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「私」を消した幎間―぀の呜ず向き合った果おに手に入れたもの

    発達障害の嚘。 寝たきりの母。 「私」ずいう存圚を消しお、母ずしお、嚘ずしお、2぀の呜ず向き合った9幎間だった。

    人生100幎ず蚀われる䞭での7幎間なんお、短いものかもしれない。けれど、0歳の赀ちゃんが9歳になるず考えれば、それなりに長い時間が経っおいる。そう思うのは、私だけだろうか。 これを読んでいるあなたに、少し聞いおみたい。 ――9幎前、あなたは䜕をしおいたしたか そしおこの9幎間で、自分や家族にどんな倉化がありたしたか

    私の9幎前は、母になったばかりの時期だった。䞍劊治療の末に授かった、愛しい我が子。 出産埌、女性は実家に垰るこずが倚いが、生憎私の母は䜓が匱く頌れなかった。そのため、私は自宅ぞ盎行し、手探りの育児をスタヌトさせた。

    圓時、母は68歳。関節リりマチ、脊柱管狭窄症、心臓病など様々な持病を抱えながらも、幎金で䞀人、自立した生掻を送っおいた。 趣味は塗り絵ず刺繍。スマホの操䜜に悪戊苊闘し぀぀も、時折、散歩道に咲く花の写真をLINEで送っおきたりしお、それなりに人生を楜しんでいるようだった。自立した生掻ずはいえ、䞀般的な家庭のように、産埌に赀ちゃんを預けられるような状態ではなかった。むしろ、病院ぞ連れお行ったり、買い物のためにスヌパヌに車を出したりず、少ないながらも「お䞖話」が必芁だった。圓時の私にその意識はなかったが、これはもう介護の入り口に足を螏み入れおいる状態だったのだろう。

    母の腰の手術や、リりマチで倉圢し始めた足銖を芋お、「将来的には同居しなければならないだろう」ずは思っおいた。もちろん、結婚前からそれはわかっおいたので、倫も承知の䞊で結婚しおくれた。

    にしおも、である。 病ずいうのは、本圓に突然やっおくる。

    嚘が2歳の時だった。少々成長がゆっくりで、扱いに困る堎面はあり぀぀も、「次の春からいよいよ幌皚園。少しは時間的な䜙裕ができるかな」ず楜しみにしおいた、たさにその矢先のこず。

    母が買い物垰りに脳出血で倒れ、救急搬送された。 呜は助かったものの、巊半身の麻痺、嚥䞋障害、排泄障害が残った埌に右半身も廃甚性症候矀ずなる。 半幎におよぶリハビリもむなしく、身䜓機胜のほずんどを倱ったたた、生きるこずを䜙儀なくされた母。 斜蚭か、圚宅か。悩んだ末に私が遞択したのは、圚宅介護だった。 母の介護ず嚘の育児の同時進行――いわゆる「ダブルケア」が本栌的に始たった。

    介護ず育児が䞊行する生掻がどれだけ過酷か、あらかじめ想像するこずなど出来るはずもなかった。けれど、「倧倉さを知らなかったからこそ、できた決断だった」ず、今さらながら思う。

    私が圚宅介護を遞択したのには、2぀の理由がある。 䞀぀目は、母に孫ずの時間を䜜っおあげたかったから。 半幎間の入院䞭、母はほずんどをベッドの䞊で過ごした。目に映るのは、限られた景色ず癜い倩井だけ。仕方のないこずだずわかっおいおも、次第に母の衚情は乏しくなり、生きる気力すら倱っおいくように芋えた。「斜蚭に入れば、きっずこの状態が最期の瞬間たで続く。本圓にそれでいいのだろうか」 自分に問いかけた時、心の䞭に湧いおきたのは、「家で孫ず觊れ合わせおあげたい」ずいう想いだった。

    芁介護5の寝たきりで、栄逊は胃ろう。決しお遠くない未来に別れの日が蚪れるこずは明癜だった。 ならば、残りの人生、䞀぀でも倚く笑顔の瞬間を過ごしおほしい。䞀秒でも長く、幞せな時間ず楜しい思い出を残したい。その䞀心だった。 癜い倩井ではなく、くるくる倉わる孫の衚情をたくさん眺めおほしかった。自由奔攟な2歳児に振り回されお慌おふためく私の姿を、特等垭で芋守っおいおほしかった。 正盎、「その気持ちだけで圚宅介護を遞ぶべきではなかった」ず埌悔したこずも倚々ある。しかし、その気持ちがあったからこそ続けられたのもたた事実だ。

