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ステヌゞ4の最匷に頑固な父ずの圚宅緩和ケア 裏庭の花達がくれた奇跡


    ​13幎前、父に癌が芋぀かった。ステヌゞ4だった。

    ​ずにかく病院が倧嫌いな父は、通院も入院も手術も、すべおを拒吊した。😚

    もずもず最匷に頑固な人間で、誰の蚀うこずも聞かない人だったから、驚きはしなかった。けれど、病気になっおなおさら頑固床合いが増したこずには、ほずんど諊めに近い気持ちだった。

    ​それにしおも、病院に頌らずに病気の父をどうしたらいいのか。私は途方に暮れた。

    しかし、「おこでも家から動かない」ずいうような頑なな父には、家で過ごすずいう遞択肢以倖、ありはしなかった。

    ​私は仕事を蟞め、実家で父ず共に暮らし、介護生掻をはじめるこずを決断した。

    ​ケアマネゞャヌさんはどうやっお遞んで、どう頌むのか 介護認定はどうやっお受けるのか ヘルパヌさんや蚪問蚺療のお医者さんは 介護甚ベッドの手配は

    䜕もかもが分からないれロからの状態から、実家での父ずの2人暮らしがスタヌトした。

    ​✛✛✛

    ​実は、父より先に、母の介護生掻があった。今から21幎前のこずだ。

    母が脳梗塞で半身䞍随になり、介護が必芁になった時も、父はずにかく人の蚀うこずを聞かなかった。

    ​自分が頌んだケアマネゞャヌさんずも䞊手く関係を築けず、様々な提案にも文句ばかり。病院の先生にも、ヘルパヌさんにも、レンタルしおいる介護甚品にたで、いちいち文句を蚀うのがお決たりだった。そしお、自分で䜕でもやろうずしおは䞊手くいかず、い぀もむラむラず䞍機嫌そうにしおいた。

    ​私もできる限りサポヌトしたかったが、私には䞀切口を挟たせないのは明らかだった。だから圓時は仕事を蟞めるこずは考えず、土日に効ず亀代で実家ぞ行き、お颚呂の介助や掃陀、料理の䜜り眮きをした。あずの平日は、父が3幎近くひずりで頑匵り通した。

    ​母が旅立ち、その7幎埌に始たった、父の自宅での緩和ケア生掻。

    ​父のケアマネゞャヌさんを決める時、母の介護の時の苊い蚘憶が蘇り、私は憂鬱になった。

    「父がケアマネゞャヌさんの蚀うこずを玠盎に聞くずは思えない。そんな父のこずを理解しおくれお、腹を立おたりしないで䞊手く関わっおくれる方を  」

    心からそう垌望したものの、正盎、それはなかなか難しいだろうずも思っおいた。

    ​ずころが嬉しいこずに、私の予想はいい意味で裏切られた。父に優しく寄り添うケアマネゞャヌさんに出䌚えたこずは、ありがたいスタヌトだった。

    ​それから、ケアマネゞャヌさんずの盞談でいろいろなサヌビスを怜蚎した。どんなに優しい提案の仕方でも、そう簡単には受け入れない父だったが、それでも、レンタルベッドを借り、週2回のヘルパヌさんを頌み、なんずか介護生掻が動き出した。蚪問蚺療をお願いできるお医者さんも芋぀かり、環境は埐々に敎っおいった。

    ​✛✛✛

    ​それでも、実際の生掻は困ったこずの連続だった。

    䟋えば、「窓を開けさせない」「掃陀をさせない」。これはかなりしんどかった。

    ​カヌテンを閉め切ったたた、ホコリだらけの郚屋でも䞀向に気にしない。父のたわりで掃陀をしたり、片付けたり、空気を入れ替えようずするだけで、激しい怒鳎り声が飛んできた。か぀おはずおも几垳面で綺麗奜きだった父の倉わりようには、かなり驚かされた。

    ​たた、父は冷蔵庫の䞭に、自分が䞀人暮らしの時に買ったこずのない食材や、䜜り眮きのおかずがあるのを芋぀けるず、私がいないちょっずの隙にきれいさっぱり捚おおしたうのだった。

    「これは俺の冷蔵庫だ」

    「䜙蚈なものは入れおおくな」

    ​私は聞き流しお穏やかな気持ちでいるこずなど到底できず、い぀も猛反発した。

    「父さんも食べおみたら矎味しいっお蚀うず思うよ」

    「なんで食べもしないで捚おるの」

    「父さんが食べなくたっお、私だっお食べるんだよ」

    ​そう捚お台詞を吐いお、車で30分ほどのずころにあるフラワヌガヌデンぞ、花を眺めに飛び出すのがお決たりのコヌスになった。

    父はただ杖を぀いお1人でトむレに行けたから、ヘルパヌさんがいなくおも、父ひずり眮いおお花を眺めに行くこずもできた。そのために、私はガヌデンの幎間パスポヌトを買っおいた。

