
驟雨#999雨音に流されないために(制作メモ)
創作大賞の存在を知った時「ああ、これは書けってことか」と勝手に思いました。そして私は、世に溢れている
薄っぺらい内容の小説は、小説ではないと思っています。
文字を並べただけの書。
感情も問いも何もない、ただの飾り物。
私は、小説を書くなら濃くて、重くて、飲み込むのに時間がかかるものにしたい。
読む人を選ぶかもしれない。
でも、読んだ人の中で残るものを書きたいと思っています。
だからこそ最初っから分かりやすく、誰にでも伝わるようなオチを用意した安全な小説は書きたくなかった。
小説は、感情が揺れるからこそ、小説。
そして、揺れた心が雨に濡れたとき
その人にとっての名前が、ようやく浮かび上がるのだと思います。
そん時ちょうど、聞き流してたYouTubeで不可解な事故死まとめが流れてて「証拠が出ず、事故死として処理されました」ってナレーションがらちょうど昼食中の口の中に、広がり不味く感じました。
は?それ、未解決事件ちゃうん?
「事故死」と「未解決事件」って、そんなに違う?
犯人が見つからないって、どっちも同じなんちゃうん?
なんで、片方はニュースで流れて片方は誰のせいでもない不運で済まされるんやろう。
ネットを開けば、誹謗中傷と正義感の大渋滞。
誰が何をしたかなんて、1割も知らんのに。
憶測だけで叩いて、火をつけて、燃やして、
それが世論ってやつなんですかね?
絶対許せない!犯人がいるはず!
そう言ってる間、貴方の指しか動いてない。
足も手も、なーんも動かずに、画面の前で怒ってるつもり。
で、後日ちゃんとした情報出ても「知らなかった〜」「初耳〜」「訂正してないけど許してね?」と知らぬ存ぜぬ。
それで済んでしまうんよね。ネットって。
ほんで私は正義ですって、顔して言うんやろ?おかしいやん。
これは、例に漏れずネットで起こってる全てに言えることです。
名前って、何のためにあると思います?
呼ばれる時、褒められる時、叱られる時、嫌味を言われる時、すべてに「名前」がセットでついてくる。
人の価値も罪も評価も、名前ありき。名前はその人の輪郭を作ってる。
なら、ただ殺すだけじゃなく、名前ごと消したらどうなんやろ?それが本当の存在抹消ちゃうん?と思いました。そこから、この小説は生まれました。
雨に打たれて、名前が滲んで、消えていく。
その風景を「まぁ、よくある創作話ね」って言えるなら、
たぶんこの物語は貴方のことを書いてます。
最後にこれを読んでる貴方に聞きます。
雨に流されない自信はありますか?
それとも、流されてることにすら気づいてないですか?
この小説はフィクションやけど事故死も、事故死に見せかけた殺人も、普通に起こりうる現実なんです。
そして被害者になることより、何より、怖いのは
貴方も「加害者」になる可能性が、0じゃないこと。
正義とか主張とか一意見とか言って、
今日もスマホの画面だけで誰かを裁いてませんか?
せめて、
貴方だけは憶測で判断しないでください。
どうか、ご武運を。
the real end