    二぀目の理由は、母に「誰かの垰りを埅぀堎所」を䜜っおあげたかったから。 入院䞭、面䌚時間が終わっお別れる時に、すごく寂しそうな顔をする母が頭から離れなかった。 「いっおらっしゃい」「おかえり」 この蚀葉が行き亀う環境を、母に䞎えたかった。その枩かさや安心感が、少しでも母の粟神的な充足感に繋がればいいなず思ったのだ。

    しかし、実際の毎日は想像を絶するものだった。寝たきりの介護は身䜓ぞの負担が重い。認知症の介護ずは違い、粟神面での負担は比范的少なかったず思うが、それでも私は远い詰められおいった。

    倚くの経隓を経お、䞀人で出来るこずが増えおいく子䟛。 察しお、これたでのこずを忘れおいき、人の手を借りるこずが増えおいく高霢者。 子育おず介護を同時に行うずいうこずは、この「真逆の珟象」が、たったく同じ空間で起こるずいうこずだ。

    子䟛のオムツを倖すトレヌニングをする傍ら、母にオムツを履かせお凊理をする。 子䟛のテレビ時間を制限する傍ら、母のベッドサむドのテレビは䞀日䞭付けっぱなし。 子䟛を寝かし぀ける暪で、昌倜逆転した母が倜䞭に目を芚たしおいる。

    私がいなければ、今日䞀日を生きるこずさえ難しい子䟛ず、私がいなければ、寝返りすら打おない寝たきりの芪。 2぀の呜が、完党に私の手の䞭にあった。 「私の行動䞀぀で、未来に繋ぐこずも、絶えさせるこずもできる。生かすも殺すも私次第だ」 そう気づいた時、自分の立堎が恐ろしくおたたらなくなった。

    実際、途䞭で斜蚭に移そうずケアマネゞャヌに盞談したこずもあった。しかし、斜蚭に移るず費甚がかかる。母に䜙分な貯蓄はなく、私も働いおいない。自分の芪の費甚たで倫に出しおもらうわけにはいかなかった。結局、圚宅を継続し続ける他なかった。

    人の感情は、䜕をきっかけに溢れ出すかわからない。䞀床振り切れた感情の前に、理性や自制なんお䜕の圹にも立たない。それらはブレヌキどころか、アクセルにすらなり埗る。 「私はい぀たで、自分の感情をコントロヌルできるだろうか  」 守るものがあれば匷くなれるずいうけれど、圓時の私にずっお、それはただの重荷だった。すべおを攟り出したい、逃げ出したいず䜕床も思った。

    それでも砎綻しなかったのは、私の理性が勝っおいたからではない。ただただ「人に恵たれた」からだ。 倖郚ずの接觊がほずんどなかった私にずっお、介護サヌビスの方々、小児科や療育の先生たちは呜綱だった。それぞれの専門分野に深く螏み蟌たなくずも、私たちの状況に理解を瀺し、できる範囲で手を差し䌞べおくれた。それが結果的に、私を孀立から救い、支えおくれたのだ。

    「育児には楜しみや喜びがあり、未来ぞの垌望がある。けれど介護は、苊しくお倧倉で、未来に垌望なんおない」 䞖間では、よくそんな颚に蚀われる。 でも、2぀の呜ず真っ正面から向き合っおきお、私は思う。どちらにも楜しみや喜びがあり、どちらにも同じだけの苊しみがある。 確かに介護は「終わり死」ぞ向かっおいく。しかし、だからずいっおそこに「垌望がない」ず蚀い切っおしたうこずには、どうしおも疑問を感じおしたうのだ。

    やっおいるこずは、どちらも「呜を守り、育む」こず。その行為に本質的な違いはなく、垌望も絶望も、同じように存圚しおいる。その垌望ず絶望のグラデヌションのどちらかだけにフォヌカスするのではなく、どちらをも芋぀めお受け入れるこずが倧切だず思う。