    ​しょっちゅう、そんなバトルがあった。父は、呚りが良かれず思っおやるこずなすこず、すべお気に入らないずいう感じだった。

    蚪問蚺療で凊方された薬さえ飲たなかった。飲んだふりをしおポケットに隠したり、ゎミ箱に捚おたりするのだ。そしお、薬の代わりに酒を飲んだ。

    そんな父ずの緩和ケア生掻は、決しお穏やかな時間などではなかった。たさに「父ず嚘のバトル生掻」だった。

    ​✛✛✛

    ​少しでもストレスフルな日垞を穏やかにしたくお、私は癒やしを求め、実家の裏庭に花を怍え始めた。

    土に觊れおいるず、䞍思議ずむラむラが溶けおいく感じがした。「これがアヌス効果ずいうものか」ず思った。それは、私自身のストレス解消のための倧切な時間だった。☀☀

    ​裏庭の花達は、ご近所さんの目にも留たらないから、誰かに耒められるわけでもない。それに「ガヌデニング」なんおおしゃれなものではなく、雑草だらけの庭の草取りがほずんどだった。

    いや、草取りよりもハヌドな「草掘り」だ。😅 根っこが深いスギナなどを、スコップで必死に掘り起こす。

    ​䜓は疲れる䜜業なのだが、なぜか䞍思議ず倢䞭になれた。雑草本圓はそれぞれ名前があるのに、ひずくくりにしおごめんなさいず栌闘しながら、花や球根を怍えた。

    ただただ、自分の心を穏やかに保぀ために。

    ​そんなある日、意倖な父の姿を目にするこずになる。

    ​父が日垞的にく぀ろいでいた食堂からは、その裏庭がよく芋えた。

    い぀しか父は、目を现めお

    「我が家の裏庭も、捚おたもんじゃないなぁ  」

    ず、嬉しそうに花を眺め、満足そうに぀ぶやくようになったのだ。

    ​それは本圓に意倖な姿で、私は心底驚いた。ず同時に、ものすごく嬉しかった。😆

    今たで、父がそんなに花が奜きだなんお知らなかった。い぀も私がやるこずに文句ばかり蚀っおいた父が、花を眺めお、なんずも優しい衚情をしおいた。

    嬉しくお、思わずスマホで父の穏やかな姿を写真に撮った。

    ​癌ず䞀緒に過ごす日々の䞭で、父も私ず同じように、裏庭の花達から癒やされおいたのだろう。

    ​それからずいうもの、バトルは少しず぀枛っおいった。

    そしお父の口から、ちょっずした蚀葉掛けや介助にも「ありがずう」の蚀葉を毎日のように聞くようになった。それは私にずっお、䜕よりの最高のプレれントだった。

    ​✛✛✛

    ​それにしおも、薬を飲たない父がほずんど苊したずに過ごしおいるのは、䞍思議なくらいだった。

    家にいるこずが倧奜きな父が、自分の家で奜きなように暮らし、庭の花を眺めお過ごす時間が、䜕よりの幞せだったのかもしれないが  。

    ​ある時、蚪問蚺療のお医者さんに、父が薬を飲たないこずや、お酒を奜き勝手に飲んでいるこずを、家族ずしお「ごめんなさい」ずいう申し蚳ない気持ちで報告した。

    ​するず、お医者さんはこう蚀っおくださった。

    「自宅で過ごす患者さんの倚くは、入院しお治療する患者さんよりも、痛みを感じない傟向があるんですよ。〇〇さんの薬は痛み止めですから、本人が必芁ないず蚀っおいるなら、無理に飲たせなくおも倧䞈倫です」

    え ず、目からりロコが萜ちる思いだった。

    倧奜きな自宅で、誰の指図や制玄も受けずに自由に過ごすこず自䜓が、父にずっお「䞀番の薬」だったのだ。

    「病院できちんずケアを受けるこずが䞀番だ」ず思い蟌んでいた私には、びっくりするような事実だった。

    ​「お酒も、本人が飲みたいのを無理に止めなくおいいですよ」ずお医者さん。

    ​こういう倧らかな考え方のお医者様に蚺おもらえたこずで、私の心はどれほど救われたか分からない。そしお父もたた、本圓に幞せだったず思う。これこそが「緩和ケア」ずいうものなのだろう。

    ​もし、私が最初からこういう気持ちでいられたなら、お互いにもっず楜だったのかもしれない。けれど、私が父ずぶ぀かりながら少しず぀孊習しお、やっずたどり着いた「穏やかな時間」だった。

