼だけだった。
仕事を1時間中抜けした。
その帰り。
夜には、さすがに中間発表も出ているだろう。
残っていても、残っていなくても、ちょっといい寿司くらいは食べていい。
そう決めて、スーパーでいつもより少し高い寿司を買った。
未来の私への先行投資である。
その寿司は、通過祝いにはならなかった。
寿司に罪はない。

noteを巡回しながら食べた。少し飲んだ。
人間、落選しても腹は減る。
いつものように記事を読んでいる。
創作大賞は終わった。
なのに。
寿司を食べながら、頭の片隅で別のことを考え始めていた。
で、私は何が足りなかったんだろう。
残念だったね、で終わるより先に、その答えが知りたくなった。
何が違った?
どこで差がついた?
私の何が足りなかった?
気づけば、寿司を咀嚼しながら原因究明を始めている。
感傷より先に、検証が始まった。
切り替えが早い。
我ながら、ちょっと引く。
落選にも、使い道はある。
確率が低かったのは知っている。
だから、「まあ、1%未満だったしね」
で済ませることもできた。
でも、シリーズを書き切り、エッセイも出した。
持ち帰るものが「残念でした」だけでは
ちょっともったいない。
そう思うと、私の中の理想追求欲が高まった。
普段は、
「まだ直せる」
「もっと良くできる」
「こっちも確認した方がいい」
と、私を止めることも多いくせに……
こういう時だけ、私を動かすのがうまい。
モニターには、noteの中間発表ページがまだ表示されたままだった。
そのままブックマークから、ChatGPTを開いて、即送信した。
「私の落選作と、中間通過作の違いを、ちゃんと分析したい」
数か月、一人で勝手に走ってきた創作大賞プロジェクトは終わった。
その夜、私はもう振り返りを始めていた。
中間通過した109作品を調べた。
今回、中間選考を通過したのは
エッセイ部門80作品、ビジネス部門29作品の計109作品。
どんな作品と書き手が残ったのか。
そして何より、私の作品とは何が違ったのか。
ChatGPTの力も借りながら、公開情報を調べた。
少なくともエッセイ部門は、「プロばかりだったから無理」では説明できなかった。
通過作の書き手のうち、
商業出版などの明確な外部実績を確認できたのは約3割。
残る約7割は、今回の調査では同様の実績を確認できなかった。
だからといって、「7割がアマチュアだった」という意味ではない。
壮絶な人生経験が必要だったわけでもない。
日常の出来事を、自分の独自視点で描いた作品も残っていた。
では、私の作品はどうだったのか。
材料はあった。
全部のせで、主役が埋もれていた。
自分のエッセイ部門と、ビジネス部門のシリーズも同じ軸で見直した。
すると、妙に共通していた。
エッセイ部門では、
一番強い一場面を選び切れていなかった。
宝くじのエッセイには、銀行までの動線、当選証明書、資金管理、健康、
住まい、相続まで、面白い枝を全部足した。
森ができた。
木を見せたかったのに。
数億円が当たっても、結局は喫茶店で店員と「ありがとうございます」を
交わして、日常へ戻ろうとする。本当は、その一場面が核だった。
ビジネス部門では、
一番強い一理論を選び切れていなかった。
世界の「ちゃんとしなきゃ」シリーズでは、国と言語ごとの比較を主役にした。
比較、また比較。
回を追うごとに見つけた考えを、
律儀に全部持ち帰った。
シリーズの中心に置くべき考えは、短く言えた。
完璧主義は、最初に出るとブレーキになり、最後に出ると編集者になる。なくすのではなく、出番を変えればいい。
その一番強い考えを、私は比較の後ろに置いていた。
広げるところまでは得意だった。
問題は、そのあとである。
今回もこの記事を書き始めた当初、
ゴリラ豪雨や運の自転車操業を書いた過去記事の話まで入れようとしていた。
危ない。早速やっている。
削った。泣く泣く。
でも、たぶんここなのだ。
面白いことと、その作品に必要なことは同じではない。
広げてもいい。
そこは、私の強みでもある。
でも最後は、本当に必要なものだけを残す。
ブーメラン、命中。
私はこれまで、完璧主義について、
「止めどころを決めることが大事だ」と書いてきた。
どこまでやったら完成にするのか。
何を残して、何を捨てるのか。
まだ足せるとしても、どこで手を止めるのか。
そして今回、落選した自分の作品を分析したら、
ほぼ同じ答えが返ってきた。
「お前、自分の原稿でもそれをやれ」
だった。
またか。
自分で投げたブーメランが、やけに正確に戻ってくる。
しかも今回は、この記事を書いている最中にすでに一発刺さっている。
分析した結果を、さっそく自分の原稿で試している。
落選を、ただの落選では終わらせなかった。
私の完璧主義は、手ぶらでは帰らない。
創作大賞2026、これにて終了。
GWから一人で走ってきた創作大賞2026は、静かに終わった。
落選から持ち帰ったのは、
「厳選しろ」
という、悪くない一言だった。
あわせて読むなら、この3つ
数億円が当たったあとの生活だけは、当選前からすべて整っていた話。
世界の「ちゃんとしなきゃ」を巡りながら
完璧主義の見え方を比べたシリーズ。
中間発表日を勝手に予想し、有給まで取った。
結果、ただの休日になった話。