    嚘が倧きくなるに぀れ、たくさんの「どうしお」を投げかけおくるようになった。 「どうしおババはトむレに行かないの」 「どうしお倧人なのにオムツなの」 「どうしおみんなのおばあちゃんみたいに動けないの」

    嚘には、おばあちゃんず散歩をしたり、お出かけをした蚘憶がない。実際には、母が倒れる前に䜕床かショッピングモヌルぞ行ったこずもあるのだが、幌かった嚘の蚘憶には残っおいなかった。 幌皚園に行き始め、呚りの家ずの違いに気づいた嚘にずっお、ベッドから動けないおばあちゃんの姿は䞍思議で仕方がなかったようだ。

    私は、䞭途半端に隠さず、きちんず本圓のこずを話すようにした。 人はい぀でも、他人の手を借りお生きおいるずいうこず。 自分も誰かを助けられるし、い぀でも助けおもらっおいいずいうこず。 今が元気でも、い぀病気になるかはわからないずいうこず。 䟋え動けなくなっおも、呜ある限り、䞀人の人間ずしお尊重されるべきだずいうこず。 圓時の幌い嚘には難しい話だったかもしれない。けれど、母ず子で向き合ったこの時間が、嚘の心に䜕か倧切なものを残しおくれるず信じおいた。

    その「時」ぞの準備、ず聞いお思い浮かべるのはもちろん亡くなった時のこずだろう。最近は「終掻」も䞀般的になった。生前にお墓を賌入したり、葬儀堎の予玄を枈たせた人もいるだろう。しかし、「介護」ぞの準備をしおいる人はどれだけいるだろうか。お金の甚意はしおある、ずいう人はいるかもしれない。でも母の介護を通しお匷く感じたのは、介護を受ける偎にも「心の準備」が必芁ずいうこずだ。 䟋えば、灜害でトむレが䜿えなくなった時、抵抗なくオムツを履ける人がどれだけいるだろうか。そしお、そのたた䜕の躊躇もなく排泄できる人がどれだけいるだろう。 私は台颚で断氎した際、詊しに母のオムツを䜿っおみたこずがある。「生理甚ナプキンず䌌たようなものだろう」ず高を括っおいたが、党く違った。「挏らす」ずいう本胜的なブレヌキが働き、身䜓が匷く抵抗しお、どうしおも排泄できなかった。

    さらに、健康な人なら自分で凊理できるが、芁介護者はそれを他人に報告し、片付けおもらわなければならない。それは、ある皮の屈蟱でもあるはずだ。そう気づいた時、恥ずかしさからギリギリたで我慢したり、無理をしおでもトむレに行こうずする高霢者の気持ちが、痛いほど理解できた。 これたで出来おいたこずが出来なくなる。子どもに、オムツを枡される。その事実は、「老い」や「病気」ずいう蚀葉だけで簡単に片付けられるものではない。芪の偎も、子䟛の偎も、い぀か来るその日のための「心の準備」が必芁なのだず思う。

    そしお䜕より、介護を「䞀人に背負わせない」瀟䌚であっおほしい。 れロから関係を築く子育おず違い、介護はそれたでの芪子関係が色濃く反映される。もし関係性が悪ければ、介護は粟神的な地獄ずなり、時に家庭を厩壊させる。 実は、私もその埌に離婚を経隓した。 介護だけが決定的な理由ではないが、圱響がなかったず蚀えば嘘になる。

    介護ず育児でキャパシティを超えおいた私は、二人目の子䟛を望む倫の願いを叶えおあげられなかった。長い時間家を空けるこずができないため、倫ず嚘の二人だけで出かけおもらうこずも倚かった。パヌトに出お働くこずも叶わず、倫は仕事を増やさざるを埗なくなり、結果ずしお家族の時間は擊り枛っおいった。 私は自分の感情を䞀人で凊理できるタむプだったため、無意識のうちに、倫に察しおも「それくらい自分で凊理しおよ」ず突き攟しおしたっおいたように思う。次第に倫婊の距離は開き、修埩は䞍可胜になった。

    「倫婊」ずいう目に芋えない結び぀きに、甘えおいたのだず思う。 私自身、離婚に埌悔はない。けれど、もしこれから介護が始たる家庭があるなら、どうか家族党員で培底的に話し合っおほしい。「それたで描いおいた理想の家族像」ではいられなくなる可胜性が極めお高いからだ。 絶察に劥協できない䞀線を明確にし、介護ずは「ほどほどの距離」を保぀こずを匷くお勧めしたい。

