
うぬぼれと希望と 20.審判
閲覧ありがとうございます。
今年もまた そろそろ
ボローニャ国際絵本原画展の応募に向けて
準備しなくちゃなぁ…とソワソワし始めた みづはです。
もう10年以上 挑戦しているけど
一度もファイナルまで残れたことも ないんですが。
それはさておき、さっそく 今日引いたカードに触れていこうと思います。
今回出てきたのは
『20.審判』でした。
空で天使がラッパを吹き、
水上の棺から人々がよみがえるシーンが描かれていて、
再起の時・結果がでる といった イメージを持つカードです。
タロットには、「星」や「太陽」など
希望をイメージさせるカードが いくつかあります。
その中でも 審判のカードは、
私にとっては 特に強く希望を感じさせてくれるものです。
星のカードの表す希望は
暗い夜空で光るような まだ手の届かない場所にあって、距離がある。
太陽のカードは文字通り
輝くばかりの幸福や成功を表すけど、
あまりにも明るく順風満帆すぎて 私にはどこか現実感がない。
では、審判はどう違うのかといえば。
星や太陽のような「これから幸運が訪れる」という希望ではなく、
「日の目を見る・これまでの結果が出る」という
意味合いでの希望を表すカードだというところ。
長く埋もれてきたものが見出されるかもしれない。
諦めざるを得なかったことに 再起の機会が来るかもしれない。
ずっと 耐えて頑張り続けていた人に、
やっと順番がまわってくるかもしれない。
そう思わせてくれるところが、
私には 星や太陽よりも現実味のある 救いと希望に感じられる。
そこまで考えると、自分に対して疑問も浮かんでくる。
審判のカードは
「良くも悪くも」これまでの結果や報いが出る というカードだ。
そんなカードを見て希望を感じるということは、
「いつか私は報われるべき」と自分で思っているということだ。
つまり私は、自分は頑張ってきた という自己評価をしている。
わーお、とんだ うぬぼれ屋じゃあないかベイビー。
実際、私も 虚弱でぼっちな人生の中で、
心や体がついていかない場面もあって、
日常の中にも いろいろ制限がある。
心のどこかに
自分は普通より苦労させられている
頑張って生きている という思考が よぎる時も正直ある。
そういう思考が、
私は報われるべきだという思いの根になってしまうのだろう。
苦労や努力は報われてほしいものだし、
ここまで生き延びた時間や涙に
意味があったと思いたいのは自然な感情だ。
だけど、そこから
苦労したから報われて当然だ とか、
頑張ってきた自分は他より凄い といった
不健全な自信 みたいなものにまで
飛躍してしまうことも また、いびつで危ういと思う。
自分ではよくやっていると勘違いして、
実は全然できてなかった なんて、よくあることだ。
良かれと行動しているつもりで 誰かを気づかずに傷つけていることも、
無自覚に周りを困らせることも
人間あるあるの上位ランキングに入るくらい、誰もがやらかすことだ。
そこに こういった不健全な自信が 噛み合うと
なおのこと自分を客観視する目がくもる。
そういうことを思うと、
審判というカードは 途端に怖いカードにも感じられる。
それなのに、やっぱり
審判のカードに対して 希望を抱くことをやめられない私もいる。
人は希望がないと生きていられない。
だから、ここまで続いてきた寂しさも、
誰にも見えなかった痛みも、
どこかで何かに繋がっているかもしれない――
そう思うことをやめられないのだ。
今回はなんだか、しんみりした記事になったような気がします。
審判の結果がどんなものになるかは、わからないけれど、
私には、良い結果が出るように、
これからも自分なりに考えて 行動して生きていくしかできません。
これだけ長々書きましたが、
要するに、結論は今まで通り。そして、いつも通りです。