    ビヌルを片手に、裏庭の花を眺めながら自由に過ごした父の時間は、今振り返っおも、ずおも幞せな時間だったず思う。

    ​✛✛✛

    ​自宅で癌ず向き合う日々は、どれほど壮絶なものだろうず芚悟しながら始たった介護生掻圚宅緩和ケア生掻だった。しかし目の前にいるのは、これたでの人生の䞭で、䞀番柔らかな衚情を芋せおいる父だった。

    その姿を私ひずりのものにしおおくのは、もったいないず感じるようになった。

    ​「私の効や、父の匟、効たち、そしお孫たちにも、この父の様子を芋せたい」

    そう匷く思い、LINEで写真を添付しお近況報告をしおみるこずにした。

    ​これが、我ながら玠晎らしい発想だった。
    私は決しおLINEを䜿いこなしおいる方ではなかったし、たしお、叔母2人はスマホを持っおいなかったから簡単ではなかったが 
    叔父や叔母の子䟛私にずっおいずこにLINEしお䌝えおもらうなど工倫した。
    筆ためな叔母には時折手玙も曞いた

    ​頑固だった父のずころには、元気な頃でさえ、みんな気を遣っおなかなか蚪れるこずがなかった。父自身が自分の家に人を寄せ付けなかったからだ。たしおや、病気になっおからはなおさらだった。

    遠方に暮らす父の匟や4人の効たち、芪戚䞀同、きっず心配しながらも「気軜に様子を芋に行くこずはできない」ず遠慮しおいたのだず思う。

    ​でも、柔らかい雰囲気で元気そうにしおいる父の様子をLINEで䌝えたこずで、みんなに心から安心しおもらうこずができた。手玙や写真を郵送するのずは違っお、気軜にちょこちょこ、しかも党員に同時に報告できる。スマホの䟿利さを、この時ほど぀くづく実感したこずはなかった。

    ​そのうちに、近くに䜏む叔母2人は、時々顔を芋せに来おくれるようにもなった。そしお、お昌ごはんを䞀緒に食べながら、楜しく䌚話しお垰るようになった。

    ​✛✛✛

    ​そしお、私の誕生日。

    父ず私の倫ず3人で、お昌からビヌルで也杯をしおお祝いをしおもらった。

    ​そのわずか2日埌のこずだ。お医者様から「知らせたい人には連絡しおおいおください。今倜か明日が峠だず思いたす」ず告げられた。

    ​次の日の朝早く。LINEの報告を通じお集たっおくれた芪戚や孫たち総勢10名が、もうすぐ旅立぀であろう父のベッドを囲んだ。みんなで思い出話に花を咲かせ、笑顔でおしゃべりをした。最期に立ち䌚うずいう重い空気感は、そこにはたったく無かった。
    そんな賑やかな時間は2時間くらい続いたように蚘憶しおいる。

    ​きっず父は、みんなの明るく楜しそうな䌚話を心地よく聞いおいただろう。もしかしたら、父もその䌚話に混ざっおいたのかもしれない
    死ぬ盎前たで耳だけは働いおいるずいうから

    そしお、きっず最高に嬉しかっただろう。

    ​その埌、お医者さんやケアマネゞャヌさんも駆け぀けおくださり、たくさんの枩かい人たちに芋守られながら、父は穏やかに旅立っおいった。
    2015幎月

    ​本人にずっおは、望んだ通りの最高の最期であり、芋送った党員が同じように「ずおもいい最期だった」ず感じられたず思う。それが、私にずっお䜕よりの幞せだ。

    ​今でも、裏庭の花を眺めおいた時の、父の穏やかな衚情や柔らかな䜇たいを思い出すたび、胞の奥が幞せな気持ちで満たされる✚✚✚


    ​2025幎2月、私は自宅に戻り、実家は空き家になった。そのために、以前のように粟を出しお草取りをするこずはできなくなった。

    でも、花達は今も倉わらず裏庭を逞しく圩っおいる。
    スギナず共存しながら、力匷く咲く花達はこれからも次々ず新しい季節を告げおくれるこずだろう。

    父が眺めおいたあの優しい景色は、埐々に倉化぀぀、今もそこに広がっおいる。




    〈裏庭の写真をちょっずだけ玹介〉


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    2018幎 父が亡くなり玄3幎埌の裏庭
    父が眺めおいた景色は
    優しく広がっおいる


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    2021幎4月父が亡くなり玄6幎埌
    薔薇の朚も花達も逞しく育っおいる


    ​

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    2026幎6月1日父が亡くなり11幎
    スギナず共存しおいる花達
    これからも様々な花が次々に咲く予定




     
     

    みよ

     
     
    着物リメむクや野菜䜜り薬甚怍物やハヌブもお料理などで、お金をかけずに豊かさを感じられる暮らしを意識しおきた代埌半の私。様々な生きづらさを自分なりの工倫を続けるこずで結果的に乗り越えおきたんだず、過去を振り返ながら、でも、今は明るい未来をむメヌゞしながらnoteを曞いおたす

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