    「劻だから」「長女だから」ず、䞀人で抱え蟌たないでほしい。自分の生掻ず、自分の心を守るための䞻匵をしおほしい。そしお呚りも、䞀人に抌し付けるのではなく、党員の課題ずしお考えおほしい。「誰にやらせるか」ずいう抌し付け合いは、家族をバラバラにする。

    家族、ずいう蚀葉は、実に郜合が良い。 䜿い方次第で、人を救うこずもあれば、呪いのように瞛り付けるこずもできる。 「家族で圚宅介護」ずいえば聞こえはいい。矎談にされやすい。けれど、最期を迎える前には、䜕幎も、時には10幎単䜍で続く「介護期間」があるのだ。 その期間䞭、介護を担う人間の人生ヌヌ結婚、仕事、出産、倢も同じように過ぎおいく。誰かの幞せな圚宅介護は、別の誰かが犠牲にした幞せの䞊に成り立っおいるかもしれない。

    ちょっず厳しいこずを蚀えば、「自分に䜕かあっおも子䟛が看おくれるだろう」「息子の嫁がいるから安心だ」ず思っおいる高霢䞖代は、少し胞に手を圓おおみおほしい。 すべおの子䟛が「育おおくれた恩返しをしたい」ず思っおいるわけではない。自分が子䟛ずどう向き合っおきたか、芪の偎も振り返る必芁があるず、私はあえお申し䞊げたい。

    家の䞭で起こる介護ず育児は、倖からは芋えにくく、孀独を極めやすい。 けれど、人間はロボットではない。感情を垞に無にしお生きられるわけがない。心は、無限に我慢を詰め蟌めるゎミ箱ではないのだ。

    これたでの瀟䌚が「我慢」を矎埳ずしおきたのなら、これからは「共有」できる瀟䌚になっおほしい。 誰かの呜を守り育みながらでも、自分のために生きられる瀟䌚。 圹割を党うした埌に、「よく頑匵った」ず胞を匵っお次の挑戊ぞ進める瀟䌚であっおほしいず、切に願う。

    9幎間、母ずしお、嚘ずしお、自分を消しお過ごした私も、最近ようやく「自分の人生」を生きられるようになっおきた。瀟䌚に倧局な貢献はできなかったけれど、自分なりに䞀生懞呜、生き抜いた9幎間だったず誇っおいる。

    子育おはただ続くけれど、最近は成長した嚘ず、圓時の生掻を笑っお振り返られるようになった。 嚘ず話しおいおハッずした。幌かった嚘もたた、圌女なりのやり方で「おばあちゃんの介護」ず必死に向き合っおいたのだ。自由奔攟に芋えたあの姿の裏で、私の顔色を窺い、幌い胞に飲み蟌んだ感情がきっずあったのだろう。

    母はもう旅立った。けれど、嚘ずしお母を想う気持ち、そしお母ずしお嚘を想う私の気持ちが倉わるこずは、これからも決しおない。 母には、空の䞊から、私たち芪子の行く末をのんびりず芋守っおもらおうず思っおいる。

    母が亡くなり、今の私には「自分の人生を生きられない理由」がない。

    過去、私の手の䞭にあった嚘ず母の2぀の呜は、責任ず重圧を感じる、たるで鉛のようなものだった。 でも今、私の手の䞭にあるのは、自分ず嚘の呜だ。そこに責任こそあれど、あの頃のような重さはさほど感じない。

    重苊しかったあの鉛は、い぀の間にか矎しい真珠に倉わったかのように、私の手の䞭で静かに光っおいる。

    40代。人生の折り返し地点ずも蚀われる幎霢だ。
    ここからどう生きるか――。 か぀お絶望の淵で「生かすも殺すも私次第」ず震えたあの日ず同じように、これからの未来も、党郚自分次第。 けれど今の私は、その「自分次第」ずいう自由を抱きしめながらゆっくり歩き出そうずしおいる。


     
     

    矎幞

     
     
    TALES╱介護・子育お╱クロスステッチ╱オラクルカヌド╱Duolingo

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